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朝日記121105 徒然こと集「共通1次」を読書すること(国語はおもしろい)

2021-11-05 21:56:01 | 自分史

 

 朝日記121105 徒然こと集「共通1次」を読書すること(国語はおもしろい)

 

~~~~(御参考 関連朝日記の目次は以下です; )~~~~

朝日記210611   Asanikki essays,Yasumasa Arai and Sumika Tachibana, Reader"s Index to.

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Shorter Communication

 

 

国語の試験問題を読む

「共通1次」を読書すること(国語はおもしろい)

Why Not Enjoy the Literature Exams?

 

荒井康全2021/10/27

                    

Outlines: He has constantly payed his focus on yearly unified nation-wide exams for university entrance qualification.  This is a collect of this author’s short essays to commentaries on the problem issues, particularly with respect to the examination session of  Japanese con-temporal literature writings as  materials.

keywords:  commentary.  con-temporal literature,  Japanese, university exam, problem material

 

概要;筆者はほぼ各年に大学共通一次試験の国語科の課題文に焦点をあて、感想を記してきた。[1]これをあらためて、集合としてみると現代社会がかかえる本質問題としての視点のスペクトルがあきらかに浮上しているようでもあり、時代のエヴィデンスをみることになるようにも思える。一方、筆者は国語科目が各人の本質思考への素養への啓蒙・啓発性に基本であるとするも、何故か、その逆になってしまっていることに危惧しているひとりである。

キーワード:現代文、本質問題、時代エヴィデンス、啓蒙素養

はじめに

試験というのは、自分が受けるのでなければ気が楽なものです。問題を解くとなるとこれはまた別の問題で、たぶん剣術とおなじで試合に向けた鍛錬がないと多分だめであろうと思います。 限られた時間内で処理する集中力が鈍ってしまっているからです。入学試験は人間の知への鍛錬からの力量を競う戦場であります。 ひとの将来への門戸をきめる神聖さに対しては、余人は深い敬意と成功への祈りさえ共有していると思います。 余人にとって、受験者との個人的な関わりがそのときどきになくてさえ、そこで何が問われているかを知ることは、その公正・適正さを支える基盤にはなっていると思います。 入学試験問題は、見方を代えれば、その時代での人類社会知のすべての切り口の集合体でもあろうかと、言えます。 そういう知的な塊として、余人が、読書と同じように、スクーリングを受けると同じ次元でみると、あたらしい価値が生まれてくるような感情があります。それによっての、知的な刺激がある。きっと余人にもおおくのことを語ってくれる教材とみることもできるなあと素朴に感じています。 そういうおもいもあって、1980年ごろから、毎年この時期の新聞の朝刊を開くのがたのしみとなっています。 そして自分なりの切り口をどこに求めたかといえば、当面とはいってもすでに長くなっていますが、不得意な国語科でした。 それはなぜかを考えるのが課題動機です。 筆者個人にとって、それぞれの設問において、題材の文がおもしろく、また読む者へのものの本質思考への啓蒙・啓発性があるのに、何故に、その逆になってむしろ非啓蒙・非啓発的とさえなってしまっているのではないか危惧しているひとりである。

 それは個々の設問を入ると、思考することへの新鮮さが消えてしまうか、ときには単に回答者の注意力を貶める’ひっかける‘設問でさえ満たされる。そこでは、反射中枢系の判断が優勢に占め、本質的な意味を感じ、考えを促す大脳系の判断ことが少ない。 また、内容の理解を助ける手段としての文章構文などについての形式的理解は大事ではあるが、これも注意力を貶める問に偏ってしてしまっていている。結果として、国語コンプレクスのまま、心理的には忌避感を抱かしめるのではないかと、不思議な世界を眺める思いであります。されば、如何にするかとなりますが、筆者はこれを共通課題として、世にコミットする昂揚感は目下ありません。 ただそういう問題意識を意識の片隅において、市井の一個人として、読書源としてこれをありがたく享受し、常日頃の自分自身の固有の課題への啓発意識現象とし、捉え考えてみようと思っています。そういう意味での日記的な記録を「徒然こと」と題して記述しています。

 さて2016年から6年が経過した。筆者はほぼ各年に課題文に焦点をあて、感想を記してきた。この感想をあらためて、集合としてみると現代社会がかかえる本質問題としての視点のスペクトルがあきらかに浮上しているようでもあり、時代のエヴィデンスをみることになるようにも思える。また素朴に興味ある読み物でもある。人形や妖怪のキャラクター化など虚構言述的な現代分析哲学からの中心話題の色彩が濃いと受け止めた。一方個人的にはレジリエンス、エントロピーや非平衡など物理学系の現代非線形・非平衡熱力学からの社会科学的発想刺激的な内容のものが比較的多いことに出題の傾向を覗き見るおもいがあるが受験生はあまり当てにはしないでほしい。

 

目次

  1. 徒然ことその1 (2018年)「共通1次試験の問題を読むこと」[2]
  2. 徒然ことその2 (2017年)「『怪獣ゴレム』」[3]
  3. 徒然ことその3 (2016年)「『キャラ化する/される子供たち』を読むこと」[4]
  4. 徒然ことその4 「(2020年) ことしの国語問題を読むこと」[5]

4.1朝日記200229 徒然こと  レジリエンスについて(2020年の大学入試センター試験国語問題から)[6]

4.2朝日記200229 徒然こと 「動的平衡とエントロピー」今年の都立高校入試の国語問題から[7]

4.3朝日記200229 徒然こと 機会均等と自由意志そして個人について」2020年の東大入試の国語問題から[8]

 

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[1]  朝日記180121 表紙と目次偶感「共通1次」を読書すること(国語はおもしろい)追加版2020・3・2版

https://blog.goo.ne.jp/gooararai/e/e73c348b7a4128ecb4f00445189eb2e3

 

[2] その1へ(国語はおもしろい)

[3] http://blog.goo.ne.jp/gooararai/e/442ca18d560c1452284613c25aa811c2/

[4]  http://blog.goo.ne.jp/gooararai/e/f569e2c64eb53251ca6b599a9838e2af

[5] 朝日記200229 ことしの国語問題を読むこと

https://blog.goo.ne.jp/gooararai/e/9503cf0297e8fbb2c3ad2fd3916f4c17

[6]朝日記200229 徒然こと  レジリエンスについて(2020年の大学入試センター試験国語問題から)

[7] 朝日記200229 徒然こと 「動的平衡とエントロピー」今年の都立高校入試の国語問題から

[8] 朝日記200229 徒然こと 2020年の東大入試の国語問題から「機会均等と自由意志そして個人について」


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