Charles-François Daubigny
(1817-1878)
ドービニーは川にㇽ・ボタン号という舟(兼アトリエ)を浮かべて絵を描いた。
Charles-François Daubigny
(1817-1878)
ドービニーは川にㇽ・ボタン号という舟(兼アトリエ)を浮かべて絵を描いた。
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既に10歳頃から絵が好きで、絵を見れば手当たり次第模写したと、後年芳翠は回想している。
山本芳翠(やまもと ほうすい、1850年 - 1906年)は、明治時代の日本の洋画家
フランスのエコール・デ・ボザールでジェロームに絵画技法を学ぶ。
芳翠の下宿に行ってご馳走になった日本人の中に黒田清輝もそうした一人だったが、
芳翠は黒田に画家になるよう強く勧め、法律家志望の黒田を洋画家へ転向させる。
1887年に帰国した際、当時日本海軍がフランスに注文し、日本に回航する予定だった巡洋艦に
渡欧中に制作した作品が積載された。しかし同艦は南シナ海で原因不明の消失を遂げ、
300点とも400点とも言われる作品のすべてが失われてしまった。