春らしい写真を並べたくて以前撮ったものをアップ。
連想ゲームみたいに「チューリッピ?」が思い浮かびました。
(まめつぶうた まどみちお詩集 より)
まどみちおさんの詩集は少し疲れたときに開くと心がなごみます。
先日ある学会のCPCにオンラインで参加した際に気になったこと。
これは院内のカンファなどでもよくあることですが・・
症例提示のときにプレゼンターの先生が「〜から腹痛が出現して」とか「〜の痛みが出現し・・」と自覚症状について「出現」を連発しておられました。それが気になって気になって,内容が耳に入ってきませんでした。
そもそも「痛みは出現するものなのか?」
若い頃に指導医の先生から「痛みは自覚するもので,出現はしない!出現は見えるものに対して使う表現じゃ!」と厳しく躾けられました。
最近は学会や勉強会でもしばしば「痛み」や「呼吸困難」が「出現する」ようで・・・。まあ言葉は生き物であり,皆が使うように変化するのだと言われればそうなんでしょうが・・・。でも日本語としてやっぱり変だと思います。気持ち悪くないのかなぁ・・。
少なくとも自分の病院の研修医には,そんな言葉遣いをしないように(自分がされたように)ちゃんと躾けようと思います。
先日の「も」といい,完全に「ぼやき漫才の人生幸朗」モードですな。
(若い人は”ぼやき漫才 人生幸朗”で検索して下さいね)
献本御礼。志水太郎先生がNEJMのClinical Problem Solvingのケースを独自に論じた本です。
先生と初めて出会ったのはもう随分前のことですが,そのときのことは強烈に印象に残っています。
ずっとお手伝いをしている腎臓学会主催の『臨床研修医のための腎臓セミナー』の会場でした。当時,市立堺病院の専攻医だった志水先生が,休憩時間に彼の方から話しかけてくれたのがきっかけでした。
話をして何より驚いたのは,「将来どんな目標なの?」といった質問をしたときの太郎先生の返答でした。普通は専攻医の年代だと「何でも診れる内科医になりたい」とか「自分の目標とする専門医になりたい」くらいのことを答えそうなものです。(自分もたぶんそうでしたから)
でも彼がその時にはっきりと言葉にしたのは次のようなことでした。
「世界に通用する医師を育てる医学校を作ることです」
これにはびっくりしました。少なくとも卒後数年の若者が言葉にすることではありません。でも彼はまっすぐに気負いもなくその言葉を発していました。そのことにまず驚かされました。
以来,何年が経ったでしょうか。これまで先生が異動されたことを伝え聞くたびに彼の言葉を思い出して,着々と目標に向かっているんだなと感じていました。そして今や獨協医科大学総合診療科の主任教授として後進を育てておられます。専攻医の頃に明確に言葉にした目標を実行しているわけです。本当に凄いことだなあと改めて思います。
この本を送ってもらって,ふと思い出して確かどこかにあったはず・・と本棚を調べると,出てきました。出会った当時に先生が送ってくれたお手製のマニュアルです。もらった当時すでに老眼が始まってきたオッサンには読むのがキビシイ(笑)。細かな文字でぎっしりと,後輩への教育の情熱が詰まっています。そして,その情熱が今回の著作にも引き継がれています。
まだ読み始めて半分ほどですが,いや凄いな・・と思います。これを機会に『診断戦略』ももう一度読み直そうと思います。そういえば,ここ10年位は「先生のロールモデルは誰ですか」と聞かれたら「最近の若い人たちです」と答えることにしています。自分よりも二世代くらい若い年代の先生達が,素晴らしい著作を生み出しています。そんな凄い人たちの先頭集団を引っ張っている志水太郎先生の新刊です。これは刮目して読むべし!
P.S.
内容とはあまり関係ないんですが・・・表紙を見て,てっきり医学書院からの出版だと思ったら南江堂からだったんですね。出版社を越えてデザインを統一させたのは,さすが先生のコダワリでしょうか。カッコいいです。
久しぶりに東京まで出かけたついでに開催中のマティス展を観に行ってきました。
マティスは以前(ポーラ美術館だったかな・・)何枚かは観たことはありました。でもそんなに詳しくもなく,ふらっと行ったんですが期待以上でした。とくに今回の目玉とされる切り紙絵の大作は圧倒的でした。
さらに良かったのは有名な(だそうです)ヴァンスのロザリオ礼拝堂を模した展示でした。時とともに動く陽の光で床に映るステンドグラスの色彩が動いてゆく様子を再現してありました。これはとても印象的でした。
なんの予備知識もなく訪れたのですが,満足度が高い展覧会でした。