花洛転合咄

畿内近辺の徘徊情報・裏話その他です。

中之島の西側(八百八橋計画)

2013年11月06日 | 徘徊情報・浪花
 本日も大阪にちと野暮用。用が済んだ後はどこに行くべしということになります。大坂の八百八橋を渡ろうという計画、旧大坂三郷(北、南、天満)は概ね終わったなと思っていましたが、中之島の西部が残っていました。過去には何度も行ったところですが、この遊びを始めてからは未だ渡っていない橋があります。橋の後の数字はこれを始めてから幾つ目の橋を渡ったかを表しています。

 出発点は京阪電車の渡辺橋駅、ここから先ず渡辺橋を渡りますが、西よりは亡国新聞などがあり、空気が悪いので東寄りを渡ります。生意気にも亡国新聞は今建て替えをやっているようです。これを機会に今までの姿勢を改めてくれたら嬉しいのですが、まあ無理でしょうね。土佐堀川に架かる肥後橋(73)が本日の最初となります。

 肥後橋を渡って西に向かうと筑前橋(74)、こやつを渡って再び中之島内に入ります。肥後や筑前ということで、ここいらには九州諸藩の蔵屋敷が建ち並んでいたことが分かりますね。



 再び中之島に入ったところに大阪市科学館、以前は四ツ橋にあった電気科学館が拡大、移転したものですね。やはりプラネタリウムがあるというのが魅力と思われ、結構栄えています。



 科学館の前を北上して田簑橋(75)、八十島の名を残す橋です。現在は佃島にある田簑神社とこの場所はどのような関係があるのでしょうか。歩けば歩くほどにいろいろな疑問が浮かんできます。この田簑橋を北に渡ったところに「蛸の松」があります。名前の由来は「見た目」で、本来は中之島の中にあったということです。





 西に進んで、玉江橋(76)。ここら辺りになると中之島もぐっと太くなりますから、堂島川を渡って土佐堀川まではかなり歩かないといけません。広い駐車場などを見ると、ホンマにここが中之島?等と言う疑問も湧いてきます。


玉江橋


ここらでは中之島も太いでー。

 常安橋(77)で土佐堀川を渡ります。淀屋常安は豪商淀屋の初代、淀屋は5代目の時に闕所となりました。



 西に進み、越中橋(78)を渡ります。人道橋です。堂島川にはこの橋に対応する橋が架かっていませんので、対岸にデンをして戻ってきます。橋の名は桑名藩松平越中守から来ているようで、肥後橋や筑前橋は領地の所在から付いた名ですが、こちらは殿様の官職です。この官職はもちろん旧来の国司の制度から来てはいるのですが、江戸時代の武家の官職は、まあ名のりだけのことで、現実にその地を治めているかいないかというのは殆ど関係がありません。ちなみに肥後を治める細川氏も代々越中守ですね。筑前の黒田氏は甲斐守。




越中橋

 続いて土佐堀橋(79)、北に進んで堂島大橋(80)、他の橋に比べて少し古い感じです。これから西はこのようなアーチ橋がいくつか残っています。空襲の後が残っているらしいということは帰宅後に知りました。




堂島大橋


同じく堂島大橋

 堂島大橋を北に渡ってしばらく西に行くと天神社、恥ずかしい話ですが、今回ここに来るまで、このお社の存在は全く知りませんでした。後述しますが、おかげで一つ謎が解けました。



 境内に天文の道標。とさりげなく書いて、「エー?」と驚く。天文元年(1532)、これがその通りなら、圧倒的に古いものです。1532年と言えば、その前年に細川高国が殺される大物崩れがあり、そしてこの年には主君である細川晴元の裏切りによって三好元長が堺で自殺し、堺幕府が瓦解、このことに寄与した本願寺の強勢を恐れた晴元が比叡山や法華と組んで、山科本願寺を焼き討ちした年です。これが本当ならこの道標は国宝級に古いと言うことになります。ただ、石全体が何か新しい感じもしますから、仮に天文年間からあった道標にしても、何代目かのものというところではないでしょうか。



 以前にこの辺りをウロウロしたときにマンションの植え込みに燈籠が置かれており、この近辺の恵比寿神社のものにしては位置的におかしいしなあ等と考えていましたが、今思えばこれは天神社の燈籠でした。



 上舩津橋(81)を渡ります。さらに湊橋(82)で土佐堀川を渡ります。ここまで来ると中之島もぐっと狭くなって、まもなく端っこということになります。



 湊橋を渡ったところに宮本輝の『泥の河』文学碑が建っていました。文学碑が出来たのは最近で、小生は初めて見ました。



 昭和橋(83)を渡り、川口に。このところで土佐堀川と堂島川は合流していますが、すぐに安治川と木津川に分岐していきます。



 すぐに北に向かい、中之島の西端に向けて端建蔵橋(84)[はたてくらばし]を渡ります。文字通り端っこということで、この辺りにも蔵屋敷があったために付いた名だそうです。



 この端から中之島の西端(円くなっているところ)が見えます。




安治川

 舩津橋(85)を渡れば、中央市場前。残念ながら今日はお休みです。まあ、開いていても小生にとってはあんまり嬉しくはないか。



 本日の渡橋はここまで、そのまま北に向かいます。ここまで来たらということで、恵比須神社に参拝します。野田藤などは以前に載せましたから今日は狛犬と唐獅子を載せておきます。






狛犬


唐獅子


日露戦争記念碑

 蛭子と彫られた石碑があります。ということはこのお社は西宮のえべっさん系ということですね。世に言う「えべっさん」には「蛭子」系と「事代主」系の二系があります。



 環状線の野田駅から京橋に向かいました。またまた丸一屋で一杯です。が、野田駅前に中華料理とたこ焼きという珍しい組み合わせの店がありましたから、ここで先ず一杯飲んでいきました。



 中に入ると中華の方は今日はお休みだそうです。反対でなくて良かった良かった。生ビールを頼んだのですが、サーバーからブシューという音がして「もうおまへん」ということで、瓶ビールです。おばちゃんは気の毒なぐらい恐縮していました。たこ焼きとおでんを食いましたが、この間もひっきりなしにたこ焼きを求める人が来ていました。福島区民、わかってるやんけと申す処。ようようにしてそういう商慣習があるということがわかったのは、「6つ」と頼むと「7つ」入れてくれるということ。前に松島で食べたときもそうでした。「お前、そんなことも知らんかったんか、もぐりやんけ。」と言われても仕方のないことですね。



 追記・本日(11月6日)mfujino様に教えてもらった「今昔マップ」というのを見ていて、「アリャー!」という発見をしました。詳しくはまたレポートしますが、大坂三郷内の橋はほぼ終わった等と豪語できる状況ではないことが判明しました。しばらくは丸一屋で真っ昼間から酒が飲めるやんけと喜んでもいますが。





8 コメント

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橋が沢山 (鎌倉街道)
2013-11-07 10:02:21
10月、天満橋から京橋まで歩いたところ、途中の大きな橋でごみの散乱を見、「大阪とはこういうところか。」と思ったのですが、水晶橋の辺りでは、橋近辺を掃除する多くの高齢者を見、驚きました。 もう少し人の配置を考えて、多くの人が利用するごみの多くたまるところをきれいにすればよいのに、と思いました。

図書館や公会堂のある、どちらかと言うと表の顔のところはきれいでした。 でも、府庁の玄関前の歩道に車から落ちたと思われる、私の身長位のきれいな堅いプラスチックが道を塞いでました。 そばには警備員が両手を後ろに組んで立っています。 で、それを拾って丸めているのを見ても何らの動きもないので、呼びつけて少々小言を言いました。 その女性の警備員は何も言わずに私からごみを受け取っただけでした。

その前にアメリカ領事館の前に立っていた警官に「ここは何ですか? どうして大勢の人たちが歩道に並んでいるの?」と質問したところ、立ち位置から移動してきて丁寧に答えてくれました。 「大阪の警官って、大阪のノリで話してくれるんだ。」と楽しくなりました。

「大阪も北でしたら一人でも大丈夫です。」と食事をご一緒した方から教えられてましたので、確かにきれいでのんびりできる良いところがありますね。 橋も「これでもか」と言う位に沢山ありますし、憩いの場として活用できる川という流れが生活の場にあるのは、いいなーと思います。 少しづつ足が大阪の道を覚え始めているようです。

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なんといっても「泥の河」です (浮舟)
2013-11-07 13:03:14
 今回は73番から85番とだいぶ進みましたね。四国遍路ならあと3か所ですね。
そうですか、亡国新聞新築中ですか。従軍慰安婦発祥の地という標識もこの際、立ててほしいところです。
 「蛸の松」知りませんでした。誰かが言い出して、今に残る、それがなんやねんといえばそれまでですが、だからこそ、ほのぼのとおもしろいです。
 なにをかくそう、私は「泥の河」、とくに映画ですが、好きで、3回観ました。子役も、田村高廣、加賀まりこも、演技がよかったし、ものがなしい少年期の体験を描いた名作です。最初のシーンで、田村の経営する食堂がでてきます。安治川のほとりに立つ食堂、そこからラジオの曲が流れてきます。「赤胴鈴の助」です。昭和32年の設定です。小栗監督のうまい演出でした。
 映画を観てから安治川に行きましたが、風景が変わりすぎでした。宮本輝の川3部作も読みましたが、「泥の河」がダントツによかったです。
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なじんでこられましたね。 (gunkanatago)
2013-11-07 15:37:11
 鎌倉街道様、コメントをありがとうございます。警備員に小言(笑)、お疲れ様です。支那・朝鮮を0とし、関東のモラルを100として比較すると大阪あたりは残念ながらまだまだ50というところではないでしょうか。それと水晶橋の上などでもやはりホームレスのねぐらになるときがあり、ホームレスでも勿論モラルの面では千差万別ですが、中には昼間から酔っぱらって辺りにごみを散乱させている者もいます。
 北が安心で、南が危ないとは一概に言えないところもあります。またおいおい学んで頂きます(爆)。いずれ、師匠の徘徊でも企画されると思いますが、上町台地もいいですよ。次回は先ず新世界を見て頂いて…。
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映画は見ていないのですが。 (gunkanatago)
2013-11-07 15:48:33
 浮舟様、コメントをありがとうございます。小生も、大阪の庶民の日常(といっても波乱だらけ)を綴ったドラマは好きですが、残念ながら映画の「泥の河」は見ていません。何かの機会があれば見るようにしますね。
 映画は西部劇と戦争映画と怪獣物しか封切館(懐かしい言葉)では見ていません。怪獣物を見ていたのは小学生の時ですから、それ以来、他のジャンルの映画を劇場で見たという記憶がありません(笑)。
 それでも安治川近くの食堂から流れてくるラジオの音等というのは、本当に実感されます。今は、この付近には本当に何もありませんが、ちょっと福島の方に行けばそういう食堂が今もあるように思われます。遠くなりますが、いつかここでも書いた加古川の近くの旭食堂などはそんな感じかなあ等と思われます。
 「泥の河」、せめて小説は読みますね(爆)。従軍慰安婦発祥地、それ面白いです。
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商い慣習 (ささ舟)
2013-11-11 12:08:19
こんにちは。
肥後橋近辺は「リーガ中之島イン」に宿泊したときうろうろしました。ホテルの真下から地下鉄に乗れる、凄く便利な立地だったように覚えています。
地図を開けましたら、後のほうはじぐざぐに橋を渡っていられるのですね。中之島の端っこの丸みも見せて頂きました。ほんと、広いですね。この島は東西で何kmほどあるのかしら?
天神社、恵比寿神社も見つけました。
ええっ!微笑ましい商慣習ですね、初めて知りました。
村の同級生がこの玉川という所でカラオケの先生をしていると聞きました。
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ほぼ間違いないのでは (gunkanatago)
2013-11-11 14:34:51
 ささ舟様、コメントをありがとうございます。中之島は、東の端から西の端までおおざっぱに3キロぐらいだと思います。ひょっとしたらもう少し短いかも知れません。東の方は幅が狭いのでいいのですが、西の方は広いのでジグザグに渡ると歩行距離も伸びます。
 たこ焼き屋の商慣習、尋ねた訳ではありませんが、ほぼ間違いないように思います。思えば、何もつけないたこ焼きを「坊主」ということを学んだ店も6つ頼んで7つありました。既に無くなりましたが、楠葉駅前のたこ焼き屋などは6つだとそのまま6つでしたから(この店では「むっつ」という言葉も通じませんでした。)、大阪に限った麗しい商慣習なのかなと思います。
 玉川のカラオケ教室ですね。今度ウロウロしたときに探してみますね。
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冬の跫音が聞こえてきますね。 (mfujino)
2013-11-11 22:38:57
gunkanatagoさん、あれれ、今昔マップで何を発見されたんかしら?阿倍野に川なんて在るの?なんて書いていましたので私も見てみたら、桃ヶ池なんかもっと広範囲な池だったんだ、平野川、なんてのも。
あ、蜆川の橋跡もあるかぁ、曽根崎心中の道行き場面、梅田橋の跡も探して欲しいなあ。
何れにしましても課題が増えることは喜ばしい限りでございます。丸一屋というインセンティブがあるのも心強い限りです。
おまけが一つ付いてくるって気分は悪くないですね。大阪はやはり食い倒れですわ。京の田舎に帰って何も不満はないけれど、赤提灯でちょっと一杯が出来ないのと、京の都の食文化はどうも大衆には冷たい感じがしないでもないと少々不満です。
9日迄はもみじ遊山の準備で大わらわ、漸く落ち着きました、今年も紅葉は見事です。とご機嫌だったのですがデスクトップパソコンが機嫌を悪くして、え~い、とさじを投げて放って置いたら又何とか動いてくれました。
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大変でしたね。 (gunkanatago)
2013-11-12 14:59:10
 mfujino様、コメントをありがとうございます。行事がおしていて大変でしたね。お疲れ様です。ぼちぼちと紅葉も見頃になってきていますね。機会があれば、日高見峠の奥のビューポイントに行きたいのですが、今年はちょっと難しいかも知れません。
 今昔地図、おもしろいですね。よかったら、一番古い地図で(それでなくてもいいですが)、西横堀川の西側を見てみて下さい。ヒェーと思った謎が解けますよ。まあ八百八橋はオーバーにしても、成る程たくさん橋もあるだろうと思います。それについて、調べていると20年ほど前にそういう本も出ているみたいです。
 京都の食文化、おっしゃるとおりだと思います。ほっといても何千万人も観光客が来るからでしょうね。スイーツといわれるやつなど、なんぼほどボッタクルんやと思われるものが多いです。まあ良心的でおいしいところをボチボチ探していきましょう。
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