本日も昼からのそーっと出かけます。さて、どこに行こうかと思ったときに、淀川に架かる赤川の人道橋がJRの城東貨物線を大阪東線とする工事により近々に閉鎖されることを思い出しました。時折歩いた懐かしい橋ですから、ここは一番渡り納めをしようと思い、赤川に向かいました。と、いっても生来締まりのない人間ですから、渡り納めの渡り納めなとか言って再び訪れることになるかも知れません。
出発は京阪電車の千林駅から、阪急京都線だと淡路が近いというのはよく知っているのですが、京阪の駅はどこが最寄りなのかは分かりません。大体この辺と見当を付けて降りましたが、まあ正解と言うところでした。写真に写っているうどん屋、なかなかです。結構繁盛していて、席を早く空けてやらねばならぬということで、ビールが飲めなかったのは残念でした。近郊の商店街が多く壊滅状態に陥っている中で、ここの商店街はまだまだ元気です。
商店街を抜けたところは京街道、毎度のことですがアイスクリーム屋には列が出来ています。2、3年前にたこ焼きを食べた店は無くなっていました。しばらく京街道を歩きましたが、こやつはまあまたの楽しみにして、本日は西に向かいます。
京街道
西すなわち川の方に向かう道路が幾筋も伸びています。ここいらは城東区になるのでしょうか、それとも旭区?大阪もまた碁盤の目の町やなあ。
西に向かう。
ここまで来たらー、と旭警察署の近くの藏十を訪ねます。知ってる人は知っている、知らない人は誰も知らないうどんの名店です。が、本日は定休日で閉まっていました。これで2勝5敗ぐらいです。5敗のうち3回は定休日に来ているのですが、残る2回のうち、1回は店主が名古屋の結婚式に出席のため、1回は店主の盲腸炎のための臨時休業でした。こういうことは執念深く覚えている。ここで食うのはなかなかに難しいことです。まあ真っ直ぐに川に行けということかなぁと思って北を見れば、はるか向こうの方に神社らしきものが見えます。
神社は「千林大宮」の駅名の由来となった大宮神社でした。基本は八幡さんですが、北野さんなども合祀されています。
ちょっと読み辛い?
境内には「いぼ」に効果のある霊木もありました。イボコロリ真っ青。東の門近くにあると記されている影向石などは見つけることが出来ませんでした。
ここから真っ直ぐに西に向かいます。結果はOKでしたから、純粋に赤川を目指すならば千林よりも一つ北の駅がいいかも知れません。公園があるから入ろうと思ってよく見ると個人宅の玄関ロータリーだったりするなかなかにスゴイ家もありました。
赤川に出ました。ここにもなかなかのたこ焼き屋があるのですが、本日はパスをして土手を目指します。
貨物線の横には既に工事の資材などが置かれて、いよいよやなぁーという感じが強くします。今は久宝寺から放出止まりになっている大阪東線を貨物線を利用して新大阪まで伸ばすようです。まあ電車の外環状線ですね。
土手に登る坂をひょいと進むと城東の貨物線の鉄橋、その鉄橋の線路の横を人が歩ける訳です。入り口での自転車のオッチャン同士の会話、はっきりと人道橋の廃止を惜しむものでした。
本日も散歩の人、自転車の人、多くの人がこれを渡っています。平日だと自転車の前と後ろに子供を乗せたお母ちゃんが爆走する光景も見ることが出来ます。鉄チャン等はいよいよ最後の日に押しかけるのでしょうね。あの鉄チャンのパワーと根気、勉強熱心なところは大いに見習わねばなりません。
渡っていると河原に「わんど」が見られます。何匹か何十匹かのイタセンパラがこの中にはいるのでしょうね。外来種問題はどうなっているのでしょう。亀岡ではアユモドキの生息地にサッカー場を造るという動きがあるようですが、愚かしいことです。よりによってそんなところを選ばずともと思いますし、候補地は交通のアクセスも悪い。9号線に出るまでに車がダダ混みになるだろうし、9号線そのものが渋滞が慢性化しているのにさらにひどくしようというのだから住民はたまりませんね。
真ん中当たりで上流を見る
渡りきって東を見ます。江口はもうちょっと上流ですが、江口の戦い(1549)において三好政長が遂に渡りきることが出来なかった川です。往時はこの付近にも三好長慶方の軍勢が充満したはずです。当時はこの辺りからも対岸の榎並城が見えていたと思われますが、今はどこが城跡なのかもわかりにくいようです。
土手を降りてすぐに「亀岡街道」の表示がありました。神戸大学ボート部の艇庫でしょうか、訓練場でしょうか、その付近です。
亀岡街道
しばらく街道を歩くことにしました。何とこの辺りは石標の密集地です。「観音道」などとあるのは西国三十三所の巡礼道にもなっているということでしょう。ひとつには「柳谷」の観音さんへの道も示していましたから、三十三所のみでは無いようです。
金比羅さんの名も彫られている
メモするものを全く持っていなかったので、道標の年代も何が嘉永で何が万延なのか分からなくなってしまいましたが、一番新しい昭和63年だけは覚えていました(笑)。
この亀岡街道も阪急千里線の踏切を渡ると何が何か分からなくなりました。これはおもしろそうですから、また出直します。また菅原という地名から、絶対に何処かに天満宮があるはずだと思いながら歩きましたが、これも見つけられず。帰宅後に地図で確認しました。結局本日の到着点は淡路駅。
淡路駅前の再開発で知っていた店もいくつか無くなっています。そのまま電車に乗って本日は「立ち寄り屋」でちょいと一杯であります。串カツが食いたいときはここ。するめの串カツが無いのだけが難点であります。
追記 記事の書き出しでも何となくそんな雰囲気を醸し出していますが、花粉症開け記念の師匠主催の徘徊で今一度赤川人道橋に行くことになりました。
出発は京阪電車の千林駅から、阪急京都線だと淡路が近いというのはよく知っているのですが、京阪の駅はどこが最寄りなのかは分かりません。大体この辺と見当を付けて降りましたが、まあ正解と言うところでした。写真に写っているうどん屋、なかなかです。結構繁盛していて、席を早く空けてやらねばならぬということで、ビールが飲めなかったのは残念でした。近郊の商店街が多く壊滅状態に陥っている中で、ここの商店街はまだまだ元気です。
商店街を抜けたところは京街道、毎度のことですがアイスクリーム屋には列が出来ています。2、3年前にたこ焼きを食べた店は無くなっていました。しばらく京街道を歩きましたが、こやつはまあまたの楽しみにして、本日は西に向かいます。
京街道
西すなわち川の方に向かう道路が幾筋も伸びています。ここいらは城東区になるのでしょうか、それとも旭区?大阪もまた碁盤の目の町やなあ。
西に向かう。
ここまで来たらー、と旭警察署の近くの藏十を訪ねます。知ってる人は知っている、知らない人は誰も知らないうどんの名店です。が、本日は定休日で閉まっていました。これで2勝5敗ぐらいです。5敗のうち3回は定休日に来ているのですが、残る2回のうち、1回は店主が名古屋の結婚式に出席のため、1回は店主の盲腸炎のための臨時休業でした。こういうことは執念深く覚えている。ここで食うのはなかなかに難しいことです。まあ真っ直ぐに川に行けということかなぁと思って北を見れば、はるか向こうの方に神社らしきものが見えます。
神社は「千林大宮」の駅名の由来となった大宮神社でした。基本は八幡さんですが、北野さんなども合祀されています。
ちょっと読み辛い?
境内には「いぼ」に効果のある霊木もありました。イボコロリ真っ青。東の門近くにあると記されている影向石などは見つけることが出来ませんでした。
ここから真っ直ぐに西に向かいます。結果はOKでしたから、純粋に赤川を目指すならば千林よりも一つ北の駅がいいかも知れません。公園があるから入ろうと思ってよく見ると個人宅の玄関ロータリーだったりするなかなかにスゴイ家もありました。
赤川に出ました。ここにもなかなかのたこ焼き屋があるのですが、本日はパスをして土手を目指します。
貨物線の横には既に工事の資材などが置かれて、いよいよやなぁーという感じが強くします。今は久宝寺から放出止まりになっている大阪東線を貨物線を利用して新大阪まで伸ばすようです。まあ電車の外環状線ですね。
土手に登る坂をひょいと進むと城東の貨物線の鉄橋、その鉄橋の線路の横を人が歩ける訳です。入り口での自転車のオッチャン同士の会話、はっきりと人道橋の廃止を惜しむものでした。
本日も散歩の人、自転車の人、多くの人がこれを渡っています。平日だと自転車の前と後ろに子供を乗せたお母ちゃんが爆走する光景も見ることが出来ます。鉄チャン等はいよいよ最後の日に押しかけるのでしょうね。あの鉄チャンのパワーと根気、勉強熱心なところは大いに見習わねばなりません。
渡っていると河原に「わんど」が見られます。何匹か何十匹かのイタセンパラがこの中にはいるのでしょうね。外来種問題はどうなっているのでしょう。亀岡ではアユモドキの生息地にサッカー場を造るという動きがあるようですが、愚かしいことです。よりによってそんなところを選ばずともと思いますし、候補地は交通のアクセスも悪い。9号線に出るまでに車がダダ混みになるだろうし、9号線そのものが渋滞が慢性化しているのにさらにひどくしようというのだから住民はたまりませんね。
真ん中当たりで上流を見る
渡りきって東を見ます。江口はもうちょっと上流ですが、江口の戦い(1549)において三好政長が遂に渡りきることが出来なかった川です。往時はこの付近にも三好長慶方の軍勢が充満したはずです。当時はこの辺りからも対岸の榎並城が見えていたと思われますが、今はどこが城跡なのかもわかりにくいようです。
土手を降りてすぐに「亀岡街道」の表示がありました。神戸大学ボート部の艇庫でしょうか、訓練場でしょうか、その付近です。
亀岡街道
しばらく街道を歩くことにしました。何とこの辺りは石標の密集地です。「観音道」などとあるのは西国三十三所の巡礼道にもなっているということでしょう。ひとつには「柳谷」の観音さんへの道も示していましたから、三十三所のみでは無いようです。
金比羅さんの名も彫られている
メモするものを全く持っていなかったので、道標の年代も何が嘉永で何が万延なのか分からなくなってしまいましたが、一番新しい昭和63年だけは覚えていました(笑)。
この亀岡街道も阪急千里線の踏切を渡ると何が何か分からなくなりました。これはおもしろそうですから、また出直します。また菅原という地名から、絶対に何処かに天満宮があるはずだと思いながら歩きましたが、これも見つけられず。帰宅後に地図で確認しました。結局本日の到着点は淡路駅。
淡路駅前の再開発で知っていた店もいくつか無くなっています。そのまま電車に乗って本日は「立ち寄り屋」でちょいと一杯であります。串カツが食いたいときはここ。するめの串カツが無いのだけが難点であります。
追記 記事の書き出しでも何となくそんな雰囲気を醸し出していますが、花粉症開け記念の師匠主催の徘徊で今一度赤川人道橋に行くことになりました。
千林界隈はそう行った事がないのですが、一時新会社立ち上げ時期に守口の工場内の事務所で過ごしたり、我が恩師との再会の地であったり、40度の高熱で歩いて行った病院、淀川の渡しで千林の商店街へ買い物に行っていた我が叔母、などなど、いろいろと思い出があるところです。
淀川の河川敷はポタリングを楽しんだ思い出もあります。ここの公園管理事務所でアルバイトされていた恩師を予告なく訪ねてビックリさせたことが懐かしいです。ワンドは自然の勉強に良いところですね。
対岸の瑞光通や淡路にも思い出があります。石標が残っていますね。昔の人にとって旅は巡礼というか信仰の道が大きな位置を占めていたのでしょうね。
大阪の商店街でまだ頑張っているのは、ここ千林、天神橋商店街、針中野の駒川商店街といったところでしょうか。
貨車と並行して人道があるとは、なかなか見ることのできない景色です。足の下は流れのある川ですし、貨車が通るのも一緒に見ることが出来たら最高ですね。
貨車は客車よりも面白い、いろいろな形があり、長くて見ていて飽きないですね。
楽しみにしてまーす。
電車の窓から見ていて、「オッ!元気やな。」と見えても、実際に歩いたらガラガラというのもままありますね。空堀なども思っているよりはるかに往来は少ないです。
久宝寺~新大阪はいよいよ完成するようですが、この人道橋が無くなるというのは、当然予想すべきだったかも知れませんが、意外でした。阪急淡路駅前の再開発も進んでいます。駅の東の商店街は無くなってしまいました。
この日は、橋を渡る前にコンテナを積んだ貨物列車が走って行きました。橋を渡っている間は列車は通りませんでしたが、おっしゃるようにちょうど列車が通ってくれたらいいですね。
既に歩かれているかも知れませんが、赤川の人道橋を渡った跡は、旧淀川に沿って大阪市の中心部に向かう予定です。桜はもう散っていますが、中之島のバラ園にたどりつけたらいいなあと思っています。
千林はダイエーの発祥地と聞いていました。一度、古本屋を探して途中下車した事がありました。夕方の薄暗がりの中で、女性(若い)に道を訊ねて親切に教えてもらった、ここは好い記憶があります。その後、ダイエーはどうなったのか知りませんが。
赤川の人道橋はもちろん知りませんでしたが、長年存在した物が失くなるのは淋しい限りです。地元の人達は残念でしょう。何か代わる橋が架けられるのでしょうか。
∪村の栃本の木橋はコンクリート橋になり風情は消滅しましたが、これは仕方のないことでしょうし・・・。
赤川、小生も場末のイメージを持っていたのですが、今は結構栄えているように思います。これもどうなったか確認していませんが、といざらすの近畿2号店があったのでは。ここで「エアウルフ」の模型を買った覚えがあります。未だ、組み立てていません。
赤川鉄橋は大阪東線の鉄橋になるようです。多分人道橋の復活は無いのではと思います。
貨物列車と平行して歩く、ちょっと怖いようですが、そんな橋が間もなく無くなると聞けば好奇心満々で行って見たいのですが、、お祭でちょっと無理をしたのか、治りかけて目がまたまた・・・
徘徊のお返事迷っています。前日まで様子を見ていて経過次第で参加するかもわかりませんが、もし参加させていただく場合は、当日、必ず集合場所に早いめにつく予定をしています。時間に行ってない場合は不参加と思って頂いて結構です。
ややこしいことを云って申し訳ございません。よろしくお願いいたします。
そういえば、渡っているときに横を列車が通ったことは未だありません。どれくらい揺れるのか、じっと待ってみたい気分ですね。