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北海道 善光寺 釈迦如来立像
法句経は、お釈迦様の人生訓とも言われているお経で、26(品)に分類され、423(偈)の詩句から成り立っている。その中で第11品に老耄(おい)というのがあり、二つの詩句にわが身を置く。
155
年壮(わか)くして
財(たから)を獲(う)ることなく
身をつつしむこと
浄(きよ)からざれば
かれはほろびにゆくなく
まこと 魚なき池なり
老い果つる鴻(みずとり)のごとく
156
年壮(わか)くして
財(たから)を獲(う)ることなく
その身をつつしむこと
浄(きよ)からざれば
かの朽ちたる弓のごとく
ただいたずらに
過ぎし日を
かこちつつ臥す
友松圓諦 訳
155 年若いうちに、清らかな生活もいとなまず、そして又、財産をつくることをしないような人は、魚の住まない池にいる老いた鷺のようにさびしく死に果てる。
156 年若いうちに、清らかな生活もいとなます゛、それでいて又、財産をもつくることをしない人は、朽ち敗れた弓のように、ただ、過ぎ来し方をなげきながら、力なくよこたわる。
まことにわが身のことを言い当てているような詩句です。昔の人は、精神的に豊になることと、経済的に豊になることの二つを人生の道にしていたそうです。
現代はお金があればあるほど人生が豊という風潮が強くなっています。確かにお金は多ければ多いほど、安心でゆとりのある生活が出来るでしょう。しかし、年をとってくると、心の豊さを求める人が多くなってきます。そのためにもお金はほどほどに蓄えておかないといけないとは思いますが・・・。
年若いうちに清らかな生活もせず、計画的にお金を蓄えもしなかったわが身を思うとさびしくなりますが、ときすでに遅し、覆水盆に帰らず、しかし放蕩三昧の人生に悔いなしです。
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