
山口県 龍蔵寺 愛染明王
あんなに夢中でお寺巡りをして来たのに、コロナ禍で仏像ともご無沙汰している。鎌倉が近いのでカメラ片手に出かけたいと思うがコロナウイルス感染が怖い。近頃はテレビの仏像関連の番組を録画してみることが多く、19日に再放送された「NHKハイビジョンスペシャル 海を渡った600体の神仏 ~明治9年エミール・ギメが見た日本~(2003年)」は、キリスト教と仏教の違いなどが、浄土真宗の僧侶との問答で解き明かそうとして興味深かった。
昭和47年、妻をがんで亡くした時、仏教の葬式をしたあと、当時、病院で世話になったシスターの紹介で洗礼を受けた経緯から、カトリックの死者ミサをしたことがある。以来、カトリックと仏教の違いを私なりにこう解釈している。キリストは愛の宗教、仏教は慈悲の宗教であるということ。
仏像写真家を目指した私は、仏師西村公朝さんの本を読み漁ったりして勉強、東京・横浜・浜松で仏像写真展も開催、メディアに何度も取り上げられた。なぜ仏像を選んだのか、なぜ仏像写真を撮ろうと思ったのか等々幾度となく質問を受け、その都度答えてきたが、それには私の少年時代からの様々な体験が重なっていてひと言では言い表せない。
十代のころから京都や奈良の仏像には惹かれていたし、最愛の家族をガンで失ったころ、仏教に出会った体験も大きい。少年の頃、父は毎朝ナムアミダブと仏前で唱え、母は般若心経をよく唱えていた。信仰心の篤い家庭に育ったことが根底にあるのかもしれない。
マスコミなどの取材では私的なことを抑えていた。勤めていた銀行で、お金に纏わる様々な人の業とか苦悩を目の当たりにしていたたまれず、仏像のお顔や姿かたちに安らぎを求めていたのかもしれないと話したこともある。
人のこころというのは、喜怒哀楽様々な場面で蠢くものである。特に打ちひしがれた時には、信仰のかたち、祈りの情景を求めたがる。そういうときに、慈悲深い仏像のお顔が人のこころを安らぎへと導いてくれる。私のライフワーク仏像写真のテーマであり、タイトルでもある「み仏の慈しみと悲しみと」そのものである。
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