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祇園宵々山の前日、京都市北部や亀岡・園部辺りでは大雨が降ったと言うことで、国道162号線の中川トンネルなども崖崩れで通行止めになったようです。毎年、この時期は祇園祭関係で洛中をウロウロするようになっていますが、鴨川の増水も激しくて祇園祭関係の徘徊時では初めて見る景色です。これは千鳥足では河川敷は歩けぬなあ。まあ、それでも京都の被害は軽微で、我が遠祖の地九州では本当に大変なことになっています。
集合地点の四条烏丸の西側には函谷鉾、あって当たり前なのですが、いつも地下から上がってきたら「ワッ!」と思います。
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本日は師匠のコネで長刀鉾に乗せてもらうので、烏丸通の東側に移動します。会所は満員でしたが、山鉾連合会の偉いさんに案内して頂き、説明を伺いました。今、会所に展示しているものは以前に鉾を飾っていたものです。アトラクション的色彩が強い山鉾は如何に贅を凝らして飾るかが鉾町の自慢。
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前垂れ
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蝉の装飾
会所に飾られている胴縣は江戸時代のもの。今実際に使用されているものは精巧なレプリカです。先端の長刀も江戸時代のもの、大永年間の長刀は秘蔵されているそうです。そら、そうですね大永年間のものとなれば国宝級、こんな人が多いところでは出せませんね。
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江戸時代の胴縣
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長刀
会所には当然といえば当然ながら素戔嗚尊の神棚もきちんとおかれています。牛頭天王から素盞雄への変遷は…というような話は今日は止めておきましょう。
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さて、長刀鉾は女人禁制、同行の女性にはワルイのですが、折角なので載せて頂きました。思っていたよりも狭くて、巡行当日はここに50名もの人が乗り込むと教えてもらいビックリしました。天井には二十八の星宿が貼り付けてあります。
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どちらが前で、どちらが後ろか分からなくなりましたが、下を見下ろすと結構高く感じます。これに50名を乗せて曳くとなるとソリャ大変だ。鉾の中全体の写真が撮れたら良かったのですが、女人禁制である以上、内部を撮るとオッサンの頭ばかりが写ることになるので止めておきました。
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見下ろす1
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見下ろす2
長刀鉾を辞去した後は先ずは占出山、夜にはここでガキンチョ達のかいらしい歌を聴く予定ですから、様子見ぃです。狭いところに人がぎっしりですから、どうも夜は外から聴かなくては仕方がないかな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/b1/d5ef14a5af7659515d55c842ed8d2f2b.jpg)
占出山
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さてさて、偵察も終わりましたので人混みを離れて近辺の徘徊に向かいます。室町通に面して心学の明倫舎の門、石田梅岩先生の教えは京中の道徳のスタンダードであったようです。今は門しか残っていませんが、この明倫舎の名は明治以後明倫校に受けつがれました。今やその明倫校も廃校となり、京都芸術センターとやらに変わっています。明倫舎の門のみが残っているのですが、立て札の文字がもはやかすれて読めないので普通は見過ごしてしまいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/67/2180db0210f502f33e3e7cde449749a6.jpg)
明倫舎の門
烏丸通に戻って御手洗井、普段は閉まっていますが本日は開いていました。水を飲むことも出来ましたが、この街中で何とウマイ水が湧くものだと思いました。そう言えば、京都盆地の地下には大地下湖があるということでしたね。うまい酒や豆腐があって当然。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/e9/a0a919b34cc938f2c0d637d95904b7e7.jpg)
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烏丸通を上がっていくと北國銀行や勧業銀行のレトロな建物。こういうのはいつまでも残してもらいたいですね。
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旧北國銀行
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旧勧業銀行
烏丸三条には京都市道路元標、あきらかに埋まっていた跡が残っています。大正9年の段階で京都市の市域であったところには、この元標しかありません。それ以後に編入されたところには道路元標があるチュウことです。
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六角堂で一休み。師匠に言わせると「随分減った。」とのことですが、鳩の群れは健在です。こういう点は池坊はエライ!と思います。何度も言いますが、鳩も養えぬ寺や神社には仏も神もいません。参ってもムダ。今の時期出雲大社などでは鳩が境内の清流で気持ちよく水浴びする姿を見ることが出来ます。閑話休題。
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へそ石
亀末廣もなかなかに趣のある建物です。その近くに平安京の碑、これは最近のものでしょう。「吸い出し」の雨森敬太郎薬房もいい雰囲気です。この「吸い出し」、目に貼ったら眼球ごと出てくるのでしょうか?耳に貼ったら中の脳みそが出てきたりして。
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亀末廣
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平安京の碑
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雨森敬太郎薬房
本日の昼食は二条東洞院にある「とおる蕎麦」、お奨めです。近くに行列の出来る蕎麦屋がありますが、一度食べ比べるとよろしい。評判というもののツマラナサが理解できます。とおる蕎麦は「中」で、他店の「大盛」の量があります。地酒もそろっていますが、夜はイスラエル人経営の日本酒酒場になるというのも面白い。店主は朝の4時から蕎麦を打つそうです。例によって写真は取り忘れました。
東洞院通を北上します。旧竹間小学校の横を通り、丸太町通に出て、少しだけ御苑の中に入ります。途中には江戸時代の画家である岸駒(がんく)の住居跡。
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旧竹間小学校
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岸駒住居跡
御所に入ってすぐの所は五摂家の一つである九条家の邸宅跡です。今は拾翠亭という茶室が残っています。御苑の中も一度徹底的に徘徊しなくてはなりませんね。
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旧九条邸
その横は厳島神社ですが、ちょうど九条邸の池を海に見立てることが出来ますね。ここの鳥居は京都三代珍鳥居のひとつですが、さてさてどの辺が変わっているのでしょう。
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御苑の中は相変わらず「気」がいいですね。何やかんやと事件はおこっているのですが、悪い気はどこかへ退散するようです。
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ということで、堺町御門から丸太町に出ます。本当にかすめただけ(笑)。堺町御門の西側に鷹司邸があったのですね。
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御所に沿って丸太町通を歩いていると、犬の散歩をしている人が「あれが瀬戸内寂聴の別邸だ。」と教えてくれました。「寂聴て、大嫌いや!」と言うと、その人も「おれも大嫌いや!」と思わぬところで意気投合。あのオバンに一番欠けているのは慈悲の心です。口がうまいだけ。
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寂聴別邸
堺町通竹屋町には2枚の仁丹の住所表示、右側は中京区が出来る以前のもので、自ずと行政区画の変遷が分かります。同行していた人が、「中京に住む知り合いは上京てゆうたら『なんやあんな田舎!』てゆうけど、自分とこも上京やってんやん!」と言うと、みんなが「そやそや!」といいます。中京出身の師匠までが「そやそや!」と言っているのがおかしい。
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裁判所のへりを歩くと境界に「司」の文字。4周にあるとのことです。「ここからは司法省の土地やぞい。」と主張しているそうです。こんなのは全然知りませんでした。さすが師匠。
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寺町に出ると横井小楠殉難碑、この人物についてもいずれは深く調べねばならぬと思っているのですが、なかなか。
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下御霊神社に参拝し、続いて革堂行願寺(西国19番札所)。本堂の前に革聖行円上人所縁の車石が置かれていますが、明らかに時代が違います。この結び付きを明らかにするのは師匠の数多い宿題の一つです。
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下御霊さん(やっぱりブルーシートはあかん)
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革堂
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車石
河原町通を渡り、木戸孝允別邸へ。以前にも書いたと思いますが、木戸はココで死んでいます。明治10年5月18日、京都行幸中の明治天皇がこの地に木戸を見舞われ、26日に木戸は亡くなっています。明治天皇は同年1月に京都に行幸され京都駅開設式典などに臨まれ、その後奈良に行幸されたのですが、その間に西南戦争が勃発、戦況の目途がつく7月28日まで長期間京都に滞在されました。
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再び寺町通に戻ってきて、本因坊跡。師匠はどちらかというと将棋ですが、もう一人参加しておられた先生は碁打ちです。この辺りの空気を思いきり吸いこんでおいたら強くなれますよー。
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二条富小路内裏跡、妙心寺を開かれた花園天皇の内裏です。さらに馴染みになったハリストス教会。今日は坊さんが事務所の入り口で携帯電話をかけていました。ひげもじゃらのロスケ坊主を想像していたのですが、日本人でした。ロシア正教の日本人坊さんて大変珍しいのでは?
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再び御池通に近づくと親鸞寂滅地と柳池校跡。「見真とはオレのことかと宗祖言い(何かの盗作・笑)」。見真大師号は明治になってからの賜号です。柳池校の半分ぐらいは元々は墓場であったそうです。親鸞の寂滅地候補としては松原通も有力です。
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御池通を渡り、超高級旅館街へ。柊屋はカメラを向けるのがためらわれるほど入り口に人がいたので今日は俵屋を撮ります。
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さて、鉾町に戻ってきました。この時は未だガキンチョのコーラスを聴くつもりでいたのになあ。
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淨妙山
淨妙さん、南山城のアンタの墓にも墓マイラー亜種の師匠が連れていってくれたよ。この山はカラクリがあるので蟷螂山と並ぶ人気の山です。淨妙法師、源頼政の平氏打倒の挙兵に参加し、平等院の戦いに臨んだのですが、淨妙を橋の上で跳び越して平氏勢に突入した一来法師はそこで戦死。以仁王は頼政自害後に奈良を目指して落ち延びる途中で玉水南方の地で主従ともに討たれたようです。
残念ながら、昔からの屏風祭(家宝の屏風を一般の見物人に見せる)は今は殆ど行われていません。ガラスを通して撮る場合はやはり偏向フィルターが要りますね。けれども今更一眼レフを持ち歩くというのはゾットするしなあ。
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北観音山
布袋山は骨組みのみが展示されていました。再来年の巡行参加を目指しています。大船鉾のような唐櫃だけの巡行はしないそうです。そればかりか、ああいう形での巡行参加には批判的。いろんな意見があるから、山鉾連合会もまとめていくのに大変ですね。それはともかく、ガンバレ!布袋山。
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布袋山骨組
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橋弁慶山
さて、師匠の徘徊「都会編」となるとラヂオ塔は欠かせません。御射山公園のラジオ塔は、形は大きく変えられていますが、とにかく「よく残った!」というところです。ただし説明はありませんから、小生などが予備知識無しで来ると大いに悩むこと疑いなし。
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そのまま、毎度の「さかえ庵」に突入しました。ここの名物はホントは鴨と蕎麦、けれども小生のお奨めはタコの唐揚げとフライド牛蒡であります。高い酒だけ冷やしているというのは怪しからぬことですが、まあ酒類の種類が膨大なので全部は冷蔵庫に入らないのでしょう。そやけど、今日なんかは冷えてなかったら飲めんもんなあ。ここで飲み食いするうちに、ガキンチョの歌のことはスッカリと忘れてしまいました。「安産のお守り」歌だから関係ないか!とあきらめる。店を出てフラフラとすると、弁慶石。
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この三条通、以前と比べると様変わりですね。昼間はイノダコーヒーの本店も支店も満員で入れませんでした。さすがに7時前になると空いていましたが、8時で閉店とは知らなんだ。
集合地点の四条烏丸の西側には函谷鉾、あって当たり前なのですが、いつも地下から上がってきたら「ワッ!」と思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/ed/a4f6b34326e5a2279434d1be83578f71.jpg)
本日は師匠のコネで長刀鉾に乗せてもらうので、烏丸通の東側に移動します。会所は満員でしたが、山鉾連合会の偉いさんに案内して頂き、説明を伺いました。今、会所に展示しているものは以前に鉾を飾っていたものです。アトラクション的色彩が強い山鉾は如何に贅を凝らして飾るかが鉾町の自慢。
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前垂れ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/71/274e9e61068d3f262bf1b6f0a9f3cffd.jpg)
蝉の装飾
会所に飾られている胴縣は江戸時代のもの。今実際に使用されているものは精巧なレプリカです。先端の長刀も江戸時代のもの、大永年間の長刀は秘蔵されているそうです。そら、そうですね大永年間のものとなれば国宝級、こんな人が多いところでは出せませんね。
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江戸時代の胴縣
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長刀
会所には当然といえば当然ながら素戔嗚尊の神棚もきちんとおかれています。牛頭天王から素盞雄への変遷は…というような話は今日は止めておきましょう。
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さて、長刀鉾は女人禁制、同行の女性にはワルイのですが、折角なので載せて頂きました。思っていたよりも狭くて、巡行当日はここに50名もの人が乗り込むと教えてもらいビックリしました。天井には二十八の星宿が貼り付けてあります。
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どちらが前で、どちらが後ろか分からなくなりましたが、下を見下ろすと結構高く感じます。これに50名を乗せて曳くとなるとソリャ大変だ。鉾の中全体の写真が撮れたら良かったのですが、女人禁制である以上、内部を撮るとオッサンの頭ばかりが写ることになるので止めておきました。
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見下ろす1
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見下ろす2
長刀鉾を辞去した後は先ずは占出山、夜にはここでガキンチョ達のかいらしい歌を聴く予定ですから、様子見ぃです。狭いところに人がぎっしりですから、どうも夜は外から聴かなくては仕方がないかな。
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占出山
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さてさて、偵察も終わりましたので人混みを離れて近辺の徘徊に向かいます。室町通に面して心学の明倫舎の門、石田梅岩先生の教えは京中の道徳のスタンダードであったようです。今は門しか残っていませんが、この明倫舎の名は明治以後明倫校に受けつがれました。今やその明倫校も廃校となり、京都芸術センターとやらに変わっています。明倫舎の門のみが残っているのですが、立て札の文字がもはやかすれて読めないので普通は見過ごしてしまいます。
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明倫舎の門
烏丸通に戻って御手洗井、普段は閉まっていますが本日は開いていました。水を飲むことも出来ましたが、この街中で何とウマイ水が湧くものだと思いました。そう言えば、京都盆地の地下には大地下湖があるということでしたね。うまい酒や豆腐があって当然。
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烏丸通を上がっていくと北國銀行や勧業銀行のレトロな建物。こういうのはいつまでも残してもらいたいですね。
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旧北國銀行
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旧勧業銀行
烏丸三条には京都市道路元標、あきらかに埋まっていた跡が残っています。大正9年の段階で京都市の市域であったところには、この元標しかありません。それ以後に編入されたところには道路元標があるチュウことです。
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六角堂で一休み。師匠に言わせると「随分減った。」とのことですが、鳩の群れは健在です。こういう点は池坊はエライ!と思います。何度も言いますが、鳩も養えぬ寺や神社には仏も神もいません。参ってもムダ。今の時期出雲大社などでは鳩が境内の清流で気持ちよく水浴びする姿を見ることが出来ます。閑話休題。
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へそ石
亀末廣もなかなかに趣のある建物です。その近くに平安京の碑、これは最近のものでしょう。「吸い出し」の雨森敬太郎薬房もいい雰囲気です。この「吸い出し」、目に貼ったら眼球ごと出てくるのでしょうか?耳に貼ったら中の脳みそが出てきたりして。
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亀末廣
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平安京の碑
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雨森敬太郎薬房
本日の昼食は二条東洞院にある「とおる蕎麦」、お奨めです。近くに行列の出来る蕎麦屋がありますが、一度食べ比べるとよろしい。評判というもののツマラナサが理解できます。とおる蕎麦は「中」で、他店の「大盛」の量があります。地酒もそろっていますが、夜はイスラエル人経営の日本酒酒場になるというのも面白い。店主は朝の4時から蕎麦を打つそうです。例によって写真は取り忘れました。
東洞院通を北上します。旧竹間小学校の横を通り、丸太町通に出て、少しだけ御苑の中に入ります。途中には江戸時代の画家である岸駒(がんく)の住居跡。
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旧竹間小学校
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岸駒住居跡
御所に入ってすぐの所は五摂家の一つである九条家の邸宅跡です。今は拾翠亭という茶室が残っています。御苑の中も一度徹底的に徘徊しなくてはなりませんね。
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旧九条邸
その横は厳島神社ですが、ちょうど九条邸の池を海に見立てることが出来ますね。ここの鳥居は京都三代珍鳥居のひとつですが、さてさてどの辺が変わっているのでしょう。
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御苑の中は相変わらず「気」がいいですね。何やかんやと事件はおこっているのですが、悪い気はどこかへ退散するようです。
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ということで、堺町御門から丸太町に出ます。本当にかすめただけ(笑)。堺町御門の西側に鷹司邸があったのですね。
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御所に沿って丸太町通を歩いていると、犬の散歩をしている人が「あれが瀬戸内寂聴の別邸だ。」と教えてくれました。「寂聴て、大嫌いや!」と言うと、その人も「おれも大嫌いや!」と思わぬところで意気投合。あのオバンに一番欠けているのは慈悲の心です。口がうまいだけ。
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寂聴別邸
堺町通竹屋町には2枚の仁丹の住所表示、右側は中京区が出来る以前のもので、自ずと行政区画の変遷が分かります。同行していた人が、「中京に住む知り合いは上京てゆうたら『なんやあんな田舎!』てゆうけど、自分とこも上京やってんやん!」と言うと、みんなが「そやそや!」といいます。中京出身の師匠までが「そやそや!」と言っているのがおかしい。
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裁判所のへりを歩くと境界に「司」の文字。4周にあるとのことです。「ここからは司法省の土地やぞい。」と主張しているそうです。こんなのは全然知りませんでした。さすが師匠。
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寺町に出ると横井小楠殉難碑、この人物についてもいずれは深く調べねばならぬと思っているのですが、なかなか。
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下御霊神社に参拝し、続いて革堂行願寺(西国19番札所)。本堂の前に革聖行円上人所縁の車石が置かれていますが、明らかに時代が違います。この結び付きを明らかにするのは師匠の数多い宿題の一つです。
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下御霊さん(やっぱりブルーシートはあかん)
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革堂
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車石
河原町通を渡り、木戸孝允別邸へ。以前にも書いたと思いますが、木戸はココで死んでいます。明治10年5月18日、京都行幸中の明治天皇がこの地に木戸を見舞われ、26日に木戸は亡くなっています。明治天皇は同年1月に京都に行幸され京都駅開設式典などに臨まれ、その後奈良に行幸されたのですが、その間に西南戦争が勃発、戦況の目途がつく7月28日まで長期間京都に滞在されました。
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再び寺町通に戻ってきて、本因坊跡。師匠はどちらかというと将棋ですが、もう一人参加しておられた先生は碁打ちです。この辺りの空気を思いきり吸いこんでおいたら強くなれますよー。
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二条富小路内裏跡、妙心寺を開かれた花園天皇の内裏です。さらに馴染みになったハリストス教会。今日は坊さんが事務所の入り口で携帯電話をかけていました。ひげもじゃらのロスケ坊主を想像していたのですが、日本人でした。ロシア正教の日本人坊さんて大変珍しいのでは?
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再び御池通に近づくと親鸞寂滅地と柳池校跡。「見真とはオレのことかと宗祖言い(何かの盗作・笑)」。見真大師号は明治になってからの賜号です。柳池校の半分ぐらいは元々は墓場であったそうです。親鸞の寂滅地候補としては松原通も有力です。
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御池通を渡り、超高級旅館街へ。柊屋はカメラを向けるのがためらわれるほど入り口に人がいたので今日は俵屋を撮ります。
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さて、鉾町に戻ってきました。この時は未だガキンチョのコーラスを聴くつもりでいたのになあ。
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淨妙山
淨妙さん、南山城のアンタの墓にも墓マイラー亜種の師匠が連れていってくれたよ。この山はカラクリがあるので蟷螂山と並ぶ人気の山です。淨妙法師、源頼政の平氏打倒の挙兵に参加し、平等院の戦いに臨んだのですが、淨妙を橋の上で跳び越して平氏勢に突入した一来法師はそこで戦死。以仁王は頼政自害後に奈良を目指して落ち延びる途中で玉水南方の地で主従ともに討たれたようです。
残念ながら、昔からの屏風祭(家宝の屏風を一般の見物人に見せる)は今は殆ど行われていません。ガラスを通して撮る場合はやはり偏向フィルターが要りますね。けれども今更一眼レフを持ち歩くというのはゾットするしなあ。
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北観音山
布袋山は骨組みのみが展示されていました。再来年の巡行参加を目指しています。大船鉾のような唐櫃だけの巡行はしないそうです。そればかりか、ああいう形での巡行参加には批判的。いろんな意見があるから、山鉾連合会もまとめていくのに大変ですね。それはともかく、ガンバレ!布袋山。
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布袋山骨組
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橋弁慶山
さて、師匠の徘徊「都会編」となるとラヂオ塔は欠かせません。御射山公園のラジオ塔は、形は大きく変えられていますが、とにかく「よく残った!」というところです。ただし説明はありませんから、小生などが予備知識無しで来ると大いに悩むこと疑いなし。
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そのまま、毎度の「さかえ庵」に突入しました。ここの名物はホントは鴨と蕎麦、けれども小生のお奨めはタコの唐揚げとフライド牛蒡であります。高い酒だけ冷やしているというのは怪しからぬことですが、まあ酒類の種類が膨大なので全部は冷蔵庫に入らないのでしょう。そやけど、今日なんかは冷えてなかったら飲めんもんなあ。ここで飲み食いするうちに、ガキンチョの歌のことはスッカリと忘れてしまいました。「安産のお守り」歌だから関係ないか!とあきらめる。店を出てフラフラとすると、弁慶石。
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この三条通、以前と比べると様変わりですね。昼間はイノダコーヒーの本店も支店も満員で入れませんでした。さすがに7時前になると空いていましたが、8時で閉店とは知らなんだ。
寂聴、アカですよ。あのオバン程度のことなら、月命日に爺さん婆さんの家に来てくれる坊さんの話のほうがはるかに上です。
坊主バーの坊さん、いいことを言いますね。仏法を知らしめる手段としてもおもしろいですね。いっぺん行ってみたいと思いますが、ある程度ストイックな性格の人でないと常連にはならないような気もします。
寂聴さんはお嫌いのようですが、人様に仏の心を熱心に語りかける本来の僧侶ではないかと私は尊敬しています。何の為に坊主をしているのか、世の中の坊主諸君も見習わないといけないのではないでしょうかね。話が上手いというのは大切な要素でしょう。
そんなこと考えてたら坊主バーなるをやっておられる人と最近Facebookで知り合いました。まだ実物にあったことはありませんがこんなこと書いてはりましたが、御意というところ;
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民主的なやり方は、情けなく、弱く、おもしろくない社会を作って行くように思う。
クレームに迎合する教育は、堕落していく。
安全に逃げる教育も堕落していく。
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仏教に携わる人は死人を送り出すだけでなく、今生きている人に如何に貢献するかということでしょう。
九条家の縁者にそんなに金に汚い人がいたとは、驚きですね。戦国時代の公家ならともかく、江戸時代以後はそれなりの収入があったはずなのですが、これはもう個性ですね。
柳池校、かろうじて現役時代を知っているのですが、あのとき荷物を運ぶのを手伝ってくれた小学生ももうオッサンです。
犬を連れたオッチャンは、岩手の天台寺に言ってから寂聴が大嫌いになったと言ってました。
京都の地底湖の貯水量は琵琶湖と匹敵するとか。もしかして、太古では姉妹だったのかも。名前は三味湖とか・・・。
今回の徘徊には懐かしい場所もあり、成る程そうだった・・・と遠い昔を思い出しております。寂聴は私も嫌いですが、僧職にあって仏心に欠けていてはどうしようもありませんが。
九条家に関しては、昔の勤務先の同期生にこの一族の者が居りました。麻雀の負けは一切払わない。飲みに行っても、勘定の際はトイレへ行って身を隠す輩でした。暫くして東京へ転勤になりましたが、送別会を開かなかったら、餞別もくれなかったと怒っていたそうです。話は反れました。御所の徘徊には参加しなければなりません。私の入り口は、蛤御門でしたが・・・。
柳池校は日本初の小学校として有名で、私が入学(別の学校です)した頃から何だか憧れのマトでした。私はちなみに聚楽校ですが、とっくに廃校になっています。
最後は鉾町に戻られて、沢山の鉾山を見物した後に、念願の蕎麦を食さて何よりでした。子供の歌は、また例年も聴かれますし。