「ナッチョ」とは、けったいな名でありますが、山の名前です。別名を天ヶ森と言いますが、これもまた山の名前としては変わっています。下に「山」でも付けば自然なのですが、そういうものは一切付かない。以前に「百井(ももい)」集落で土地の人に尋ねたときも「ナッチョ」で通じましたし(というより土地の人が使っている通称が広まったとする方が自然)、その時は何も思いませんでしたが、今から考えると何故そういう名が付いているのか聞いてみてもよかったなあというところです。正式な山の名は高谷山というそうです。
迷いの天才である小生は、昨秋(08年)百井集落よりナッチョを目指し、土地の人に懇切丁寧に道を教えてもらいながら、結局は尾根を一つ間違えて山頂には行けませんでした。「えー、あんなとこ普通は間違えへんで!」等と随分と言われましたが、間違えたのだから仕方がない。今回は、逆のルートである大原の小出石から頂上を目指し、前回にどこでどう間違えたかを確認しようと思います。
小出石の登山口は、非常にはっきりしています。谷間から入り尾根筋に出るまでは、そこそこの登りが続きますが、時折後ろを振り返ると比叡山が「ヤア!」と挨拶をしてくれます。道ははっきりとしていますが、目印のテープなどは殆どありません。
尾根筋に出てからも道ははっきりとしていますが、どうも登山道を包み込んで鹿除けのネットをはったようで、ネットの中に入らずに行こうとするとネットに沿って少しばかり道無き道を行かねばなりません。それでも「快調、快調。」とどんどんと進んでおりますと、いつの間にか百井から延びる林道に出てしまいました。またまた、ピークを外したのであります。山道におる蟻や蜘蛛を踏みつぶさぬようにと下ばかり見ながらずんずんと進むうちに小さなプレートを見落としていたのであります。「こら、いかん!」と引き返して、すぐにピークに到達しましたが、ここでの20分あまりのロスによって「百井別れ」からバスに乗って楽~に帰るという計画は変更となります。
ナッチョ頂上からは琵琶湖がかなりはっきりと見えていますが、この日の天候では写真には写りませんでした。またまた、「見通しの良い日に来る」という宿題ができてしまいました。
この方向に琵琶湖が見えている。
812.6メートルどす。
さて、再び先ほどに出てしまった林道へ。前回の失敗がよく解ります。林道から登山道に入って、しばらくは林道と並行して進まねばならぬところを、良い道が有ったものですから真っ直ぐに進んでしまって、気がついたら大原に到達しておった訳です。さあ、ここより百井集落に出て、この段階では未だバスに乗るつもりです。ザクザクと百井峠を目指します。林道の出口近く、本日見送ってくれたのは立派な蛇でした。
百井の集落、里の秋であります。比叡山千日回峯行を始めた相応和尚に不動明王示現を導いた思子淵明神は、安曇川水系の水の神様とのことですが、ここの鳥居はログ鳥居とでも言いましょうか、なかなかに珍しいものです。この日は秋祭りの相談でしょうか。斜面に立てられた集会所では何やら賑やかに話し合いが行われています。ちょいと聞いていきたい気もしますが、ここは急ぎます(まだバスに乗る気)。
またまた、写真では見づらいのですが、彼方に花背の大鉄塔が見えてきます。この調子ならバスの時間に間に合うのではと思いましたが、百井峠にて丁度バスの時間となりました。これでメロディバスの流す音楽でも聞こえていれば、さらにマヌケ度が増すのですが、幸いバス停には未だ十分に遠くてアキラメも早くつきます。
百井峠
このままバス道まで下りて鞍馬まで歩いた方が速いのですが、それでは面白くないということで、天ヶ岳経由で鞍馬に出ることにします。この道は、もう有名な「シャクナゲ尾根」への道、踏み跡もしっかりとあるだけでなく、テープも色とりどり、ナッチョへの道とは随分と違います。
きれいな雑木林、まだシャクヤク尾根には至らないのですが、それを思わせるようなところを過ぎていきます。ただ、木の根道は人の踏み跡で皮が全て剥けてしまってツルツルになっていて、何とも痛々しい。鹿や猪などのけものは木の根道を歩くときでも木の根を避けるといいます。そういう点では、人間が一番劣る。この近くの鞍馬寺の霊宝殿から貴船まで下りる道の木の根道などはツルツルを通り越してボロボロになりつつあります。早晩、あそこの木の根道は無くなることでしょう。鞍馬寺も観光客ワンサカでウホウホしている場合やおまへんで。
途次、鉄塔のところで鞍馬尾根、貴船山など山々のひだがよくわかるところがあります。この送電線は、彼方の桟敷ヶ岳までも延びています。ただ、この日はあまり遠くは見えません。これもまた宿題ぢゃな。
山頂、788mどす。
天ヶ岳山頂から出発点の小出石方面に向かえばシャクナゲ尾根、5月のシーズンには「銀座」状態となります。今は誰もいません。そういえば今日は百井集落で住んでいる方々を見かけた他は山では誰にも会いません。ここから鞍馬への道もハイウェイをたどるようなものです。但し、料金所もサービスエリアもありませんが。
戸谷峠・確か512mどす。
鞍馬寺が近づくと経塚が姿を現します。鞍馬寺のある鞍馬山のみならず花背や今歩いている尾根にも幾つかあるようで、「経塚ベルト地帯」であります。そういえば、小生の博物館学の先生(故人)の御専門はこの近辺の経塚の研究でありました。が、本棚のどこかを探せばあるはずながら、その論文は全く読んでない。往時も読んだふりをして実は読んでいない。経塚の後ろから「こらあ!」と化けて出るかなと申す処。その先生は授業の後に良くビールをおごってくれました。化けて出てくれたら今度はこちらがオゴッタルでぇ。
いよいよ鞍馬に近づくと薬王坂です。最澄の前に薬王菩薩が現れた場所とのことですが、この坂を行く最澄自身が薬王菩薩に見えたとの話もあります。鞍馬と静原を結ぶ峠ですが、えげつない坂です。もう、叡電が走る音も聞こえてきます。何故か、麓で犬がワンワンと鳴く声を聞くと、「ああ人里じゃ。」という感が強まります。
小出石を正午に出て、鞍馬駅到着は5時30分、既に薄暗くなった駅には誰もいません。こういう鞍馬駅は久しぶりであります。
この時間ならば、出町柳の「あうん」が開いているかも知れぬ。出町では、かつてマスター自らが焙煎したガヨマウンテンを飲ませたカミヤ珈琲店が既に無く、お好み焼きのぼん蔵の2階も無くなった。この「あうん」には是非とも頑張ってもらわねばならぬのです。鞍馬から出町までの30分間は近年になく長く感じた時間でありました。
(09年9月記)
迷いの天才である小生は、昨秋(08年)百井集落よりナッチョを目指し、土地の人に懇切丁寧に道を教えてもらいながら、結局は尾根を一つ間違えて山頂には行けませんでした。「えー、あんなとこ普通は間違えへんで!」等と随分と言われましたが、間違えたのだから仕方がない。今回は、逆のルートである大原の小出石から頂上を目指し、前回にどこでどう間違えたかを確認しようと思います。
小出石の登山口は、非常にはっきりしています。谷間から入り尾根筋に出るまでは、そこそこの登りが続きますが、時折後ろを振り返ると比叡山が「ヤア!」と挨拶をしてくれます。道ははっきりとしていますが、目印のテープなどは殆どありません。
尾根筋に出てからも道ははっきりとしていますが、どうも登山道を包み込んで鹿除けのネットをはったようで、ネットの中に入らずに行こうとするとネットに沿って少しばかり道無き道を行かねばなりません。それでも「快調、快調。」とどんどんと進んでおりますと、いつの間にか百井から延びる林道に出てしまいました。またまた、ピークを外したのであります。山道におる蟻や蜘蛛を踏みつぶさぬようにと下ばかり見ながらずんずんと進むうちに小さなプレートを見落としていたのであります。「こら、いかん!」と引き返して、すぐにピークに到達しましたが、ここでの20分あまりのロスによって「百井別れ」からバスに乗って楽~に帰るという計画は変更となります。
ナッチョ頂上からは琵琶湖がかなりはっきりと見えていますが、この日の天候では写真には写りませんでした。またまた、「見通しの良い日に来る」という宿題ができてしまいました。
この方向に琵琶湖が見えている。
812.6メートルどす。
さて、再び先ほどに出てしまった林道へ。前回の失敗がよく解ります。林道から登山道に入って、しばらくは林道と並行して進まねばならぬところを、良い道が有ったものですから真っ直ぐに進んでしまって、気がついたら大原に到達しておった訳です。さあ、ここより百井集落に出て、この段階では未だバスに乗るつもりです。ザクザクと百井峠を目指します。林道の出口近く、本日見送ってくれたのは立派な蛇でした。
百井の集落、里の秋であります。比叡山千日回峯行を始めた相応和尚に不動明王示現を導いた思子淵明神は、安曇川水系の水の神様とのことですが、ここの鳥居はログ鳥居とでも言いましょうか、なかなかに珍しいものです。この日は秋祭りの相談でしょうか。斜面に立てられた集会所では何やら賑やかに話し合いが行われています。ちょいと聞いていきたい気もしますが、ここは急ぎます(まだバスに乗る気)。
またまた、写真では見づらいのですが、彼方に花背の大鉄塔が見えてきます。この調子ならバスの時間に間に合うのではと思いましたが、百井峠にて丁度バスの時間となりました。これでメロディバスの流す音楽でも聞こえていれば、さらにマヌケ度が増すのですが、幸いバス停には未だ十分に遠くてアキラメも早くつきます。
百井峠
このままバス道まで下りて鞍馬まで歩いた方が速いのですが、それでは面白くないということで、天ヶ岳経由で鞍馬に出ることにします。この道は、もう有名な「シャクナゲ尾根」への道、踏み跡もしっかりとあるだけでなく、テープも色とりどり、ナッチョへの道とは随分と違います。
きれいな雑木林、まだシャクヤク尾根には至らないのですが、それを思わせるようなところを過ぎていきます。ただ、木の根道は人の踏み跡で皮が全て剥けてしまってツルツルになっていて、何とも痛々しい。鹿や猪などのけものは木の根道を歩くときでも木の根を避けるといいます。そういう点では、人間が一番劣る。この近くの鞍馬寺の霊宝殿から貴船まで下りる道の木の根道などはツルツルを通り越してボロボロになりつつあります。早晩、あそこの木の根道は無くなることでしょう。鞍馬寺も観光客ワンサカでウホウホしている場合やおまへんで。
途次、鉄塔のところで鞍馬尾根、貴船山など山々のひだがよくわかるところがあります。この送電線は、彼方の桟敷ヶ岳までも延びています。ただ、この日はあまり遠くは見えません。これもまた宿題ぢゃな。
山頂、788mどす。
天ヶ岳山頂から出発点の小出石方面に向かえばシャクナゲ尾根、5月のシーズンには「銀座」状態となります。今は誰もいません。そういえば今日は百井集落で住んでいる方々を見かけた他は山では誰にも会いません。ここから鞍馬への道もハイウェイをたどるようなものです。但し、料金所もサービスエリアもありませんが。
戸谷峠・確か512mどす。
鞍馬寺が近づくと経塚が姿を現します。鞍馬寺のある鞍馬山のみならず花背や今歩いている尾根にも幾つかあるようで、「経塚ベルト地帯」であります。そういえば、小生の博物館学の先生(故人)の御専門はこの近辺の経塚の研究でありました。が、本棚のどこかを探せばあるはずながら、その論文は全く読んでない。往時も読んだふりをして実は読んでいない。経塚の後ろから「こらあ!」と化けて出るかなと申す処。その先生は授業の後に良くビールをおごってくれました。化けて出てくれたら今度はこちらがオゴッタルでぇ。
いよいよ鞍馬に近づくと薬王坂です。最澄の前に薬王菩薩が現れた場所とのことですが、この坂を行く最澄自身が薬王菩薩に見えたとの話もあります。鞍馬と静原を結ぶ峠ですが、えげつない坂です。もう、叡電が走る音も聞こえてきます。何故か、麓で犬がワンワンと鳴く声を聞くと、「ああ人里じゃ。」という感が強まります。
小出石を正午に出て、鞍馬駅到着は5時30分、既に薄暗くなった駅には誰もいません。こういう鞍馬駅は久しぶりであります。
この時間ならば、出町柳の「あうん」が開いているかも知れぬ。出町では、かつてマスター自らが焙煎したガヨマウンテンを飲ませたカミヤ珈琲店が既に無く、お好み焼きのぼん蔵の2階も無くなった。この「あうん」には是非とも頑張ってもらわねばならぬのです。鞍馬から出町までの30分間は近年になく長く感じた時間でありました。
(09年9月記)
それにしても、ナッチョですか。標識にもそう書いてあるのでしょうけど、夏の夜に盛んに登山したからナツチョ・・・そんな訳がないですよネ。天ケ森はテンガモリそれともアマガモリどちらでしょう。神々の降臨か何かに関係する、かなり由緒のある山なのでしょうか。
ガヨマウンテンなるコーヒの銘柄も初耳です。山の知識もさりながら、方言と嗜好品の薀蓄が聞けて楽しみです。
それにしても地図を持って歩いていやはりますのか?持ってても分からへんことが多いのが北山の楽しみでもありますけどね。
カミヤ珈琲店の閉店は、やはり一つの文化が失われたと言って良いのではと思います。ガヨマウンテン自体は豆の種類ですので、探せば扱っている店もあると思います。小生は酒にいじきたなくなる前は珈琲をよく飲んでいました。今は、喫茶店に入ってもビールばかり頼んでいますが。
地図・磁石ちゃんと持っているのですが、どうも迷ったときにだけ見ている感じです。迷い初めの時は、道がはっきりしていて、これが正しい道だと確信して進むからだと思います。gPSを買っても宝の持ち腐れになるようにも思いますし…。