夕暮れに近ずいていた。
ベットルームで休んでいた所に、
主人が入って来た。
その顔を一瞬見ただけで唯ならず予感がした。
"どうしたの"と聞いた。主人は、先ほど
胸が締め付けられるように痛んだと言っている。
こんな事は、一度もなかったのに。
一瞬、もしやあの噂に聞くハートアタックの
字が頭に閃いた。 私は、すぐに受話器をとり
いつものドクターへ電話をした。が出てこない。
娘に電話をして通話中の状態で見守らせ
車を飛ばして5分とない所にあるドクターの
クリニックへ直に聞きに行った。
ドクターは、即座に病院へ救急車で行くように促した。
又車を飛ばして帰って来るや否や、寝ていた主人を急かして
15分の近くの場所にある大学病院へ駆付けた。
主人は応急入院許可のドアを押すか押さないうちに又発作があった
とこぼした。受付でペーパーワークを急いで終らせ、2階の応急室へ
行ってテスト、テスト延々に続いた。30分置きに発作があり時には
激痛があった。私の素人の目には、これは深刻な心臓発作と感じた。
完璧にコントロール出来る部屋へ入り、それでも看護婦さんは一時間置きに
テストに入って来た。その看護婦さんが天から舞い降りた天使とも思える
程の気配りをして、主人の横のソファーに座っている私に少し離れた所の
待合室に小型ソファーベットを用意をしてくれた。
その夜は、8回の発作でその都度発作心電図をとり、ニトログリセリンを
舌にスプレーをして痛みを和らげた。その間、合計19回の発作を
記録した。丸三日目に心臓専門分野がある
10分離れた第二の大学病院へ救急車で移され、カテテールを使用して薬剤
溶出性ステント(DES)の手術をした。通常、当手術後48時間で退院との事で
あったが、経過が良いので24時間後、昨日5種類異なる薬をもらって退院した。
丸、4晩入院した事になる。
日頃、庭掃除、冬場は雪よけと活発な主人の一カ所の手術した冠動脈が85%が硬化で
手術しなかったもう一カ所が30%硬化していたとは少なからずのショックであった。
しかし、考えようでこの初めての発作も
なく、突然心臓マヒになってしまってからでは遅すぎる場合もあったろうと思えば
不幸中の幸であった
お返事が遅れて、大変失礼致しました。
退院後5種類の薬の一つ(Plavix)が身体中にアレルギー発疹を起こして、又病院へ診てもらいに行き直ちにTiclide(Apo-Ticlopidine)に替えるように言われて現在では発疹も収まりましたがこのTiclideは副作用2%の人が白血球が減少する恐れがあるため、今後3ヶ月は、2週間置きに血液検査を強いられました。Poloさんのアドバイスを守って食生活を新たに心筋症に良い調理を研究しようと思います。
私にとって意外な事は、バター脂物、クリーム
ベイコンは一切食膳には載せなかったし、朝はフルーツサラダヨーグルト等でした。それに毎年のコレストロールの血液検査には何も問題がなかった事でした。この病気は、突如としてやって来るのかそれとも遺伝性なのでしょうか。医師は、遺伝性にもちょっと触れていました。
30%の部分はそのままでした。
Poloさんのアドバイスを守り、頑張って行きたいと思います。
今後も、よろしくお願い致します。
ただ、生活習慣病ですから、血液をサラサラにするために、ビタミンEだけは補給するようにしましょう。PCで検索して研究してください。ストレス禁物、適度な運動、これまでにみな書きましたね。
これからは 一層料理に気をつけて厳重なダイエットが大切ですね。Poloさんのアドバイスを良く守ります。規則正しい日頃の生活を大切にして薄暗くならぬように少しはジョークの一つも飛ばすようになればと思っています。
お心掛けを頂いて、ありがとうございます。
今後も、よろしくお願い致します。