花洛転合咄

畿内近辺の徘徊情報・裏話その他です。

釣鐘山・最明寺の滝

2011年10月18日 | 徘徊情報・摂津国
 先日、突然に釣鐘山慈光会の講堂をお訪ねしたところ、酒を飲んでという失礼な訪問であるにもかかわらず、非常に親切に応対していただき、予て色々と知りたいと思っていた「空覚尼」さんに関する資料を多くいただきました。あれから一月、資料の方も2回ばかり読ませていただいたので、お礼を言いに行きました。小生が「お礼」等というと、別の意味に受け取られそうですが、文字通り、正しい意味での「お礼」です。
 阪急の雲雀丘花屋敷駅から少し歩くと慈光会の道標があります。

            

 この道標のところで、北に曲がればすぐに釣鐘山が見えてきます。当たり前のことですが、池田方面から眺めるのとは形が違います。昭和11年の2月でしたか、大雪の日に奈良の法華寺参拝から帰ってこられた空覚尼さんは、「お山が光って見えた。」と言っておられますが、ここから見た釣鐘山のことでしょう。

            

 豆坂口のバス停を右に折れ、少し行ったところに昭和14年に建てられた、慈光会の由来を示す石標があります。ヒダリ巻の連中には気にくわぬ文言かも知れませんが、小生などは読むたびに感動します。「共産党・社民党・九条の会・人殺しは入山禁止」という札も要りますね。
 横にある花屋敷荘園開拓の碑(今回は写真には写っていません)に記載がある細原茂雄翁は空覚尼さんの法話集に出てきます。何不自由のない大金持ちの奥さんであった空覚尼さんが、仏道に入り、初めて托鉢に出られたときに、旧知の細原さんの家を訪ねられたら、細原さんの奥さんが出てこられてハラハラと涙をこぼされたそうです。

            

 今回も突然に講堂をお訪ねしたところ、「まあ、上がりなさい。」ということになり、長い長い流寓の果てに、こちらにいらっしゃった美しい観音菩薩像を参拝させていただきました。その後はまたまたお茶を入れて下さり、色々なことを教えてくださいました。
 頂上近くの白いドームは「空堂」ということ、そして小生は古老の言から空堂の仏像は池田市の呉服橋のたもとの地蔵尊と向かい合っているということを信じていたのですが、今回これは否定されました。
 実は思っても見なかったのですが、本来その地蔵尊のあるところには「栄寿庵(文字不確か)という寺があったこと、この寺が廃絶した後、歴代住職の位牌と共に御本尊も引き取ったことが古老の話の根底にあったようです。つまり、空堂の御本尊である釈迦如来像は西向きに安置してあるのですが、自分がもともといらっしゃった呉服橋のたもとを懐かしく思われることもあるだろうという人々の思いが「呉服橋の方を向いてはる」ということに変わっていったのではと考えられます。
 愛知県犬山市の明治村博物館に展示されている芝居小屋「呉服座」、その向かいか横かに寺があった。何か破屋が残っていたことはうっすらと覚えてはいるのですが、本当にあれだけ池田に通っていても知らんことだらけです。「秋空や寺の向かいは芝居小屋(羅休)」。
 帰りに、観音さんのお下がりのお菓子をたくさんいただきました。何もお供えしていないのに…。ここらあたりは小生は大いに反省すべきかも知れません。ありがたいことですが、何か恵んでもらうことが多すぎる。無意識に物欲しげな顔になっているのか、お供えされているお菓子類を「おいしそー」とじっと見ているのか、いずれにしても悠然・毅然としたところがないのでしょう。
 ところで、これだけ親切にしてもらいながら、小生は未だ相手の方の名も存じ上げていません。また、また送っていただくことになっている法話集の代金も取られません。このことをもってしても、世間の人々を騙すような宗教団体ではないことが分かります。世の人、先ず金を言う宗教は偽物であるぞよ。
 講堂を辞して、山に登ります。以前は全く気がつきませんでしたが、参道は本当にきれいに掃き清められています。見る目が変わるというのはこのことでしょうね。懺悔坂をしばらく行き、途中から感謝坂、精進坂というのは最初の石標からしばらくの坂を言うのだと思いますが、この坂は途中で切れています。

            
            感謝坂

 この釣鐘山には何十回も登りながら、初めて気付いて感動したのは馬頭観音像です。何と軍馬・軍用犬・伝書鳩の供養のために建立されたものでした。昭和14年の建立です。戦前=暗黒時代などと言っている連中は信じたくないでしょうね。今日なお、きちんと花が捧げられているのも清々しく感じます。こういうのが人の優しさというものでしょう。
 小生もいずれ、この地に毎年毎年何十万頭も処分されている犬や猫、悪徳ペット業者によって日本国内に持ち込まれて、何の罪も無いのに捕獲即殺害されているアライグマ等の供養碑を建てたいと思います。と大きく出ましたが、まあいつか実現するでしょう。

            

 犬や猫で金もうけをしている人たちは、このような優しさ(釣鐘山の関係者の方々の)を持っているのでしょうか。キティの商標を有するサンリオとナンチャラというオランダのおっさんが見苦しい争いをしていて、裁判になっていましたが、彼らは本当に動物のために何か考えたことがあるのでしょうか。裁判自体は東日本大震災のどさくさに紛れて和解ということになったようですが、恥ずかしい連中です。ましてペットショップのヤカラなどは、この馬頭観音像の前で徹底的に懺悔させねばなりません。
 空堂を近くで撮るためには空中で浮遊するすべを知らなくてはなりません。テッペンの金色のポールだけが見えますね。やはり向こうの山、池田の五月山の展望台から撮るのが一番良い感じです。

            

 頂上近くに入定行者の供養塔、大昔にこの山で火に入って入定された行者が村人に「毎年8月15日にここで火を炊いたら旱魃は絶対におきない」と言い残したという伝説があります。もともとこの山は麓の小戸村の入会地でした。以前は小戸村の人々が火を炊く行事を行っていたのですが、今は慈光会が引き継いでおられます。この供養塔は先に述べた花屋敷荘園の開発者である細原茂雄氏が建てられたということです。

            
            行者供養塔

            
            池田・伏尾方面

            
            三角点(205m)

 さて、釣鐘山に続くのが石切山、この山は今は南側が無惨に切り取られて宝塚大学の敷地になっています。本来は芸術系の大学なのですが、非常に趣味の悪い校舎が建っています(写真はありません)。そういう建物を全て撤去して、本来の山の姿にもどすのが最も芸術的なのでは(笑)。
 石切山を一挙に駆け上がります。途中で大阪方面の展望が利くところがあります。残念ながら本日は曇りがちであまり遠くまでは見えません。この山で火打ち石が採れたから麓の集落を火打というのだと聞いたことがあります。火打ち石は今もその辺に転がっているのかも知れませんが、石の知識がない小生が見ても何が火打ち石なのかさっぱり分かりません。

            

            
            三角点?284m

 気持ちの良い雑木林の中の尾根道を歩いていくと満願寺にたどり着きます。清和源氏の菩提寺のひとつです。寺内には金太郎(坂田金時)の墓があります。これは小童寺というところで見た渡辺綱の墓にそっくりです。石の墓の前面が観音開きになっているのです。いざというときには、この扉が開いて豪傑達が現れるのでしょう。

            
            金堂

            
            観音堂

 清和源氏、とりわけ多田院との関係からでしょうか。宝塚市に囲まれた地でありますが、川西市の飛び地になっています。参道では早くも紅葉が始まっているようです。多田院までの道は、昔は栗林の中を抜けていく道でしたが、すっかり住宅地になってしまっています。

            

            
            境内の道標「右 中山寺」

            
            山門

 満願寺からは、阪急電車「山本」駅へと下ります。途中に最明寺の滝があるこのルートは、昔は多くの人の往来があったと見えて、天保の道標が見られました。師匠にうかがったところ、往年は「丹波街道」として大いに賑わったとのこと。ただ、正確なルートは今は辿れぬようです。今の道はハイカー以外に歩く人はまれです。この近辺に友人の家があり、外出で遅くなったときは雲雀丘からタクシーで帰っているようですが、こんな立派な道があるのですから山本駅から歩いて帰るように奨めておきます(爆)。真夜中だと怪しいものを見ることができるでしょう。

            

 近年、この辺りで山火事があり、それがなかなか鎮火せずに付近の方々が避難所で数日を過ごすということがありました。下りていく道の横にはとにかく山火事注意の看板です。最明寺の滝は信仰の滝、本日は行者さんは見られませんでしたが、灯明の多さにはびっくりしました。満願寺では観音堂の前の灯明は完全に消えてしまっていましたから、満願寺にお参りする人よりもこの滝にお参りする人の方が多いようです。三方を崖で囲まれ、南だけが開けているという状態も滝の神秘性を高めているのだろうと思われます。
 この近くには最明寺という寺があるわけでもなく、滝の名の由来には最明寺入道北条時頼の廻国伝説がからんでいるようです。山本から満願寺、そして多田院への道は源氏の武者どものメインルートであったと考えられますが、北条時頼がなぜここなのかということは新たな宿題となりました。

            

 山本駅も随分と変わりました。確か弘法大師の色恋の伝説がこの辺りに伝わっていたと思うのですが、付近の調査は後日のこととして、そろそろ居酒屋タイムです。電車に乗り、先ずは池田で「たこ焼き」、これは外せません。たこ焼きタイムの後は、もう一度電車に乗り、「三国」で降ります。そのまま神崎川沿いに南の方に歩いて行くと途中に河川パトロール船、なかなかカッコよろしい。

            

 目的地はmfujino様にご教示いただいた「酒の穴」、コワイーコワイー。阪急神戸線の神崎川駅駅前にあります。が、残念ながら本日は休んでいます。この近辺の工場で働いておられる人たちが対象でしょうからやむを得ないですね。次回の機会を楽しみにします。

            

 さて、三国を過ぎりゃ、神崎過ぎりゃ、勿論次は十三です。酒の穴が閉まっていたので、そのまま十三で呑もうと思いましたが、さすがにさすが、この時間ではションベン横丁の居酒屋は座れません。梅田に出て、「おおえす」を覗いたらここも満席。富国生命ビルの地下では居酒屋だけが列ができています。前のイタリア料理店などはガラガラです。呉春か緑一があるならば入るでー。よし、いいことか悪いことか、何時も空いているフォーラムフォーの地下だ。盛り場をウロウロする間に山の清浄な空気はスッカリと消えてしまいました。 


6 コメント

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電車からは (gunkanatago)
2011-10-24 13:07:13
 ささ舟様、コメントをありがとうございます。釣鐘山と石切山は、阪急電車から見えます。池田と川西能勢口の間、猪名川に架かる鉄橋からが一番スコンと見えます(見えるはず・笑)。満願寺は、電車からは見えません。
 本当に余野までバスがあると、来ていただくのに便利なのですが、余野からは茨木行や池田行が今もあると思います。山本~中山寺、さらに小浜宿につきましては、師匠と共にいつか御案内したいと思っています。
 慈光会については、詳しくは未だ分かりませんが、仏教の宗派を問わず、「空覚尼さんの事跡を顕彰し、釣鐘山を守りたい人はみんな来なさい」という感じの団体ではないかなと思います。空覚尼さんは曹洞宗の僧尼籍を有しておられたようですが、「どうでもいいこと」と述べられています。戦前は、「大本とは関係がない」ということを当局に認知させる必要があったようです。
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よき日でしたね (ささ舟)
2011-10-23 12:00:40
こんにちは、大変無知な質問ですが、gunkanatagoさんがふらっと訪ねられる慈光会がどういう所なのか私にはよく判らないのです。突然のご訪問でもご丁寧なお接待を受けられ、多くのお話を聴かれほんとにいい日でしたね。清々しく読ませて頂きました。「あたえる」なかなか難しいことですが・・・
以前は亀岡から423で余野まで定期バスが通っていました。そこから阪急バスに乗り換えて枇杷で有名な止々呂美、池田に出て宝塚や中山寺に行きました。地図で見ますと満願寺や石切山は阪急宝塚線から見えるのでしょうか?
昔中山寺近くに行くと胸騒ぎがし奇妙な気分になり気が付くと同じところを堂々巡りしていました。

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当初は (gunkanatago)
2011-10-19 13:29:44
 道草様、コメントをありがとうございます。釣鐘山、お気に入りというよりも当初は何か分からぬままに「山」として登っていました。小学校の1年生の時に空覚尼さんのEPレコードを年寄りに聞かせてもらいましたが、それも出だしの部分11字分ぐらいしか覚えていません。今回、たまたま講堂に入れてもらい、昭和の初めから30年ぐらいまでにこの地で起こったことを色々と知ることが出来ました。池田について新しい事実を学ぶことができたのもありがたいことです。
 「上げたくなるカオ」、もう少し修行すれば1万円札を上げたくなるカオになれるでしょうか(爆)。お彼岸の時などは「墓に供えた残りやけど」とか言ってミルキーやおかきなどをいきなりもらうことが多くありますが、ええおっさんが、ミルキーやおかきを手に持って電車に乗ったりするのはちょっと…というときもあります。そういうときは、手ぶらで歩く人生はアカンとつくづく思いますが、手ぶらの時に限って何かもらうことが多いです。
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mfujino様も (gunkanatago)
2011-10-19 13:15:39
 mfujino様、コメントをありがとうございます。商売のことはさておき(笑)、mfujino様が「人間はgiveが先行すべきという意識があるからかだ」と言っておられることは、本当によく分かります。だからこそ、我々も含めてみんなが寄ってくる(笑)。これは何も物理的な(商売で言うサービス)という意味ではなく、人格の問題だと思います。我々はmfujino様から「いただいて」いることが多いので本当に感謝しております。
 小生なんかは未だ「もらう」方が先に立っていてなかなかだと思っています。けれどもgiveの人が損をする人生を歩むかというと、そうではなくて最終的には見事なほどに帳尻が合ってくると思います。
 釣鐘山は、登り慣れた山ですが、参道がきれいに掃き清められていることなどは、今の今まで気がつきませんでした。そういう目で眺められるようになって初めて馬頭観音も目に入ったというところです。
 酒の穴、酒代タダ、先日周山で呑んだときと逆です。アテ代、メニュー外のものはタダでした。神崎川には、なかなか行く機会はありませんが、平日に休みが取れたときに再挑戦します。あー、師匠に威力偵察してもらいますね(爆)。明治屋もそうでしたから。
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僧良し酒好し秋の夜。 (道草)
2011-10-18 21:45:30
釣鐘山徘徊(の記事)は、確か3度目ではないですか。徘徊堂さんの余程のお気に入りの場所なのでしよう。今回は、しっかり「御礼参り」(正しいイミの)をされたことでしょうし。それにしても、慈光会と称するのですか、そこの僧侶(尼さん?)は相当の傑物なのですねぇ。法話集に加えてお菓子まで恵んで下さるのですから(もしかして、特別待遇?)。物欲しげと言うより、上げたくなるカオなのです。徘徊堂さんは。結構ではないですか。きっと感謝坂を心して歩かれたことと思います。
洗熊の供養塔(空堂ですか)を建てられましたら、私もお参りさせて戴きましようか。山本の辺りは丹波への交通の要衝だったのでしようか。まさに栄枯盛衰を絵に描いたような所の様ですが。
「酒の穴」が休業で残念でしたが、最後は十三で秋の夜長をゆったりと寛がれたことでしよう。やはり、落ち着く所に落ち着かれて何よりでした。
「名僧(尼?)に触れて味わう秋の酒」道草。
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清々しく読ませてもらいました (mfujino)
2011-10-18 21:41:01
gunkanatagoさま、う~ん、神妙なる雰囲気の書き出しでございます。痛く心を打たれておられる様子が我が心にも染み込んできますし清々しさを感じさせていただきました。お金の話を持ち出す宗教は身構えるべきでしょうね。それに比べgunkanatagoさまにgive giveで接しておられる姿勢や動物の供養の精神溢れた姿は感動的であります。私は商売が下手だと言われますしよく人に騙されますが、これは人間はgiveが先行すべきという意識があるからかだ、な~んちゃって言い訳にしています(^_・)

それはさておき信ちゃんの「酒の穴」へ足をお運び頂いたそうでありがとうございました。ただ休んでいたのは申し訳ありませんでした。私が同窓会の幹事をしたとき、土曜日に開催するのはけしからん、日曜日にすべきだとの意見を添えて往復ハガキに欠席の返事をしてきたことがあったのを思い出すべきでした。申し訳ありませんでした。

出張の帰りにふと思い出して新大阪から神崎川までタクシーを走らせたり、自転車で近くを通った時などに行ったこともありましたが、酒の代金は取らず、あての代金は貰うよという付き合いでした。考えてみれば近くの工場で働く人達が帰りに一杯、という店ですので、日曜日は休むのですね。そうなると明治屋と同じ運命が、、、、。
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