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朝日記240325 3.(その5)汎心論 Panpsychismについて 報文XVII(その5)

2024-03-25 13:57:28 | 自分史

朝日記240325 3.(表紙その1)汎心論Panpsychismについて 報文XVII(表紙その1)

朝日記240325 3.(その5)汎心論 Panpsychismについて 報文XVII(その5)

 

7.議論各論Arguments for

意識の固い問題 Hard problem of consciousness

解について Solutions

こころ-体問題 Mind-body problem

 

意識の固い問題 Hard problem of consciousness

しかし、consciousness意識が何であるか、われわれは知らない:そして神経膜をざわざわさせた結果として意識のひとつの状態として顕著なる何かがやって来ること、それが如何なるものであるかは、ちょうどAladdinアラジンがランプを擦るとDjin巨人があらわれるような勘定合わせようのないようなもの、もしくは超自然極致である。 

— Thomas Henry Huxley (1896)

 

主題:意識の固い問題 Main article: Hard problem of consciousness

それは人間の脳への何かに似た明証的な感覚である。[75]  これは、この世界でのものごとが特定の道すじで組織化されたときに、それらが、ある経験を持ち始めるということを意味する。この物質的構造が何故そして如何に経験をもつか、そしてなぜそれが、別の経験ではなくその特定の経験を持つかの設問が hard problem of consciousness.[6]  「意識の固い問題」として知られている。 この術語はChalmersに帰属する。

彼は論議する、「感受的および認知的帰納のすべてが、意識のその近傍にあって、それらが」を勘定にいれた後にでさえ、「依然としてさらなる未解答の質問を残しているようである」ということについてである。

Chalmeresは「意識の固い問題」をその名称のとおりの名前を与えたのであるが、類似の視点は歴史的にはすでにわらわれていた。Isaac Newton,[77]  John Locke,[78]  Gottfried Leibniz,[79]  John Stuart Mill,[80]  Thomas Henry Huxley,[81]  Wilhelm Wundt,[4] 彼らすべては第三者のこころと物質の機能的記述と第一者意識経験との間の見かけ上の不整合性にあることを書いている。

同様に、 Dharmakirti および Guifeng Zongmiなどアジアの哲学者はconsciousness意識がunconscious matter無意識な事物から如何に起きるかの問題を論議した。[82][83][84][85] 

同様の感性が哲学的考察を通じてつまびらかにおこなわれた、それは the problem of other minds他のこころの問題、 solipsism自己単独主義、 the explanatory gap説明ギャップ、philosophical zombies哲学的ゾンビそしてそして Mary's roomMaryの部屋である。これらの問題はChalmersをして汎心論を固い問題[74][9][86]への有効なる解を考せしめるに至ったのであった。[74]

Brian Jonathan Garrettは固い問題をvitalismと比較したのである,vitalismは生命は説明できないもの、そしてある活きた生命力が存在するときのみ理解されうるといった現今では信任されない仮説である。

彼は、目下の時点で、意識とその進化源が生命として理解されるべきという見解を保っている。[87]

 

Daniel Dennettはこの「意識の固い問題」に肩すぼめポーズの"hunch"と呼んでいて、意識経験は通常の理解されているのように、単なる複雑な認知的 illusion.[88][89]幻想であると主張している。

Patricia Churchland, eliminative materialistもまた、哲学者はさらに忍耐つよくあるべきだと主張する;神経科学はまだ初期段階にあるのでChalmersの固い問題は早熟問題であるとしている。さらに脳について学習することから明確になるのであり、それは形而上学的論述を絡めるべきないとしている。[90][91]

 

解について Solutions

The Conscious Mind (1996)では、Chalmersは「意識の固い問題」がなぜ難しいのかに焦点をあてた。

彼が結論したのは、意識は下位水準の物理的法則へはirreducible 帰納できないというものである、それは物理学の基本法則が下位水準への物理学的事実の帰納が働かないことがそれをまさに教えている。 したがって、意識はそれ自身の権利においてfundamental基本的なものとして採用されるべきであり、そしてそれとして研究されるべきである。リアリティの基本的特性が遍在的(小さい対象でさえ質量(質料)をもつ)であるようにまさに、意識もまた遍在的であるとするものである、彼はこれを公開問題として置くことを前提してはいるがではある。[46] Mortal Questions (1979)死に関する質問群で、 Thomas Nagelは汎心論からの四つの前提からのつながりを論じた:[1][28]:181

  • P1: spiritual plane精神的な面はない、もしくはdisembodied soul;体をもたずに存在する霊魂でもない;存在するすべてのものはmaterial.物質である。
  • P2: 意識はlower-level physical properties低次元の物理的特性へ帰納できない
  • P3: 意識は存在する。
  • P4: 物質の高次元特性(つまり、 emergent properties発現特性)は原理的において最低限、それらの低次水準の特性に帰納されうる。

第一の前提が受けいれられるまえに、意識の可能な説明領域は十分開かれている。各前提は、もし受け入れるなら、可能性の範囲を狭くしている。

もしその議論が soundもっともらしく感じるのであるなら、最後の前提項によって汎心論が唯一の可能性として残る。

  • もし(P1) が真ならば、意識は存在しないか、物理的世界のなかで存在する。
  • もし (P2) が真ならば、意識は存在しないか、またはそれは(a)物質の別の特性として存在するか、(b)基本的に物質によってentailed引き継がれる。
  • もし(P3) が真ならば、意識は存在するそしてそれは(a)物質の所有の特性か、(b)脳の物質によって合成されたものであるが、それによる論理的な継承はない。
  • If (P4)が真ならば、(b)は誤りであり、意識は物質それ自身のunique特有特性であらねばならない。

したがって、もし上の四つすべてが真ならば、意識は物質自身の特有な特性であり、そして汎心論は真である。[28]:187[4]

 

8.  さらなる情報;ころろ―体問題 Further information: Mind–body problem

さらなる情報;ころろ―体問題 Further information:

物質の本質の問題 Problem of substance

量子力学 Quantum mechanics

Roger Penroseの言:

 

 

さらなる情報;ころろ―体問題

Further information: Mind–body problem

二元論はその問題を解けないものにしてしまう;

物質主義は研究するための現象の存在を否定し、

さらに如何なる問題の存在を否定することになる。

— John R. Searle, Consciousness and Language, p. 47

 

さらなる情報:こころ―体問題 

2015年にChalmersはmind-body problemこころ‐体問題に可能解を提案した。これはthesis, antithesis, and synthesis.[9] 正題、反題、および合成の論語形式をつうじてのものである。

このような論議のゴールは対立する議論の双方のための議論(the thesis正題 and 反題antithesis),となる、それらの功罪の重みづけ、およびそれらの調整となる(the synthesis合成)。

  1. Thesis正題:  materialism is true物質主義は真である; everything is fundamentally physical. すべてのものは基本的に物理的である。
  2. Antithesis反題: dualism is true,二元論は真である;not everything is fundamentally physic.すべののものが基本的に物理的ではありない。
  3. Synthesis合成: panpsychism is true.汎心論は真である。

 

(1) Chalmersの論議の中核は物理的世界での causal closure起因が閉じていることである。

 Newton's law of motionは現象を簡潔に説明する:すべての行動にたいして等しくそして反対の反応がある。

起因と結果がその対象プロセスである。意識は物理的世界での起因力を発揮する余地はない、意識自体が物理的ではないからである。

(2) 一方、もし意識が物理的世界から分離していたら、意識がその世界でいかなるcausal power起因力を発揮する余地もないことになる(哲学者がそう呼ぶところのepiphenomenalism随伴的現象主義のa state of affairs事態である。)もし意識がなんらcausal role起因の役割りをしないなら、Chalmersがこの論文をこのように書いていることさえ不鮮明となる。 他方で、意識は脳の物理的プロセスに対してirreducible 非帰納的である。

(3) Panpsychism汎心論はmaterialism物質主義のもつ利点をすべて所有する、それは意識が物理的であるということを意味しうるからである、一方epiphenomenalism随伴的現象主義が把握するものを逃すことになる。[1]

Chalmersが意識を狭めてRussellian monismにいたる論展開のあと、つぎの結論をふくむことになる、thoughts,思考、actions,行動、intentions意向、そしてemotions感情はまさにneurotransmitters神経伝達 neuronsニューロン細胞および glial cellsグリア細胞のquidditiesクイディティとなるというものである。[9]

 

物質の本質の問題 Problem of substance

「物理学は数学的である、それはわれわれが物理的世界についてそのように沢山知っているからではない、われわれはほとんど知らないのである;それはわれわれが発見した数学的特性だけである。それを除けば、残りはわれわれの知識は否定的である」

— Bertrand Russell, An Outline of Philosophy (1927) See also: Intrinsic and extrinsic properties

 

意識の問題を単に解く試み以上にRussellもまた物質の本質の問題を解こうと試みたのである、それは problem of infinite regress際限ない繰り返し再帰の問題形式の議論に入る問題である。[citation needed

(1)多くの科学がそうであるように、物理学は数学をとおして世界を記述するのである。[92]  他の科学がそうであるように物理学はSchopenhauerが数学に「基礎づけられた対象」とよんでいる何かあるものを記述する。

経済学はそこに位置付けた資源に基礎をおき、そしてpopulation dynamics人口動力学はそのpopulation人口内での個人的ひとびとに基礎をおきている。物理学が基礎になっている対象はしかしながら、より多くの数学をとおしてのみ記述されうるのである。[93] Russellの言では、物理学は「しかるべき式がその変化の抽象的特性を与える」というこ との記述である。 「それが何を変えるのか、そしてそれが何から、そして何に変わるのか―これに対して物理学は沈黙する。」[48] 換言すると、物理学は物質の外的本質の特性を記述はするが、それらの基盤となっているその内的本質特性は記述しない。[94]

(2) Russellは、物理学は数学的であり、それは「それは、われわれが発見できる数学的特性でのみであるからである。 「これは定義によってほとんど真である;外的本質的な特性が外向きに観察性があって、それらはひとつだけ発見されるであろう。」[48] 「これはAlfred North Whiteheadが導いたのであるが、彼は内的本質特性が本質的には未知であるということを結論づけたのである。」[4]

(3) Consciousness意識性はこれらの物理の内的本質的特性と沢山の類似性をもつのである。 それもまた、ひとつの外側の見通しによる見解から直接観察できないのである。そしてそれはまた、たくさんの見通し見解からも直接観察されえないのである;想定するに、音楽はそれを聞く経験のあるゆえに鑑賞できるのであり、そして慢性の痛みは痛み経験があるゆえに避けられるのである。Russellは、consciousness意識はmatter物質のextrinsic properties外的本質特性に関係していなければならないという結論を出したのである。 彼はこれらのintrinsic properties 内的本質性の特性をquidditesクイディティと呼んだのである。 まさに外的本質性の物理的特性が構造を生むように、それにcorresponding対応し、かつidentical quiddites同定的クイディティが生まれるのである。意識的こころは、Russelが論議する、ひとつのそのような構造がある。[48] 汎心論の支持者は理性(理由付けに)のこの筋をつかう、これはChalmers, Annaka Harris,[95] そして Galen Strawsonも同様である。 Chalmersは論じる、物理学の外的本質性は内的本質性と対応性をもたなければならない[2]:さもないと宇宙は巨大な"a giant causal flux"起因的フラックスが関係する起因のために何ももたないからである、その起因とは論理的不可能であるとみなされる。 かれはその役目のための約束した候補として意識をみるのである。

Galen Strawson はRussellの汎心論を"realistic physicalism."現実的汎心論とよぶのである。

「経験的にあるものとして考えられた」そのようなものが物理的であるために何かを意味しているそれを特定的に考えるのであると論じた。  mass is energy質量はエネルギーであるというようにStrawsonは、consciousness意識はmatter物質(ものごと)においてこそ"just is"「まさしくある」と信じたのである。

 

Max Tegmarkは理論物理学者であり、かつその数学的宇宙仮説の創世者であるが、かれはこのような結論に了承しない。かれの勘定によれば、宇宙は数学によって記述されるものでは、なく、宇宙はまさに” is math”「数学である」;物理学を経済学や人口動力学との比較するdisanalogy相似性資格を所有していないと主張する。

 人口動力学は個人のひとに基礎をおいているが、これらの人たちは「純粋に数学的対象」として基礎をおいている、それはエネルギーや電荷とおなじである。宇宙は基礎的意味からは、何も出て来ない「意識の固い問題」と説く。[93]

 

 

量子力学 Quantum mechanics[edit]

2018年のインタビューで、Chalmersは量子力学を「こころの狂気からの特性の逃げ場をさがすためのマグネットと呼んだのである。[97] 観測(そして延長によって、意識)とwave-function collapse 波動関数崩壊の関係性はmeasurement problem測定問題として知られている。原子、フォートンなどは、それがある筋で計測されるまでは、quantum superposition量子重ね合わせ(謂わば、同時に沢山の見かけ上矛盾する状態と位置にある)の中にあるというように見えるものである。このプロセスはa wave-function collapse波動関数崩壊として知られている。

 

 Copenhagen interpretation of quantum mechanics(量子力学のコペンハーゲン解釈)、これはもっとも古い解釈のひとつであり、そしてもっとも乱暴な教え,[98][99]であるが、それは波動関数の衝突観測の行為である。 Erwin Schrödingerはよく知られたコペンハーゲン解釈として作為的に手順をすすめる思考実験での Schrödinger's catとして現在しられている奇妙な内容のものである。かれはひとつのボックスを考え、そのなかに一匹の猫、毒入りのフラスコ、放射性物質、それにGeiger counter.ガイガーカウンターを置いたのである。その装置はつぎのように働くようにした、ガイガーカウンターが放射性崩壊を測るときに、フラスコは破壊され、その猫を毒する。ガイガーカウンターが検出する放射性崩壊は量子的事態である;各崩壊は放射性物資の単分子の量子的状態の移行に対応するのである。Schrödingerの波動方程式によれば、それらが観測されるまでは、量子粒子は、放射性物質の原子を含んでいて、量子状態の重ねあわせ状態にある:放射性物質の各未測定の原子は崩壊されたのと、そして未崩壊のとの量子的重ね合わせ状態にある。このことは、そのボックスが封印さていてそしてその中が見えないようになっているが、ガイガーカウンターもまた、検出された崩壊と検出された未崩壊の状態の重ね合わせにある;毒薬もまた破壊された状態と未破壊の重ね合わせにあり、そしてその猫もまた死と生の重ね合わせにあるという意味になる。しかし、そのボックスが封印がとかれると、観察者は猫が死んでいるか生きているかが分かる;そこには状態の重ね合わせはもはやない。その猫はもはや重ね合わせ状態にはないので、放射性原子も(毒薬もまたガイガーカウンターも)重ね合わせ状態ではない。

かくしてSchrödingerの波動関数はもはや保持せず、そして原子を記述する波動関数は-そしてその状態の重ね合わせーは"collapsed"崩壊したという;その原子はいまはシングル状態にのみあり、それは観察された猫の状態に対応している。しかし観察者がボックスを開けるまでそしてそれによって波動関数が崩壊するまで、その猫は死んでいるのと生きているのと双方にある。このことは、John S. Bellのことばを借りれば、つぎの質問が起こる、「その観察者が始めたのと終わったのはどこの場所か」[100] 測定問題はおおきく特徴づけられ、それは古典物理と量子物理の衝突としてである。Bohmは論ずる、それはむしろ古典物理、量子物理、そして現象論との衝突である;記述の三つの水準すべてが調整不能であり、もしくは矛盾である。[24]  

量子力学に特定して参照しないにかかわらず、Chalmersはもしすべての理論がうまく発見されたら、それは"psychophysical laws"汎心論的セットであろうし、むしろ単純な物理法則のセットではないと記述した。Chalmersはそれらのインスピレーションとして、Bohm とPylkkänenのセットはかれらのPanprotopsychismでのセットを実施するものとしたのである。Chalmersは、かれはコペンハーゲン解釈と意識の量子論のほとんどに批判的であるが、つぎの法則を編み出した;"the Law of the Minimisation of Mystery."[76]「神秘の最小化法則」。

 

 

量子力学のコペンハーゲン解釈によれば、Schrödinger'の猫はともに死んでいて、かつ生きている、それはしかるべき道すじで観測か測定がなされるまでである。量子力学の世界大勢としての解釈では波動関数の崩壊を中心としての観察を取り上げない、なせならそれは崩壊が起きることを否定することになるからである。

世界大勢の解釈では、まさにその猫は死んでいてかつ生きている、観察者は死んだ猫を見み、そして生きている猫をみる。観測がこの場合中心的役割りを演じないにもかかわらず、観測についての質問はその議論をそのままに留まらせている。

 

 Roger Penroseの言:

わたしがわからないのは、意識的存在が線形的な重ね合わせでなかで沢山の状態があって、そのうちのひとつのみに気づかうことを求めることである。

意識について何がいえるかは、意識が死と生との線形結合で表現され、これは両方とも一緒におきているtantalising焦らしになるが、これを"aware"気付かうべきではないということを言っているのである。

わたしにとっては意識の理論はひとが実際に観測で見たものを二乗してながめることが必要ではないかとおもっている。 ChalmersはThe Conscious Mind (1996)で概論しているが汎心論を当面の解釈として信じている。

数学的節約性に奉仕して沢山の世界解釈に向って傾注していくのであるが、これまでに提案されているさまざまな汎心論者の property dualism[3]特性的二元論こそはPensoseが探している理論なのかもしれないと彼Chalmersは信じるのである。Chalmersはinformation情報というものは意識のいかなる理論において積分的役割りを演じると信じるのである、なぜならmindこころと brain脳は対応的な情報構造をもっているからである。

かれはcomputational nature of physics物理学の計算的性格をもって情報の中心的役割りのevidence証明を考える、そして情報は physically realised 物理的に現実化される、それと同時にphenomenally realised現象的に現実化されると示唆する。 その理論は汎心論を含む、そしてPenroseが持ち込んだ問題を解くのである。Chalmersの式化については、如何なる位置にある情報も現象的に現実化され、そこでは全体としての重ね合わせの情報状態はない。[86]  量子力学の汎神論者解釈はWhiteheadのような哲学者によって推進されてきた。[4]  Shan Gao,[101] Michael Lockwood,[4] そしてHoffmanは認知的科学者である。Protopanpsychist的解釈はBohm と Pylkkänen.[24]によって推進されてきた。 意識の量子論はまだ主流の関心には至っていない。

Tegmarkはニューロンのdecoherence量を"decoherence rates"形式的計算をしたが、脳は量子システムよりも古典システムであること、そして量子力学はいかなる基本的道すじでも意識に関係していないことを見出している。[103] 2007年にSteven Pinkerは意識の説明を考えるに量子物理を引き合いにだすことを批判して:「自分の耳には量子力学確信は奇妙weirdであり、そして意識確信もweird奇妙である、そうなると多分、量子力学が意識を説明することができるかもしれない」と発言した、これにStephen Hawking.[104][105]が共鳴した見解を持った。

2017年にPenroseはこれらの特性化を拒否した、合意しないのは量子力学の本質にもとづいてである。.[105]

 

 

[1]   感情、心情、道徳など思考システムのの高次の内容を意味する。(荒井}

[2] Alexius Meinongは、このextrinsicとintrinsicの特性としての完全対応性を拒否し、対象の外的存在性に対して内的非存在性をみとめる哲学を展開した。RusselとMeinongのこの論争は哲学史上 重要な事件であった。ここではこれ以上触れない。(荒井)

 

荒井康全、システム思考における目的論理構造と社会倫理について XI ~ アレキシウス・マイノングと「非存在性対象」を 考える意味と効用について~2020 総合知学会誌
On System Thinking, Teleological Structure and Social Morality XI ―Alexius Meinong and his Concept on Non-existent Object―05.Paper_Yasumasa-Arai.pdf (sougouchi.org)

[3] Property dualism - Wikipedia

Property dualism特性二元論はphilosophy of mind こころの哲学での位置づけの範疇を記述する、それはつぎのことを保持する;この世界はまさしく一種類のsubstance物質—the physical kind物理的種—から組み立てられておるにもかかわらず、ふたつの区別できる種類の特性が存在する:physical properties物理的特性と mental propertiesこころの特性である。換言すれば、それはすくなくとも、なにかnon-physical非物理的、mentalこころのproperties特性(thoughts,思考、imagination想像、そしてmemories記憶)がそこに存在、もしくは自然的にしてしかるべきphysical substances物理的物質(称して brains脳)の上に supervene到来している観方である。Substance dualism物質二元論は、一方、宇宙には基本的に異なる種の物質が存在しているという見方である;physical物理的(matter ものごと)および非物理的(mindこころ またはconsciousness意識),であり、そしてまた、双方とも必然的に二つの 特性をそれぞれ固有に引き継ぐ。Substance dualism物質二元論は、かくしてmind–body problem.こころ-体問題にたいして、よりsusceptible脆弱でもある。 物質および特性二元論とも reductive physicalism帰納的物理主義とは敵対的である。

(荒井訳)

 

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