「やらない善よりやる偽善」という
エントリーがあった。
わかりやすい。
ひとつ前のエントリーの
「雑念」=「下心」
人に下心があるのは、あたりまえで、
たとえば、チェリビダッケとミュンヘンフィルの
ブルックナーがどんなに感動的だったとしても、
それは興業でもあり、音楽家にとっては
稼ぐための行為でもある。
純粋に利他な、自己満足を含まない行為
などというものも考えにくい。
純粋な感動、のようなものは
そもそも存在しえないのだろう。
つまり、下心があるからだめ、
というようなこともあまり意味が無い
ということだ。
* * *
人には、生得的に、
甘いものを求める欲求がある。
これは生きてゆくために
必要なこととして組み込まれている。
人は環境を自分で変えられるので、
この欲求をより多く満たすような
スイーツを開発してしまう。
そこに、辻口さんのような英雄も現れる。
コンビニスイーツのように
誰でも甘いものを食べられるのは幸せだし、
それで産業もできているが、
その結果、糖尿病になる人も増えている。
人は中毒しやすい動物なのか・・・
「恋愛中毒」というのもあったなぁ。
という状況でどうすればいいのか?
欲求を抑制して生きる
欲求に素直に生きると搾取されて、
馬鹿をみるという構造があることを自覚する。
ということ?
でも「我慢する」というのも
なんか自然ではないのだよなぁ・・・
どこかすっきりとしない。
まぁ、人間自体がそんなにすっきりと
していないからしかたないのだが。
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