朝日記240705 (その3) 3.数学 「翻訳チャールズ・サンダース・パース」
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- 数学 Mathematics
Peirceの純粋数学においてのもっとも重要な業績は彼が論理的および基盤的分野においてであった。彼はまた線形代数 linear algebra、マトリクスmatrices、様々な幾何学、トポロジーとリスティングナンバー topology and Listing numbers、ベル数Bell numbers、グラフgraphs、四色問題 four-color problem、そして連続性continuityについての本質についてであった。
彼は応用数学に関して、経済学、工学、そしてマップ射影についての業績をもつ、そしてとくに確率論probability と統計学statistics[86]において活発であった。
発見 Discoveries↓
否定論理和 Peirce arrow 、"(neither) ... nor ..."のためのシンボルもまたQuine dagger
である。
Peirceは形式論理と基盤的数学において数々の顕著な発見をした、そのほとんどすべては彼の死後から年数を経てはじめて恩恵をもたらしている。
1860[87] に、彼は基数算術を無限数に対して提案した、それは Georg Cantor のいかなる研究よりも以前の歳のことである(Cantorhaは彼の博士論文 his dissertation in 1867 を完了したがBernard Bolzano's 1851 (posthumous) Paradoxien des Unendlichen.へのアクセスは残していた状態であった。
1880–1881に彼は Boolean algebra が繰り返し十分な単純二元操作を使ってどのように行われるかを示した、これはHenry M. Sheffer よりも33年早い予測であった。(See also De Morgan's Laws.)
1881[89] に自然数算術の公理化axiomatization of natural number arithmeticを設定した、これはRichard Dedekind および Giuseppe Peanoより年数において早期であった。
同報文において、Peirceは有限集合の最初の純粋基数定義cardinal definition of a finite setを与えた、これはDedekindにすぐる早期であった、現在ではこれを「デーデキント有限」"Dedekind-finite"として知られている、そしてさらに無限集合infinite set (Dedekind-infinite)の重要な形式定義を行った、これはその固有のサブセットproper subsets.のひとつと一対一対応a one-to-one correspondenceにもちこめることができる集合a set としてである。
1885[90]年には、彼は第1次数と第2次次数との間の定量化区分を行った。[91][92]
同じ報文において、彼は第1次的公理的集合理論first (primitive) axiomatic set theoryとして設定したがこれは後年20年後に Zermeloに先立つものであった。
Existential graphs: Alpha graphs
1886年に、彼はブール代数計算を電気スィッチを使って実施したのである、これは に先立つこと50年を越える早期であった。
1890s[94]年代のおわりごろに、彼は存在グラフ existential graphsを考案した、これは予測計算 predicate calculusのための図式的記法であった。 John F. Sowaの 概念グラフconceptual graphs および Sun-Joo Shinの図式的理由性diagrammatic reasoningは彼の存在グラフに基づくものであった。
数学のあたらしい要素たち The New Elements of Mathematics
Peirceは という題名で入門テキストの原案を書いた、それは独自の視点からの数学を与えるものである。
その原案と彼の未発表の数学的草案などは最終的にThe New Elements of Mathematics by Charles S. Peirce (1976) [86]として世に顕れることになった、これは数学者Carolyn Eiseleに負うものであった。
数学の本質 Nature of mathematics
PeirceはAuguste Comte に同意して数学を哲学および特定の科学(自然および精神)よりも基礎的なものと位置づけた。Peirecは数学を以下の三つに分類した:(1) 論理の数学mathematics of logic, (2) 数列discrete series, そして (3) 擬連続pseudo-continua (彼の呼称であったが、そこには実数 real numbersをふくむ) および連続 continuaである。
彼は父 Benjaminによる影響で、数学は純粋に仮説的対象purely hypothetical objectsを研究することおよび単に量の科学the science of quantityではなく、必然なる結論necessary conclusionsに導く科学the scienceであると論じたのである;すなわち数学は論理をたすけるが、論理が数学をたすけるのではない;論理logicはそれ自身哲学philosophyの部分であり、そして必然性および非必然性結論necessary and otherwiseに導くことについての科学the science である。[95]
論理の数学 Mathematics of logic
数学的論理と基礎、いくつかの代表的報文
- 論理のブール算術の改良について"On an Improvement in Boole's Calculus of Logic" (1867)
- 関係性の論理学の記号の記述"Description of a Notation for the Logic of Relatives" (1870)
- 論理代数について"On the Algebra of Logic" (1880)
- ひとつの定数をもつブール代数"A Boolian [sic] Algebra with One Constant" (1880 MS)
- 数の論理について"On the Logic of Number" (1881)
- ノートB;関係性の論理学 "Note B: The Logic of Relatives" (1883)
- 論理代数について "On the Algebra of Logic: 記号化哲学への貢献A Contribution to the Philosophy of Notation" (1884/1885)
- 関係性の論理学"The Logic of Relatives" (1897)
- 最単純数学"The Simplest Mathematics" (1902 MS)
- プラグマティズムのための言い訳原論"Prolegomena to an Apology for Pragmaticism" (1906,存在性グラフについて on existential graphs)
確率と統計 Probability and statistics
Peirceは、科学scienceは、統計的確率statistical probabilitiesに到達すること、それは確実性certaintiesではなく、かつ自変化性向spontaneity (絶対的確率"absolute chance")が現実realであるとする見解を保持した(かれの観方としてTychism をみよ)。
彼の著述のほとんどは確率の頻度的解釈を推進するものであり、そして彼の著述は主としに対しての確率 probabilityの使い方につての批判吟味にあり、特に、それは解析者のモデルが対象試験としてランダマイゼイションobjective randomization.[96]に基づいていないとを見たときにである。
Peirceは発現頻度主義者frequentist,ではあったが、彼の可能的世界意味論 possible world semanticsは、確率の仮説モデル理論 "propensity" theory of probabilityを導いたのであった、これは Karl Popper.[97]以前である。
Peirce (ときにJoseph Jastrow一緒に)は 実験的テーマ(つまり主題、課題)の統計的検定probability judgments を研究した。実験的心理学experimental psychology や(後年呼ばれるところの)ベーズ統計学Bayesian statistics.[2]といった主観主義的確率論 subjective probabilitiesの"おそらく最初の"提唱者である 。
Peirceは統計学の確立者founders of statisticsのひとりである。彼は(科学論理の図解)"Illustrations of the Logic of Science" (1877–1878) and (1883)および(確率的推論の理論)"A Theory of Probable Inference"で現代確率論を数式化したのである。
(繰り返し測定設計)repeated measures design,をもって、Charles Sanders Peirce と Joseph Jastrowは目隠し、制御ランダム化試験blinded, controlled randomized experimentsを導入した(Hacking 1990:205)[1] (before Ronald A. Fisher)。[2]
彼は重力場での実験のための最適設計optimal designを発明した、そこでは彼は手段"corrected the means"を修正したのである。
Peirceは相関correlation と平滑化 smoothingを使ったのである。彼の父Benjamin Peirceによる異常値outliersに関する業績をひろげた。[2]
彼は「確信」"confidence"と「尤もらしさ」"likelihood"の術語を導入した(これは Jerzy Neyman および Fisherより以前である)。( Stephen Stiglerの歴史的著書とIan Hacking 1990.[1]をみよ)
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