花洛転合咄

畿内近辺の徘徊情報・裏話その他です。

浪花短信①

2010年07月06日 | 徘徊情報・浪花
 難波橋から見たバラ園です。京阪電車の中之島線の工事も一段落し、再び整備されました。この難波橋からバラ園に下り、橋の下を通って鉾流橋までの道が「バラの小径」です。小生の如き無粋な者には全く似合わぬところなのですが、大阪証券取引所あたりから梅田へと歩くならば、やはりこの道を歩いていきたいところです。

             
             
 6月末という今の時期に咲いているのはドイツのシュメーピッチェンとか何とかいうやつぐらいですが、バラの品種名を見て歩くだけでも面白く、「天津乙女」や「オードリーヘップバーン」、「ゲイシャ」等々ちょっと人目を引く名前もあります。

             
             今はバラが咲いていないバラの小径

 東洋陶磁美術館の前に出てくると御堂筋を造った関一市長の像、正面に中央公会堂です。

             

             

 堂島側に架かる鉾流橋を渡ると右手に天満警察署、左手に裁判所ですが、警察署の前には天神祭の行事にも関わりの深い大鳥居があります。

             
             鉾流橋

             
             鉾流橋から水晶橋を望む、高速道路が目障り。

 裁判所の大看板には「大阪高等・地方・簡易裁判所 第一第二第三第四検察審査会」とあり、例の小沢某の件で有名になった検察審査会が実は裁判所と肩を並べる重要な機関で有ることを示しています。
 この界隈は、当然法曹関係者の事務所が目立つのですが、少し北に行くと老松通りということで、ギャラリーや骨董店も多く見られます。すぐ近くには「葉隠」を読む者には懐かしい佐賀藩の支藩小城藩の蔵屋敷跡。

             

 昔日、旭屋書店本店があり、古い家並みが残っていた丸ビル周辺が完全にビルだけの町になったのに対して、この西天満辺りにはまだ住民である人たちがいます。

             
             酒屋の古い看板

 立派な蔵を持つ質屋も現役です。戦国期の京の「土倉」を偲ばせます。といっても戦国期の京を見たわけではありませんが。

             
 
 道路を渡って兎我野町の方に歩けば怪しげな女性が声を掛けてきますから、それを望まぬなら歩道橋で新御堂を渡り、現在の旭屋書店本店方面に行きましょう。昼間から少しビールを飲むならば、キリンケラーヤマトのビールがうまい。するめの天麩羅を置いているのもうれしいことです。            
 


6 コメント

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もはや懐かしの場所に。 (道草)
2010-07-07 06:26:01
「難波」と書けば、かつてさ迷ったミナミを思い浮かべます。どうしてキタでもこの文字を使うのでしょう。おそらく、酔眼では混乱して錯覚に陥るのでは・・・と心配です。ただ、こんな薔薇園があるとは知りませんでした。
「バラの小径」は、徘徊堂さんにも似合うと思いますヨ。「サケの裏路」の方が、更にお似合いなのは万(憶)人の認めるところでしようけど。それにしても、薔薇の名称に「ゲイシャ」はどうでしょうか。せめて、「ゲイコサン」とか「マイコハン」にしてほしい、と思うのですが・・・。
ただ、裁判所の辺りは、散歩にはなかなか適している様です。「検察審査会」の存在は最近になって知りましたが、世の中には色んな所に三百代言が多いものです。いずれ天誅が降るでしようけど。
昔の旭屋は木造で、大阪駅の正面にあったと記憶していますが、この場所のことでしょうか。「菊正宗」の看板が、右書きでないのが不思議です。浪花人は進歩的だったのかも。キリンケラーヤマトへは一度行かないと、と思いながら大阪勤務が終えました。
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前の旭屋本店 (gunkanatago)
2010-07-07 12:54:49
 道草様、コメントをありがとうございます。難波橋は、江戸時代には浪花橋と言っていたはずなのですが、何故この字が当てられたのでしょうね。
 前の旭屋本店は、思ってもみないような古い本があったり、買った本を店内の喫茶リーブルでゆったりと読めたり、なかなか良い店でした。阪急百貨店書籍部なども永久に売れないであろうような書籍を贅沢に並べていました。今の効率中心の本屋の品揃えはどこも同じで面白くありません。このあたりは丸ビルが建ったころから再開発が始まり、古い商店街はすっかり消えてしまいました。その丸ビルの前にタイ人の売笑婦が列んだことすら既に一昔前のこととなり、今や無機質の街になっていますが、ここに比較すると西天満は面白いです。
 キリンケラーヤマト、ビールだけ飲むなら良いですね。機会があればお供します。
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なんと懐かしき、、 (mfujino)
2010-07-08 21:37:01
gunkanatagoさま、 懐かしい処であります。何百回も通りました。別れた女房殿が地方裁判所に勤務していた関係や本町から出向先の三菱商事までとか、夜の接待で本町から北の新地までとか、また長じてからは自転車でポタリングでよく通りました。裁判所は昔のレンガ造りの時から入っていました。また公会堂も昔の建物が懐かしいですね。今はもうありませんが住友ビルのあたりにあった大阪ホテル(だったかしら、、)もいい雰囲気を感じました。学園紛争で窓が割られた大阪大学、、、ダイビルも建て替えられるのですね。中之島に残っている古い建物は府立図書館くらいでしょうか?老松町若松町って懐かしいのですがまだ町名として残っているのかしら?ギャラリーも多いですね。我が女房が趣味でやっていた焼物の個展を開いた最終日、来客のおばちゃん達があれ売って、これなんぼ?と大阪ってすぐに商売になるんやねと横浜在住の彼女の従姉妹が感心していたことを思い出しました。
兎我野町界隈はネオン街もいいところですが、ところどころ古いお寺があったりしたような、、ず~と東へ堀川戎を過ぎ、大川まで歩くと大塩平八郎の墓があったり、山片蟠桃の墓もあったはず、あの鉄筋コンクリートの寺町はあまり風情はありませんが浪華の歴史を勉強するにはいいところだと思います。徘徊の後は大川端を風に吹かれて歩き京橋へというのも乙なものかもしれません。それとも天満橋商店街をちょっと外れた裏町で立ち呑みに良い店があるかも。私の一番のお気に入りは「肴や」であります。あそこのキズシは丸一屋より更に美味い。明治屋と良い勝負であります。なにせ立ち呑み屋でギネスの生が呑めるのですから。来週は大阪で立ち呑み屋のハシゴでもしようかな~(^_^)
近代的な建物群のなかにぽつんと古い建物が残っていたりごちゃ混ぜの街が浪華なのかもしれませんね。
難波橋ですが、あの辺りの橋は割と立派ですね。でもパリで仕事して帰って来て見た時にはあの重厚な橋を見た後ではやはりイミテーションの薄っぺらさを感じてしまいました。
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兎我野・菅原・堂山 (gunkanatago)
2010-07-09 13:18:29
 mfujino様、コメントをありがとうございます。そうでしたか、昔日のmfujino様が随所におられる街だったのですね。老松町は地名としてまだ残っているのではないかなと思います。南森町などの古い町屋の建物はすっかり無くなった中で、何か奇跡のようにあの一画だけが昔のままです。
 兎我野町や菅原町界隈は依然として風俗の街ですが、中に太融寺などのお寺がポツリポツリ、大塩平八郎の墓もここ数年できれいに整備されました。昔と違ってキャッチのおっさんが少なくなり、タチンボのお姉ちゃんも減っていますが、時々実力行使に及ぶお姉ちゃんがいるのは昔のままです。
 お書きになっておられますように、あの辺りを歩いた後は梅田方面に行くよりも天神橋筋商店街の方に行くのがよいですね。「肴や」は未だ入ったことがありませんが、近いうちに必ず行きたいと思っています。
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バラ園、来年の楽しみに (ささ舟)
2010-07-12 15:16:25
こんにちは~
難波橋は「なにわ橋」と読むのでしょうか?さすが水都大阪ですね、京阪電車に乗っていても幾つ橋の付く駅があるのかしら?数えたことはないけれど・・・中之島のバラ園はぜひ訪れてゲイシャやヘップバーンに会いたいものです。5月のバラ園の華やかさと背景の高層ビル群は京都では見れない凄さがありますね。
鴨川のさらさらとした流れやなしに満々とした大川の水量に似て、てんこ盛り、賑やか、などが浪花の血が騒ぐ根底のように感じてなりません。
旭屋本店は曽根崎警察の横でしたか?私、阪急百貨店横の紀伊国屋書店とごっちゃになっています。京都丸物後の近鉄百貨店に旭屋書店が開店した時、初日に行きました!
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花見時には (gunkanatago)
2010-07-12 20:42:46
 ささ舟様、コメントをありがとうございます。バラは5月ですか?随分と先のことになりますが、来年は4月頃から偵察に行って、ご報告いたします。是非、明春の花見時にお越し下さい。京阪中之島線難波橋駅が最も近い駅になりました。
 丸物-近鉄系の百貨店には旭屋書店が入っていましたね。京都近鉄の旭屋には2、3度しか行きませんでした。月に1度は大阪の空気を吸う理由付けに、本は曾根崎警察署横の旭屋本店で取り寄せています。旭屋ビルの隣のビルの地下1階と2階にヤマトがあります。
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