日々の寝言~Daily Nonsense~

夏目漱石のテーマ

漱石は、いわゆる「西欧近代型の社会」の中で、
人間はいかに生きるのか?
という根本的な問いを考え続けた人だと思う。

(と、同じことをよく考えている私には思われる)

西欧近代型社会は、ある意味では人為の極みなので、
そこには、自然と人為というテーマも含まれる。
また、当然、社会主義や共産主義のような、
資本主義以外の体制もその射程に入っていただろう。

そういうことを考えた背景には、知識人としての義務、
といったこともあったかもしれないが、
倫敦留学以来の不安にとらわれて、
考えざるを得なかった、ということではないかと思う。

そして、その考えを広く世に問うために、
いろいろな人物を造形して、小説という形で発表した。
それは、一種のシミュレーションのようなものだ。
まぁ、妄想と言ってもよいだろう。

だから、漱石は、第一義的には、小説家というよりは、
ある種の社会学者、思想家なのだと思う。
小説はあくまでも手段、メディアでしかない。
だからこそ逆に「小説論」が必要だったのだろう。
生まれつきの小説家には、小説論などは不要だ。

というわけで、漱石の小説に、
いわゆる「面白さ」や「痛快さ」を求めても、
得られるものが少ないのは自然なことだ。

漱石の小説は、第一義的には、
人をおもしろがらせるものではなく、
人に共感させ、普段は忘れていることを
考えさせるものなのだ。

誰しも、ふとした瞬間に、人が生きることに関する、
根本的な問いに触れてしまうことがある。
たとえば、大好きな人の死や、それを含む、
東日本大震災のような大災害が、そのきっかけになることもあるだろう。
漱石の小説は、そうした心に共鳴するものだと思う。

最晩年の作品「明暗」は「それから」の書き直し、あるいは
「それから」と「門」の間をきちんと埋めようとしたものかもしれない。
「則天去私」の境地がどのように描かれたのかも含めて、
未完で終わったのが誠に惜しまれる。
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