つまらない、と書いたのだが、
こちらのページ
> 『それから』で男女の新しい愛と結婚のあり方を追及した漱石は、
> さらに『門』において、世間から孤立した愛の力、
> 自然の愛に従うという倫理が、社会の道義的批判を乗り越えられるか
> というテーマに挑戦した。主人公宗助の苦悩は現代人からすれば
> じれったくてしかたないのだが、当時としてはそれが当然
> だったのだろう。
あるいは、こちらのページ
> 「第二の世界」に生きる人というのは、『三四郎』においては
> 廣田先生と野々宮さんであり、『それから』においては代助である
> と言える訳だが、廣田先生とか野々宮さんとか代助みたいな
> 学者や遊民は、世の中から見れば、ごく少数の人である。
> しかし、宗助みたいに一見腰弁として生きている人たちの中にも
> 「第二の世界」に生きる人がいるとすれば、「第二の世界」に生きる人の
> 数はずっと多くなる。そして私も、団子坂下のアパートで
> 生活し始めて以来、そういう生き方をしようと思って来た訳で、
> 現在もそのつもりであるのだ。
といった論評を見ると、
なるほど、そういうふうに読むのですね、
と教えられる。
「第二の世界」というコンセプトが重要なようだ。
> 漱石の言う「三つの世界」は、彼がロンドンに留学した経験から
> 思いついたのではなかろうか。イギリスは階級社会で、
> 保守的な階級社会(第一の世界)でありながら、
> 市場経済(第三の世界)が大いに発展している。その真っ只中で
> 漱石は、神経衰弱になりながら、必死になって「第一の世界」でも
> 「第三の世界」でもないものを探し求めて、カーライル~モリスの世界
> (第二の世界)を見つけ出し、帰国後に東大教授にならずに小説家になった。
> そして書いた『三四郎』で、それを表現しようとした、とまあこうである。
> 漱石はイギリスで何を見たのか? おそらくそれは、キャピタリズムであり、
> だから漱石は、ロンドンで神経衰弱になったのではなかろうか
こうした生き方を選べば、世間的な出世や蓄財とは無縁になるので、
特に、歳を経ると厳しい暮らしにならざるを得ないのはよくわかる。
そうした中で、なおも、つつましく、穏やかな「愛」の姿に
到達している宗助とお米の姿は、地味ではあるが、
ひとつの癒しとして捉えられるのかもしれない。
しかし、それにしても、「それから」に比べて、
漱石の筆力の衰えは否めない。
「門」を書き終えた直後、胃潰瘍で入院-修善寺の大患と続くので、
病気のせいもあったのだろう。
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