以前、橿原市の貝吹山についてあれこれ調べていた時に、2万5千分の1地形図で「おー、すごい環濠集落じゃ。」と言えるものを見つけました。奈良には環濠集落が多いということですが、地図を見ていてそれだと分かったのは今回が初めてです。「まあとにかく行ってみよう。」ということで大和高田に出かけました。
近鉄の大和高田駅は大阪線の駅であります。ところが花粉ボケで南大阪線と思い込んでしまい、降りたところは高田駅。「まあこれも何かの縁じゃ。」と周辺をウロウロしたところ駅前に石園坐多久蟲玉神社、建玉依比古命・建玉依比賣命が主祭神です。同じ名の男女2神が祀られているところは小生の勝手な解釈では土地の地主神であると思われます。大和高田唯一の式内社というのは意外でした。
酒も大和の地酒かな
境内をウロウロしているとこの近辺は何と「静御前の里」で売り出しているようです。静御前の母である磯野禅尼がこのすぐ近くの出身であったということで、静御前関係の史跡がいくつかあるようです。一瞬触手が動いたのですが、本日は反対の方角に進むことになるので次回の宿題としました。
ここからすぐに北上してもいいのですが、ここは第三代安寧天皇の宮である片塩浮穴宮跡にも比定されています。高田駅の一つ向こうには浮穴駅もありますので、ちょっとここらをウロウロしていこうと思いました。途中の和菓子店には「おだまき」なる菓子、静御前の「しずやしず しずのおだまき」という今様から名付けられているのでしょう。
奈良盆地は讃岐平野と並んでため池が多いところ、この付近にも幾つかのため池がありました。池の端ではたくさんの亀が日向ぼっこをしています。写真を撮ろうと近づくと亀には似合わぬスピードで池に飛び込んでしまいます。釣りは禁止されているのですが、柵を乗り越えて釣りをしているオッサン連中もいます。
しばらくブラブラと歩いていると杵築神社に着きました。別名を藏之宮、杵築神社と言う以上は出雲さんなのですが、御祭神は素戔嗚尊です。
出雲さんならば祭神は大国主命だろうと思われますが、実は出雲大社そのものも中世には素戔嗚尊が主祭神でした。元締めは祭神を変えたが、全国には周知しなかったのでしょう。今でも出雲神社や杵築神社で祭神を素戔嗚尊としているところは多いようです。
さらに進んで葛城川の土手に上がると畝傍山が見えました。黄砂等の影響で霞んでいます。そういえば畝傍山に登ることも宿題になったまま。
土手を降りて古い集落を抜けていきます。どうやら浮穴の駅は通り越したようです。ぼちぼち北上を考えねばなりません。
住吉川の堤防には桜がたくさん植えられています。もうあと2週間後に来ていたら花を楽しめたと思います。
165号線にぶつかるまで土手を進み、後はこやつに沿って進みます。今里の集落には可愛らしいお宮さん。
西に進んでいた165号線が北上する辺りは竹内街道だということです。何となく古い道の雰囲気が漂います。
ため池の横に小学校、その付近に高田城祉がありました。織田信長の勢力拡大の途中で、筒井氏に滅ぼされた高田氏の城と言うことです。ということはかつては貝吹山の越智氏とも連携したのでしょう。
JRの和歌山線を越えたところに八幡神社、このお宮さんの付近一帯は伊福寺という寺の跡だそうです。
再び165号線に復帰して北上します。広陵町の大きな給水タンクが見えます。山を持たぬ自治体にとって水道水の確保はなかなかに難しい問題なのでしょう。
165号線が再び西へと左折するところで、こちらはそのまま北上します。右手に大きな森が見えましたので近づくと藤森環濠集落の解説板、壕が残っているのはごく一部のようです。
森は十二社神社の森でした。この壕でも亀がのんびりと日向ぼっこをしています。今回は写真に撮ることが出来ました。
元の道に復帰してしばらく北上すると本日の目的地である南郷環濠集落です。環濠はきれいに整備されているようです。
南の壕
環濠内に入りましたが、特に案内板とかそういうものはありません。今歩いているところが環濠内のメインストリートだと思いますが、人の姿もありません。
向こうから自転車に乗ったおばちゃんが来ます。これを逃したらもう永久に道は聞けないぞと思い、自転車を停めてもらって「この辺りの名所」について訪ねました。最初は何も知らんねんといっていたおばちゃんですが、結構色々と教えてくれました。「弥勒さんはみんなが見にきやはるなあ。」と言うことだったので、小生も見に行くことにしました。
山王神社の一画にある石仏が「弥勒さん」です。今はきちんとお堂の中に置かれています。さすがに古い石仏で、殆どが摩耗してしまっています。
弥勒堂
山王神社
神社を出て、元の道に復帰して、環濠を北に出るところに碑がありました。そのまま壕にそって集落の西北部まで来ました。
西北部
ここまで来たらということで、広陵町の役場に「デン」をしに行きました。オッ!歴史資料館があると喜んだのですが、閉まっていました。役場の前には「かぐやひめ」の大きな看板。かぐやひめの伝説となると洛西地域が有名なのですが、この地域にも何か伝わるようです。隣の大和高田は静御前、こちらはかぐやひめ。
さてさて、ここからさらに北上して巣山古墳に行くべきかどうか悩みましたが、本日は環濠集落の確認と言うことだったので、西側の縁に沿って南下し、大和高田駅に戻ることにしました。西の壕の周辺、桜が一部咲いていました。
西側もしっかりと歩けるように整備されています。環濠集落への主要な出入り口には結構立派な橋が架かっていました。
環濠の南西部を写真にとって、本日のところはお別れです。大和高田駅を目指します。
南西部
菜の花(もしかしたらカラシ菜)なんかも咲いていて、陽気はすっかりと春であります。けれども花粉がスゴイ、支那からのナンチャラという細かい粒も一杯飛んでいるのでしょう。外してジャブジャブと洗いたくなるぐらい目ん玉がかゆくなってきます。顔も髪の毛もなんかごわごわであります。花粉のアホー、支那のアホー。
大和高田駅に近いところに神楽(じんらく)という地名の所がありました。ここのお宮さんには村人に捕らえられた雷の話が伝わっています。
京橋駅では、まんぞく屋に奇跡的に座ることが出来ました。大瓶ビール1本¥390であります。造りの類は食べないので分かりませんが、天麩羅などは価格以上に良心的であります。レジでの支払いの時に「エッ?」と思うぐらい安いのが好ましい。
さて、何を食おうかな?
近鉄の大和高田駅は大阪線の駅であります。ところが花粉ボケで南大阪線と思い込んでしまい、降りたところは高田駅。「まあこれも何かの縁じゃ。」と周辺をウロウロしたところ駅前に石園坐多久蟲玉神社、建玉依比古命・建玉依比賣命が主祭神です。同じ名の男女2神が祀られているところは小生の勝手な解釈では土地の地主神であると思われます。大和高田唯一の式内社というのは意外でした。
酒も大和の地酒かな
境内をウロウロしているとこの近辺は何と「静御前の里」で売り出しているようです。静御前の母である磯野禅尼がこのすぐ近くの出身であったということで、静御前関係の史跡がいくつかあるようです。一瞬触手が動いたのですが、本日は反対の方角に進むことになるので次回の宿題としました。
ここからすぐに北上してもいいのですが、ここは第三代安寧天皇の宮である片塩浮穴宮跡にも比定されています。高田駅の一つ向こうには浮穴駅もありますので、ちょっとここらをウロウロしていこうと思いました。途中の和菓子店には「おだまき」なる菓子、静御前の「しずやしず しずのおだまき」という今様から名付けられているのでしょう。
奈良盆地は讃岐平野と並んでため池が多いところ、この付近にも幾つかのため池がありました。池の端ではたくさんの亀が日向ぼっこをしています。写真を撮ろうと近づくと亀には似合わぬスピードで池に飛び込んでしまいます。釣りは禁止されているのですが、柵を乗り越えて釣りをしているオッサン連中もいます。
しばらくブラブラと歩いていると杵築神社に着きました。別名を藏之宮、杵築神社と言う以上は出雲さんなのですが、御祭神は素戔嗚尊です。
出雲さんならば祭神は大国主命だろうと思われますが、実は出雲大社そのものも中世には素戔嗚尊が主祭神でした。元締めは祭神を変えたが、全国には周知しなかったのでしょう。今でも出雲神社や杵築神社で祭神を素戔嗚尊としているところは多いようです。
さらに進んで葛城川の土手に上がると畝傍山が見えました。黄砂等の影響で霞んでいます。そういえば畝傍山に登ることも宿題になったまま。
土手を降りて古い集落を抜けていきます。どうやら浮穴の駅は通り越したようです。ぼちぼち北上を考えねばなりません。
住吉川の堤防には桜がたくさん植えられています。もうあと2週間後に来ていたら花を楽しめたと思います。
165号線にぶつかるまで土手を進み、後はこやつに沿って進みます。今里の集落には可愛らしいお宮さん。
西に進んでいた165号線が北上する辺りは竹内街道だということです。何となく古い道の雰囲気が漂います。
ため池の横に小学校、その付近に高田城祉がありました。織田信長の勢力拡大の途中で、筒井氏に滅ぼされた高田氏の城と言うことです。ということはかつては貝吹山の越智氏とも連携したのでしょう。
JRの和歌山線を越えたところに八幡神社、このお宮さんの付近一帯は伊福寺という寺の跡だそうです。
再び165号線に復帰して北上します。広陵町の大きな給水タンクが見えます。山を持たぬ自治体にとって水道水の確保はなかなかに難しい問題なのでしょう。
165号線が再び西へと左折するところで、こちらはそのまま北上します。右手に大きな森が見えましたので近づくと藤森環濠集落の解説板、壕が残っているのはごく一部のようです。
森は十二社神社の森でした。この壕でも亀がのんびりと日向ぼっこをしています。今回は写真に撮ることが出来ました。
元の道に復帰してしばらく北上すると本日の目的地である南郷環濠集落です。環濠はきれいに整備されているようです。
南の壕
環濠内に入りましたが、特に案内板とかそういうものはありません。今歩いているところが環濠内のメインストリートだと思いますが、人の姿もありません。
向こうから自転車に乗ったおばちゃんが来ます。これを逃したらもう永久に道は聞けないぞと思い、自転車を停めてもらって「この辺りの名所」について訪ねました。最初は何も知らんねんといっていたおばちゃんですが、結構色々と教えてくれました。「弥勒さんはみんなが見にきやはるなあ。」と言うことだったので、小生も見に行くことにしました。
山王神社の一画にある石仏が「弥勒さん」です。今はきちんとお堂の中に置かれています。さすがに古い石仏で、殆どが摩耗してしまっています。
弥勒堂
山王神社
神社を出て、元の道に復帰して、環濠を北に出るところに碑がありました。そのまま壕にそって集落の西北部まで来ました。
西北部
ここまで来たらということで、広陵町の役場に「デン」をしに行きました。オッ!歴史資料館があると喜んだのですが、閉まっていました。役場の前には「かぐやひめ」の大きな看板。かぐやひめの伝説となると洛西地域が有名なのですが、この地域にも何か伝わるようです。隣の大和高田は静御前、こちらはかぐやひめ。
さてさて、ここからさらに北上して巣山古墳に行くべきかどうか悩みましたが、本日は環濠集落の確認と言うことだったので、西側の縁に沿って南下し、大和高田駅に戻ることにしました。西の壕の周辺、桜が一部咲いていました。
西側もしっかりと歩けるように整備されています。環濠集落への主要な出入り口には結構立派な橋が架かっていました。
環濠の南西部を写真にとって、本日のところはお別れです。大和高田駅を目指します。
南西部
菜の花(もしかしたらカラシ菜)なんかも咲いていて、陽気はすっかりと春であります。けれども花粉がスゴイ、支那からのナンチャラという細かい粒も一杯飛んでいるのでしょう。外してジャブジャブと洗いたくなるぐらい目ん玉がかゆくなってきます。顔も髪の毛もなんかごわごわであります。花粉のアホー、支那のアホー。
大和高田駅に近いところに神楽(じんらく)という地名の所がありました。ここのお宮さんには村人に捕らえられた雷の話が伝わっています。
京橋駅では、まんぞく屋に奇跡的に座ることが出来ました。大瓶ビール1本¥390であります。造りの類は食べないので分かりませんが、天麩羅などは価格以上に良心的であります。レジでの支払いの時に「エッ?」と思うぐらい安いのが好ましい。
さて、何を食おうかな?
私も、「高田」に大和が付くのとそうでないのとどれだけ違うのかよく知りませんが、まあ、何とかの巧妙で、それなりに有意義な徘徊で結構でした。
静御前の菓子は「おだまき」も結構ですけど、「ひとりしずか」は無いのでしょうか。あれば買いに行きますが(理由は内緒です)。
亀と言えば、いつか行った春日大社の近くの池にも沢山いました。子供の頃は、上桂川で雑魚釣りをしていると、たまに亀が釣れました。もちろん、そのまま川へ放しますが、川原で焼いて食べた悪童がいました(私ではありません。絶対に)。塩か醤油でもあれば別ですが、きっと生臭かったのでは・・・ちょっと露骨な話になりました。忘れてください。
出雲大社系統の神社は、全国に幾つあるのでしょう。祭神は、大国主と須佐之男では格が違うのでしょうか。私には、どちらも同じに思えますけど(無知です)。
それにしましても、静かな環濠集落ですネ。やはり過疎が進んでいるのでしょうか。そんな中で、親切な(勇気のある)小母ちゃんに出遭えて何よりでした。やはり「色男金と力は無くはなし」と言うところでしょうか。
かつ公害の中を、最後は桜の花と菜の花に慰められて、少しは気持ちが落ち着かれたことでしょう。格安の麦酒も何よりでした。
環濠集落はなぜ必要だったのでしょうか?
桜の開花がまだなのですね。鎌倉は、山桜が葉桜になり、桜色の山が新緑に変わりつつあります。
春霞か他からの空中攻撃か分かりませんが、富士山は見えませんし、遠景がききません。
浮孔という駅名で思い出しました。役行者生誕の地といわれていますね。小角さん縁の寺を巡る近鉄のプロモーションに乗りそこから集印帳を汚す歩きを始めたことです。檀家がない寺院が多くて立派な伽藍を誇るでなくどこかうら寂しいお寺を巡りました。
環濠集落がこの奈良盆地というか葛城盆地のあたりに多いのは何故でしょうね。竹ノ内や今井町ぐらいしか知りませんが、これは中国の影響もあるのでしょうか。
素盞雄命は本来は須佐の里の氏神であったと思われますが、出雲神話や大和政権による神話の形成時に重要な役を担う神とされました。大国主命は素盞雄の子孫とされたり、娘婿とされたりしています。中世には牛頭天王と集合した素盞雄命がとにかく人気ナンバーワンで祇園感神院(八坂神社の前身)のみならず出雲大社も素戔嗚尊を祭神としていたようです。
今から考えると和菓子屋は開いていたので「おだまき」を試してみても良かったかなと思います。
今井町は、寺内町でもありますね。この徘徊は3月17日のもので、桜は未だでした。今ちょうど京都は満開です。平生、富士山が見えるというのはいいですね。こちらも晴れていても視界は極めて悪いです。
浮穴は役行者の生誕地だったのですか。またまた、行かなければならないという気持ちがムクムクと湧いてきました。静御前もありますし(笑)。
奈良盆地は本当に環濠集落が多いですね。しかも起源が古い。神武天皇の名にその痕跡を残す(イワレヒコ=磐余の首長)、大和盆地の首長等による大和統一の過程で作られた環濠の記憶が後世まで伝えられたのかな等とも思っています。山城を造り得ないような地形なら濠をめぐらすしかないのかなというところですね。
いきなり下車駅をまちがえたということですが、その程度のハプニングはよくありますね。そのほか、急に腹痛になったり、忘れ物に気づいたり、天気の急変など、思い道理にならないのが旅行です。
海外旅行の場合は、しゃれにならない場合も多いのですが、国内はまずドンマイでしょう。
失敗談は、なまみの人間のレポートを感じ、高感度アップで~す。
30年ほど昔、山の辺の道を歩いた時、天理の南、柳本(やなぎもと)あたりで環濠集落を見たことがあります。この写真のようにコンクリートできれいに整備されておらず、村の風景としてしっくりしたものでした。環濠集落の情緒もムードも奪い去ってしまう、恐るべきは、歳月の流れではないでしょうか。
大和高田駅は一度も降りたことのない駅です。
奈良、天理、桜井にはしょっちゅう行きましたが、どうも見る所、興味のある所が偏っているんでしょうね。
京橋の飲み屋も然り、同じ所ばかりで、発展性なしです。(ちなみに、岡室酒店です。つねに飲みながら商売している大将の話がおもしろくて。)でも今度、まんぞく屋を開拓してみましょう。
いつもカシミールで見ている地図でもよーく見てみると見えますが、これをさっと見抜くのは相当の読図力がないと難しいです。
ここで気が付いたのですが、我が家近くを1/2,500(1/25,000ではなく)で見たのですが道の描き方などにかなりの間違いがありますね。山道や最新情報でないということでなく、3m級の道路などでの間違いです。国土地理院のだからと安心していてはいけんなあと再認識しました。ただこれだけの詳細な情報を準備しているとはすごいなあと感じます。
gunkanatagoさんの頭の中はどうなっているのでしょうね。本当にいろいろなことをご存じで、素晴らしいです。
環濠集落を廻られたのですね。小生も一番最初に知ったのは山の辺の道近くでした。当時は「フーン」程度の興味しかありませんでしたが。
京橋の岡室酒店、小生は知りません。本当の通の人は酒屋の角打ちというか、そういうところで飲まれますね。小生の知り合いでも「アル中」は酒店の常連です(笑)。今度いらっしゃったら是非ともまんぞく屋、丸一屋、やまげん等ものぞいてみてください。