行ったので、昔の想い出を
韓国ドラマ風、あるいは、
ラノベ風の小説のようなもの仕立てで
(事実に基づいた妄想です)。
ーーー
初秋のある日のこと。
「大変です!」
突然彼女がオフィスに
飛び込んできた。
「ん? 何、どうしたの?」
「驚かないでくださいね」
とても楽しそうに興奮している。
いつもながら、こういうところが
かわいくて愛おしい。
「チケットが と・れ・て、
しまったんです。」
「何の?」
「ベルリンフィルです!
ラトルの指揮ですよ!」
ほぉ・・・それは確かにすごい。
「あれ、あんまり驚きませんね」
「だって、驚かないでって言ったから」
「それは、でも・・・ぶつぶつ」
「良かったね。いいなぁ。」
「うらやましいですか?」
「ああ、うらやましい。」
「うらやましいですよね。
でも大丈夫です。
ちゃんと2枚取りましたから。」
「え!?」
「まずかったですか?」
「いや、まぁ、まずくはないけど・・・」
「11月20日の土曜日、サントリーホールです。
空いてますよね」
「いや、それは・・・どうかな」
「空いてますよね!」
「はい、たぶん」
* * *
というわけで、2004年の11月20日の朝、
僕たちは一緒にサントリーホールへの
坂道を登っていた。
11月にしては、日差しが暑いような日だった。
そのコンサートは正規のものではなく、
ベルリンフィルがゲネプロを有料で公開するというもので、
でも、その日のプログラムの中からブラームスの2番を
きっちり全曲弾く、というものだった。
一席 5,000円均一という、
ベルリンフィルとしては破格のお値段で、
収益はその直前におきた新潟中越地震の
被災者支援に寄付される、ということだった。
誠実で行動力に富んだ
ラトルらしい企画だ。
久しぶりのサントリーホール。
10年ぶりくらい、いやもっとかもしれない。
最近は CDもろくに聴かなくなっていたので、
コンサートなんて全然行っていない。
入り口を入って、混雑している
ロビーを抜けてホールに入る。
「うわぁ、さすがに広いですね」
「初めて?」
「はい、もちろんです」
「もちろんですか」
「誘ってくれる人が
いませんでしたから」
彼女がとった(抽選で当たった?)席は、
中央左寄りのかなり前のほうで、
右前に首を少しあげれば、
そこには指揮台がある、
というような場所だった。
「かぶりつきだね」
「かぶりつきって何ですか?」
「いや、なんでもない」
「あれ、向こう側にも席がありますよ」
「そう。ここはね」
「へぇ、あっちの席も面白そうですね。
指揮者の顔がよく見えます」
「そうだね。音はちょっとバランスが
悪いと思うけど」
簡素なプログラムを眺めていると、
開演までの時間はあっという間に
過ぎていった。
開演のチャイムが鳴り、
楽団員が三々五々、舞台に出てくる。
ゲネプロということで、
燕尾服ではなく、みんなラフなかっこうだ。
割と小編成だと思うが、
第一ヴァイオリンと
チェロが向き合う形になっている。
話をしながら席について、
譜面台や椅子を調節する。
音あわせをして、
客席が静かになったところで、
ラトルが軽やかに登場した。
コンマスと握手して指揮台にあがり、
メンバーの顔を眺めてから
こちらを向いて軽くおじぎをすると、
振り向いてすぐに一拍目を振り下ろす。
ホルンの3つの音に続いて、
ブラームスの2番の最初のテーマ、
優しくて明るい旋律が
滑らかに流れ出した。
* * *
その約2時間後、僕たちは、
サントリーホールの近くの
ティールームにいた。
ホールからここまで、
僕たちは一言も話さずに
来たのだ。
彼女はニコニコしたり、
ぼぉっとしたりしながら、
音楽の余韻を楽しんでいるようだった。
席に座ってしばらくすると、
彼女がふぅっと大きな
息を吐いてからこちらを向いた。
「どうでしたか?」
「いや、よかったよ」
「冷静ですね」
「そんなことはないけど」
「私はもう、感激で泣きそうでした」
「僕も」
彼女がちょっと怖い顔をして
こちらを睨む。
「それは、いろんなオーケストラを
たくさん聴いているから」
「そんなことはないよ、
とてもよかったよ」
ベルリンフィルは、
カラヤンと一緒に日本に来たときと、
ベルリンの本拠地のホール、
フィルハーモニーホールで
クライバーが指揮したのと二度聴いたが、
ラトルの指揮で聴いたのは
もちろん初めてだった。
音の美しさと技術の高さは
やはりさすがだ。
ちょっと無骨だがしっかりとした
音のうねりに、安心して
身をゆだねることができた。
ブラームスというと、
重厚、厚ぼったい音、という
イメージもあるのだが、ラトルは、
ヴィブラートなどはほとんど使わずに、
魅力的な明るい音を鳴らしていた。
縦にあわせる間の取り方が
ちょっとトリッキーな感じの
ところもあったが、
キャラクターどおりの
エネルギッシュで歯切れの良い指揮で、
明るい曲想のブラームスの2番には
よくあっていたと思う。
ゲネプロということもあってか、
リラックスした中にも集中力のある演奏で、
実際とても良かった。
でも、それよりも良かったのは・・・
「それに、なにより、コンサート恐怖症が
出なくてよかったよ」
「? それはなんですか?」
「コンサートの途中で、胸がドキドキして
冷や汗が出てくるときがあったんだ。
たぶん、強迫神経症の一種だと思う。
時によっては、このまま倒れちゃうんじゃないかって
不安になって、途中で退席したこともあったし」
「へぇ、そうだったんですか」
「ピアニッシモとかで、会場全体が
すごく緊迫した雰囲気になると、
なんだか我慢できなくなるっていうか、
緊張しすぎて発作が起こるんだと思う。
だから、ある時期からコンサート
に行くのはやめていた」
「今日のはそういう曲じゃ
なかったですからね」
「そうだね、でも、やっぱり
君が隣にいてくれたからだと思う」
「そうなんですか?」
「とっても安心な気持ちになって
今日はだいじょうぶだ
っていうふうに思えた」
「それは、嬉しいです。」
彼女がにっこりと笑って
顔を近づけてきた。
「それじゃあ、お礼をください。」
彼女がこちらを向いて目をつぶる。
顔を少しだけ上向けて待っている。
その形のよい唇に、
そっと唇を重ねて目をつぶると、
頭の奥でまたブラームスが響き出した。
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