

夕べの

テレビインタビューに出ておられたが、控えめでかつ力強さも感じられる、二人のお嬢さんの母でもある。ご主人はスエーデン人の外交官と来た。「天は二物を与えず」なんていうけど嘘だね(笑)。家庭での映像では、JAPANなんて書いたシャツを着ていたし、多分ニューヨーク近郊で暮らしているのにお嬢さんとは不思議なことに日本語での会話だった!尊敬もするし、惚れ惚れしたね(笑)


「核兵器禁止条約」が採択された・・・。そこで大きな役割を果たした
日本人女性がいます。国連事務次長の中満泉(53–54歳)さんです。

アメリカやロシアを含む、およそ190か国が参加するNPT(核兵器の不拡散に関する条約)では、5か国のみに核兵器の保有を認める一方、削減の義務を課しています。・・・5か国はいまだ1万4,000発あまりの核弾頭を保有しています。

国連 事務次長 中満泉さん:「1日1回は話をしていて、いろんな理由で直接交渉がなかったり、そういったところの政治的なメッセージを、いろんなところで橋渡しして、どこそこの誰に電話をして、口添えをしてくれないかという話があったり。」
コスタリカ ホワイト議長:「彼女は強いリーダーで、さまざまな立場の情報を共有し、
交渉をうまく導いてくれている。」


核保有国の、例えばアメリカ、あるいは北朝鮮の代表とも直接会って話をされたということだが、中満さんご自身は、そうした対話の中で、どんな役割を意識していた?

中満さんの原点:紛争地での経験 ~国連に入った直後に起きたボスニア紛争では、
防弾チョッキを着て現場に入り、市民を捕らえた軍事組織の幹部に直談判、粘り強く交渉。

「仕事の上での師匠といいますか、そういう存在。」緒方さんが最も大切にしていたのが、現場に立つこと。「現場を見て、やるべきことの本質を見極めなさい」。中満さんは、この言葉を今も大切にしています。

中満さん支える 家族の存在~2人の10代のお嬢さんを抱えながら仕事をしているが、大変ではない?
中満さん:そうですね、皆さんにそういうふうに聞かれるんですが、むしろ娘たちがいるからこそ、いろんなことを頑張れるということもありますし、時間的にはものすごく忙しいんですけれども、精神的には、むしろ助かっています。
緒方貞子さんのように、アフリカですかね?こう言った場所へ日本人女性が行く、ってのもすごい事です。
核兵器はどこまで行ってもなくならないんだろうな、と思います。
この中満泉さんのことは全く知らずにいました。
>防弾チョッキを着て・・・すごい事ですよね。
テレビにはヘルメットに防弾チョッキ姿が映し出されていましたよ。
>緒方貞子さんのように、アフリカですかね?
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争ですからイタリアの東のアドリア海を挟んだ東の国ですね。
1992年から1995年まで続いた内戦の地だそうです。
核兵器ね~、私はオバマ大統領の広島訪問も冷やかに見ていました。
ところが、中満さんによると日本の被爆者の方の懸命な努力もあってこの条約も結実したとのこと。
国連事務次長(軍縮担当上級代表)の本気度も感じられて、このような人が、人類の方向づけしているのだと感動したわけです。
北朝鮮やトランプさんにプーチンさんみたいな低次元な議論が全てではないということを知りました。
もっとも5年先や10年先ではないでしょうがね。