Salsa する?

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ジェットコースター映画?「台風家族」 実は、受け入れること。。のhow-to

2019-11-09 17:09:36 | 映画

今年9月、草彅剛主演「台風家族」が、ようやく公開になった。
アノ事件の新井裕文氏も再編集でカットされることなく、しっかり108分出ずっぱり。

公開と同時に、評価が真っ二つに分かれていた映画だった。
高い評価とかなりボロクソの評価に、、

こんなに評価が天と地に分かれるのは珍しく、
他人のモノサシや色眼鏡ほど、アテにならないものはない訳で。

物見遊山な好奇心で、キノシネマに向かった。


◇草彅剛が主役と見せかけて、、映画「台風家族」◇

出だしは、
なにやらヒューマンドラマ仕立てのどんよりと重ーーーい空気と映像。
10年前、突然銀行強盗をやらかした年老いた父と母。
霊柩車にお金を積んで、逃走した両親は、
その日から、ぷっつり行方知れず。。
ようやく10年後に、両親の遺体不在のまま葬儀をする4人の子供たち。

両親の実家を売却し、子供4人で遺産相続をするはずだった。が、、
ここから
長く疎遠だった兄、弟、妹は、家族愛など<そっちのけ>で、
それぞれの本音と欲をぶつけるまくるドロドロの修羅場。

まぁーーうんざりする骨肉の展開かと思いきや、、
ここから今風の二幕へ。

そして、
話の流れは、シリアスから珍事続出の喜劇に変わった。

◇あれ!全員が主役。。?◇ 

一人家の近くに残った末っ子の三男が、遅れて登場。
三男の仕掛けた隠しカメラで、
一幕のドロドロや秘め事の濡れ場は、刻々とYouTubeで配信されていた。

視聴者はうなぎのぼりに増え、大盛り上がりを見せる。
が、
当事者4人にとって、
一家の恥部を全て見られてしまったからには、怖いものはなく、
トンデモナイことをやったりして、視聴者を挑発し始める。
コレが思いの外、力づくで笑わされてしまう。

そうしながらも、
長い家族の断絶を埋めるかのように、兄であり、弟であり、妹の視点がジワジワと出てくる。
4人が主人公であり、傍観者はいない。

お互いが家族であったにもかかわらず、受け入れられない今。
何処にも決着点のないまま、恥の上塗りをしてる4人の前に、
両親の銀行強盗の真相を知る女性が名乗り出てくる。

そこには、
4人が知り得なかった両親の切実な事情と、
子供たちに迷惑をかけられないと思う親の深い愛があった。

その事実を全員が知った時、三幕が始まった。
それは<受け入れる>という、<4人が、今までしてこなかったこと>だった。。


◇受け入れること。。。。◇

事実を知り、受け入れることに、甘えや言い訳の余地はない。
知るということは、覚悟そのものだからだ。

三幕は、
どこの家にもある家族の確執や、気持ちのすれ違い、不運、そして介護。
子供たちの心には、深い悔いが・・・
彼らは失踪した両親を見つけるため、全員で嵐の中探しに行く。

さっきまで客席で声を出して笑ってたのに、 
親への切なさや、後悔、詫びる気持ちが、一気に観る側にも押し寄せてくる。

「台風家族」は、
一見、ジェットコースター映画のようだが、
人が
あらゆるものを乗り越えて、<受け入れる>という、、
実は一番難しいテーマを扱っている。

シナリオは、確かに面白いが、
この面白さや奥深さを存分に引き出したのは、強者ぞろいの役者たち。
役者たちによる全員バレーの極致じゃないかと思えた映画だった。

そして
上映期間が二週間とは、とてもとても残念過ぎるのだけどね。

◇素晴らしい映画館 キノシネマ◇

「台風家族」の製作・配給・制作プロダクションはキノフィルムズ。

そして上映館もキノシネマ。

映画を愛する人が造った映画館だった。

座席も、洗面所も、売店も、すべて心地よく、美しい。

是非、行く価値絶対アリの映画館ですよ!!!

女子洗面所はオリーブがお迎え、男子はポパイ🎵


扉は赤に黒の様々な映画のシーンがプリントされてます。
うっとり~~~



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映画「凪待ち」 再生のカケラ。。

2019-07-09 11:11:15 | 映画

2019年
稲垣吾郎主演「半世界」、草彅剛「まく子」、
そして6月下旬に香取慎吾主演「凪待ち」が公開に。

映画館は老若男女入り乱れ、SMAPファンの層の厚さを感じた。
ただ
「凪待ち」だけは他の二作品とは、
ビフォーアフターのように反応が全く違っていた。

映画が終わり退場する観客は、口を閉ざしたまま。
あーだこーだ、、と論じることの出来ない作品だった。

ギャンブル依存症の男が、出口のない底なし沼にハマり、
人生を、信頼を、愛する人を失ってしまう闇の世界に取り込まれていく。

闇の世界に取り込まれた者には、嘘や騙し打ちが止めを刺すように襲い掛かる。
どん底でもがく気力も失せ、狂気と心の歪みが一人の男を、
そして、観る者の精神までも圧し潰す。
サイテーに薄汚れていく主人公の心を、観客は受け止めきれずにいる。

そんな映画が「凪待ち」だった。

観終わってからも、何がテーマだったのか、、
私自身、すっかり混乱してしまった。
が、
一つだけ、強く感じたのは、
主人公/木野本郁男(香取慎吾)の狂気が、
郁男自身の視点で描かれているため、大きな負のエネルギーに圧倒され、
共感出来ない、、

なのに
歯の隙間からも、
目を背けても、
耳を塞いでも
こじ開けて侵入する負のエネルギー。。

ここまで観る側をヘトヘトにさせるのは、、なぜ?と。


◇再生のカケラ。。。凪待ち◇


日々、私たちの周りでは、予想だにしない事件が起きている。
見知らぬ人を巻き込んでの殺傷事件や、恨みへの復讐。

そこには、
パラサイト的な環境に逃げ込んだ人たちが、病んでいる現実がある。

「凪待ち」の木野本郁男は、パラサイト男だが優しさが根っこに残っていた。
ギャンブル依存症に浸食されながらも、
その部分が、かろうじて彼を人として支えていた。

優しさとは漠然とした言葉だけど、日向のような匂いと健やかさなんだと思う。
郁男が「凪待ち」で紙一重の狂気の境界線から、再生へと踏み出せたのは、
再生のカケラとして優しさが残っていたからだ。。と

役者としての香取慎吾は、息苦しくなるほど観る側に迫り、混乱させた。
ううーーーー
なんなんだ・・・・と思いながら観たエンドロールは、
東日本大震災の爪痕を遺す海底だった。

誰もが言葉もなく、退場していく様は、白石和彌監督の思う壺だったのかもしれない。。





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西加奈子/ 映画「まく子」 子供の端境期。。草彅剛とうちゃん

2019-04-03 17:26:53 | 映画

慧(さとる)とコズエ


◇映画「まく子」子供の端境期。。◇

「まく子」は、とてもとても不思議な設定だった。
観ていくうちに、
長いオトナの生活に埋もれていった<子供の気持ち>を掘り起こした。
 
忘れてた子供の匂いや、
無心で あそんだこと、
なのに
周りのオトナの振る舞いに、徐々に違和感を感じ始めたことなんかを。

子供。。でいられた無垢な感じは、ある時から色を出し始め、
男の子の幼い声は変な声になり、女の子はまあるい部分が多くなり、
いつのまにか子供からオトナへの入れ替えが粛々と行われる。
それは、
細胞が分裂し、ホルモンの鍵が開けられ、
中途半端なオトナの身体に変わってしまうこと。

主人公、小学5年の慧(さとし)には、
変貌し始めた端境期の肉体を受け入れることが出来ない。

板前で女好きのとうちゃんの不倫、
旅館を切り盛りするかあちゃんの沈黙と妙なテンションの元気玉、
従業員のおばちゃんたちの遠巻きの優しさ、、

オトナの空空しい空気感は、オトナになりたくない、、一つの原因でもあった。
そしてもう一つ、
この映画で何十回も出てくる言葉、「金玉」。

慧の心を大きく揺るがしてるのは、日々醜く変化する「金玉」だった。
これ以上大きくなって、はみ出したら、爆発したら、
みんなに醜い金玉をもってる・・・とバレたらどうしよう・・・

子供からオトナの身体へ入れ替わる端境期の真っただ中で、猛烈に悩み続ける。

そんな時に、突然現れたのがコズエ。
慧の旅館の従業員として働く母と共に、慧の旅館の寮に住み始めた。
同じ11歳の少女は、細くて背が高く、眩いほど綺麗すぎた。

帯表紙は
慧は思わず、コズエの肌に触れたい!!と手を伸ばす。
毎日一緒に遊ぶコズエへの気持ちが、恋心に変わる瞬間。


◇西加奈子の小説「まく子」◇

映画「まく子」を観て、原作の「まく子」を読みたくなった。
突飛な発想の映画なのに、瑞々しいモノを観る側にくれる。
西加奈子さんはどう描いたのだろう。。と、

驚くことに、映画でも、ほぼ100%表現されていた。

コズエとコズエのお母さんは宇宙人で、死が永遠に来ない細胞の粒で出来ていた。
二人は自分たちの星の存続のため、<死>を学びに地球に送られてきた。

コズエは慧たちといることで、笑うこと、家族の絆、変化、恋心、死を知った。

町の人たちや同級生はそれぞれに、
コズエの心の声を聞き、コズエとお母さんが宇宙人だと信じていた。

実は、一番近い存在の慧は半信半疑なのに、
慧より遠い存在のオトナと同級生たちは、コズエの心の声を信じていたことに凄く驚く。

それは
自分の曖昧な心の幼さに気づき、オトナへの入口に立った瞬間だった。

観て、読んで、
思春期をこんな形で表現出来ることに、、正直驚いた。
そのうえ
読み手に
圧倒的なあったかさを感じさせる西加奈子は、
どんだけの底力があるのだろうと思わされた。


◇草彅剛 とうちゃん◇



ある晩、慧は生まれて初めて精通してしまう。
なにか汚れてしまったような、悲しい気持ちでパンツを洗う。

そこへ
とうちゃんが現れ、慧の気持ちに寄り添ってくる。

悩みを打ち明ける慧に、
とうちゃんはパンツを下ろし、自分の金玉を見せ、二人でゲーーーーとなる。

ちゃらんぽらんで、女好きのとうちゃんが見せる男親の優しさだ。

映画では、草彅クンはチラチラしか出ないが、 
背中や横顔だけで、
ちゃらんぽらんさと優しさが滲み出る風情はイケてた。

独断と偏見で言うと、
役者草彅剛は、映画「まく子」を楽しんでるように見えたんだけど。
私だけかなぁ。。



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映画「半世界」 稲垣吾郎の直球!

2019-03-20 11:56:08 | 映画


◇阪本順治監督 映画「半世界」◇

映画が始ると、
しばらくは、ゆっくり間延びした日常を描かれていく。
小さな町の毎日は、
同じことの繰り返しの場面の中、そこに異彩を放つ怪物のような女優が、、
主人公(高村絋=稲垣吾郎)の妻(初乃)、池脇千鶴だった。

池脇千鶴の存在感はダントツの圧巻だが、主人公役が対称的な稲垣吾郎。
観終わってからも、
なぜ、、のモヤモヤ感が二日続き、おやっ!?と思った。

主人公高村絋は、
自ら選んだ試練を、悔やんだり嘆いたりせず、あっけらかんとしている。
ストレスがあることすらも受け流し、真っすぐに日々を過ごす。

存在感云々とか、芝居が巧い下手とかは関係なく、
高村絋の箱庭のような感覚を空気のように取り込める役者は、
間違いなく稲垣吾郎だと思った。


田舎町で炭を作り続ける主人公/高村絋。
妻の初乃と中学生の息子の三人暮らし。
日々は、なんとか暮らしを立てているが、
一人息子を高校に進学させるお金にも困るほど、ほぼナントカの状態。

生まれて、小中高と過ごし、生きてる半径はとても小さい。
町全体が知り合いのような世界。

親友が離婚と失業で突然戻ってきたり、
今だ結婚していない親友とつるんだり。

四十を目前にしたそれぞれが、人生の分岐点にさしかかっていた。


◇稲垣吾郎の直球!◇

二時間の間、映画に苦笑したり、切なくて泣いたりしたが、
阪本監督の意図は、分からなかった。

だが、
四十歳を前にして、
人は仙人のように悟れないものなんだ・・・と思い出した。

まだ、
若さの欠片は充分にあり、寿命とか死とかは、ずーーーと未来のこと。。
自分の未来がぼんやりも見えず、身の回りのことで精一杯。
この状況が、早くラクにナラナイカなぁ、、、、と願ってる歳。

平均寿命の折り返し地点なのに、とても不安でオタオタしてた。

そして、
この空気感を大業にせず、凡庸に演じてた稲垣吾郎が良かった。
吾郎ちゃんの読み取りにくい表情が、あとになってジワジワ現実味を帯びてくる。

↓風呂上り、夫婦でミカンを食べてる。
二人の食べ方がそっくり!!
結構、好みのシーンなの。



「半世界」の評価は、かなり高い。
ワタシは、
高いも低いもないけど、稲垣吾郎の絋じゃなかったら、
こんな風にアレコレと映画について思い巡らすことはなかった気がする。

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魂のリセット/映画「しゃぼん玉」市原悦子&林遣都

2018-12-06 17:46:21 | 映画


樹木希林さんの影に隠れている女優さん。

ワタシの勝手なイメージでは、
樹木希林さんは破天荒な職人気質の女優に対し、
派手さはないのに、素朴で温かく包み込む声を持ちながら、
まるで昔からそこに住んでいたかのような憑依系の女優。。
それが、市原悦子さん。

実は、
ずーーと気になってた映画があった。
それが2017年3月公開映画「しゃぼん玉」。

なんでか二の足を踏んでいた。
それは林遣都君・・・

瀬戸内寂聴原作の映画「花芯」では、ヒロインの妻にぞっこんの夫役で、
妻との営みに歓びを感じる善良な男。
妻は夫に愛情も湧かず、物足りなさで悶々とする日々を抱える。
だが、妻は不倫に走り、夫も子供も全て捨て、女として生きる事を迷うことなく選択する。
一方、夫は未練が残る元妻への気持ちを断ち切り、自分を慕う元妻の妹と再婚。
平凡で穏やかな幸せに落ち着く。

なぜか「花芯」での良き夫が、
妙に気持ち悪く、生々しい淫靡なイメージ=林遣都と、脳みそに根づいちゃったらしい。

そして何度目かの躊躇いの後、ようやく観てみると、
高倉健さんの言葉が被さるように、胸に広がる映画だった。


◆映画「しゃぼん玉」◆

荒れすさんだ生活しかしてこなかった青年イズミ(林遣都)
人から金品を奪う事で、凌いで生きてきたイズミは、
とうとう人を刺してしまう。

思いがけない顛末に、人生のどん底に落ちたことを知り、逃亡を図る。
逃げっ切った山奥で、
イズミはバイク事故でケガを負ったスマばあちゃん(市原悦子)に出遭う。

その日から、イズミとスマばあちゃんの生活が始まった。
何も訊かず、ただ「ぼんは ええ子じゃ」と言い続けるスマ。
肉親のように見守り、
イズミに「大事だと思う人にはウソついたらいかんよ」と諭す。

イズミは山奥の村人の優しさに、徐々に青年らしさを取り戻していく。
だが、
イズミが心を開こうとすればするほど、、自分がこれまで犯した罪に苦しむようになる、、

そしてその苦しみに決着の日が来る。
ある日、スマの息子が突然帰って来た。
家にあるお金を根こそぎ奪いため、母親スマを力づくで捻伏せようとしていた。
スマを庇うイズミが、スマの息子に首を絞められた時、
卑しい目の光をぎらつかせた息子は、かつての自分の姿をだった。。

翌朝、 イズミはスマに全てを打ち明け、償う決意をする。。

結末は「幸せの黄色いハンカチ」を思いださせた。
それは
言葉もなく、
引き算して引き算して、山合いの素朴なスマの家の灯りだけに、
この映画の息吹が込められていた。


◆魂のリセット。。。◆

「しゃぼん玉」はイズミの魂のリセットと共に、
スマの魂もリセットしていたと思う。

スマは自分の息子を守り切れなかった自責の念と、
卑しいエサの取り方しかできない息子への思いを抱えて生きていた。
そんな時、イズミとの不思議な同居生活が、生きる力へ変わっていった。

風景と人の営み、これらがすべて言葉として伝わってくる。

胸の中にひたひたと満たされてゆくナニカは、まぎれもなく秀逸な映画だと思う。。

**gumrieのつぶやき**

俳優/林遣都が素晴らしいです。


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