
◆カリブ海の宝島伝説◆
去年の12月2日
アントニオ猪木参議員はキューバにいた。
キューバのロドリゲス外務大臣とスポーツ長官らと会談。
スポーツ長官の首には、真っ赤な猪木闘魂タオルが。
その二日後の12月4日
同じカリブ海に臨むニカラグアに。
オルテガ大統領と一時間半の会談。
外交の記事にも猪木氏のダジャレが一言。
そんな記事の中にキューバの島で遊ぶ猪木氏の写真。
1990年湾岸危機の時に、
キューバのフィデル・カストロ議長から貰った「友人・猪木の島」だった。
猪木の島の海域に、75隻もの沈没船があることが判明…
その昔、海賊船が暗躍し怖れられたカリブ海。
金銀財宝が眠ったままの海に佇む…小さな島。。
「友人・猪木の島」は映画「パイレーツ オブ カリビアン」の宝島だった。
日本の若者に夢を与え、キューバの素晴らしさを伝えたい。
そう語るアントニオ猪木という人の魂は、健全な夢を持っている。
それと同時に
世界中の誰もが会うことが叶わなかったカストロ議長と
フセイン大統領に臨んだ無欲と命知らずの猪木氏の運命の強さ、、
アントニオ猪木氏には、
人の心を動かす力と天命の力があると思わずにいられなかった。
◆天命の軌跡◆
猪木氏は国会議員として神出鬼没。
北朝鮮にいたかと思えば、キューバに、、
彼の凄さは、
どんな国会議員も絶対会うことが出来ない世界の要人と会える事。
しかもあっさりと…
その軌跡はアントニオ猪木氏が参議員一年生からは始まった。
1980年イラン・イラク戦争から10年後。
1990年ドロドロの湾岸危機。
在留民間日本人の人質事件が起きた。
日本政府・国連、外務省も為す術もない状況。。の中
日本中が無理だと思っていた。
あのサッダーム・フセインが交渉相手だった・・・
その時
アントニオ猪木議員はキューバのカストロ議長と4時間の会談。
カストロ議長の言葉
「武力解決ではなく、平和的協議解決」を見事に実践。
フセイン大統領と会談を経て、
「スポーツと平和の祭典」をイラクのバクダードで二日間に渡って開催。
日本からは
プロレスラーの長州力・佐々木健介・マサ斎藤
現文部科学相の馳浩
河内家菊水丸の河内音頭
故ジョニー大倉などが音楽で出演している。
祭典の動画には、サダムアリーナで喜ぶイラク国民が映し出されていた。
そして猪木議員三回目の訪問で人質が全員釈放された。
日本の航空会社が飛ばない状況の中で、
またもやトルコ航空だけが救出機を出してくれた。
(映画「海難1890」トルコ魂 カストロから貰った「友人・猪木の島」前篇)
をご覧くださいまし♪
この一連の流れは奇跡につぐ奇跡。。。
故宮沢喜一氏が凄く驚いたのも無理はない事実だった。
**2012年11月20日**
猪木氏はキューバより友好勲章を授与された。
アメリカの経済制裁によるキューバ経済の苦しさから、
ロンドン五輪の時にキューバ男子柔道チームが合宿出来なかった。
そこで
猪木氏が私費で日本合宿に招いたのだった。
そして2015年8月にアントニオ猪木議員が
東京オリンピック開催時期について幾つもの鋭い矢を放った。
↓素晴らしいです。。読んで下さい。
★☆2020年 東京オリンピック アントニオ猪木議員の緊急提案☆★
東京の記録的な暑さに
「こんな暑い時になんでやるんだ?」
暑さ対策を打ち出す下村博文文科相に
「バカ言うな
こんな暑さの中でオリンピックを開催する
いい記録出ると思いますか?」
競歩や車いす選手への影響を危ぶむ猪木議員。。
1964年の東京オリンピックが10月に開催されたことを挙げ、
開催日程を9月に変更すべきと述べた。
が、日程変更はない。。との答弁に
猪木議員の
「だったら大臣あんたが走ってきなって。
ランニングとシューズを用意してさ。
現場を知らないヤツらが利権屋と絡むからこうなる
人命にかかわる」と言い切った。。
◆俺がやらなきゃ 誰がやる。。◆
昔、TVで見ていたアントニオ猪木は破天荒で破産を繰り返すレスラー。
凡人には理解できない大風呂敷に見えた…
試合は面白いが、人としてどうよ。。と子供心に思った。
でも違った。
有言実行、、いや無言実行だった。
参議員の激務をこなし続ける身体はボロボロ。
35年間糖尿病と共存。
自ら「魔法の杖」と呼ぶインシュリン注射を打ちながらの外交業務。
猪木氏の目を見ると、奇跡はまだまだ続くと思う。
アントニオ猪木よ 頑張ってくれ!未来のために。。
猪木語録で一番好きな言葉
『花が咲こうが咲くまいが 生きてることが花なんだ』
弱虫だったワタシを変えてくれるキッカケの言葉だった。
