花洛転合咄

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蔵之谷

2019年03月02日 | 徘徊の寫眞


近世枚方宿の発展は、豊太閤伏見と大坂の行き来の便を計り、堤上の道を整備するに依れり。
幕府二都を以て枢要たらしめ、往来愈々繁く、澱江上下の舟運と相俟って枚方は全く宿場町の体裁と成る。
遡れば、中世蓮如の末子実從の拠る「順興寺」寺内発展端緒たり。蔵之谷は往時の中心街たれども右府の禍に遭い概ね焼亡、今僅かに願生坊一宇残れり。寺名洛に嗣ぐもの有り。
願生坊門前より坂を登り詰めたる辺りまで寺内たり。相向かう法華の寺は油商の跡と言う。
蔵之谷、土人「くらんたに」と音す。

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