京師における著名な寺社と雖も信仰の点では別物と見えて、何処に於いてもお百度を踏む人の姿を見かけることは稀です。世界遺産と称する寺社で、本当の意味での信仰によって人々を集めているところは殆ど無いのではないでしょうか(ただ、「観光」の名の下に寺社に参拝し、賽銭まで上げる国民性は外国人の目には奇異に映るそうですが)。
しかるに東大阪市にある石切神社(石切劔箭神社)のみは、いつ訪れても写真の如くお百度を踏む人の列が絶えません。お百度を踏む人、祈祷を受ける人、普通に拝んでいく人、正月や祭礼時の大社寺は別にしてこの神社ほど多くの人が神前で頭を下げる処を小生は他に知りません。
祭神は饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)と可美真手命(ウマシマデノミコト)ということで、物部氏の氏神です。生駒山麓には物部氏の伝承がかなり残っており、その関係の神社も多くあります。山地沿いに少し北上したところには饒速日尊が天より降臨したときに乗ってきた船が岩になったと伝える磐船神社もあります。神武東征神話には、饒速日尊のことが随分と記されていますが、天孫たる証しは神武天皇自らがこれを認めています。「偽書」といっても、その成立は平安時代の初めといわれている先代旧事本紀では寧ろ饒速日尊こそ高天原の神々の意を受けて降臨した天孫であると記されています。
しかしながら普通の庶民には、そういう神話類はまあどうでもいいのであって、石切神社といえば、「でんぼの神さん」ということで知られているのです。「でんぼ」というのはできものや腫れ物のことで、時には訛って「でんぼう」と言うこともあります。小生など子供の時にデコにできものなどを作っていると、近所のいちびりのおっさんが「おお、連邦(でんぼう)保安官!」などと訳の解らぬ言葉をかけてくれたものです。石をも切り裂く劔の神徳でそのような腫れ物やできものも切り取ってしまうということで、石切神社は「でんぼ」の神様となったのです。
「たかが、できもの。」とも思いますが、支那史上では「腫れものができて死んだ」という表現はまま出てきます。漢の高祖のライバルであった項羽の軍師たる范増などもそうですね。人間、失意の状態になるとやはり体に異変が生じるようで、范増もお人好しの項羽に絶望して郷里に帰る途中の発病だったと思います。本朝でも徳川家康など小牧長久手の戦いの後、背中の腫れ物で死にかけています。足利尊氏も確か背中の腫れ物が死因であったのでは。また、足利義持は、尻のできものを風呂場で掻いて、そこからバイ菌が入ったのが原因で亡くなっています。「ちとようありてあの世へと」行ったまま未だ帰ってこない山崎宗鑑(辞世「宗鑑は何処へと人の問ふならばちと用ありてあの世へといへ」)も、その用とは癰であったようです。この癰の他にも瘍や疔など腫れ物やできものを指すおぞましい言葉もありますね。
神社正面の門の中には瘰癧(るいれき)という病気に罹り、信仰の力で全癒した人の体験談が掲げられています。となると石切神社にお参りし一心不乱にお百度を踏んでいる人たちの悩みは、どうも「でんぼ」如きものではないということになります。実は、お百度を踏んでいる多くの人の親族や自分自身が悪性の腫瘍=癌に冒されている人たちなのです。考えてみれば、癌こそできものの中では最悪のものですね。この癌を神の力でスッパリと切り取っていただきたいという真剣な気持ちでお百度を踏んでいるのです。このように人が神とまともに向き合っている場所は珍しいのではないでしょうか(かつて宵闇迫る鞍馬魔王殿の前にて一心不乱に経を唱える青年の姿に凄絶なものを感じたことはありますが)。勿論、末期癌の人が車いすでということは無く、元気な人が代わりにお百度を踏んでいます。その祈りの真剣さ、必死さという点では日本のルルドと称してもと思うのですが、我を彼に例えるのは稍癪でもあるのでルルドを仏の石切と称させるのがよいでしょう。石上神宮に伝わる物部氏の魂振りの神事は死者をも甦らせるといいます。多くの善男善女の心底からの祈りは必ず通じるでしょう。
斯様なる状況下では、「この世から鶏肉料理というものを無くしてたもんせ(なぜか鹿児島弁)。」とか「これからも1ヶ月に1度は池田でたこ焼きが食べたいじょ(なぜか三田弁)」等というような呑気な小生のお願いなどは、なかなか神の聞きたもうところとはならないでありましょう。さっと参拝をして、すぐに退散、神社周辺の商店街を徘徊することに致しましょう。
しかるに東大阪市にある石切神社(石切劔箭神社)のみは、いつ訪れても写真の如くお百度を踏む人の列が絶えません。お百度を踏む人、祈祷を受ける人、普通に拝んでいく人、正月や祭礼時の大社寺は別にしてこの神社ほど多くの人が神前で頭を下げる処を小生は他に知りません。
祭神は饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)と可美真手命(ウマシマデノミコト)ということで、物部氏の氏神です。生駒山麓には物部氏の伝承がかなり残っており、その関係の神社も多くあります。山地沿いに少し北上したところには饒速日尊が天より降臨したときに乗ってきた船が岩になったと伝える磐船神社もあります。神武東征神話には、饒速日尊のことが随分と記されていますが、天孫たる証しは神武天皇自らがこれを認めています。「偽書」といっても、その成立は平安時代の初めといわれている先代旧事本紀では寧ろ饒速日尊こそ高天原の神々の意を受けて降臨した天孫であると記されています。
しかしながら普通の庶民には、そういう神話類はまあどうでもいいのであって、石切神社といえば、「でんぼの神さん」ということで知られているのです。「でんぼ」というのはできものや腫れ物のことで、時には訛って「でんぼう」と言うこともあります。小生など子供の時にデコにできものなどを作っていると、近所のいちびりのおっさんが「おお、連邦(でんぼう)保安官!」などと訳の解らぬ言葉をかけてくれたものです。石をも切り裂く劔の神徳でそのような腫れ物やできものも切り取ってしまうということで、石切神社は「でんぼ」の神様となったのです。
「たかが、できもの。」とも思いますが、支那史上では「腫れものができて死んだ」という表現はまま出てきます。漢の高祖のライバルであった項羽の軍師たる范増などもそうですね。人間、失意の状態になるとやはり体に異変が生じるようで、范増もお人好しの項羽に絶望して郷里に帰る途中の発病だったと思います。本朝でも徳川家康など小牧長久手の戦いの後、背中の腫れ物で死にかけています。足利尊氏も確か背中の腫れ物が死因であったのでは。また、足利義持は、尻のできものを風呂場で掻いて、そこからバイ菌が入ったのが原因で亡くなっています。「ちとようありてあの世へと」行ったまま未だ帰ってこない山崎宗鑑(辞世「宗鑑は何処へと人の問ふならばちと用ありてあの世へといへ」)も、その用とは癰であったようです。この癰の他にも瘍や疔など腫れ物やできものを指すおぞましい言葉もありますね。
神社正面の門の中には瘰癧(るいれき)という病気に罹り、信仰の力で全癒した人の体験談が掲げられています。となると石切神社にお参りし一心不乱にお百度を踏んでいる人たちの悩みは、どうも「でんぼ」如きものではないということになります。実は、お百度を踏んでいる多くの人の親族や自分自身が悪性の腫瘍=癌に冒されている人たちなのです。考えてみれば、癌こそできものの中では最悪のものですね。この癌を神の力でスッパリと切り取っていただきたいという真剣な気持ちでお百度を踏んでいるのです。このように人が神とまともに向き合っている場所は珍しいのではないでしょうか(かつて宵闇迫る鞍馬魔王殿の前にて一心不乱に経を唱える青年の姿に凄絶なものを感じたことはありますが)。勿論、末期癌の人が車いすでということは無く、元気な人が代わりにお百度を踏んでいます。その祈りの真剣さ、必死さという点では日本のルルドと称してもと思うのですが、我を彼に例えるのは稍癪でもあるのでルルドを仏の石切と称させるのがよいでしょう。石上神宮に伝わる物部氏の魂振りの神事は死者をも甦らせるといいます。多くの善男善女の心底からの祈りは必ず通じるでしょう。
斯様なる状況下では、「この世から鶏肉料理というものを無くしてたもんせ(なぜか鹿児島弁)。」とか「これからも1ヶ月に1度は池田でたこ焼きが食べたいじょ(なぜか三田弁)」等というような呑気な小生のお願いなどは、なかなか神の聞きたもうところとはならないでありましょう。さっと参拝をして、すぐに退散、神社周辺の商店街を徘徊することに致しましょう。
最近は複雑な腫瘍の発症が多くなって、石切さんも大繁盛なのでしょうか。愛宕神社へは、赤ん坊が生まれたら火除けに必ず参拝する(私は行ってませんが)風習があります。石切神社もそんな習慣があって、余計に賑わっているのかも知れませんが。神社よりも、古い町並みが面白そうですネ。旨い酒もありそうですし。
ある経営コンサルタントから今まで会社で何故在庫管理が出来なかったか、その原因は「心から<やらねば>という意識がなかったからだ」と指摘されたことがあります。コンサルタントとしてはもっと踏み込んで方法論まで教えてくれや、と言いたいのですが、まああのコンサルタント料ではそれも無理だったのでしょう。Where there is a will, there is a way.や、 なさねばならぬ何事も、、ということでしょうか。
剣の意味も上手く解説していただき嬉しく読ませて頂きました。宝山寺や千光寺、信貴山のあたりの記事も楽しみにしております。
メーカーが信貴山の麓、山本にあった頃、展示会の帰りに布施で乗り換え石切に初めて行きました。35年ばかり前です。石切駅から坂道の商店の活気や佇まい、神社でのお百度を踏む人の真剣な眼差しなどに魅せられ、その後お百度までは出来ていませんが、何度となくお参りをしました。そもそも「でんぼ」の神様である所在を知ったのがその少し前で残念にも母が逝った後でした。あの結構にキツイ坂道も商品を冷やかし、ちょっぴり買いながら登ると楽しいものですネ。駅の手前に私の好きな占いの小父さんがいてるし、一服かたがた占って貰いました^^
最近はめったにそちらに出向きませんが、そろそろ自分の「でんぼ」が気になる頃となり、時にはお参りしなくてはと思っています。
経営コンサルタントですが、友人が何時も「社長が好きで大変だ。連中に支払う金があるなら従業員に分けてやる方がはるかに会社も活性化するのに。」とぼやいています。
小栗判官、俊徳丸、今では全治しますが「ハンセン氏病」に絡む伝承が多いですね。
最近は来られていないとのことですが、また、機会があれば、皆様とご一緒できれば楽しいです。北に行けば野崎観音や四条畷神社も近くにあり、南に行けば枚岡神社や瓢箪山稲荷、東に行けば生駒で、今は近鉄の新線が出来ていますので新石切からも、いきなり生駒に行くことが出来ます。