四万十町志和地区の海辺に諏訪神社が建っています
狛猿ではないかと思います
地元の人に聞いたわけではないのではっきりしませんが、見るからに猿のような気がするんですが・・

少し前に傾いています
地震でも来れば、前にこけちゃうんですが・・

狛猿ですよね~ 狛犬には見えません
大正10年8月の奉納

諏訪神社参道

神橋の右横にあるのは、使われなくなった井戸です

諏訪神社拝殿
かなり立派です
志和は、何百年も前から栄え、高幡台地(仁井田郷)の表玄関でした。
東に久礼坂、西に片坂があり、これらの坂は、急こう配でありとても大量な物資の輸送には向きません。
このため、仁井田郷で取れた米や炭・薪・魚などの物資は、志和へ集められ、志和浦より高知に送られました。
藩政時代はもちろんのこと明治・大正のころまで高知とを結ぶ中継港として栄えました。
年貢米の米蔵が立ち、酒造業を営む商家や舟問屋、旅館などがあり栄えていました。
しかし、国道56号線、国鉄土讃線が開通し、物資の積み出し港としての志和の役割はなくなり、だんだん寂しくなりました。
諏訪神社の拝殿や本殿の立派さは、志和が栄えたころの名残だと思います。
志和出身の旧家の寄付などがあるかもしれません
右横に立つのは、日露戦争の碑

拝殿の後ろにある本殿

ご神木?

志和の沖
684年の白凰年間に大地震(南海地震)がありました。
東海・東南海・南海連動型地震だったと言われます。
沖合にあった黒田郡(くろだごおり)って広大な地域(約12平方km)が、沈んだと言われています。
黒田郡は、須崎市野見から四万十町興津沖まで続く大きなものでした。
戸島千件、野見千件などといい、黒田郡にあった千件近い大集落が、一瞬にして沈んでしまいました。
黒田郡の陥没の音は、遠く京都まで聞こえたといいます。
道後温泉では、一時期温泉が出なくなったといいます。
以来伝承として語り継がれた黒田郡ですが、実際に潜水調査などが行われ、石器や集落跡なども見つかっています
また、諏訪神社の成り立ちですが、
白鳳大地震の後、黒田郡に鎮座した諏訪大明神のご神体が、志和の浜に漂着したので海辺の丘陵港山に奉祀したのが現在の諏訪神社です。
その祭日に奉納される踊り古い調べの舞楽「志和おんや踊り」は、もともと黒田郡で踊られていたものであるといいます。
大祭は、陰暦8月18日で志和礁神社祭と同日であるそうです。
志和礁神社とは、志和沖約4kmにある暗礁に鎮座する神社です。
志和礁(しわし)は、沈んだ黒田郡の山頂だそうです
黒田郡と共に沈んだ5神社を祭っていると言われ、大祭の日志和の浜辺に五色の旗を立て、沈んだ黒田郡の総霊を祭ります。
昔は、おんや踊りは、志和礁の上で踊られたといいます。
下に地図を乗っけましたんで見てください
そんなことがあった海でありますが、今わ静かに波がよせるだけに見えますが、
海面下では着々と第二の黒田郡となる準備がされているかもしれません??・・・(;一_一)
【参考文献】
窪川町史
志和物語 諏訪将人著
狛猿ではないかと思います
地元の人に聞いたわけではないのではっきりしませんが、見るからに猿のような気がするんですが・・

少し前に傾いています
地震でも来れば、前にこけちゃうんですが・・

狛猿ですよね~ 狛犬には見えません
大正10年8月の奉納

諏訪神社参道

神橋の右横にあるのは、使われなくなった井戸です

諏訪神社拝殿
かなり立派です
志和は、何百年も前から栄え、高幡台地(仁井田郷)の表玄関でした。
東に久礼坂、西に片坂があり、これらの坂は、急こう配でありとても大量な物資の輸送には向きません。
このため、仁井田郷で取れた米や炭・薪・魚などの物資は、志和へ集められ、志和浦より高知に送られました。
藩政時代はもちろんのこと明治・大正のころまで高知とを結ぶ中継港として栄えました。
年貢米の米蔵が立ち、酒造業を営む商家や舟問屋、旅館などがあり栄えていました。
しかし、国道56号線、国鉄土讃線が開通し、物資の積み出し港としての志和の役割はなくなり、だんだん寂しくなりました。
諏訪神社の拝殿や本殿の立派さは、志和が栄えたころの名残だと思います。
志和出身の旧家の寄付などがあるかもしれません
右横に立つのは、日露戦争の碑

拝殿の後ろにある本殿

ご神木?

志和の沖
684年の白凰年間に大地震(南海地震)がありました。
東海・東南海・南海連動型地震だったと言われます。
沖合にあった黒田郡(くろだごおり)って広大な地域(約12平方km)が、沈んだと言われています。
黒田郡は、須崎市野見から四万十町興津沖まで続く大きなものでした。
戸島千件、野見千件などといい、黒田郡にあった千件近い大集落が、一瞬にして沈んでしまいました。
黒田郡の陥没の音は、遠く京都まで聞こえたといいます。
道後温泉では、一時期温泉が出なくなったといいます。
以来伝承として語り継がれた黒田郡ですが、実際に潜水調査などが行われ、石器や集落跡なども見つかっています
また、諏訪神社の成り立ちですが、
白鳳大地震の後、黒田郡に鎮座した諏訪大明神のご神体が、志和の浜に漂着したので海辺の丘陵港山に奉祀したのが現在の諏訪神社です。
その祭日に奉納される踊り古い調べの舞楽「志和おんや踊り」は、もともと黒田郡で踊られていたものであるといいます。
大祭は、陰暦8月18日で志和礁神社祭と同日であるそうです。
志和礁神社とは、志和沖約4kmにある暗礁に鎮座する神社です。
志和礁(しわし)は、沈んだ黒田郡の山頂だそうです
黒田郡と共に沈んだ5神社を祭っていると言われ、大祭の日志和の浜辺に五色の旗を立て、沈んだ黒田郡の総霊を祭ります。
昔は、おんや踊りは、志和礁の上で踊られたといいます。
下に地図を乗っけましたんで見てください
そんなことがあった海でありますが、今わ静かに波がよせるだけに見えますが、
海面下では着々と第二の黒田郡となる準備がされているかもしれません??・・・(;一_一)
【参考文献】
窪川町史
志和物語 諏訪将人著