京都市北郊というよりも、今は既に市街地の中にある緑の島といっていいかも知れないのが船岡山です。西郊の双ヶ岡なども同じような感じになっていますが、これらの丘を無駄に住宅地にせず、緑の森を保っているあたりは、何や彼やと謂われている京都の行政ですが、ここは素直に誉めるべきかと思われます。大和三山は有名ですが、平安京に於いて三山の役割を果たしたのが双ヶ岡と吉田山、そしてこの船岡山だといわれています。
一部は公園となり、一部は建勲神社の境内となっていますが、その公園の中に写真の応仁永正戦跡碑が建てられています。応仁の乱の際の戦いについては『応仁記』に僅かばかりの記述があるのですが、東西両軍の陣にも近く、京都の西北を扼する場所ですから、船岡山を単に陣所としたというだけでなく、幾分かは城塞化されていたようです。永正合戦の方は、1511年、以前にも触れたことがある細川澄元と三好之長が京都を回復するために細川高国と戦った合戦ですが、この時も利あらずして澄元側が打ち負けています。
建勲神社は、織田信長を祀る神社、第六天魔王とか色々と言われていますが、ある面では結構常識的な人物でもありましたから、今の鎮座地に満足していることでしょう。日頃何かと信長の悪口を言っていますから、ここはよく謝っておきましょう。けれども、この神社、かつて小生の友人が寿司屋の小僧をしていたときに、その寿司屋から出前を取り、小僧は自転車でひいこら言いながら上っていく、社務所について寿司を渡した瞬間、「寿司が桶の中で偏ってしまっているではないか!」と文句を垂れたとかで、惻隠の情の薄きこと極まりない。こういう場合、小僧が「偏ってしまってどうもすみません」といい、神職は「かまへん、かまへん、えらい坂やし、しょうがないわ。食うてしもたらおんなしや。」などという会話が成立していたら、あそこの神主はなかなか凄いということになるのでしょうが。神は非礼を受け給わずといいますが、祀る側にはどうも問題があるようです。
船岡山公園では、元の先輩巡査であった男に呼び出された警官が殺されて銃を奪われ、その銃が大阪の京橋でサラ金強盗に使われたという事件がありました。応仁永正合戦の方は時間が経っていますから何ということはない。そんなんでビビっていたら死体で流れがストップしたという鴨川の河川敷など歩けるものではない。けれどもこの事件は、まだまだ生々しく殉職した若い警官の無念が感じられて黄昏時などは特に怖い感じがします。
この丘の麓に「かね井」なる有名な蕎麦切りの店があります。町屋を改装した造りで、看板も何も揚がっていませんからちょっとボーとしていたら見逃してしまうような店ですが、蕎麦(といっても自分は蕎麦の味が判ると言い得ませんが)と酒は絶品です(酒は近江今津の琵琶の長寿がうまい)。何よりも品が良い、昼間から酒を飲むのはこういう店に限ります。雨など降るもをかしといえる雰囲気があります。坪庭からも涼しい風が吹いてきます。但し、店に上がるまでが30分、注文を取りに来るまでが20分、蕎麦がくるまでが30分と時間をぜいたくに使わねばなりません。その二件ほど隣には、これまた有名なわらび餅の店があるのですが、小生はまだ食ったことがありませんので、「うまいらしい」としかご報告できません。
船岡山から北大路を越え、大徳寺の塔頭と紫野高校に挟まれた品の良い道を北に上がると今宮神社です。八坂神社と同じ疫神を祀る神社ですが、食い意地の張った向きには東門前の「あぶり餅」で知られる神社です。小生が最も感動するのは「あほかしこ石」、命名もいいのですが、この石、願いが成就するかどうかによって重くもなれば軽くもなる。今宮神社に参られる方は、「あぶり餅」一直線ではなく、ちょいとこの石も探してみて下さい。あぶり餅そのものは、別段店に恨みがある訳でもないのですが、まあ「あんなもんや」というところ、たわいのないものです。こやつで腹を膨らまそうとしたら樋口一葉は飛んでいくでしょう。
(08年8月の記事に加筆して再録)
一部は公園となり、一部は建勲神社の境内となっていますが、その公園の中に写真の応仁永正戦跡碑が建てられています。応仁の乱の際の戦いについては『応仁記』に僅かばかりの記述があるのですが、東西両軍の陣にも近く、京都の西北を扼する場所ですから、船岡山を単に陣所としたというだけでなく、幾分かは城塞化されていたようです。永正合戦の方は、1511年、以前にも触れたことがある細川澄元と三好之長が京都を回復するために細川高国と戦った合戦ですが、この時も利あらずして澄元側が打ち負けています。
建勲神社は、織田信長を祀る神社、第六天魔王とか色々と言われていますが、ある面では結構常識的な人物でもありましたから、今の鎮座地に満足していることでしょう。日頃何かと信長の悪口を言っていますから、ここはよく謝っておきましょう。けれども、この神社、かつて小生の友人が寿司屋の小僧をしていたときに、その寿司屋から出前を取り、小僧は自転車でひいこら言いながら上っていく、社務所について寿司を渡した瞬間、「寿司が桶の中で偏ってしまっているではないか!」と文句を垂れたとかで、惻隠の情の薄きこと極まりない。こういう場合、小僧が「偏ってしまってどうもすみません」といい、神職は「かまへん、かまへん、えらい坂やし、しょうがないわ。食うてしもたらおんなしや。」などという会話が成立していたら、あそこの神主はなかなか凄いということになるのでしょうが。神は非礼を受け給わずといいますが、祀る側にはどうも問題があるようです。
船岡山公園では、元の先輩巡査であった男に呼び出された警官が殺されて銃を奪われ、その銃が大阪の京橋でサラ金強盗に使われたという事件がありました。応仁永正合戦の方は時間が経っていますから何ということはない。そんなんでビビっていたら死体で流れがストップしたという鴨川の河川敷など歩けるものではない。けれどもこの事件は、まだまだ生々しく殉職した若い警官の無念が感じられて黄昏時などは特に怖い感じがします。
この丘の麓に「かね井」なる有名な蕎麦切りの店があります。町屋を改装した造りで、看板も何も揚がっていませんからちょっとボーとしていたら見逃してしまうような店ですが、蕎麦(といっても自分は蕎麦の味が判ると言い得ませんが)と酒は絶品です(酒は近江今津の琵琶の長寿がうまい)。何よりも品が良い、昼間から酒を飲むのはこういう店に限ります。雨など降るもをかしといえる雰囲気があります。坪庭からも涼しい風が吹いてきます。但し、店に上がるまでが30分、注文を取りに来るまでが20分、蕎麦がくるまでが30分と時間をぜいたくに使わねばなりません。その二件ほど隣には、これまた有名なわらび餅の店があるのですが、小生はまだ食ったことがありませんので、「うまいらしい」としかご報告できません。
船岡山から北大路を越え、大徳寺の塔頭と紫野高校に挟まれた品の良い道を北に上がると今宮神社です。八坂神社と同じ疫神を祀る神社ですが、食い意地の張った向きには東門前の「あぶり餅」で知られる神社です。小生が最も感動するのは「あほかしこ石」、命名もいいのですが、この石、願いが成就するかどうかによって重くもなれば軽くもなる。今宮神社に参られる方は、「あぶり餅」一直線ではなく、ちょいとこの石も探してみて下さい。あぶり餅そのものは、別段店に恨みがある訳でもないのですが、まあ「あんなもんや」というところ、たわいのないものです。こやつで腹を膨らまそうとしたら樋口一葉は飛んでいくでしょう。
(08年8月の記事に加筆して再録)
その代わり(?)あぶり餅は食しました。向かって右が美味しい、と家内の地元の知人に教えられ素直に従いました。しかし、所詮餅は餅です(当たり前ですが)。それに、世代が交替して味も変わって来ていると、口の肥えた人の声もあります。どちらの店も1千年或いは4百年の歴史があることですし、どちらから「向って」右なのかは、営業妨害になりますので(ならないでしょうけど)伏せておきます。一葉は、どちらのあぶり餅を食べたのでしょう。
船岡山というと心霊スポットとして有名なのでは?あの千本通りの名の由来は、都が荒れ果てている頃、船岡まで卒塔婆が一杯立ち並んでいたのでそう名付けられたという説を聞いたことがあります。
船岡山は五山の送り火の最高の観覧席のようですね。この点で双ケ岡はどうなのでしょう?あまり聞きませんが。
双ヶ岡からは大文字だけがバーンと正面に見えます。一の岡のてっぺんは見晴らしがききますが、二の岡(見晴台も含め)、三の岡は全く駄目です。そういえば双ヶ岡なども無殤という妖怪がいたという話や、以前近くにあったサナトリウムの患者が逃げ出して首をくくった話などが伝わっていますね。