うろうろとする日々

甲子園決勝から1日たって

昨日の決勝戦への応援についてはいろいろとあるようですが、毎日新聞の書き方は最近の新聞によくある、”ネットによれば”と自分たちの見解を書かずにひとの意見を書き連ねて大体は併記しておしまい、というパターン。毎日新聞も春の選抜は主催しているのだから、もっと突っ込んで自分たちの意見を書くべきだったと思う。そういったことがないから新聞は売れなくなる。一番主張がはっきりしている読売新聞が売れるのは当然と思ったりもする。

ナンバーWEBは結構取材して記事を書いていた。

思った通りやはり、あそこまでの音でやられると、かなり普通の感覚ではいられなくなるということなんでしょう。春に一度対戦した仙台育英が夏は違ったというのも聞いていてもわかるところ。また、ナンバーWEBによれば決勝戦は140人くらいの規模でOBも参加してブラスバンドをやったとのこと。確かにそのような感じでありました。

それにしても一般の席を皆さんどのようにしてお買い求めになったのだろう。ちょっと不思議だ。すぐに売り切れたということだが、ブラスバンドのOBの人たちは簡単にチケットが手に入ったのだろうか、、、

まあそのあたりも三田会の力ってやつか、、、

というようなことがおそらくは早稲田大学の出身者の方々以外はなかなか通じずおそらくは、ちょっと異様に見える、ということが、ネットでの賛否なんじゃないでしょうか。社会人だと会社などでも”三田会”の妙な団結を見せられたりして(例えば地域ごとに転勤したり引っ越すとそこに三田会があったり、会社ごとの三田会があったりというのは多くの非KO大学卒の人以外も知るところだと思われます)その延長で見てしまう、というバイアスもあるかもしれません。と書きましたが、それはバイアスではなくて、やはりそういったものの延長としてあの応援があるのであれば、日ごろの”なんなんだよ“感が一気に表に引っ張り出された感じでしょうか。

国会議員たちのこれ見よがしなツイートも嫌味にしか見えないのはひがみでしょうか、、、

ということで年寄りの日頃のうっ憤がもんだいではなく、やはり、問題は野球をちゃんとできる環境でやらせてあげたいということです。甲子園球場という中立の場所でやっているのですから主催者はあまりにも偏った状況になったらやはり対応する必要があったと思うし、審判もあれで平常心で出来たのだろうか?といらぬおせっかいかもしれないけど思いました。実は審判もアマチュアだったりもしますから、どうなんでしょうね。

おそらくは六大学などは専門の応援部員がお互い仕切るので、あまりひどいようなことはないのだと思います。しかし今回のようにOBがあれだけ集まってしまうと高校生の応援部員ではとても対応できない感じじゃなかったのではないかとも思います。大人の責任ですね。

小生が思うところ、国際試合だとしてもU18カテゴリーと制限なしの大会では、ホームの国であっても応援などは違ってきて当然ではと思います。U18であれば、主催国でも球場の中で取り囲むような感じまで行ってしまっての応援はよくないでしょう。WBCレベルであれば、決勝戦でほとんど米国の応援で埋め尽くされたような状況もまあ許されると。なので、決勝なんだから、応援の圧にも耐えろという意見に対しては、U18カテゴリーなので、それは大人が配慮すべきことでは?というのが小生の考えだ。

それにしても仙台育英の須江監督の発言はなかなかこれまでの高校野球の監督からは聞かれなかったような言葉が多く、21世紀の野球は20世紀とは違っていくんだろうなあと思わされました。

例えばバスケットボールなどと違って野球にはあるレベルだと10回やって10回勝つ、というのはなかなかできなそうな気がします。おそらく須江監督も例えば今回勝利した学校でも、10回やって10回勝てますか?といったらNOと答えるのではないでしょうか。もちろん確率的には育英が勝てる回数はおおいでしょうけど1回くらいは負けるかもしれない、というところではないでしょうか。そういった野球というスポーツのちょっと不確定なところがあることも含めて野球の楽しさ、と思えないとプレーヤーは追い詰められてしまうと思います。そのあたりの感覚が21世紀の野球には大切なのかな、と思ったりもしてます。トーナメントの野球といえば、都市対抗野球もなんだかもう古いようなきもします。毎日新聞主催ですが、毎日新聞自体経営も苦しそうなので、そろそろ終わるのでは、といらない心配の今日この頃です。

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