トップの写真は池田の西光寺です。江戸時代の相撲取である猪名川政右衛門の墓の側に咲いています。政右衛門の墓には酒を供えてやらねばなりませんが、相手は相撲取やしなあ、ワンカップではさびしいけど、一升瓶を供えたらコチラのふところがさびしくなるしと申す処。
さて、4月17日、小生のながーい手による情報では、鴨川の河原は狂気状態、麗しの北山に入ることも御室の桜のおかげでちょっと無理、こういうときは池田にシケコムに限るのであります。彼の地区選出の元代議士、「やはり一月に一度はひばりのたこ焼きを食べなくてはならない」、よく解ってるやんけ。前回の衆議院選はその後国民全部が大反省することになったから、次は大丈夫ですよ。
池田でたこ焼きを食う前に、澱都大川端のサクラなどを少しと思いましたが、こちらも発狂状態、桜の花びらより人の数の方が多いんとちやうかということで、バラ園のバラの状態を確認してすぐにトンズラします。
全ての苗がこの状態。つぼみがついています。
ひばりでのたこ焼きとビールは例の通り、彼の代議士は2日前にも来店したそうです。「わたしも応援してますねん。ホンマにきまじめでエエ人です。」とおばちゃんの弁。前回はアホの民主党に敗れましたが、次回は当選するでしょう。気違いから無能へ、2代続いた民主党政権にはホント皆がうんざりしているようです。アホ政権の誕生、小生は無罪ですよー、前の衆議院選は投票してない。山に行ってたもん(笑)。
ひばりを出て、さてどうすべえとウロウロしていたら、池田も市議会議員選挙の真っ最中、15名ほどの宣伝部隊が徒歩でやってきます。「おーい、お前ら何党や。」、ここで「辛党!」とか言ってくれれば嬉しいのですが、ちょっと躊躇って「…民主党です。」と返事します。「ウワァ!そらあかんわ。今にいたって民主党に入っているなんか気違いやでー。」、「反省しております。」と何か弱気です。
ひばりの後は「吾妻(元治元年創業)」を覗く癖が付いてしまっています。そーと引き戸を開けると、「いらっしゃい!お座敷にどーぞ。」、「エッ、空いてるの?」と3度目の正直です。
吾妻内部1
吾妻内部2
ささめうどん
おい、ささめうどん。お前に会うためにどれだけ苦労したことか。嬉しすぎて写真はぼけています。この店、たいていは満席で、列ぶとか待つという言葉が頭の中には無い小生は結局は入れずに退散するのですが、本日はラッキーでした。さらに、午後3時21分、遂に客は小生一人、「フーン、こういう時間帯もあるんや。」。5分後には新しい客が入ってきましたが。
ささめうどんの細さ、うどんというより白いラーメンと申す処、この細い麺にあんかけのあんがよく絡みます。普通のうどんも食いたい。昔はおばあさんが「しのだー」と店の奥に叫んでいた「きつねうどん」も食いたいところですが、この後は串カツを食わねばなりませんので本日は我慢。
西光寺と吉田酒造の間の路地。
吾妻を出た後は川縁をブラブラ、呉服橋と絹延橋の間にあるから中橋、対岸の辺りは廣瀬旭荘が70日余りを池田で過ごし、病死したところです。ここは西に進み川西市に入ります。式内小戸神社の参道のサクラはチラホラと散り初めです。
小戸神社内
西光寺といい、小戸神社といい、これらのサクラを独り占めであります。いやいや仏や神は見ておられるか。この小戸神社を中心に住宅地「鶴の荘荘園」が開発されたのは戦前のことでした。一条通や二条通の名は、その際に付けられたものでしょうか。ただし、川西市の一条通などは南北を結ぶ線です。通りの間は30メートルぐらいしかありません。本当、静かで良い街です。開発当初は狐が人々をよく騙したとのことです。
一条通(南から)
二条通(南から)
目指した川西能勢口駅前の串カツ屋は未だ「支度中」でした。奥に行って「ヤーコンうどん」を食うにはちょっと遅いし(能勢電車妙見口駅前)、仕方がない。ここは救世主、「朝から飲める」十三に赴くことにいたします。
さて、4月17日、小生のながーい手による情報では、鴨川の河原は狂気状態、麗しの北山に入ることも御室の桜のおかげでちょっと無理、こういうときは池田にシケコムに限るのであります。彼の地区選出の元代議士、「やはり一月に一度はひばりのたこ焼きを食べなくてはならない」、よく解ってるやんけ。前回の衆議院選はその後国民全部が大反省することになったから、次は大丈夫ですよ。
池田でたこ焼きを食う前に、澱都大川端のサクラなどを少しと思いましたが、こちらも発狂状態、桜の花びらより人の数の方が多いんとちやうかということで、バラ園のバラの状態を確認してすぐにトンズラします。
全ての苗がこの状態。つぼみがついています。
ひばりでのたこ焼きとビールは例の通り、彼の代議士は2日前にも来店したそうです。「わたしも応援してますねん。ホンマにきまじめでエエ人です。」とおばちゃんの弁。前回はアホの民主党に敗れましたが、次回は当選するでしょう。気違いから無能へ、2代続いた民主党政権にはホント皆がうんざりしているようです。アホ政権の誕生、小生は無罪ですよー、前の衆議院選は投票してない。山に行ってたもん(笑)。
ひばりを出て、さてどうすべえとウロウロしていたら、池田も市議会議員選挙の真っ最中、15名ほどの宣伝部隊が徒歩でやってきます。「おーい、お前ら何党や。」、ここで「辛党!」とか言ってくれれば嬉しいのですが、ちょっと躊躇って「…民主党です。」と返事します。「ウワァ!そらあかんわ。今にいたって民主党に入っているなんか気違いやでー。」、「反省しております。」と何か弱気です。
ひばりの後は「吾妻(元治元年創業)」を覗く癖が付いてしまっています。そーと引き戸を開けると、「いらっしゃい!お座敷にどーぞ。」、「エッ、空いてるの?」と3度目の正直です。
吾妻内部1
吾妻内部2
ささめうどん
おい、ささめうどん。お前に会うためにどれだけ苦労したことか。嬉しすぎて写真はぼけています。この店、たいていは満席で、列ぶとか待つという言葉が頭の中には無い小生は結局は入れずに退散するのですが、本日はラッキーでした。さらに、午後3時21分、遂に客は小生一人、「フーン、こういう時間帯もあるんや。」。5分後には新しい客が入ってきましたが。
ささめうどんの細さ、うどんというより白いラーメンと申す処、この細い麺にあんかけのあんがよく絡みます。普通のうどんも食いたい。昔はおばあさんが「しのだー」と店の奥に叫んでいた「きつねうどん」も食いたいところですが、この後は串カツを食わねばなりませんので本日は我慢。
西光寺と吉田酒造の間の路地。
吾妻を出た後は川縁をブラブラ、呉服橋と絹延橋の間にあるから中橋、対岸の辺りは廣瀬旭荘が70日余りを池田で過ごし、病死したところです。ここは西に進み川西市に入ります。式内小戸神社の参道のサクラはチラホラと散り初めです。
小戸神社内
西光寺といい、小戸神社といい、これらのサクラを独り占めであります。いやいや仏や神は見ておられるか。この小戸神社を中心に住宅地「鶴の荘荘園」が開発されたのは戦前のことでした。一条通や二条通の名は、その際に付けられたものでしょうか。ただし、川西市の一条通などは南北を結ぶ線です。通りの間は30メートルぐらいしかありません。本当、静かで良い街です。開発当初は狐が人々をよく騙したとのことです。
一条通(南から)
二条通(南から)
目指した川西能勢口駅前の串カツ屋は未だ「支度中」でした。奥に行って「ヤーコンうどん」を食うにはちょっと遅いし(能勢電車妙見口駅前)、仕方がない。ここは救世主、「朝から飲める」十三に赴くことにいたします。
お昼過ぎから雷を伴う強い雨風でしたが、窓ガラスには点々と可愛い花びらの模様が出来てわたしは歓喜しました。
哀しみの春もすこしづつ初夏に向かっています。バラ園の薔薇の成育の早いことにはホントにびっくり!5月の心斎橋界隈のそぞろ歩きがとても楽しみになりました。
小戸神社内の桜満開ですね。お気の向くまま、ついでのお花見いいじゃないですか。花よりたこ焼き、花よりささめうどんと良いことづつしですね。私も生姜の効いたあんかけうどんが大好きです。なかでもあんで化けた狸うどんをふうふうしながら食べるのが最高です。
確か旭川も一条通り二条通りがあったようですが、南北か東西だったか全然覚えていないな。
心斎橋界隈→中ノ島界隈でした。
「ひばり」は相変わらず繁盛しているみたいですが、章魚焼党党首の徘徊堂さんを前にすれば、民主党議員など烏賊みたいなものでしよう。ただ、参政権を発揮しないのは、無罪ではなくて延罪です。
今回は「吾妻」が登場しましたが、ささめうどんとは細目の意味でしょうか。「しのだ」と呼ぶ所は最近は少ないのでしょう。「けつね一丁!」も、今や死語ですか。それにしても「ヤーコンうどん」は初耳です。さすがは、大阪のうどん文化は奥深いものです。「ヤーサンうどん」の転化ですか?大阪ですから。まぁ、ナニであれ、徘徊堂さんの行き着く所は決まっているのですから・・・。「うどん屋の饂飩の文字が混沌の文字になるまでを酔う」高瀬一誌。
ささめうどんには、生姜、胡麻のすりおろし、塩昆布などが入っています。また、池田にお出で下されば御案内します。あんかけになっていて熱いと、いっきに食べられず、時間がかかるので何か得をした気分もありますね。
小戸神社は、式内社なのですが、平生は参拝者は殆ど見られず、いつも独占状態です。近年、社殿が新しくなりましたが、石柱に知り合いが100万円を寄付してるのを見つけたときなどは「オー!」と思わず声を出してしまいます。
ヤーコンこそ能勢町が町運をかけて(笑)、栽培にのりだした「いも」です。どこか別の街でも一度目にした記憶があるのですが、どこか忘れてしまいました。ただ今「2011年スジコンの旅」を企画中(あまりにアホらしいので一人で行きます)ですが、「ヤーコンの旅」もいいかも知れません。能勢妙見口から妙見山、奥の院から歌垣山などです。歌垣山のふもとの倉垣には清酒「秋鹿」の蔵があります。
昨日は堀越峠の西隣、熊壁坂を目指したのですが、小畑先生が10年以上前に歩かれた頃とは様相が変わっていまして取り付きが分からなく撤退しました。ちょっと見上げれば稜線が見えるので、え~い取り敢えず登ってしまえ~となるのですが、先生も82歳、そういう訳にはいきませんでした。反対側の名田庄からの旧バス道の取り付き場所も目星を付けましたので今度は一人で、ちょっと年取った人でも安全に歩けるかどうかちゃんと下見してこないと…。
細うどんは我が好みであります。うどんの話が出てきたら、堺筋の、やなぎ、のカレーうどんとカツ丼台抜きを食べたくなりました。なんか、スジ、の話も出てますが、これは土手焼きを連想してしまう(^_・)
民主党はあそこまで無能とは、と呆れかえる他ありません。それとテレビで原発事故を解説してたセンセイ方は何を話していたのでしょう。東電に金を貰っていたら言うことも言えないのでしょうね。何かコメントになってませんねm(. .)m
京北=第2の造幣局計画、その規模においては造幣局などものの数に入らぬようなものにできそうですね。一目千本の吉野ですが、山国周山間の桜街道を始め、見るところから見たらひと目1万本も夢ではないのではと思います。
以前関電がオール電化を勧めにやってきました。停電したら生きていけないなあと言ったら笑っていましたが、それが現実化していますね。「自活」を考えるとプロパン(少なくともボンベが無くなるまでは使える)もいいし、山用のホワイトガソリンも急ぎ補充中です。