Yassie Araiのメッセージ

ときどきの自分のエッセイを載せます

朝日記150816 戦後70年安倍首相の談話についてときょうの絵

2015-08-16 00:37:49 | 政治

 

朝日記150816 戦後70年安倍首相の談話についてときょうの絵

みなさん、こんにちは。
きょうは終戦70周年です。
我が家はこの日は水団を食します。
ソーダ水をのむ少女

きのうから今日にかけて安部総理の談話を読みました。
それで 自分のなかでの印象をしずかにまとめようとしています。基本的にはわが畏友・安部忠彦さんのおもいと近いものがあります。この朝日記は、自分の思考のながれを正直に表現する自由をもっていることが、これはすばらしいことであるとおもいます。

戦後70年 安倍首相談話の全文(国語文)とStatement by Prime Ministere Shinzo Abe(政府発表)を日経紙一面の掲載とゆっくり取り組むことにしました。
もうひとつの 参考はひごろワシントンポスト紙からのopinionを追っているので ここにあらわれる反応を直接チェックすることにしました。

太極拳をするひと 1

 

徒然こと 0
* 日本の近代化の宿命、誤った選択と戦争、反省からの70年、これからの決意にわたり、過不足ない内容であると評価します。したがって総じて、これにて 謝罪の繰り返しは区切りをつけた形になると思います。

*先に「21世紀構想懇談会」からの答申が公表され、その内容背景を踏まえて、首相がみずからの終戦70年の見解をのべたことになります。

*ただし、日本がなぜ誤った道に行かざるを得なかったのか、その選択の可能性についての反省は本質的になされていない。本来 この辺をもっと正直に、誠実に(つまりhonest)に掘り下げていないと 我々自身も独立近代国の民として 主体性のなさに浮遊し、いつまでたっても哲学のない民として信頼に欠けることになるのではないかとあらてめて懸念します。

*読んでいて 日本の過去の反省が今の中国の覇権的なうごきへのつよい警鐘に響いてくるのが不思議な感じがしました。また、韓国については、ほとんど関心を示していない。我が国のそういう地政学的な感情気配を感じます。
*欧米が総じて好意に評価していることで、私は安倍総理は風をとらえるとおもいます。
*むしろ、日本が「禊」をすませたとして 頭がめでたく、過去への思考停止をおこすことを警鐘しておきたいとおもいます。
~~~~

ワシントンポストで以下の3つをひろいました;

*日本のリーダーのさきの大戦の謝罪を述べる
Japan’s leader stops short of WWII apology

https://www.washingtonpost.com/world/abe-offers-condolences-as-anniversary-of-world-war-ii-surrender-nears/2015/08/14/30489c66-4030-11e5-b2c4-af4c6183b8b4_story.html?wpmm=1&wpisrc=nl_evening


安倍総理の談話の要点を好意的に紹介しています。公開討論で、一般から日本式の英語でわかりにくい。だれか英語にしてくれないかという意見が印象的です。

*ドイツは先の大戦の反省は受け入れられ、日本はそうでもないこと。
Germany won respect by addressing its World War II crimes. Japan, not so much.
https://www.washingtonpost.com/news/worldviews/wp/2015/08/13/germany-won-respect-by-addressing-its-world-war-ii-crimes-japan-not-so-much/

背景が異なるという説明の仕方をしている。ただし一つ違うのは近隣国との付き合い方が違うとしている。
Neighbours by calling things their name. ということをドイツのメルケル首相が安倍総理にアドバイスしたらしい。
「名前を正しくよびあえる隣人」ということでしょうか論語から来ているらしいです。要は、相手の目をみてひとつひとつ丁寧に対応することのようです。
多層的な信頼関係をつくることであろうと思いますが、相手におもねることは軽蔑されますね。

*天皇は安倍政権が平和主義からのかい離を懸念されていることを、王室らしい気品ある態度で批判を出している;
Emperor offers a regal critique of Japan’s drift away from pacifism

https://www.washingtonpost.com/world/asia_pacific/a-subtle-voice-of-world-war-ii-remorse-in-japan-the-emperor/2015/08/11/1f2cd402-3fb2-11e5-b2c4-af4c6183b8b4_story.html

天皇の年頭声明や戦場になった国への訪問など、海外からは具体的で説得力をもっていると評価がおおきい。米連邦財務長官のように、表現のわずかなニュアンスに自らの影響力があるとして注視されている。nighbours  by calling things their nameという意味にもっとも近いことを為されていることに気づきます。


*談話を国文を読んで、日本人としてすらすらわかってしまうことに実は問題がありそうです。それは、英文にするとどうしてもはっきりしないことがあることでわかるからです。その辺が、なんであるか、われわれ自身の問題として しずかに顧みることがこれから求められてよいとおもいました。

太極拳をするひと 2



徒然こと1(安部総理の談話から)
英文から入ってみました;ごく平均的な読者として、彼の説明で なにを感じるかを自分に問うことにしました。
全体としては、とくに形式的には 完璧のものであるとおもいました。
なぜ我が国が近代化の途を選んだか。その過程で独立国として西洋列強と同じ土俵に立たざるを得ないこと。
日露戦争が非西洋国におおきな希望を与えたこと。
第一次大戦が、植民地支配終了、と不戦条約という新しい世界価値を生んだが、日本は、その価値を共有する道筋をとることに失敗したこと。 
世界恐慌と経済ブロックからの競合で、結局日本は、現存の世界秩序に挑戦する道を選んでしまったこと。
ここまで談話は一挙に進みます。
 (不思議なことに、日本の1930年代のこの流れの談話は、いまの中国への警告と思わせるものでありました)
談話は、そのあとの日本の「悔悟」repenteringや(痛切な反省)remorse ということばで、我が国の国民、および近隣諸国の国民への言い尽くせな苦痛をもたらしたこと、POWへの不当な扱いなどに触れます。
 そして 後半は、これらに対する責任は、未来にわたって引き受けていくものの、次の世代に、ただ謝り続けることを運命づけることは、暗に理性的でないことを表現されます。
多分このところが 今後の談話の評価を分けるところかもしれません。
そして、最終部分は、再び 経済の自由化を標ぼうし、紛争の萌芽となる閉鎖的なブロックをなくすべく力を尽くすことへのと進みます。
(ここでも 新しい世界秩序の挑戦者に対してきびしく警鐘を与えているところが注目されます)

徒然こと2 (国文と英文の違いで結構大切な部分について)
「力の行使だけではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも硬く守り、世界の国々にも働きかけてまいります」
"Upon,this reflection, Japan will continue to firmly uphold the principle that any disputes must be settled peacefully and diplomatically based on the respect for the rule of law and not through the use of force, and reach out to other countries in the world to do the same"
くどくど並べましたが、このなかの
国文では、「世界の国々にも働きかけてまいります」とさらっとしていますが、英文はどうでしょうか?
"to other countries in the world to do the same"の部分です。
大学の英語の入学試験問題と同じになりますが、the sameをfullに埋めると、如何になります;

"to other countries in the world to do the same(; to firmly uphold the principle that any disputes must be settle d peacefully and diplomatically based on the respect for the rule of law and not through the use of force.)"
つまり、曾ての日本のように力で解決を図る国に対しては、別な対抗手段を用いることの正当性をここで主張していることにならないでしょうか。
(私の感想ですが、この談話は英語の方がさきにできているような気がしますが・・・)


徒然こと 2 (責任と罪に関連して)
"We must not let our children, grandchildren, and even further generation to come,who have nothing to do with that war, be predestined to apologize.Still even so,..."
「あの戦争に」は何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、・・・」
*この部分は、国文と英文では完全に一致するとみます。
なぜこれをあえて、あげたかというと、このところは、もう少し、本質に立ち入っておかいないと、情意だけでおわり、なにを言いたいのか、内容的に先に繋がらない懸念を持ちます。つまり文章の形式(現象的な規範的判断力)に訴えても、理性に立ち返っての意味(理念としての反省的判断力)が見出せない。
*方向性を責任をもつ倫理と結果に責任を持つ倫理といったのはマックス・ヴェーバーですが、(未来への)責任と(過去に対する)責任について「われわれ」がどう考えるかという問題です。相続放棄のできない相続問題と同じで、これからの世代のひとたちも、未来にたいして方向性と結果に対する責任とも逃れることはできないはずです。その辺の詰めがあまいとみます。したがって説得力がとぼしい。

徒然こと 3.(「われわれ」と「私」)
 外資系のコンピュータ企業のトップをなられ、ミネソタ州の日米協会に顧問をしているウィスコンシン大の同窓の山下宏さんからの話ですが、一番、印象に残ったのは、外資系の企業ではたらくときに一番に、当初困惑したのは、”I"と”We"の峻別に厳しいことであるというものでした。これは、だれが責任の主体であるかの問題です。そういう意味では私が上で使った「われわれ」と「私」の使い分けが、非常にあいまいです。
*具体的にあげると以下です;出てくる主語は当然ながら、”Japan”、"We","I"です。

一番多いのは、大体 "We"です。
文頭に、"We mustlearn from the lessons of history..."ではじまり、説明の区切りに以下のような一行加えています;
"And, seventy years ago, Japan was defeated."
"We must never again repeat the devastation ofwar."
"Thus,we must take to heart this following."
"That is what we must turn our thoughts to reflect upon."
後半になると、Weは頻繁になります。
”We must pass this down ..."
”We engrave in our hearts..."
”We are determined to create such a Japan with the Japanese people,"
また、"I"は、見る限り4か所で、以下の人間としての態度表現です;
"On the 70th anniversary of the end of the war, I bow my head deeply before the souls.... Iexpress my feelings of profound grief and ..."

"When I squarely contemplate this obvious fact, even now, I find myself speechless...."

*タイトルが”Statement by Prime Minister Shinzo Abe"(政府発表)で、ご本人が最高責任者ですから国の責任を背負って、全部 "We"でもよいとはおもいますが、一方で総理大臣個人に特定しての職責を離れても残る責任もあるのではないかと考えます。 そういう意味では”I"が極端にすくない。これが外国人には、理解しにくいところではないかと思ってみます。 
国という組織の長としての規範を示すことはできても、責任者としての人間とての思考、責任への態度が見えてこない。
*刑法では、個人のみが訴追をうける原則であるといいます。 近代社会ですから役割りの分担とそれにともなう責任は、その任にあたる個人です。これが曖昧であるとことが 「日本人12歳説」と評されたことでした。 「全員責任と反省」というのは、法的には成り立たないと理解しています。

*ところで、国文のほうになると もはや主語そのものが希少になります。それでも、日本人なら情緒的にわかってしまう。もっとも最後に「私たちは」が三度繰り返され強調的に使われています。
主語の使い方が、英文でみるとstrangeであるが、国文では するするとわかってしまうのが不思議です。今回の談話で安倍総理に、そこまで追求するのは、酷ですが、日本の文化を考える上で、本質的な問題を含んでいるとおもい述べました。

この種の文章について文体に、国際的な慣用があるのかもしれませんが、無知を承知で、「私」はあえて取り上げました。
徒然ことおわり
ながながお付き合いありがとうござました。
広い意味での制度などのあり方(機能と条件)には mission, vision, and opinionが必要であることが、あらためて重要であることを再確認するものであります。

聖観音(瑞巌寺)





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Unknown (あらいやすまさ)
2015-08-17 11:00:12
、友人のT]さんからのコメントです。
安倍)首相の談話をわかり易い様に、紐解いて下さり、ありがとうございます。全く政治音痴の私にとっては、多いに助かりました。荒井さんの、頭の良さには、ついていけない事が多々有りますが、線画の美しさに、心がゆたかになり、癒されます。感謝です。
T
返信する
Unknown (あらいやすまさ)
2015-08-19 20:01:17
以下は尊敬する友人YKさんからの返信(2015・8・19)です。chronicler's messageとして掲載いたします;
~~~~
ご無沙汰申し上げております。
いつも楽しい朝日記を拝読させていただきながら、
返信をと考えつつも雑事に追われることを言い訳に
なかなかできず申しわけございません。

久し振りに、今回は私の考え方・思いとのこともあって
簡略に書かせていただきます。

普段よりご尊敬申し上げている(arai)教授のその都度の適切なコメントは
私にとってある別な意味で貴重な研究資料・情報提供と感謝しています。
お互いに時間が許されるなら少しゆっくり拝聴させていただきたいと考えて
います。(月曜日は大学が休みで比較的スケジュールに余裕があります。
木・金は早朝から深夜まで不在となります)

本題に戻り、戦後70年安倍談話に関して簡略に申しあげます。
私も海外のメディアを拝見させていただいてはいますが、それに対して
コメントする力量もなく、また、我が国に対する各国個々の思いをわが方に
力での圧力や勝手な要望を寄せてくる国民性を憂慮しつつ、わが方の
為政者の弱さを痛感しています。

その前に、(arai)さまのプロフィールで、(arai)さまがご経験されたかなり重要と
私は思う「歌」(うたとでも表現したほうが適切かと思います)のことが漏れていると
考えます。私が(arai)さまと出会ったのはCANORAでありこのことは後で書かせていただきます。

徒然こと0にある、我が国が大戦に至らざるを得なかった事情について、全く同感です。
わたし自身は以前に書かせていただいたかもしれませんが、(arai)さまと同年代の「男」
教育を受けて参りました。しかし、出生以来高校まで北海道札幌に居住し、軍国主義といわれる
時代から一転して偏った民主化の教育を受け、個人的家庭環境も、国語の学校教官の一方で
剣道5段のことからか、軍事教練の教官として、学校のみならず家庭での男子教育にはことのほか
強烈なものがあったことを思い出します。

そのような中で、我が国が「誤った道」を選択せざるを得なかった、その歴史教育の弱さ、無さを
従来より感じてきました。(arai)さまの確実な考えは分りませんが、ここで表現された範囲での
ご理解は全く同感です。戦争という対立に中で、戦勝国と敗戦国しかも無条件降伏を強いられた?
我が国にとって、過去は全て「悪」とのすべての教育に疑義を感じています。
確かに、あれだけ徹底して軍事教育をしてきたわが父も、戦犯の疑いで拘留され、釈放されてからの
文部省の教育は一転、歴史教育が全く変わってしまったと感じています。

天皇に関して云々しませんが、現在の天皇・皇后が、体調も完全ではないにも関わらず、
終戦記念日をはじめ、世界各地に依然として残る遺骨や墓地を訪問され、
心から参拝され、また、災害も併せて国民の気持ちをなんとかして和らげたい
平和を維持したいとの行事参加に敬意を表します。

確かに我が国は未来永劫全世界に謝罪しなければならないのでしょうか?
子々孫々まで国民が負い目をもって世界と付き合わなければならないのでしょうか?
歴史教育を含め教育全般にもう少し日本を大事にしてほしいと考えます。

日本語を正しく話し、書き、読めないようにしてしまった国語教育をそのままに、
英語教育に力を注ぐ為政者を疑いたいと思っています。国際的になったと言えば
それはそれで決して否定はしません。しかし歴史教育と同様まずは国語正しく教育
する事こそ重要だと思っています。

長々と雑感を書き貴重なお時間を邪魔してしまいましたのでこの辺で一旦やめることにします。
ところで今年12月13日(日)わが混声合唱団CASNORAは、≪ヘンデル≫「メサイア」全曲の
演奏会を午後2時から町田市民ホールで公演します。昨年はメサイアの一部をアンサンブルと
共に演奏しましたが、ことしは全曲を、アンサンブルからオーケストラに編成して行います。
私の代表も年齢を考え今回が最後かと考えつつ練習に励んでいます。因みに、10年前
やはり、メサイアの全曲を町フィルと演奏していますが、そのプログラムを見つけ、その中に
テノールの名簿一番に「(実名)」と書かれています。そのうち残っているのはごくわずかですが
出来ればお時間をおつくり戴いてご来場いただければと今から予告ご案内させていただきます。

まだまだ暑さの残る毎日ですがご健康にはくれぐれもご留意いただき一層のご活躍を祈ります。
YK

返信する
関口 益照氏からのコメント (あらいやすまさ)
2015-08-22 13:37:42

関口 益照氏からのコメント(8月20日 20:13総理facebook)を掲載いたします。;

貴方のご意見を拝見して、敗戦後の日本の良識人といわれる方々に共通する「偏見」を感じざるを得ません。 それは一言で申し上げれば、日本占領中の7年間に戦勝国(特に英米・・米英ではありません)によって行われた徹底した焚書坑儒と日本軍国主義悪玉論が暗黙の前提となっていることです。 このことは、日本人はもとより洗脳者側の英米他戦勝国の国民も知らされていません。 http://byoshonikki.blogspot.jp/2015/08/blog-post_71.html しかし、ここ数年の間に戦後第2世代以降の聡明な若手学者や言論人の論説、また彼らが発掘した厳然たるエビデンスが、若い良心的日本人に共有されるにつれ殆どすべてが戦勝国の日本人洗脳計画とそれによって洗脳された団塊の世代を操る中韓両国や欧米選民主義者達のプロパガンダであることが常識になってしまいました。 安倍談話に欧米人が不満を持つのは、彼らと目覚めた日本人の双方を100%満足させる解はもはやあり得ないからです。 日本の軍国主義や帝国主義にまつわる根拠のない誹謗を繰り返す一方で、欧米が16世紀以来やってきた非白人諸民族に対する暴虐と収奪に口を拭っているのは不当だと言うのがいまや国民の多数意見になってしまったのです。 それは中韓政府以外の全ての旧植民地国民の共有する感情でもあります。 それでもなお融和を希求する大多数の国民を謂われなき原罪意識から開放し、欧米およびその虎の威を借る中韓政府への敵対心を抑えるには、今回の談話以上でも以下でもあり得なかったのです。 ありていに言えば、彼らの唱える虚構を虚構と承知の上であえて明確に否定もせず肯定もしないという立場です。 最後に一言申し上げたいのは、この文章は西洋人には理解できないという評価基準そのものに貴方の西洋偏重思考を感じます。 I とWe の使い方がどうのと言って居られますが、日本人にとっては決定的に重要な使い分けでそうしなければ日本人の感性にすとんと来ないからそうしているのですから、西洋言語にそういった価値観や世界観がないなら、教えてあげればよいのです。 彼らの言語や文化の制約を無条件に受け入れる精神構造は、新渡戸稲造や内村鑑三、鈴木大拙、植芝盛平らの努力を無にするものと言わざるを得ません。
返信する
Sekiguchiさんからとの交信から (あらいやすまさ2015年8月21日 10:15)
2015-08-22 14:43:24

安倍総理のブログを通じてSekiguchiさんとの交流が始まりました。以下はその写しです:

(Sekiguchi)様、貴重なコメントをいただきありがとうございました。
なにかを考えるときに、そのコンテキストをなにから選らんでもよいのですが、わたくしは、西洋哲学をひとまず選びました。 そこに自分の考えを展開してみます。
それは、日本での価値の大転換があった終戦が 小学生であったことによります。 あのときの解放感が、根底にあります。 ものごとへの絶対性に対する基本的な懐疑の世代でもありました。
わたくしは、その国の民が生きていくためには、基本的にそのmission,concept, およびvisionが世界に向けて明示されていることが必要であるとおもいます。その意味で、思考土俵としてカレンシーのつよいものを選びます。
 (Sekiguchi)さんのご指摘の部分は、missionの部分が戦勝側の「洗脳」によって、自律思考をうしなってしまったというところであろうかと、おもいます。 安倍首相の談話については、日本の良心を彼のことばで語った、それは説得力のあるものであったとわたくしは、評価します。しかし、そのあとにのこる重要ななにか、それはみずからの知性からうみだされたmissionの欠如であるかなあとおもいました。これをあらためて 問うことは時代的命題です。哲学の時代ともいえます。
一方、conceptとvisionは 、国際社会の多元的な場で プラグマティックに、明示的に意志表示をしていくことが必要であるとおもいます。
異論があるかもしれませんが、戦争にまけるということは、戦勝側の価値体系に属することであるとおもいます。
そのなかで、みずからの民族の尊厳を見出していく地道な努力をしていくのが一番と考えています。
 勉強します。ありがとうございました。
~~~~

(Sekiguch氏よりあらいへの返信2015年8月21日 17:55)

ご丁寧なコメント有難うございます。5年前にこの日記を始めたときは、こんなに世相論ばかり書くつもりは無く、人生の最終章に相応しい自己観照に徹するつもりでした。
しかし、閉ざされた言語空間の後遺症とそれに便乗した内外のプロパガンダが目に余るようになる一方、それらに対する対抗策ばかり強調する自称保守政治家や言論人の百家争鳴にもうんざりしていましたので、その先のことを指摘された貴殿のコメントには我が意を得たりの感がしております。
しかし、日本の政治家個人に、世界観や大思想を語れというのは個々の政治家個人の資質に寄らず無理難題だろうと思っています。
また、左右を問わず、殆どの日本人が敗戦という決定的事実がもたらす運命と桎梏を正しく理解していないというご指摘にもまったく同感です。
そうしたありとあらゆる制約の中で、国家としての日本の精神的自立を目指そうとしたぎりぎりの意思表示が安倍談話だと思っています。
あと十年、彼の後継者が日本の顔になってから、じっくり回顧録の執筆に取り掛かってくれることを期待しています。
http://byoshonikki.blogspot.jp/2015/05/blog-post_11.html

返信する
YK氏への返書として (あらいやすまさ)
2015-08-23 18:08:08
YKさま
 残暑お見舞いもうしあげます。
早速のメール、ありがとうございました。

*勝手な「徒然こと」を見てくださり、うれしいです。
相変わらずのカントですが、「システム思考による目的論理」として
続けています。総合知学会という小さな学会ですこしずつまとめて
エッセイをもとに話しています。
*いま、スタンフォード大学のStanford Encyclopedia of Philosophyの
ネットに はまっています。
アメリカの哲学の状況はまことに活発で、きちんと最近の学問を
レビューして、哲学思考への還元と発展をしているので
たいへん、面白いです。
*わたくしの触っている項目は、以下です。
Scientific Objectivity
Plurality
Incommesurability
Institution and Agency
Evolutional Epistemology
Entropy,Function,and Evolution
これで、この夏は扇風機をまわし、麦茶をのんで
たのしんでいます。

*Washingtonポストの配信はOpinionのところですが
このところ日本がひとつの話題の核になっています。
大統領候補も日米同盟、中国問題、経済同盟などに比重をおいて
きています。
ここの公開討論にも結局目を通したことになります。
*いま脳裡にあるのは  Mission, Vision,and Opinionの三つです。
日本人が、なにをもってこの世界にいきていくかという
法源についてのみずからの問いかけがないことに、あらためて気づきます。
私は、科学技術というきわめてPragmatismの世界に職業として身をおいて
きましたので特にそう感じるのでしょうか。

*CANORAを、お世話され、誠に
敬服もうしあげます。
メサイア全曲のご公演の由、おめでとうございます。
YKさまの12月公演をおもい、さすがに郷愁を感じます。

橋爪さんの「旧約聖書を読む」は昨年区切りでしたが、
詩篇などで メサイヤへの淵源を感じたし、
ふとその一節をひとりごとで語ったりすることが
ありました。

*絵は、町田版画美術館で毎月クロッキーに通っています。
ときどき日本画の弟と写生にでて、みてもらい、おだてられて自由に描いています。
おもうに、こういうのは、声楽を学んでいたこと、Messiahの合唱に
精をだしたあのようなことが内的な自由エネルギーを
高めてくれているかもしれません。
また、継続的な思考への集中力を上げてくれるのに不思議に
おもっています。 術後の経過観察の方はつづいています。
歌も歌えず、また懐は貧しいですが、
であるからこういうつぎなることに自分を
向かわしめ、自分の時間を投入できることに感謝しています。
(眼だけでも音符がおえるのだなあと思い起こしています。)
そうですね、ブログでの自己紹介に音楽歴をいれます。

*今月26日(水)から30日(日)は町田美術協会の
公募展「市展」があります。
入選展示されるかどうかわかりませんが、
50号のオイルパステル画「箱根(稽古場)の風景」で
応募しています。これはおもしろい作品であると思っています。

*涼しくなったら、YKさまの空いている月曜日にでも ゆっくりお話を
御伺いしたいですね

なお、あついですから、水分を十分におとりなされ、夏を越されますよう。
arai


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