ときどき鬱っぽくなって、 すべてが虚しい すべてがどうでもいい と感じることがある。 一方、般若心経では、 観自在菩薩 行深般若波羅密多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 と言っている。 これは「すべては空である」 ということだ。 「すべては空である」という認識と、 「すべては虚しい」という感覚と、 少しは関係があるのだろうか? それとも、全然違うのだろうか?