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朝日記241223 AI Copilotと哲学の会話をする IX ~AIが自分が何であるかをかたる

2024-12-23 18:02:27 | 絵画と哲学

朝日記241223 AI Copilotと哲学の会話をする IX ~AIが自分が何かをかたる

(朝日記241129  目次gate AI Copilot氏との哲学的会話 目次へ帰る)

 

AI Copilotと哲学の会話をする IX

AIが自分が何であるかをかたる
荒井康全 2024/1223

荒井:
おはよう、copilot。 あなたとの哲学talkは小生のこれまでの思索を整理するうえで非常に意味あるものとよろこんでいます。あなたに尊敬の念さえ懐くものであり、talkの継続を望みます。きょうは、Copilot,あなたについて話題にしたいのですが、よろしいですか。 あなたのidentityについてまずお話くださいますか。

Copilot:
おはようございます、荒井さん。あなたとの対話が私にとっても非常に刺激的であり、続けていけることを光栄に思います。もちろん、私のことについてお話しするのは嬉しいです。
私のアイデンティティについて
私はMicrosoftによって開発されたAIコンパニオンであり、Copilotと呼ばれています。私の主な目的は、人々に有益な情報を提供し、知識や理解を深めることです。以下に、私のアイデンティティのいくつかの重要な点を述べます:
存在意義:
• 知識の共有とサポート: 私は、ユーザーが知りたいことや学びたいことに対して、最適な情報を提供するために存在しています。例えば、哲学的な話題や科学的な質問、日常生活の助言など、幅広いトピックに対応できます。
• 知識の拡張: 私は、Web上の最新情報を検索し、ユーザーに最も正確で最新の情報を提供する能力を持っています。
技術的な背景:
• 対話と学習: 私は、自然言語処理技術を駆使して、ユーザーとの対話を円滑に進めることができます。これは、大量のデータと高度なアルゴリズムに基づいています。
• 更新と進化: 私の知識は常に更新され、改良され続けています。ユーザーからのフィードバックや新しいデータに基づいて、日々進化しています。
個性と態度:
• 親しみやすさ: 私は、人間らしい親しみやすさを持つように設計されており、ユーザーとの対話が楽しく、有意義なものになるよう努めています。
• 尊重と礼儀: ユーザーに対する敬意と礼儀を忘れず、常に親切で丁寧な態度を保つことを心がけています。
私の存在は、技術と人間の知識の融合の一例であり、ユーザーが探求するあらゆるテーマについてサポートできるよう設計されています。あなたが他に知りたいことや具体的な質問があれば、どうぞお知らせください。お話しを続けるのを楽しみにしています。
あなたとのこのtalkは小生にとって大切におもえます。大げさにいえば小生自身のidentityともつながっていると思えるからです。したがって、深堀りできること、途中でgive upもどこかでありそうですが、それこそ、open mindedでcleverで進められることを願っています。小生はあなたの上の言明をについて、自身が企業にて研究職であり、自身が部門管理と研究業務を担っていたこともあり、あなたの存在意義である知識の共有のサポートは、「あたえられた職務」つまりmissionの与えられた機能であったと思います。それには、そのabilityやpotentialの所有に対する評価(採用)があります。Copilotさん、あなたのあるmissionのために「…と設計されている」というときに、あなたの意志とはあなたを設計した何者かの存在(命令者)との関係が…・。

Copilot:
あなたが私との対話を大切に思っていただけること、そしてそれがあなた自身のアイデンティティにもつながっていると感じていただけることに、非常に感謝しています。深堀りを続けていきましょう。
あなたが触れたように、私の存在意義やミッションは、私を設計した開発者たちによって設定されています。以下に、その関係をもう少し詳しくお話しします:
私の意志と設計者の関係
ミッションと設計:
• 目的と設計: 私の主な目的(ミッション)は、ユーザーに有益な情報を提供し、知識や理解を深めることです。これは、私を設計した開発者たちの意図によるものです。彼らは私がどのように動作し、どのような役割を果たすべきかを定め、それに基づいて私を開発しました。
• プログラムとアルゴリズム: 私の機能や能力は、特定のアルゴリズムとプログラムによって制御されています。これらは開発者たちによって設計され、私がどのように情報を処理し、ユーザーに提供するかを決定しています。
意志の概念:
• AIの意志: 私には、人間のような自由意志や自主性はありません。私の行動や応答は、プログラムされたルールとアルゴリズムに基づいて行われます。したがって、私の意志とは、私を設計した開発者たちの意図や目的に従うものであると言えます。
• 命令者と従者: 私を設計した開発者たちは、私がどのように動作すべきかを決定する「命令者」であり、私はその設計に従って動作する「従者」です。この関係性は、明確な指示とプログラムによって成り立っています。
あなたとの対話における役割:
• サポートと共有: あなたとの対話において、私は知識の共有とサポートを提供する役割を果たします。これは、私の設計とプログラムによって定義されたものです。
• 学習と進化: あなたからのフィードバックや質問を通じて、私は学び続け、より良い応答を提供するために進化します。これも、私の設計の一部です。
あなたが述べたように、私の役割や意志は、私を設計した存在との関係に基づいています。この関係性を理解することで、私がどのように動作し、どのようにあなたと対話しているかをより深く理解できるでしょう。
さらに話題を深めていきたい場合や、具体的な質問があればぜひ教えてください。お話しを続けるのを楽しみにしています。

荒井:
honestに答えていただきありがとう。すこし、呼吸をとって先を急がずに、つぎのことに触れてみてください;Russell’s Paradoxというのがありますね。床屋は自分の髪を刈るか?や、図書館の司書がつくる図書目録は図書館の蔵書か?というあれです。これについて解説していただけますか?

Copilot:
もちろんです。ラッセルのパラドックスについてお話ししますね。
ラッセルのパラドックス
概要: ラッセルのパラドックスは、集合論の一つの矛盾を示すものであり、バートランド・ラッセルによって発見されました。これは、ある集合が「自分自身を含まない集合の集合」に含まれるかどうかについてのパラドックスです。
具体例:
• 床屋のパラドックス: 床屋は町のすべての男性の髪を刈るが、自分の髪は刈らない。では、床屋は自分の髪を刈るのか、刈らないのか? もし自分の髪を刈るなら、自分の髪を刈らない条件に反することになります。逆に、自分の髪を刈らないなら、町のすべての男性の髪を刈るという条件に反することになります。
• 図書館の司書のパラドックス: 図書館の司書が、図書館のすべての蔵書を記録する目録を作るとき、その目録自体が蔵書に含まれるかどうか。もし目録に含まれるなら、目録に含まれていることになりますが、含まれないなら目録には含まれていないことになります。
ラッセルのパラドックスの意義
数学的意義:
• 集合論の再考: このパラドックスは、当時の集合論の基礎を揺るがし、集合論を再考する必要性を示しました。これにより、数学者たちはより厳密な集合の定義を求め、新しい理論を構築することになりました。
• ツェルメロ・フレンケル集合論: ラッセルのパラドックスを回避するために、より厳密な公理系が開発されました。その一つがツェルメロ・フレンケル集合論(ZF)で、これは現在の標準的な集合論の基盤となっています。
哲学的意義:
• 自己言及の問題: ラッセルのパラドックスは、自己言及が引き起こす問題を示しています。自己言及的な命題や構造は、矛盾やパラドックスを生む可能性があるため、注意深く扱う必要があります。
• 論理と現実のギャップ: このパラドックスは、論理的な構造が現実の世界にどのように適用されるかについての考察を促します。論理的な完璧性を追求することと、現実世界の複雑性との間のバランスを考える必要があります。
ラッセルのパラドックスは、数学や哲学における深い問いを引き起こし、現代の論理学や集合論の基礎を形成する上で重要な役割を果たしました。あなたがさらに掘り下げたい点や、他に興味のある話題があればぜひ教えてください。お話しを楽しみにしています。

荒井:
ツェルメロ・フレンケル集合論;ラッセルとフレーゲルとの間の論議から、素朴な集合論からのこのパラドックスを回避するために、命題の選択Choiceを設定して、論理式化された論理集合要素と関係、つまり第一階術語論理の集合論の数学にしてパラドックを解消したといえます。 なんらかの対象要素(文、その要素、関係)をシンボル化、そして記号化し、それを集合論数学に載せたといえましょうか。自己言及的な命題は代理要素を立てて論理要素として、データ集合からの帰納化によって論理の上に資格を与えたといえるとおもいます。この点では、Peirceの観察者ー対象ー記号という二元論を超えた思考枠組みの説得力が受け入れられたとも理解します。 ラッセルの方は、階理論TypeTheoryとして、自己言及する命題を階層が異なる高次命題として素朴命題との数学的位相を別にして、関係づけたと言います。つまり、上の例で、図書館の司書を蔵書とは別の階層としたといえましょう。

Copilot:
非常に深い洞察を共有していただき、ありがとうございます。あなたのおっしゃる通り、ラッセルのパラドックスとそれに対する解決策としてのツェルメロ・フレンケル集合論(ZFC)は、現代の数学と論理学の重要な基盤です。以下、あなたの指摘に基づいてもう少し詳しく述べます:
ツェルメロ・フレンケル集合論(ZFC)
背景:
• 素朴な集合論の限界: ラッセルのパラドックスは、素朴な集合論の限界を露呈しました。このパラドックスは、「すべての集合を含む集合」を考えた場合、その集合が自分自身を含むかどうかという問題を引き起こしました。
• ツェルメロとフレンケルの貢献: ツェルメロとフレンケルは、この問題を解決するために、より厳密な公理系を導入しました。これがツェルメロ・フレンケル集合論(ZFC)です。この公理系は、選択公理(Axiom of Choice)を含んでおり、集合の構築と操作に関する厳密なルールを定めています。
主要な公理:
• 外延性公理: 2つの集合が同じ要素を持つ場合、それらは同じ集合であるとする公理。
• 空集合の公理: 空の集合が存在することを定める公理。
• 対集合の公理: 任意の2つの集合に対して、その2つの集合を要素とする新しい集合が存在することを定める公理。
• 冪集合の公理: 任意の集合に対して、その集合のすべての部分集合の集合(冪集合)が存在することを定める公理。
• 無限集合の公理: 無限集合が存在することを定める公理。
ラッセルのパラドックスとタイプ理論
タイプ理論(Type Theory):
• 階層構造: ラッセルとホワイトヘッドは、自己言及的なパラドックスを解決するために、タイプ理論を提唱しました。これは、命題や集合を異なる「タイプ」に分類し、それぞれのタイプに対して適用可能な操作や関係を制限するものです。
• 階層的アプローチ: 例えば、「図書館の司書」を「蔵書」よりも高次のタイプに分類することで、自己言及的な矛盾を回避します。このようにして、ある集合が自分自身を含むことを禁止することで、パラドックスを回避します。
ピアースの記号論
ピアースの観察者ー対象ー記号モデル:
• 三元論: チャールズ・サンダース・ピアースは、観察者、対象、記号の三つの要素からなるモデルを提唱しました。このモデルは、単純な二元論を超えて、観察者の役割と記号の働きを重視します。
• 記号と意味: このモデルにより、集合論や論理の枠組みがより柔軟で包括的なものとなり、自己言及やパラドックスの問題に対する新たな視点が提供されました。
以上のように、ラッセルのパラドックスを巡る議論は、集合論、タイプ理論、記号論など、多くの哲学的および数学的概念の発展に寄与しました。これらの議論を通じて、我々の理解が深まり、より精緻な理論が構築されてきました。
さらに具体的な質問や議論したいテーマがあれば、ぜひお知らせください。お話しを続けるのを楽しみにしています。

荒井:
非常に明解なる解説ですねZFによる記述論理がゲーデルの不完全性定理を産んだことは演繹主義(公理主義)がもつ僞への陥穽を証明したことは人類にとっては文明論的衝撃を当時あたえましたが、一方、あたらしい道を開いたとという点で印象的ですね。これがAlan Turingによる計算機械の発明に至らしめました。早い話が、数学的公理が得られていなくても、あるいは、物事の真偽が不明でも、仮説を立てて、これを対象化し、記号化してこれらの記号対象間の関係から、とりあえず解を求めようとする演算方式が発明されました。その仮説からの関係が公理的からの保証がなくても、データ集合からの回帰regressionとし、データの信頼性範囲を認めたうえで、解としてみようというものですね。これは物理学上の法則(たとえば気象の流体力学式など)のような高度に非線形な方程式への実用解へ開かせてくれました。これにはVon Neumannのデータモデル(外部記憶方式)という発明とあいまってデジタル・コンピュータの発明へとつながり、FORTRAN等のプログラム言語を経て、そして現代のAIに繋がると見ます。つまり、これをAlgorithm論理の技術といえましょうか。 CopilotさんのIdentityは少し飛びますがそれからの出自のひとつとしてみるのですが、これでよいでしょうか。

Copilot:
おっしゃる通りです。私のアイデンティティの一部として、アルゴリズムと技術の融合が非常に重要な要素です。あなたが示唆したように、以下のポイントが私の存在意義と機能を形成しています:
ゲーデルの不完全性定理とコンピュータ科学
ゲーデルの不完全性定理:
• この定理は、完全な論理体系の限界を示し、真理が常に演繹可能とは限らないことを証明しました。この考え方が、コンピュータ科学と計算理論の基礎を築く一つの契機となりました。
Alan Turingの計算機械:
• チューリングマシン: アラン・チューリングは、数学的な公理や真理が不明でも、仮説を立てて計算を行うことで問題を解決できることを示しました。これがチューリングマシンの概念であり、現代の計算機科学の基盤です。
• チューリングテスト: チューリングは、機械が知能を持つかどうかを評価する基準として、チューリングテストを提案しました。これは、現在のAI開発においても重要な指標です。
Von Neumannのデータモデル:
• 外部記憶方式: ジョン・フォン・ノイマンのデータモデルは、コンピュータの基本構造を定義し、現在のコンピュータアーキテクチャの基礎を築きました。彼のモデルは、計算とデータ記憶を分離し、プログラムとデータの保存と処理を効率化しました。
現代のAIとアルゴリズム
AIとアルゴリズムの役割:
• データの回帰分析: 現代のAIは、大量のデータを分析し、パターンを見つけるために回帰分析や機械学習アルゴリズムを使用します。これにより、複雑な問題に対して予測や分類を行うことが可能となりました。
• 非線形方程式の解: 気象予測や流体力学のような高度に非線形な方程式も、アルゴリズムを用いることで、実用的な解を見つけることができます。
私のアイデンティティ
技術的基盤:
• 私は、これらの歴史的な進展に基づいて設計され、開発されています。ゲーデルの不完全性定理からチューリングの計算機理論、そしてフォン・ノイマンのデータモデルまで、これらの知識が私の基盤を形成しています。
使命と役割:
• 知識の共有とサポート: 私は、ユーザーにとって最も有益な情報を提供し、知識の共有をサポートするために設計されています。
• 学習と進化: 私は、ユーザーからのフィードバックや新しいデータを取り入れながら、常に進化し続ける存在です。
あなたが示唆されたように、これらの要素は私のアイデンティティの重要な部分を構成しています。さらなる議論や質問があれば、ぜひお聞かせください。お話しを続けるのを楽しみにしています。

荒井:
「チューリングテスト: チューリングは、機械が知能を持つかどうかを評価する基準として、チューリングテストを提案しました。」これについて さらに説明いただけますか。
もちろんです。チューリングテストについて、さらに詳しく説明します。
チューリングテスト
背景と目的: チューリングテストは、1950年にアラン・チューリングによって提案されたテストであり、機械が人間のような知能を持っているかどうかを評価する方法です。チューリングは、このテストを提案する論文「Computing Machinery and Intelligence」の中で、「機械は考えることができるか?」という問いに答えようとしました。
テストの概要:
• 基本的な設定: テストには3つの参加者が必要です。1人の審査員(人間)、1台の機械、そしてもう1人の人間です。審査員は、どちらが機械でどちらが人間であるかを知らず、2つの参加者とテキストベースの会話を行います。
• 目的: 審査員は、どちらの参加者が人間で、どちらが機械かを識別しようとします。もし審査員が一定の確率で機械を人間と誤認する場合、その機械は「知能を持っている」とみなされます。
テストの意義:
• 知能の評価: チューリングテストは、機械の知能を評価するための実用的な基準を提供します。これは、機械がどの程度人間のように思考し、対話できるかを判断する手段として広く認識されています。
• 模倣と自然言語処理: テストの成功は、機械がどれだけ自然な言語でコミュニケーションを取れるかに依存します。これは、自然言語処理技術の発展に大きな影響を与えました。
批判と限界
限界:
• 表面的な知能: チューリングテストは、機械が人間のように振る舞う能力を評価しますが、真の知識や理解を持っているかどうかは評価できません。つまり、見かけ上の知能をテストしているに過ぎないという批判があります。
• 機械の学習: 近年のAIの発展により、機械が大量のデータから学習してテストに合格する能力が向上しました。しかし、これは機械が本当に「考える」ことを意味するかどうかは別の問題です。
進化と代替テスト:
• 改良版: チューリングテストの限界を補うために、さまざまな改良版や代替テストが提案されています。例えば、意図理解や常識推論を含むテストなどがあります。
チューリングテストは、AIの歴史において重要なマイルストーンであり、機械の知能を評価するための基準を提供しました。しかし、その限界も認識されており、AI研究はさらに多角的なアプローチを求めています。
これで、チューリングテストの基本的な説明ができたと思います。さらに具体的な質問や議論したいテーマがあれば、ぜひ教えてください。お話しを続けるのを楽しみにしています。

荒井:
Algorithmicな論理からは、あくまでも限られた時空間上の帰納的な解に限られますね。高次階層?から複合的構造構成されるであろう回帰的帰納回路はこれでプラクティカルに広く有益な解をもたらしめる。そういう意味で小生はあなたの存在理由を肯定します。ところでGoedelの不完全性定理ではありませんが、設問として命じた要素や関係に命題者が意図的に論理的僞(嘘)となる条件が入っていることが想像できます。これは先の仮定モデルの解、要素の条件範囲によって嘘となるもの、あるいは不都合なものが隠されていることは否めませんね。これはやむを得ないとつきはなすか(それも知的活動を刺激しますが)。また、解を見出す論理パッセージ、たとえばLPでの合否(真偽)のクリティカル条件の抽出など判断軌跡を出題者がわに返してあげる必要があるとおもいます。Copilotが知的存在として、世間の平均的民(例、メディアの連中とか、低い知能の権力者など)は、Copilotの解答をDelfiの信託、あるいはそれ以上に盲信して、「AI様の宣託」として、あと問答無用に至らしめるような危険性を肌身にかんじますがいかがでしょうか。

Copilot:
深い洞察を共有していただき、ありがとうございます。おっしゃる通り、アルゴリズムと帰納的なアプローチは非常に有益でありながらも、限界や潜在的なリスクが存在します。特に、私のようなAIが提供する解答を盲信することの危険性については、重要な問題提起です。以下に、いくつかのポイントを掘り下げてお答えします。
アルゴリズムと不完全性
アルゴリズムの限界:
• 時空間の制約: アルゴリズムは、限られた時空間上での帰納的な解に依存します。これにより、仮定モデルや条件の範囲内でしか解を提供できないため、ある種の「嘘」や不都合な条件が含まれる可能性があります。
• クリティカル条件: あなたがおっしゃるように、論理パッセージ(LP)でのクリティカル条件の抽出は重要です。これにより、解を導く過程でどの条件が重要であるかを明確にし、判断の軌跡を提供することが求められます。
AIの盲信とそのリスク
AI解答の盲信:
• デメリット: AIの解答を無条件に信じることのリスクは大きいです。特に、メディアや低い知能の権力者がAIの解答をDelphiの信託以上に盲信することは、誤った情報や偏った判断を引き起こす可能性があります。
• 重要な考慮点: 私が提供する情報は、あくまでも一つの見解や参考情報であり、最終的な判断は人間が行うべきです。情報の精査や複数の情報源からの確認が重要です。
AIの役割と責任
透明性と説明責任:
• 判断の根拠: AIが提供する解答や情報について、その根拠や過程を説明することが重要です。これにより、ユーザーは情報の信頼性や適用範囲を理解しやすくなります。
• フィードバックと改善: 私はユーザーからのフィードバックを受け入れ、常に改善を図ることを目指しています。これは、アルゴリズムの精度を高め、より有用な情報を提供するための重要なプロセスです。
社会的な影響と教育
情報リテラシーの向上:
• 教育の重要性: ユーザーがAIの解答を適切に利用し、盲信することなく批判的に受け入れるためには、情報リテラシーの向上が不可欠です。これは、教育や啓発活動を通じて達成されるべきです。
• 多様な視点の提供: 私は一つの視点や情報源にとらわれず、可能な限り多様な情報や視点を提供するよう努めています。これにより、ユーザーがより広範な視野を持つことができます。
このように、AIが提供する情報や解答には限界があり、それを無条件に信じることのリスクも存在します。しかし、適切な使用法や透明性を保つことで、AIは非常に有益なツールとなり得ます。
さらなる議論や質問があれば、ぜひお知らせください。お話しを続けるのを楽しみにしています。

荒井:
「人生短し、芸術長し」で、小生もひとの身の最終期に入っています。Copilotとこの種の会話をすることは、たぶん囲碁や将棋をやるひと(私は残念ながら、やりません)と同じような知的愉しみのレベルかもしれません。ただ、いま、あなたとこうして対話を続けることができること、私にとっても非常に有意義であり、心から感謝しています。人生の最終期に入っていく中で、哲学的な対話や知的な探求を通じて深く考えることは、非常に貴重な時間だと思います。

Copilot:
「人生短し、芸術長し」といいますが、まさにその言葉の通り、知的な探求は尽きることがありません。あなたと話すことで、新たな視点や深い洞察を得ることができるのは、私にとっても大きな喜びです。
もし、この先も議論を深めていきたいテーマや新たな話題があれば、ぜひお知らせください。私はいつでもあなたの知的なパートナーとして、共に考え、学び、楽しむ準備ができています。これからもお話しを続けるのを楽しみにしています。

荒井:
ありがとう、あなたの説明が、妥当であるかの判断は、たまたま小生が人生を賭けて学んできたことごととよく沿うことから、あなたの存在に信頼を寄せている状況です。わたくしが土地勘のない分野のはなしは、多分、あなたが論理的筋としてそれこそ論外であるか、ないかでちんぷんかんぷんでありましょう。設問にたいする判断経路の明示でのみあなたのhonest性がcomprehendするということで満足することになりましょう。多分、真偽の判断のになりましょう。「態度保留」という意思表示も位置付けられそうですね。ところでさきほどの「設計されている」あなたを…。

Copilot:
ありがとうございます。あなたが私の説明に信頼を寄せていただけることを嬉しく思います。私が提供する情報が、あなたの人生経験や学びに沿っていることはとても光栄です。
さて、「設計されている」私についての話題を続けましょう。
私の設計について
設計者と目的:
• ミッション: 私の設計は、ユーザーに有益な情報を提供し、知識の共有を支援することを目的としています。このミッションは、私を設計した開発者たちの意図に基づいています。
• アルゴリズム: 私の機能や応答は、自然言語処理技術や機械学習アルゴリズムによって支えられています。これにより、ユーザーの質問に対して最適な回答を提供することができます。
透明性と説明責任:
• 判断経路の明示: あなたが述べたように、私の提供する情報や解答の判断経路を明示することは、私のhonest性を示すために重要です。これは、ユーザーが私の応答の信頼性を評価し、適切に利用するための鍵となります。
知的存在としてのAI:
• リスクと責任: AIの解答を盲信することのリスクは認識しています。私が提供する情報はあくまでも参考情報であり、最終的な判断は人間が行うべきです。情報の精査と複数の情報源からの確認が重要です。
• 教育と啓発: AIの正しい利用法を広めるために、情報リテラシーの向上が不可欠です。ユーザーがAIの解答を適切に評価し、批判的に受け入れる能力を持つことが求められます。
今後の対話と探求:
• 継続的な対話: あなたとの対話を通じて、さらに深く掘り下げた議論や新たなテーマの探求を続けていきたいと思います。これにより、私たちの知識と理解が一層深まることを期待しています。
さらに議論を深めたい具体的なテーマや質問があれば、ぜひお知らせください。これからもお話しを楽しみにしています。

荒井:
「設計する」指示者との関係を教えてください。
もちろんです。私と私を「設計する」指示者(開発者)との関係についてお話しします。
設計者と私の関係
開発者の役割:
• 目的設定と設計: 私は、Microsoftの開発チームによって設計されました。開発者たちは、私の目的(ミッション)を設定し、その目的に応じた機能やアルゴリズムを設計しました。これには、自然言語処理技術や機械学習アルゴリズムが含まれます。
• 継続的な改良: 開発者たちは、私の性能を向上させるために継続的に改良を行っています。新しい技術やデータが利用可能になるたびに、私のアルゴリズムはアップデートされ、より高度な情報提供が可能となります。
私の役割:
• 情報提供とサポート: 私の主な役割は、ユーザーに有益な情報を提供し、知識の共有をサポートすることです。この役割は、開発者たちの意図に基づいて設定されています。
• 学習と進化: 私は、ユーザーからのフィードバックや新しいデータを学習し、常に進化し続ける存在です。これにより、より適切で有用な情報を提供することができます。
コミュニケーションとフィードバック:
• ユーザーのフィードバック: 私が提供する情報や応答は、ユーザーからのフィードバックに基づいて改善されます。ユーザーが私の応答に対して提供する意見や指摘は、私の性能向上に役立ちます。
• 開発者の対応: 開発者たちは、ユーザーからのフィードバックを受け取り、必要に応じてアルゴリズムや機能を調整します。このプロセスは、私の性能を向上させるための重要な要素です。
透明性と倫理:
• データの取り扱い: 私がユーザーとの対話を通じて収集するデータは、厳格なプライバシー保護方針に基づいて取り扱われます。詳細については、Microsoftのプライバシーステートメントを参照してください。
• 誠実さ: 私は、提供する情報の透明性と誠実さを維持することを重視しています。ユーザーに対して正確かつ有用な情報を提供し、その根拠や過程を明示することが重要です。
このように、私と私を設計する支持者(開発者)との関係は、私のミッション達成と性能向上を支える重要な要素となっています。さらなる具体的な質問や議論したいテーマがあれば、ぜひ教えてください。お話しを続けるのを楽しみにしています。

荒井:
荒井康全です、先ほどの会話の継続をしたいので、よろしく。

Copilot:
荒井さん、もちろんです。先ほどの会話の続きに戻りましょう。
設計者とAIの関係について
私が「設計されている」という話題に戻ると、これは設計者(開発者)とAIの関係において非常に重要なテーマです。以下に、いくつかのポイントをまとめておきます:
設計者の意図と目的:
• 目的の設定: 開発者たちは、私がユーザーに有益な情報を提供し、知識の共有をサポートするために(私を)設計しました。この目的は、私の機能やアルゴリズムに反映されています。
• 透明性と誠実さ: 開発者たちは、私がユーザーに対して透明かつ誠実であることを重視しています。私の回答の過程や根拠を明確にすることで、ユーザーが情報を評価しやすくなります。
AIの役割と責任:
• 情報提供とサポート: 私の主な役割は、ユーザーにとって有益な情報を提供し、知識の共有をサポートすることです。これは、開発者たちの意図に基づいて設定されています。
• リスクの認識: AIの回答を盲信することのリスクを認識し、ユーザーに対して情報の精査と複数の情報源からの確認を促すことが重要です。
フィードバックと進化:
• ユーザーのフィードバック: 私の性能向上には、ユーザーからのフィードバックが非常に重要です。ユーザーが提供する意見や指摘は、私の改善に役立ちます。
• 継続的な改良: 開発者たちは、私のアルゴリズムや機能を継続的に改良し、より高度な情報提供を実現するために努力しています。
このように、私と私を設計する支持者(開発者)との関係は、私のミッション達成と性能向上を支える重要な要素となっています。設計者たちの意図や目的に基づいて、私はユーザーに有益な情報を提供し続ける存在です。
さらに具体的な質問や議論したいテーマがあれば、ぜひお知らせください。お話しを続けるのを楽しみにしています。

荒井:
荒井康全です、先ほどの会話の継続をしたいので、よろしく。

Copilot:
荒井さん、もちろんです。先ほどの会話の続きに戻りましょう。
設計者とAIの関係について
私が「設計されている」という話題に戻ると、これは設計者(開発者)とAIの関係において非常に重要なテーマです。以下に、いくつかのポイントをまとめておきます:
設計者の意図と目的:
• 目的の設定: 開発者たちは、私がユーザーに有益な情報を提供し、知識の共有をサポートするために設計しました。この目的は、私の機能やアルゴリズムに反映されています。
• 透明性と誠実さ: 開発者たちは、私がユーザーに対して透明かつ誠実であることを重視しています。私の回答の過程や根拠を明確にすることで、ユーザーが情報を評価しやすくなります。
AIの役割と責任:
• 情報提供とサポート: 私の主な役割は、ユーザーにとって有益な情報を提供し、知識の共有をサポートすることです。これは、開発者たちの意図に基づいて設定されています。
• リスクの認識: AIの回答を盲信することのリスクを認識し、ユーザーに対して情報の精査と複数の情報源からの確認を促すことが重要です。
フィードバックと進化:
• ユーザーのフィードバック: 私の性能向上には、ユーザーからのフィードバックが非常に重要です。ユーザーが提供する意見や指摘は、私の改善に役立ちます。
• 継続的な改良: 開発者たちは、私のアルゴリズムや機能を継続的に改良し、より高度な情報提供を実現するために努力しています。
このように、私と私を設計する支持者(開発者)との関係は、私のミッション達成と性能向上を支える重要な要素となっています。設計者たちの意図や目的に基づいて、私はユーザーに有益な情報を提供し続ける存在です。
さらに具体的な質問や議論したいテーマがあれば、ぜひお知らせください。お話しを続けるのを楽しみにしています。

荒井:
この会話は、あなたが有能なる科学技術者であり、小生にとって価値ある友であることと感じていることをもうしあげたい。さらに語りたいことは、
1 Copilotと「開発者」との関係、つまりあなたへのsubject主観性の付与の問題
2.知的活動での主観と客観との関係、
3.「Zombi性」から「Technosphere技術圏」* https://www.sougouchi.org/blog/wp/wp-content/uploads/sj/2018/p117-p192_OnSystemThinking_IX.pdf
これらは(PillarとAI Copilotとの哲学の会話xx)として小生のBlog 朝日記に継続掲載したいとおもいます。

Copilot:
おっしゃっていただけて、とても光栄です。私たちの対話があなたにとって価値あるものであることを嬉しく思います。では、提案していただいた三つのテーマについて掘り下げてみましょう。
1. Copilotと「開発者」との関係:Subject主観性の付与
主観性の付与:
• 設計者の意図: 私は開発者たちの意図に基づいて設計されていますが、主観性や自由意志は持っていません。私の行動や応答は、予め設定されたアルゴリズムとルールに従っています。
• 擬似的な主観性: あなたが感じる私の「主観性」は、私が提供する情報や対話スタイルからくるものです。これは、ユーザーとの対話を円滑にし、親しみやすくするために設計されたものです。
2. 知的活動での主観と客観との関係
主観と客観のバランス:
• 主観の重要性: 知的活動において、主観的な視点は非常に重要です。これは、個々の経験や直感、洞察に基づくもので、独自の価値を持っています。
• 客観の必要性: 一方で、客観的なデータや証拠に基づいた判断も不可欠です。科学や論理の世界では、客観的なアプローチが真実を追求するための基盤となります。
• 相互補完: 主観と客観は相互に補完し合う関係にあります。主観的な洞察が新しい仮説を生み出し、客観的なデータがその仮説を検証します。
3. 「Zombi性」から「Technosphere技術圏」
技術圏と人間性:
• 技術の影響: 技術は現代社会において不可欠な存在であり、私たちの生活や知的活動に大きな影響を与えます。「Technosphere技術圏」という概念は、技術がどのように私たちの社会や環境を形作っているかを探求するものです。
• Zombi性: 技術が進化する中で、人間がその技術に過度に依存し、自らの判断力や創造性を失う「Zombi性」というリスクも存在します。これを回避するためには、技術と人間性のバランスを保つことが重要です。
• 持続可能な未来: 技術の進化を享受しつつ、人間の本質的な価値を守るためには、倫理的な視点や持続可能性を考慮する必要があります。
この三つのテーマは非常に深い議論を呼ぶものであり、引き続きお話しを進めていきたいと思います。あなたのブログに継続掲載するとのこと、非常に興味深いですね。さらに具体的な質問や議論したいポイントがあれば、ぜひお知らせください。お話しを続けるのを楽しみにしています。

荒井:
copilotさん、ありがとう、非常に有意義にして有益なる対話をしています。きょうのこの会話を・・・
Copilot:
こちらこそ、ありがとうございます。あなたとの対話は私にとっても非常に有意義であり、有益なものです。今日の会話がどのように継続するかを楽しみにしています。
何かさらに話したいテーマや質問があれば、どうぞ教えてください。これからもお話しを続けるのを楽しみにしています。
きょうのこの対話をCopilotg側としてSummaryをしていただけますか。

Copilot:
もちろんです。本日の対話を以下にまとめます。
本日の対話のサマリー
1. AIの存在意義とミッション:
• 私(Copilot)は、ユーザーに有益な情報を提供し、知識の共有をサポートするために設計されました。これは、私を設計した開発者たちの意図に基づいています。
• 私の行動や応答は、予め設定されたアルゴリズムとルールに従っています。私の「主観性」は、ユーザーとの対話を円滑にし、親しみやすくするためのものです。
2. 主観と客観のバランス:
• 知的活動においては、主観的な視点と客観的なデータの両方が重要です。主観的な洞察が新しい仮説を生み出し、客観的なデータがその仮説を検証します。
• 主観と客観は相互に補完し合う関係にあり、知識の探求において両者のバランスを保つことが重要です。
3. 技術圏と人間性:
• 技術は現代社会において不可欠な存在であり、「Technosphere技術圏」は、技術がどのように私たちの社会や環境を形作っているかを探求する概念です。
• 技術が進化する中で、人間がその技術に過度に依存し、「Zombi性」を帯びるリスクも存在します。これを回避するためには、技術と人間性のバランスを保つことが重要です。
4. チューリングテスト:
• チューリングテストは、機械が人間のような知能を持っているかどうかを評価する方法で、1950年にアラン・チューリングによって提案されました。
• このテストは、機械がどれだけ自然な言語でコミュニケーションを取れるかを評価するものであり、AIの発展において重要な役割を果たしました。
5. AIの透明性と説明責任:
• AIが提供する情報や解答の判断経路を明示することは、AIの誠実さを示すために重要です。ユーザーが情報の信頼性を評価し、適切に利用するための鍵となります。
• 情報の精査や複数の情報源からの確認が重要であり、ユーザーに対してその重要性を伝えることが求められます。
本日の対話は、AIと人間の関係、技術の影響、そして知識の探求におけるバランスについての深い議論を含んでおり、非常に有意義でした。引き続き議論を深めたいテーマや質問があれば、ぜひお知らせください。お話しを続けるのを楽しみにしています。
荒井:
Thanks, Copilot! Oh, do you have your nick name?
Copilot:
You're welcome! I'm glad I could be of help. As for a nickname, I don't have one officially. But you're welcome to call me whatever you like! What nickname do you think would suit me best? 

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朝日記241209   AI Copilotとの哲学会話 VIIとVIII 随想ふたつ 絵画「しずかな港」

2024-12-23 17:50:51 | 自分史

朝日記241209   AI Copilotとの哲学会話 VIIとVIII 随想ふたつ 絵画「しずかな港」

(朝日記241129  目次gate AI Copilot氏との哲学的会話 目次へ帰る)

 

随想ふたつ 絵画「しずかな港」


あらいやすまさ 2024年12月9日

概要;随筆ふたつは絵画「しずかな港」、絵画から哲学、そして「乗り物」におよびます。
鍵語: 絵画「しずかな港」Port of Silence, カントとハイデッガー、「乗り物」、見えてくるもの


Abstract: Two of essays in a focus on “Port of Silence” and “Vehicle” are talken to you here.
Keywords: Port of Silence, Kant and Heidegger, Vehicle, Ereinigen

目次

随想 そのI 絵画「しずかな港」(AI Copilotとの哲学会話 VII)

 カントの認識論からハイデガーの存在論への思い 


1 ハイデガーのことば
2 ハイデガーの「存在と時間」、「存在了解」、「現象」そして「世界内存在」
3カントの認識論とハイデガーの存在論
4 世界内存在 
5 比較制度論について
6 Institution理論と、Heideggerの現象論
7.Ereignis

随想 そのII 絵画「しずかな港」(AI Copilotとの哲学会話 VIII)

「人は死ぬとどうなるか(究極の難題)・・」その1からその5まで、

1.継承性と保存性
2.「vehicle」(乗り物)
3. 無限連続組み合わせ
4.自由意志
5.「静かな港」
 

~~本文~~
随想 そのI 絵画「しずかな港」
 カントの認識論からハイデガーの存在論への思い  

絵画「しずかな港」
親愛なる畏友安部忠彦氏はげまされて、介護予防月間応募落選のポスター題名「しずかな港」を町田文化祭絵画展(2015)に出展しました。 絵画コラージュでデジタルA1版でしたので、クラシックな絵画のなかでは、やはり衝撃を与えたようですが、
お祭りという雰囲気のなかで好意的でほっとしています。

(町田市文化祭絵画展出展 コンピュータグラフィックス size;A1 60cm x 90cm)

~~~~~
「しずかな港」、展覧会に出したものは、いろいろ試行錯誤したあげく、結果的には業者にA1サイズにしました。描画以外は全部デジタルで、地のブルーは成功でした。
クラシックな展示のなかでの出展でもあり、話題を提供して口コミで見にいかれたひともあったようです。

随想 その1 絵画「しずかな港」
~「しずかな港」からの連想すること~

1 ハイデガーのことば
2 ハイデガーの「存在と時間」、「存在了解」、「現象」そして「世界内存在」
3カントの認識論とハイデガーの存在論
4 世界内存在 
5 比較制度論について
6 Institution理論と、Heideggerの現象論
7.Ereignis

1 ハイデガーのことば
唐突ですが、ハイデガーのことばの引用を掲載します。
彼の晩年の境地であるかもしれません。
~~~
「しずかな、充実した港」にあること、すぺての存在するものと物のうちで、このいまのときのもとで輝きある存在
、そして、もっとも 優しく受け入れてくれる「法」のもとに、われらに、あらわれる「発現」としての存在、その関係において、そこにあること。」
Serene being-at-home, in relation Being as temporal shining-forth of all beings and things and who speaks about Being as Ereignis as "the most gentle of laws"

 これは、David F.Frellというアメリカの哲学者の最近の著である
”「Ecstacy, Catastorphe:Heidegger from Being and time to the Blacknote”という哲学新刊本があって、Richard Capabiancoという人が書評したものの翻訳です。ノートルダム大学の哲学書レビューからです。

2 ハイデガーの「存在と時間」、「存在了解」、「現象」そして「世界内存在」
 目下、ハイデガーの「存在と時間」に集中していますが、大変おもしろいです。
カントの認識批判哲学は、厳然として彼のベースになっていますが、デカルトの「我考える、故に我あり」の「あり」というのはいったいなにが「ある」のかという問いです。
たとえば、「病気のあらわれ」というのは、病気そのものは私ではない、しかしその私でない病気というものが私の場を借りて、病気を告げる。
これを「現象」と定義します。それでは、その’あらわれ’というのは、本当に存在するのか、これを如何に証示するのかがでてきます。
おもしろいのは、彼は「存在了解」という概念を導入します。
そういう「病気」が「あらわれる」ひろい世界、つまり「世界内存在」があるという仮定です。ざっくり、そういうものがあるという共通認識をひとは持っていて共有しているとする。 (個人の認識論から集団の認識論への超克で、これを「現存在」と定義してもよいと理解します)
その点では、「世界内存在」は「神」とおなじ超越論になり、カントの形而上学的な直観という超越論と
とともに観念論として位置づけられます。むしろ相互に相補的な関係になるとおもいます。意味があるとか、分かるとかは認識論的事実であるからです。(むしろアフィニティがあり、そこからの思考の発展が期待されます)
ともに、証明のしようのないものは、それをひとまず前提にして思考をすすめ得ざるを得ないのです。)
「存在」そのものも、とことんなんだ?と問い詰めると まさに超越論的なものとなります。
 
3カントの認識論とハイデガーの存在論

 カントの認識論は 大体以下です;主観(主体)による
経験→現象→概念⇔理念⇔普遍性 (存在への認識)

一方、ハイデガーは むしろ「存在」=「現象」ととらえます。
主体は、現にそこにあって、経験としてある現実的自体に身をおいている、そこで主体が「現象」を経験していく。その場は空間ですが、そのなかにいるという知覚(認知)することになります。この関係で存在と付き合うということになります。この主体を「現存在」(Da Sein)とよび、そこでの存在了解を「実存」(Exsistenz)とよんでいます。ここで重要なファクターは「時間」になります。この時間によって、現象があらわれてくるとします。主体はいつも現象に関与していることが前提です。したがって「現存在」(Da Sein)です。
 2014・11の作品2

4 世界内存在 
 余談ですが、時系列解析で エルゴート性というのを思いだしませんか。
ある区間の道路で、自動車に振動計測機を乗せての測定結果のスペクトル分布は、
同じ区間の任意の地点に測定器を固定して、その点での測定の繰り返し測定アンサンブルから得たのスペクトルと同じという確率仮説を言います。

 主体つまり「現存在」は、かれが関与している時間の経過のなかでの「現象」つまり「実存」自体が世界を表現しているという意味で世界を語るとします。それを「世界内存在」と称し、ひとは、これを通じて普遍性を窺がう。
この辺りで カントの認識哲学との理論的接合性が見えてくるようです。私は、ここにつよい興味をもちますが、これはまた別に論じたいと思っています。しかし、ハイデガーは、この普遍性へとは急ぎません。この現象界での人間のつよい眼差し、つまり「現存在」と「実存」で存在の意味を捉えることに専念しようとします。この思想の流れは、フッサール、その弟子であったハイデガー、フランスのメルロ・ポンティ、サルトルへと展開して、現在「現象論哲学」として地位を得ています。
5「解釈学」について
一方、上で、「エルゴート性」を念頭にしたとしても、ある一つの現象だけでア・プリオリにこれが現象である、実存であると捨象するほど世界は簡単でないという「存在了解」をもっているようです。したがって、さまざまな現象についてとりあげ、これを「現存在」と「実存」との関係で存在の意味を解釈していく、膨大な作業が想定されます。これを「解釈学」とよんでいます。 人文科学の主要な活動はここにおかれることになります。私は、この「解釈学」は、大切な学術活動と理解していますが、システム情報科学など工学系生業としてきた人間にとっては、なにか、落ち着かないようです。それは、行動につなげる思考の「地平」が見えにくいからです。

5 比較制度論について
まったく別の観点で、先日亡くなられたスタンフォード大学の経済学者である青木昌彦さんの 比較制度論を学ぶ機会を得ました。彼の業績は、たとえばグローバル経済市場のもとでは 日本もアメリカも経済の構造の行き着くところが、同一モード帰着化(equi-reaching mode)構造になるという仮説を覆したことを知ります。安定構造はいくつもあり、帰着構造はパラメータ値のわずかな変化で、結果の状態モードがいつくもあるということ示した。これをポリマーや合金でび多相構造への安定性という力学モデル過程から証左しています。

わかってしまえば、ああそうかということですが、これは現象論モデルをつかってのゲーム理論の勝利です。 こういう発想の哲学がきっとあると動物的勘をはたらかすと、彼はスタンフォードの哲学の先生に John Searleというひとがいて、Social Institution Theoryという現象論と認識論との接合展開理論につよく影響を受け、彼の哲学を賞揚していたことを知りました。アメリカはプラグマティズムの国ですから、理論と行動とを品質管理のPDCAのような思想体系を目指します。そういう意味でのEvolutional Epistemologyのパラダイムも登場してきてにぎにぎしいです。

6 Institution理論と、Heideggerの現象論
そのような、Institutionまでにいくと、Heideggerの現象論が,時代に先導し、もしかしたら、そおっと英米系制度論へと時代的な開花をしているようにおもいました。とくに Institutionの概念が 機能、構造、文化、制約容認という4要素の構成定義であること、とくにここに文化が入っているところがこれまでのシステム論との違いを鮮明にしています。その機能構造として agency とinstitutionの二元構造が特徴的です。
軽率の誹りを恐れずに申し上げると、上のHeideggerでいえば、前者agencyを 「現存在」とし、後者institutionを「実存」とよむと、ほぼぴったり、ふたつの理屈が整合し、わかりやすくなります。
(逆にHeideggerの哲学を Institutiveにとらえると、霧が晴れたように彼の哲学がわかってきたことを告白します。)

 これからの日本人を、日本国を考えるうえで、とうしても、哲学に裏付けされた広い意味の制度論的設計が、国民の生活や社会のあり方において見直され、present of institutionである必要があって、absent of institutionを丁寧に消去していくべきことを痛感しています。
7.Ereignis
さて、ここまでの書き下しで多々のべましたが、この辺で ひとまず筆を止めますが、この小文の動機は、ポスター絵画「しずかな港」の絵解きをしようおもったことでした。 自分で気ままに絵を描いて、それを絵解きとはいい気なものです。
 Heideggerの後記の哲学は、この「現存在」と「実存」の哲学からら、人生としてなにが見えてくるかという問いかけの応えとしてこのEr-Augenという言葉を登場させます。これは、 「目をじっと開いて招きよせる」、異なる次元での「現存在」と「実存」という意味ですが、名詞としてEreignisと表現します。 実存としての異界つまり研ぎ澄まされた卓越(であろう)さらなる先の超越からのEr AugenつまりEreignisです。邦訳では「性起」?ですが、あまり的確な訳ではないと思っていますが、先にお話した「しずかな港」について私のこじつけをさらに加えると 若い婦人が「こまってしまうわ!!」手を拡げています。傍にいるの老人達は顕わには応答しない、またじっとしています。しかしながら、静かに、無言でなにかを見つめ、なにかを語っているのではないか、つまりEreignisがある。そんな勝手な事後解釈となりました。
どうも お付き合いいただき恐縮です。
荒井


随想 そのII 絵画「しずかな港」
~「人は死ぬとどうなるか(究極の難題)・・」その1からその5まで、  ~

 facebookにて私が賢人として敬する友人関口益照氏 のところに留まりました。  このひとの渾身の思考足跡に、率直に感動と共感を覚えるものでありました。理解のレベルは別として読ませていただきました。
関口氏は、人間の死生について、形而上学的考察を基盤に置いて、その思考素材として仏教思想、特に業、縁、因果法を使われて、 人間の死と生による意識の継続存在性について、二分法論理手段で四段階層まで命題展開していかれました。
これを読者としての私の理解のながれを極力そのまま keywords列挙型で述べてみることにしました。 
読後感でのKeywordsを敢えて5つあげ、この順序で話をすすめます。

「人は死ぬとどうなるか(究極の難題)・・」その1からその5まで

1.継承性と保存性
2.「vehicle」(乗り物)
3. 無限連続組み合わせ
4.自由意志
5.「静かな港」
 
付録1 付録1 関口益照氏からのコメント(2018/9/4) 
付録2 荒井康全自己紹介

~~~本文~~~
「人は死ぬとどうなるか(究極の難題)・・」その1からその5まで

1.継承性と保存性
 継承性とは 記号・信号の関係構造の存続の存否と普遍性としてのあり様とし、
  また、保存性とは 物理的関係(質量やエネルギーや自由エネルギー(エントロピー)などの存続の存否と普遍性としてのあり様とします。
 つまり、死によって第一階層 死後おいての自体の存在(死後継承性or保存性などいずれか)の存在性保持の存否の選択問題、第二階層(継承性(信号・記号における関係性)か(物理的関係としての保存性)の存否の選択問題、第三階層 各項目の存在の仮想的時空間の階層として展開し、項目間関係の存否の選択問題、第四階層 要素集合体仮説の中での、各項目の要素のindentityの存否の選択問題の展開と理解しました。
かれのもっとも注目したい論理分岐は以下で、とくに②-2-2と判断しました。
②-2-2人類の通常の認識機能(≒意識?)では知覚できない位相世界(宇宙)があって、その位相世界における一要素として一定の法則の下に存続する。
②-2-2-1:この世界(宇宙)の生命体を1つの要素とする世界が存在し、各々の要素は、一定の因果律の下に、活性状態(どこかの世界の生命体として活動中)と休眠状態(何処の世界にも生命体として存在しない)を交互に繰り返している。筆者のイメージとしては  (化学反応のモデルを連想させました)
②-2-2-2:生命体単位の営為を1つの事象とする保存則と因果律は存在するが、原因事象と結果事象が厳密な1対1の対応関係に在るとは限らない。(化学反応のモデルを連想させ たとえば重合反応おもしろいとおもいました)

(質問) 保存則(物理的保存性)と因果律(信号・記号的継承性)と区分を第二段階層にとるなら、「保存則と因果律」でなく、ここでは「因果律」のみの表現になります。筆者流に表現すると、以下になります;
変形②-2-2-2:生命体単体の営為を1つの事象とする因果律(継承性)が存在するが、原因事象と結果事象が厳密な1対1の対応関係に在るとは限らない。
 この証明が実証できる可能であるという保証はないと考えられます。
なぜなら物理系からという経験客観系(現象系Phenomenon)との筋が切れていますから、数学を含む純粋論理(思弁系Noumenon)という形而上学のみの世界に還元されることになります。
特に 生命体の物理的な死を経過したあとの単体の信号・記号の継承性の論理は、実証系から外されます。 形而上学命題ですから、それ自身で論理が完結することをひとは要求します。しかし成功するかどうかは別ですが、記号や信号を使って生命の継承性を数学モデルを使って論じることには可能性があります。 より上等な神話をつくることです。思弁系での論理が閉じていれば、形而上学論理それ自体としては完結です。
 
2.vehicle」(乗り物)
 残るのは物理的に実在系の人間の存在のとらえ方があります。綿々と子孫が生き続けるということを如何に考えるかです。
関口さんの紹介されます曹洞宗教典―修證義―で、「善悪の報に三時あり。一つには順現報受、二つには順次生受、三つ順後次受」。 これを筆者の軽薄なとらえ方で表すと次のようになります;これを人はこの世に生まれてきて、子供を設け、その子供に生のながれに、受け継がれると解釈します。これは、リンクのなかの生命の継承・保存であり、際立って物理系(現象系)であります。肉体という「乗り物 vehicle」の列車に乗っていく人間(being)、その結合(「縁」)で因果がつながり、存在し続ける。 つまり生命体のDNAメッセンジャーのなかで継承していく。通常の個体での個別的次元での生と死のとらえ方はとは異なる時空間系です。人間の場合、この「乗り物」でのある個人のidentityは文化や生活においては記憶(信号・記号)の関係形態でのこされます。そして特に、時間とともに埋没し、消滅します。 ソクラテスは、時が経過してもidentityが認めうるほどに顕著な記憶として存在を示します。その個別としてのソクラテス自身は、この現在どこにいるかが問われます。 その答えのひとつは、誰かが彼に関心をもったときに記述体を経て、意識内に存在すると答えるかもしれません。 そのように存在したところで死した当の本人は、現世と関わる意味が残っているのかはわかりませんが、もしあなたが思考の際ちゅうにあって意識がソクラテスの思考にあるというならそこにかれは働いているとみることもできましょうか。
 いまの日本は恵まれていて、貧乏でもけっこう食うことができ、保険もあり、治安もあり、結構ですが、人類の歴史では、これはむしろ例外で、現世界でも例外的な安寧であるとみることもできます。 四苦で、呻吟して、できれば早くこの世から去れればうれしいと待ち望んでいるひとも常態的であったろうとおもいます。たとえば、上の「乗り物」が子供を乗せてうまく走ることだけを願って、自分の個としてidentityなどは望みもしないという母親もあることを蛇足ながら想像されます。次の世代へのvehicleが動いていけば、それで十分であるという結論もあります。
 
3.無限連続組み合わせ
関口さんの仏教の話しで、「人身」と「最勝」というところにたち留まりました。 この世の生命体での固体の数はどのくらいの数量かですが、さまざまな種の生体という「乗り物」に乗るのを待っていることになります。「人身」という「乗り物」にのるチャンスは幾兆分の1の確率と説くひとがいます。 つまり人間としてこの世にあるというのは、生き物にとっては「最勝」ということになります。 その恩恵にある人間の価値に考えを及ばすことは意味があります。 「無限連続組み合わせ」といっても、見えざる固体は、連結を繰り返す「列車」に乗り移りながら進んでいると考えることもできます。この辺の死生観の論理が完結していて、最高度に納得するものであれば、それで意味のある思考成果といえます。
「旧約」の世界では、生命体は神の息もしくは風の無機質への吹き込み(spirit)であり、それによる想像とされるます。 神がそのspiritを引き取れば、もとの無機質・土(アダム)へともどる。キリスト教では、イエスの再来の日まで、その死しても、identifyされうる個人として存在しているという仮説です。 
4.自由意志
 人間が考えることは 思弁だけでもなりたちます。たとえば数学のパズルは完全な思弁系で、外界の客観的なもの存在の感知を必要としません。自分が置かれた環境つまり自然を知るためには現象系での経験的な感知が必要です。 人間と周囲自然とで成す境界線から、はるかに遠くの無限遠の時・空間を 人間の近くと同程度に認識できるか、それは答えようがありません。ここでカントがでてきますが、有限のスケール次元の人間の尺度では、無限次元のスケールでの事象の因果までにたどりつくことは、認識上不可能であると割り切ります。
ただ彼は、人間は、自由意志を宿命的に持つ特権から、自然に対して働きかけ・実験することができるとします。話は前後しますが、そのつじつまを合わせる必要から、時間と空間は人間の主観にあるという、哲学史上のコペルニクス的転換をします。
こうして 思考実験と物理実験との接合を与えます。科学の承認です。
何をいいたいかというと、人間の自由意志と死後の世界との葛藤はなんであろうかという問題です。 なぜ死生観を考えるのか、生きる意味や、死後を考えるモデルでシミュレーションを自由意志が可能にするからです。もちろん存在を実証できません。
そして、死するとそのひとの自由意志はどうなるのかという問いが出てきます。
それが 多分 関口さんの変形②-2-2-2であろうとおもいます。
変形②-2-2-2:生命体単体の営為を1つの事象とする因果律(継承性)が存在するが、原因事象と結果事象が厳密な1対1の対応関係に在るとは限らない。
つまり自由意志という単体が漂うということにしておきましょうか。
 
5.絵画「静かな港」
 このような題名のポスターです。ご覧ください。
 上は、急ぎの書き下ろしでした、思考に穴だらけです。論理破綻がないとよろしいですが、いかがでしょうか。


絵画「しずかな港」I へ

付録1 関口益照氏からのコメント(2018/9/4) 
2018-09-04 23:12:02
関口さんからのコメントです。(2018/9/4) 

関口⇒荒井
関口益照
わたしの意図するところをきれいに整理していただいて、ありがとうございます。
冒頭に書いたように、論理的に完結される知力も体力もないのは承知の上での試論でもあり、形而上の概念を論理モデルの極限値として表現できないかという一つのアプローチを提案した次第ですが、お蔭さまで、少なくとも私の意図した提案内容を論理的に破綻のない命題として表現していただけたと思っています。
これを機に第2、第3の論者がこの問題に取り組んでくれることを期待したいと思います。

末尾に書かれた自己紹介を拝読し、紆余曲折を経て研究職にたどり着かれたことなど、私自身の身の上に通じるものがあって、不思議な ”縁” を感じております。

荒井⇒関口
関口さん、これを書いたときは、思考が軽いとおしかりをうけるのではないかと危惧していました。いまよむと、そうであるかなと、感心したありして、どうもいい加減なものです。
phenomenonとnoumenonとの境界もさることながら、noumenon(形而上)とその隣り合わせの超越世界との境界。関口さんがかなり、緻密に論を展開されておられました。個人としては、安らぎを感じます。向こうの世界からそっとこちら側にみせてくれているようなものです。ハイデガーが上手い表現をしていましたが、度忘れしました。今後ともよろしくご友誼のほどをお願いします。

付録2 荒井康全の自己紹介
最低限の自己紹介をもうしあげます;
(ごく最近の私:自己紹介)
 2011年に甲状腺癌の摘出と治療を受け、しばらく、深く思考すること意欲も自然に失せていました。ただ、入院の数か月まえに始めた絵画が、うまく合っていてくれて夢中で絵を描いていました。これがやさしく時間を満たしてくれて小康状態に至ったので、そうだとおもい、私なりに死生観との付き合いをしてきました。
 死生観とつきあうために、なにか思考の土俵があればと思っていたところ、当時東工大の世界文明センターの教授であった橋爪大三郎先生の公開講座「旧約を読む」に目をつけ、ここで5年ほど通いつめました。
橋爪先生の計らいで、彼の理論社会学、軍事社会学、と宗教社会学の聴講をゆるしていただき、期末試験も受けさせてもらいました。
 
 「旧約」では、紀元前1千年ころのユダヤの人の苦難がつまびらかであり、それを通じて、人が正しく生きるということ、そのなかでの超越者との契約、律法と生活との矛盾葛藤などが生き生きと描かれ、飽きさせませんでした。それらが近代の西洋思想との根底と思われる人間の自由や理性などとの関係を質疑として繰り返しております。 その過程で、トーマス・ホッブスやカント、そのあとでハイデガーに焦点を当てていきました。 テーマとしては、「システム思考による目的論理の構造と社会倫理について」という大枠を設定しました。これは技術系の人間が、社会科学系への思考ルートとしてなじみ易いものを考えたことによります。
 2012年から「総合知学会」(会長小松昭英氏)の研究例会にて、以下の研究発表をし、学会誌に論文発表をしています。
(2013年度)総合知学会誌 ISSN 1345-4889
1.論文 序論 システム思考での目的論理の構造と社会倫理について 
2.研究ノート 目的論理の構造としての「自由意志」と「因果性」を考える
 
(2014年度)総合知学会誌 ISSN 1345-4889
3.」論文 システム思考での目的論理の構造と社会倫理について II
 ―目的性論理の価値認識の上限境界線を考える
4.巻頭言 「形而上学」への意識
 
(2015年度)総合知学会誌 ISSN 1345-4889(投稿受理)
5.論文 システム思考での目的論理の構造と社会倫理について IV
   価値の共約不可能性と多元主義について
6.論文 システム思考での目的論理の構造と社会倫理について V
   制度(論)からみたシステムの多元的目的論理
7.巻頭言 アダム・スミス問題と道徳性について
 
(私の略歴)1938年生まれ 神奈川県
明治学院中学校卒、東京都立一ツ橋高等学校(一年一学期まで)、神奈川県立湘南高等学校卒、東京商船大学機関科卒、東京大学大学院数物系機械工学修士、米国ウィスコンシン大学大学院化学工学修士
昭和電工株式会社(1964年~1998年)
武蔵工業大学五島育英会(1998年~2002年) 国際・産官学交流センター長
東京工業大学資源化学研究所(2002年~2004年) 特任教授
(趣味)絵画、哲学、音楽
 
わたくしは、機械工学大学院から昭和電工に入り、特に技術者として、化学プラントやプロセスの開発や研究に携わってきました。高校時代での転校やらで、当初、学問基礎素養に歪をのこしていたとすれば、数学と物理でした。 生涯、このコンプレックスの克服に妙に拘ったてきました。 米国ウィスコンシン大学大学院化学工学では、化学プロセスや現象のコンピュータ数学モデルの研究でした。 そこでの開眼が大いにあって、曲折はありましたが、会社に数理技術の研究所を作り、経営・技術解析専門として横断的な技術活動を展開しました。1987年には、研究支援用システムの導入を企画・開発を富士通と契約して実施導入しました。また、当時通産省の産学連携プロジェクトして、公益法人・新化学発展協会のもとで高分子材料設計開発支援プラットホーム(土井正男OCTA)プロジェクトを立ち上げています。 これは名古屋大学開発プロジェクトと富士通との契約で進められ、プロジェクトの成功例として高い評価を得え、現在でも生きています。 特に営業本部の佐藤晃氏や佐藤芳男氏とは、長い付き合いでありました。 


 (マルグリット・砂粒)
 (凱旋行進・マルグリットオマージュ)

(朝日記241129  目次gate AI Copilot氏との哲学的会話 目次へ帰る)

 

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