うろうろとする日々

朝日新聞12月24日夕刊松本記者のコラム

(取材考記)バスケット 八村発言対応、渡辺に頼もしさ 松本龍三郎:朝日新聞デジタル

朝日新聞に意味の分からないコラムがでた。先日の渡辺選手が八村選手の発言をめぐって「誰も悪くない」とかいったのへの反応だ。

記者は”頼もしさ”と書くが、いったいどういった立ち位置なの?結局JBAにものを言えるのは評議員とか理事とかそういった立場の人間であとは自分たち記者だと。選手としてはいろいろ配慮して偉かったね、というようなものすごく上から目線な記事であったと思う。

だいたい記者、といっても朝日の場合、バスケットについては、順番で当番で担当するだけで、深く何年も取材する記者はいないので、どうしてもこのような薄い記事にならざるを得ないことは読者としては織り込み済みだ。しかし、自分が取材した内容はゼロである。取材こうきと書きながらどこを取材したのかと思う。

まあ何しろ渡辺選手自体がこれについて、発言はしたけど質問は受け付けないというものすごく無責任な発言で、かつほかのメンバーに取材するなといっているので、どうやらそれをそのままやっているらしい。そんなのあり?それだけでも渡辺選手の発言は覚悟もないように感じるし、結局は八村選手の発言を無力化しただけで終わってしまった感がある。まさに一番よろしくない、松本記者が書いている”ホーバスHCと八村選手はうまくいっていなかった”ことの追認と”ほかの選手はホーバスHCを悪く思ってない”というお追従だ。はっきりいって渡辺選手の発言をそのまま載せる新聞も新聞だと思ったが、まさにそこで話が止まってしまうというある意味誰かが仕組んだとおりという感じだ。八村選手が批判したJBAへは全く矛先が向かないようになった。むしろ小生は前に書いたように、三屋会長が”八村選手の発言は当然の権利”といったことのほうがずっとマスコミジャーナリストよりも勇気がある発言だし、受け入れられる。どうしてもっとジャーナリストたちは三屋会長の取材などをしないのだろう。不思議だ。結局バスケットボールはあるイメージをみんなに植えることでかなりJリーグに近い感じになってきた。それにはマスコミも乗っかっている。(新聞の部数稼ぎや広告の出稿につながる)だからバスケットについて批判的なことは言わないことになっているのか。

ということを拝察はするのだが、それならそれで黙ってやりすごして”取材後記”(何だろう本当は)など書かなければいいのだ。マスコミが大スポンサーに対して全く無力であることはわかるが、一般紙もそれでいいのだろうか?これが朝日のスポーツ面だけでなく、政治面、社会面、経済面、文化面などすべてにも起こっていることだとするともう新聞とはいえなくて、広報誌。昔日経新聞がそういわれていたように思うが今は朝日の方がずっとそんな感じじゃないのだろうか、、、

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