10年前に購入した座右の書、大法輪閣編集「仏教名句・名言集」を読み返す。内容については、ハチの家文学館でも何度か投稿、これまで手作り仏像写真集や、個展として開催した仏像写真展でも紹介してきた。
今日は、鎌倉の円覚寺管長として長く住した朝比奈宗源禅師(1891年~1979年)の言葉を書いてみたい。
「人は仏心の中に生まれ、仏心の中に生き、仏心の中に息をひきとる」
長年僧堂で修行をして、師から印可(密教や禅宗で、師僧が弟子に法を授けて、悟りを得たことを証明認可すること)も受けて、晴れて故郷に錦を飾った朝比奈宗源禅師は、意気揚々と人々の前で法話した。ところが、親族の年寄が嘆いたという。
「あなたの話のように、真に安心(あんじん)を得るためには長く厳しい修行が必要だというなら、自分のような年寄りには修行もできず、安心を得ないままで死んでゆくのかと思うと、悲しい」
禅師はこの言葉に愕然とした。修行の果てに得る安心と、ただ信ずることで得られる安心と、両面から説かねばならないと知らされた。以後、自ら念仏の道場にも参じて、他力の法も実践され、やがて「仏心の信心」を展開する。
「仏心に生死の沙汰はない。永遠に安らかな永遠に清らかな永遠に静かな光明に照らされている。仏心には罪やけがれも届かないから、仏心はいつも清らかであり、いつも静かであり、いつも安らかである。これがわたしたちの大本である。仏心の中に生き死にはない。いつも生き通しである」と。
「生まれる前も仏心、生きている間も仏心、仏心とは一秒時も離れてはいない」と断言された。禅師の言葉に安心して、死んでいったものは多かったという。
72歳の私にとって、心が救われる言葉であり、安心できる言葉である。親父が生きた72歳まで生きたいと思っていたが、もう少し80歳までは生きたいと思う。世のため人のため、まだまだ出来ることはある。カミサンや息子たち家族にとっても、烏滸がましいが仏心の信心を実践したい。
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