ハチの家文学館

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会いたかった

2010年11月25日 16時20分59秒 | ハチパパのひとり言

                               渋川カトリック教会・・・祭壇にキリスト降誕の馬小屋が飾られていた

早朝6時16分戸塚駅発高崎行湘南新宿ラインに乗る。渋川修道院のシスターSさんに会うためである。                                                                 電車は早朝だから空いてるだろうと思い込んでいたら、既に空席はなかった。こんなに早く沢山の人が、通勤などで利用していることにちょっと驚いた。次の横浜駅で運よく座ることが出来たからよかったものの、終点まで2時間40分も立ったままではしんどい。    

高崎駅で上越線に乗り換え、目的地渋川駅に9時42分到着。いつもクルマ旅が多い私には、この地域まで電車を利用して来るのは初めてで、神奈川、東京、埼玉、群馬の1都3県に跨る列車旅となった。渋川修道院は駅から徒歩3~4分の所にあり、地図を頼りに歩こうとしたら、シスターSさんが迎えに来てくれていた。「会いたかった!」と思わずシスターの手を握り締め、「懐かしい!」と叫んでしまった。

少し前に九州から転任されたことを聞き、先月末福島県の会津から新潟県魚沼市経由でここに訪れる予定であったが、弟急逝の悲報で、シスターが楽しみにしていた訪問をキャンセルしたこともあり、なるべく早い時期にお会いしたいと思っていた。九州でお会いして以来18年ぶりの再会である。

失礼ながらと御年を伺ったら、83歳になられたという。お顔もお声も昔と同じで、とにかく懐かしい。この日教会の一室で、38年前に初めて出会ったときのことなどを話してくださり、お聞きしているうちに胸にグッと来るものがあって、涙が止まらなくなってしまった。いつまでたっても涙脆くて情けないと思うが、わが人生最大の危機に遭遇し、末期ガンと闘う妻と悲嘆に暮れた私を、励まし続けてくれた方である。

シスターSさんとの出会いは、彼女が横浜原宿の聖母の園修道院に着任したその日に、偶々私が突然修道院を訪ねた時だったと今日聞かされ、そのことをすっかり忘れていた私には、初めて聞かされたような衝動だった。修道院が病院に近いこともあったが、訪問のきっかけはもう覚えていない。

亡き妻に余命1ケ月のガン宣告を受けたばかりの私が、藁をも掴む思いでカトリックの門をたたき、救いを求めたのであった。そのときの私はとても暗い顔をして、小さいときにキリスト教会の日曜学校に行ったことがあること、病気の妻の話などをしたと話してくれた。亡き妻がまだ元気なころに、「家に遊びに来てくださいね」と、我が家の地図を書いてくれたこともあったそうだ。結局その地図を使ったのは葬儀のときになってしまったが、その時は元気になって家に帰れると信じていたに違いない。

自宅での葬儀の一週間後、聖母の園教会で死者ミサを執り行っていただいた。亡き妻の洗礼名はマリア・マグダレナ。この名前はシスターSさんと同じであることも今日始めて知った。シスターの洗礼名は、最初マリア・ラファイレロだったそうだが、途中で改名したそうである。マリア・マグダレナという名前は、聖書にもよく出てくるマグダラのマリアのことで、イエスの磔刑、埋葬、復活の場面などでいつも一緒にいた女性であり、イエス・キリスト復活の第一証人である。  

今日は懐かしくとても会いたかった人に会えてよかった。帰り際にもう一度、教会内のマリア像の前で感謝の黙祷を捧げた。

キリストは愛の宗教、仏教は慈悲の宗教とよく言われる。この世に生命ある限り、信仰心を忘れず手を合わせていきたいと思う。                            22/11/24

 



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