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朝日記241028 その3 「翻訳  意識のハードプロブレム」

2024-10-28 11:01:15 | 研究論説

 

朝日記241028 その3 「翻訳  意識のハードプロブレム」

 

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朝日記241028 その2 目次 「翻訳  意識のハードプロブレム」

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はじめに

こころの哲学 philosophy of mind においては、意識のハードプロブレムhard problem of consciousnessについての説明が課題となっている、それは人間および他の有機体がクオリア qualia、現象的意識phenomenal consciousness、もしくは主観的経験  subjective experienceを所有しているはなぜかといいうことである。[1][2]

この(ハードプロブレムhard problem of consciousness)は、一方でイージープロブレム"easy problems"では物理的システムphysical systemが(健康状態にある)人間をして、観測したり、耳傾けたりしたり、発話(属人的な行為や信仰を参照して現れる発語を含む)したりして情報を総合しえたり、行為機能を遂行しうるのかを何故whyそして如何にして howを区別しえたり説明する問題であるのであるが、この(ハードプロブレム)は、それとは対照的である。[1] 

イージープロブレムeasy problemsは機能的説明に馴染みやすい―すなわち、件の現象に注目して、その機構もしくは行為の説明として受けうけとる―各物理的システムは「構造と動的力学」"structure and dynamics"への参照によって(少なくとも原理的には)説明が可能である。[1][3] 

ハードプロブレムの支持についてはつぎの点で論争がある、それはイージープロブレムとは 問題の範ちゅうとして異なり、ある経験an experienceの性質を説明する機構的もしくは行動的mechanistic or behavioral説明が原理的においてさえ、できていないからである。 

彼らが問題にするのは適切なる機能事実functional factsを説明しつくしてもなお、さらなるつぎの設問が残るであろう:「なぜ経験experienceというものがこれらの機能遂行performance of these functionsに伴うのか」というさらなる設問へといくであろう。[1]  

これらのケースを支援するためにハードプロブレムの支持者はしばしばさまざまな哲学的思考実験philosophical thought experimentsに向かったのである、それは哲学的ゾンビ philosophical zombies (かれらの主張として、それ自身が認知しうるconceivable存在であるとして)または逆クオリアinverted qualia、もしくは主張する色彩経験能力 ineffability of colour experiences 、たとえば自ら蝙蝠 being a bat自身となって経験するといった他体foreign statesでの意識状態の不可知性にある。  

 

「蝙蝠であること」の経験としてのような

Chalmers on stage for an Alan Turing Year event at De La Salle University, Manila, 27 March 2012

 

"hard problem" と"easy problems"は哲学者 philosopher であるDavid Chalmers が考え出したものであり、それは 1994年のTucson, Arizonaでの  The Science of Consciousness conference での講演に始まるものである。[4]

翌年、Chalmerの話題の主要な点が The Journal of Consciousness Studies.[1] 出版となったのである。

この出版は意識研究者consciousness researchersから顕著な注目を得え、その誌の特集号が組まれ、のちに成著として出版されたのである。[7]

 1996年、 Chalmersは The Conscious Mind[1]を出版した、この著でhard problem問題の取り扱いを詳述し、かれの主題課題としてかたちを成し、そして反論 counterargumentsへの応答をもしたのである。[7]

彼の場合、言葉としての easy を意味するのは"tongue-in-cheek"[2]である。[8] 

認知心理学者としてSteven Pinkerはつぎのように例える、それらはすぐにでも火星 Marsにいくことやガン治療にいくことの容易さeasyを言っているようなものだと下した。  

「科学者ならば大なり小なり探しているものが何であって、そして十分なる頭脳の投入や費用をもって、それらはその世紀においてたぶん内容があきらかになるかもしれないようなものである」[9]

 

 hard problemの存在については論争を加熱させることになった。それは以下に上げるしかるべき精神哲学者philosophers of mind がそれを受け入れたからである;Joseph Levine,[10] Colin McGinn,[11] and Ned Block[12] そして認知神経学者cognitive neuroscientists 認知神経科学者 としてつぎの学者である: Francisco Varela,[13] Giulio Tononi,[14][15] そしてChristof Koch.[14][15]

一方、その存在を以下の精神哲学者等が否定した、それはDaniel Dennett,[16] Massimo Pigliucci,[17] Thomas MetzingerPatricia Churchland,[18] and Keith Frankish,[19] そして認知神経学者として Stanislas Dehaene,[20] Bernard Baars,[21] Anil Seth,[22] and Antonio Damasio.[23]等であった。

臨床神経学者でかつ懐疑的なSteven Novella  はそれこそをまさに "the hard non-problem".[24] として却下した。

 2020 PhilPapersの調査によれば、調査をうけた哲学者の多数派(62.42%)はhard problem問題は真正問題として信じると言い、29.72%はそれは存在しないものであると言明した。

 Hard Problem問題に関してはその他に沢山の可能な哲学問題 philosophical problemsがある。

 Ned Blockはいわゆる"Harder Problem of Consciousness"が存在すると信じている、これは異なる物理的および機能的神経システムではポテンシャル的に現象的重なりphenomenal overlapがあるということのよるのである。[12] 

その他の哲学課題として可能となりうるものとして Benj Hellie'sのvertiginous question [3]とつよく関係しているものがある、曰く意識のさらなるハードプロブレム"The Even Harder Problem of Consciousness"というものであり、これは個人としてあるものa given individualがそれ自身特定の人としての同定 personal identityをもち、それは他の誰かでもなく存在 する、それはなぜかという問題である。[26]

 

 

2 概容 Overview

 

認知科学者 David Chalmersが彼の論文"Facing up to the problem of consciousness" (1995)[1] [4] においてhard problemを最初に形成し、それについてThe Conscious Mind (1996) でさらも敷衍したのであった。彼の研究成果はコメントを誘発した。

ある者、たとえば哲学者 David LewisとSteven PinkerはChalmersの論述展開の厳密性と「おどろくべき明解性」に賞賛したのであった。[27] 

Pinkerは2018年に語る、「終局的には依然としてhard problem問題は意味のある概念問題であると考えるがDennettにも同意するものである、それが意味ある科学的問題ではないということについてである。

あなたがゾンビa zombieであるかはたまたはCaptain Kirk船長と同じ者であってEnterprise号の甲板をそしてZakdorn人としてその衛星の地表[5]を歩いているそのような研究課題に資金を提供する者がいるかは考えもしないからである。

そして私は他の何人かの哲学者と同意しているのは、それがひとつの解全体へと今後もとめていくということが有用なる結果をもたらしめないかもしれないということである、なぜならそれは概念問題であり、もしくはより正確にはわれわれの概念にともなう問題であるからである。[28] 

Daniel Dennettと  Patricia Churchlandは彼らの他の同調者のなかにあって、hard problem問題はeasy problems問題の集合体a collection として最大限見てよいと信じている、それらは脳とその行動のさらなる解析を通じて得られるであろうからである。[29][30]

意識は曖昧なる語である。

それは自己意識性self consciousness、気づきawareness、覚醒している状態the state of being awakeなどの意味するために使うことができる。

Chalmersは Thomas Nagelの意識の定義を使っている;それが何に似ているかという感覚the feeling of what it is like to be somethingである。

この意味で、意識Consciousnessは経験experienceと同意語である。

 

3 Chalmersの形式化 Chalmers' formulation

 

…われわれが認知および行為の機能すべての遂行を説明したときになお、その経験experienceの近傍—感受的区分perceptual discrimination、カテゴリー化categorization、内的アクセスinternal access、言語報告verbal report―においてなお更なる未解答の質問a further unanswered questionが残ると言ってよい:

Chalmersは問う、意識consciousnessの問題、これらの機能functionsの遂行the performanceにはなぜ経験experienceを伴っているのか?

— David Chalmers, Facing up to the problem of consciousness

意識consciousnessの問題には二つの種があるとChalmersは論じる:the easy problems 問題とthe hard problem問題である。

 

 

4 Easy problem問題  Easy problems

 

the easy problem問題は帰納的reductive探求としては説得力がある。 

それらはこの世界についての低次元水準の事実lower-level factsについての論理必然性 logical consequenceであり、ここでは時刻をどのように伝えるか、時計のその能力はその時計作業と構造の論理的帰着性logical consequenceに似ている、またハリケーンはしかるべき天候パターンの構造と機能についての論理的帰着logical consequenceのものである 

clock、hurricaneそしてeasy problemsすべてはこれらの部分をすべて集めたsum of their partsものである(殆どのモノはそうであろう)。[27]  

意識に密接につながるようなeasy problems問題は行為behaviourに伴なって(accompany)いる神経プロセスneural processesについての機構的解析mechanistic analysisへ関心がむかう。 

これらの例は、感覚システムsensory systemsはどのように働くのか、感覚データsensory systemsはその脳のなかでどのようにプロセスを受けるのか、そのデータdataは行為behaviourや言語報告verbal reportに、思考thoughtと感情emotion に、そしてその他の神経ベースにどのように影響するのかを含んでいる。

それらは「構造と機能」"structures and functions"を通して解析できる問題である。[27]

 

 

5 Hard problem問題 Hard problem

 

hard problemは、対照的に、これらのプロセスprocessesが何故why および如何howにして経験experienceを伴って(accompanied)いるのか問題である。[1] 

さらにつぎの設問を含むであろう、この、もしくはあの特定経験に伴うものがあって、それは他の種のある経験以上のものであるのは何故なのであろうか。

 

換言すれば、the hard problem問題はしかるべきメカニズムに意識経験が伴うのは何故かを説明する問題である。[27]

たとえば、その脳での神経プロセスが感じた感覚felt sensationsに、つまり何故に空腹感feelings of hungerがつながることに至るのか。

そして何故にこれらの神経着火neural firingsがなにか他の感じ(たとえば、渇きの感じのような)ではなく空腹という感じへとみちびくのか?

Chalmersは論じる、空腹やなにか他の感じに結びついた適正なる行為はその感じが欠落している場合でさえ起こりうるということは認知しうるものであると。

これは経験がその脳といった物理的システムに非帰納的 irreducibleであるということを示唆するのである。

 

6 イージーとハード問題はどのように関係しているか 

How the easy and hard problems are related

 

 

 Chalmersはhard problemがeasy problemsに帰納しえないirreducibleのものであり;easy problemsはhard problemsの解solutionには導かないであろうと信じている。

これはeasy problemsが世界の起因構造causal structureを引きずっており、一方hard problemは意識consciousnessを引きずっており、そして意識consciousnessについての事実factsは単なる起因的causalもしくは構造的structural記述を超越した事実factsを含んでいるのである。  

たとえば誰かが足のつま先をぶつけそして唸ったと想像しよう。

このシナリオでは easy problemsが神経システム、そして脳さらにその環境との関係の活動性を含めての機構上説明問題mechanistic explanationsとなる(爪先から脳への神経信号、その情報処理との関係、そしてそれが如何にして唸りなど一連の状態へつながっていくかを問う問題である)。 

 hard problem問題はこれらの機構が痛み感覚the feeling of painが伴うのはなぜなのか、もしくは痛み感覚feelings of painはそれらが感じる特定の筋道particular wayで痛みを感じるfeelings of painのはなぜなのかという問いなのである。 

Chalmersは痛みについての神経機構についての事実facts、そして痛み挙動pain behavioursが意識的経験の事実facts about conscious experienceには導かないということを論議する。

意識的経験conscious experienceについての事実Factsは、そのかわり、further facts[6]のものであり、脳についての事実facts about the brainからは導きだせないのである。[27] 

 

ハードプロブレムhard problemはしばしば視覚スペクトルの逆問題inverted visible spectraの論理可能性を強調することによって例示される。

もし、あるひとの色視colour visionが逆のものであったとしても、それを支持するのは論理的になんら矛盾をおこさない、そうであれば視覚プロセスの機械的説明でどんな色に似ているかにwhat it is like to see coloursついてその事実を決定することはしないということになる。

神経系プロセスneural processingについてしかるべき物理的事実relevant physical factsすべにおいての説明では、痛みについてそれがどのようなものに似ているかについて答を期待することができない事実が残されるであろう。

これはいかなる種の機能functionsと物理的構造physical structuresも、経験がなくても意識が存在する理由の一部をなすのである。

それに代わって、それら(機能と構造)は経験の異なる集合different set of experiencesに沿って出現することになろう。

たとえば、Chalmersの完全複製perfect replicaは論理的可能 logically possibleのものであって、その複製は経験experienceものではなく、もしくはその複製は(たとえば青⁻黄色 赤⁻緑の軸がその視覚の場で鏡像flippedである視覚スペクトルの逆問題inverted visible spectrumになえるように)経験の異なる集合different set of experiencesを取らせることになる。  

それと同じことが時計、ハリケーン、他の物理的なものについては言いえない。

このようなケースでは、構造的もしくは機能的記述は完全記述である。

時計の完全複製は時計であり、ハリケーンの完全複製はハリケーンである、以下同様である。

その違いは物理的なモノはそれらの物理的構成以上のものではない。

たとえば、水はH2O分子以上のものではない、そしてH2O分子についてのすべてを理解することは水についての知るべきすべてである。

しかし意識はこのようなものではない。

その場でのすべてを知ることは、その脳についてもしくはそこのなにかの物理的系について知ることあり、それはその場での意識すべてについて知ることではない。

意識はしたがって、純粋な物理系ではなりえない。[27]

 

 

7 物理主義が内包すること Implications for physicalism

 

See also: Physicalism

 

 

Charmersは物理主義physicalismに対立する(ときに物質主義materialismと呼ぶ)。

これは存在するすべてのものが物理的もしくは物質的モノであるとい観方であり、そこではすべてのモノがミクロ的なモノに還元することができるとする(原子次元の粒子群とその相互の作用のようなモノ)

たとえば、いま机を考えると、これは原子次元の沢山の集合がしかるべき仕方で作用しあっている状態にほかならない。

物理主義によればすべてのものは、意識を含めて、ミクロ的物理構成にもちこんで説明しようとするのである。

 Chalmerのハード問題Chalmers's hard problemはこの観方と対向する反例counterexampleを提供する、それは、意識がミクロ次元の構成をアッピールすることからでは還元的に説明しえないということを示唆するからである。

かくして、hard problemが現実問題real problemであるなら物理主義は誤りfalse,になるにちがいないし、そして物理主義が正しいtrueならhard problem は現実問題real problemではないにちがいないことになる。[citation needed

 Chalmersは物理主義を拒んだにもかかわらず、依然として彼は自然主義者naturalistである。[27][importance?

 

 

 

 

[1] デイヴィド・J・チャーマーズ著 林 一訳「意識する心 脳と精神の根本理論を求めて」白揚社 2002 (荒井)

[2] "tongue-in-cheek"は「早い話が」といったわかりやすい譬えのようなもので用意に納得はするが、だからと言ってそれ以上の知識をふくむものではない理解のやさしさeasyであろう(荒井)

[3] vertiginous questionは「なぜ私は私なのか」もしくは「私問題」とも呼ばれている。vertigineousは「めまい」を意味する。vertiginous questionでは以下の説明文からはじまる;Benj Hellie's vertiginous question次の問いである、すなわちそこでの経験主観すべてについてのものであり、―その人Benj Hellieとして参照される人間に対応しているその人であるーそれは経験しているそのひとが生きているその人である(読者はHellie's に読者自身を代入してみることになる)[1] 。換言すればなぜ私は私であり、他の誰かではないのか?(荒井)

[4] 論文"Facing up to the problem of consciousness" 意識問題に向かい合うこと(訳者)

[5] Zakdorn

Zakdorn人は人間としての感性をもち、人間身体とおなじ体をもつ種属でありかつその衛星連邦国家の一員である。

memory-alpha.fandom.comText under CC-BY-SA license

 

[6] Further facts

philosophyにおいては、 further factsとは、この世界についての物理的事実からの論理的継承 follow logicallyをしないという事実factsである。 

帰納主義者Reductionists  はつぎのように論じる、根底において物理的事実以上のものはなにもないとする人たちであり、かくして更なる事実の存在に対して反論する。

further factsの概念は二十世紀後期の分析哲学 analytic philosophyでの主要な業績であり、ひとつの鍵となる役割りkey roleを担っている、 Derek Parfit'の Reasons and Persons, および David Chalmers'の The Conscious Mindにおいてこれらを論じている。

See more to Further facts - Wikipedia

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