-偉人、達人、著名人による印象的な言葉-
頭の中で想像すること、とは無意識の世界へ接するためのアプローチの一つでは、と思っている。
どこで見聞きしたかは忘れてしまったが、ビッグバンを研究する物理学者は、その数式群を眺めるだけで、当時のビッグバンの様子を頭の中にありありとイメージできると言う。
"意識"しながら"無意識"に接する"無の境地”、”ゾーン”に好む、好まざるは別として身を投じ、その各々の創作活動(アーティストだけでなく、アスリートのパフォーマンス、研究者も含めて)を続けたであろうと思われる偉人、達人、著名人の言葉を拾ってみたい。
●アインシュタイン
彼はまず想像すること(imagination)に関していくつも言及している。
- "Logic will get you from A to B. Imagination will take you everywhere."
(ロジックはAからBへ導いてくれるが、想像力はあなたをどこへでも連れて行ってくれる。)
ロジックは意識の世界における概念である。Logicを”意識下"、Imagination を”無意識下”として読み返してみると無意識の世界の無限の可能性を言及しているようで面白い。次の言葉も同様な可能性に関しての言葉。
- "Imagination is more important than knowledge. For knowledge is limited to all we now know and understand, while imagination embraces the entire world, and all there ever will be to know and understand."
(イマジネーションは知識よりずっと重要だ。知識は我々が今理解してるものに限定される。一方イマジネーションは、全ての世界、更にこれから知りうる全てのものまで包括する。)
私には”イマジネーション”はユングの言う集合的無意識、Great Motherへのアクセスと読める。
- "Imagination is everything. It is the preview of life’s coming attractions."
(想像力がすべて。想像とは人生のこれから起こるお楽しみのプレビューである。
)
- ”Imagination is everything”をイマジネーションは全能、と読み替えられないだろうか。
そして私が最も共感する言葉、
- "All religions, arts and sciences are branches of the same tree."
●ミケランジェロ
円空の生涯12万体に及ぶ木仏の制作過程を想像する時、ミケランジェロの言葉に共通点が見いだせるようで印象的だ。
- ”Carving is easy, you just go down to the skin and stop."
(彫刻は簡単だ。彫刻刀を肌まで彫おろし、届いた時に止める、ただそれだけ。)
円空もこの境地は共感できたと思う。仕上がりを考えながら鑿で掘るのではなく、既に彼等には彫像、その姿が彫る以前に存在しているのである。これに似たような言葉が有る。
- "The best artist has that thought alone Which is contained within the marble shell; The sculptor’s hand can only break the spell To free the figures slumbering in the stone."
(最高の芸術家は、"大理石の殻の中に埋もれているもの”へこんな思いを抱く。その石の中でうごめくその姿を呪縛から解放してやれるのは彫刻家の手によってのみ可能だと。)
- "A man paints with his brains and not with his hands."
(人は頭脳で絵を描くものだ。手で描くものではない。)
意識して技巧を凝らすのではなく、頭で、とは考える事ではなく感じる事。無意識から湧き上がるものをミケランジェロを介して具現化される様子を言い表すものではないだろうか。
- "I saw the angel in the marble and carved until I set him free."
(私は大理石の中に天使を見、その彼が自由になるまで彫ったのだ。)
大理石が素材の時点で、モチーフではなく確固たる存在を見出している。
- "The more the marbles wastes, the more the statue grows."
(余分な大理石をそぎ落とせば落とすほど、その彫像は成長する。)
スティーブ ジョブスが傾倒した禅の世界に通ずるのではないだろうか。彼が追及したiPodのイメージはこれだ。
そのほかミケランジェロが残した言葉の中には、当時の芸術家の大半が必要としていたパトロン達による要請によるものなのか、あるいは自分自身ではコントロール出来ない、体の内から湧き出る創作欲、迸る思い、によるものなのかは判らないが、自分の意志で率先してその創作活動に取り組むというよりも、やらされている感を感じてしまう。
●ゴッホ
- "I put my heart and my soul into my work, and have lost my mind in the process."
(私は自分の作品に心と魂を込めた。そしてその制作過程では我を失っていた。)
制作過程では我を忘れ、境地、無意識の世界に行っていた、と読めないだろうか。
●ルーベンス
- "I’m just a simple man standing alone with my old brushes, asking God for inspiration."
(私は使い古しの筆をもって一人立っているだけ。あとは神からのインスピレーションを頼るだけ。)
自身が意識下で描いている事ではないことの証言のような一言。
●中村正義
- “絵を描くことは生きる事”
画家。52歳で肺癌で逝去。
結核で長期間の療養中に内向したと思われ、復帰後画風が極端に変わった。その後の100点にものぼる自画像は強力な印象でエネルギーを放つ。
“絵を描くことは生きる事”、これは(無意識で)呼吸をすることと同じくらい描くことが彼の人生に必要な行為だったことを指し示している。内向していた時代、境地を体験したに違いない。
●ベートーベン
- "Why do I write? That’s because something I have in mind has to go outside. Therefore I write."
(なぜ曲を書くか?私の内から外に出さねばならないものが有るからだ。ゆえに曲を書くだけ。)
自分の意志で曲作りをしているというよりも無意識下からふつふつと湧き上がってくる様子を言及か。
●マイケル ジャクソン
- "You and I were never separate. It’s just an illusion wrought by the magical lens of perception."
(あなたと私は別物ではなく同一なのだ。別だと思うのは、認識という魔法のレンズによる幻想なんだ。)
無意識下にある人、物といった概念を超えたユングの言う集合的無意識を言い表してはいないだろうか。
- "People ask me how I make music. I tell them I just step into it. It’s like stepping into a river and joining the flow. Every moment in the river has its song."
(どうやって音楽を作るのか?それは音楽そのものに踏み入るだけのこと。それはまるで川の中に足を踏み入れ、その流れに身を任せるようなもの。川の中のすべての瞬間が各々の歌を持っている。)
音楽とは人為的に創るものではなく、既に存在するもの。あとはその世界に踏み入るだけ。無意識下の壮大な世界を表現していると考える。
- "Would you like, please don’t press a personal idea to your feeling, choreography and song. Please make them tell music how music is based."
”あなた自身の感性とか振り付けとか歌とかを押しつけないでほしい。音楽とはどうゆうものかは音楽に語らせてあげましょう”
音楽そのものが人類により作り出されてきた創作物というよりももっと普遍的にそもそも存在するものであることを言い表すものと考える。
●矢沢永吉
- ”でも矢沢がどういうだろう”
とあるプロジェクト計画の際に、スタッフからのある提案に対し、矢沢氏から発せられた言葉。
彼は時々”パーフォーマー矢沢永吉”を客観視する。想像するに”パーフォーマー矢沢永吉”は感性のなかで存在する人。今仕事というロジックの世界で話している本人には感じ取れない故の、アーティスト矢沢永吉を思う言葉ではないだろうか。
●室伏広治
- ”遠くへ放ち 更にその先を想う。”
放った後はもはや何もできない。にもかかわらずその先に思いを飛ばす。
- ”ハンマーを物としてでなく、生き物のように飛んでいくように投げたい。”
これは意識下の投げ手と道具の関係から、無意識下の一体、融合した世界での世界を言及しているように思える。
- ”宇宙で例えたら、俺が太陽ね。いや、俺は地球かな、、、俺は月にしよう。そこにハンマー投げのハンマーが地球ね。それを遠心力で回してって。”
人が回すハンマーが地球で自分が月。主客逆転。これも物と自分が一体化された境地を経験してこその発言にとれる。
●内村航平
- ”みんなは着地を止めにいって止めていると思うのですが、僕は止まるところで技を終わらせていれば、勝手に止まるという印象なんです。”
集中が境地へいざなう。正に弓は既に図星を射てる状態ではないだろうか。
- ”もちろん自分のミスなのですが、感覚的には外から力を加えられて落とされたという表現が一番合う感じでした。選手村に戻ってからもずっと考えて、ああ、これが魔物かと思いました。"
無意識下での演技中、落ちた際に我に返った際の印象を表現した興味深い言葉。没頭しているが故に物理的な(例えば指の引っ掛かりなど)状況が判らず、”外から力を加えられ”という表現に至ったのではないか。
- 2022年2月14日追記 -
内村氏の引退記者会見にての言葉。
2011年の世界選手権ではゾーンに入っていたとの証言が非常に興味深い。
次年のロンドンオリンピックでも再現したいと考えたが、それはコントロール出来ないことを知った(知っていた)という。
しかしそのゾーンを体験したことは人間を超えた瞬間だと思う、と言い切る。
そしてゾーンの話をすると3日位話し続くためここら辺で終わります、と閉めた。まさに神の境地を体験した人の言葉として染み入る。
●萩野公介
- ”水泳は水泳だけでは終わらない”
オリンピック・ロス(金メダル・ロス?)により次のステップへのモチベーションを維持できず、もがき苦しんだ彼が、東京オリンピックに向け、再挑戦を決心した後、結果が出ない状況の中でのレース後のインタビューの中の言葉。実に深い言葉である。一番になって更にもがき苦しんだ末、境地にて様々なものとのつながりを実感した上の言葉ではないかと想像する。
”没頭と境地”。宇宙の果てを思う時、無意識の世界とのつながりを考えざるを得ない。なぜだろう。