自然の秘密を?
そうじゃあない、人間の、心を。
複雑なものが好きだ。
自分のまわりの世の中を単純にしたほうが生きやすい、
ということは頭ではわかっているし、そうするように努めてもいる。
でも、なぜか、ややこしいものに惹かれてしまうのはなぜだろう?
一見単純そうなものの中に隠れている途方もない複雑さ。
そういうものを見つけたときに、とてもうれしくなってしまう。
たとえそれが、外見的にはとても悲惨なものだとしても、
心のどこかでは、その精妙なる複雑さを鑑賞し、愛でている。
だから、僕は心理学者になるべきだったのかもしれない。
社会学者のやっている仕事に惹かれることもあった。
空の星は、きれいだけれども、ぼくの興味を、あまり引かない。
ぼくが興味があるのは、その空の星をながめる人の心の動きだ。
数学の定理も、クールだけれども、ぼくの興味をあまり引かない。
ぼくが興味があるのは、その定理を生み出した数学者の心の動きだ。
ある友人は、人間の作り出すものよりも、
自然の作り出したもののほうがずっと複雑で美しい、と言う。
彼は海に潜って、自然の産み出した美しいものたちを愛でる。
彼は正しい。人間の作り出したもの、
たとえば工業製品や合成化合物は単純で、
あまり美しくはない。
でも、まったく当然のことながら、人間自身は、
人間の作り出すものよりずっと複雑で美しい。
それは、自然が産み出した、最も複雑なものの一つなのだから。
だから、そんな人間がしっかりと屹立したり、
ゆらりゆらりと不安げに揺れたりしている海、
つまり「都市」は、珊瑚が広がって、海草が揺れて、
美しい魚が泳ぐ海よりも、ぼくにとっては美しい。
何倍も、何倍も、比類なく美しい。
人間を理解するために、数学は役に立つのだろうか?
別の友人は、単純な非線形方程式から産み出されるカオスを愛し、
その複雑さを何年も何年も眺め続ければ、
人の心を理解するための直観が身につく、と言っていた。
彼は、きっと、正しい。
でも、僕にはそんなにまどろっこしいことは我慢できない。
コンピュータのディスプレイに踊る渦巻きを眺めているのも楽しいが、
美しい人の姿を見て、あさましい人の姿を見て、
善良な人の姿を見て、邪悪な人の姿を見て、高貴な、下卑た、
純粋な、不純な、さまざまな心の動きを感じていることのほうが、
もっとずっとおもしろい。
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