石切神社から、坂を登って近鉄石切駅まで細長く商店街が延びています。名産の煎餅の他、よもぎの天ぷらを売る店、なぜか明石焼を食べさせる店、門前町の賑わいが続きます。この辺り一帯は、昔はちょいとした製薬地帯(生駒山からの山水の流れを利用した水車で粉にする)でありましたから、漢方薬局なども他の地域より密度濃く分布しています。
漢方薬局で目立つのはやはり阪本の漢方でありますが、店自体は既に開いているのやら閉まっているのやら解らぬ状態で、様々なオブジェをこの辺りに建て続けた人物の名のみが大きく目立っています。今もなお大坂や京で栄える阪本の漢方の御本家かなと思いますが、余程の僥倖に巡り逢わねば店の中を覗くことはできません。別の店でも以前には、人体の不思議展で見られるような気色悪い人形を店頭に並べ、あの世とこの世を行き交っているような爺さん(地獄ジジイと言ったらしい)が名物となっていましたが、今はあの世に行ったきりになっています。
この商店街、総じて衰退の翳りは見られるものの、他地域の駅前商店街に比べると大変栄えていると言って良いでしょう。また、この商店街の特色の一つに占い師がやたらと多いことがあげられます。人間はものの数を実際より多く見がちであるという武田信玄と蛤の貝殻のエピソードもありますから、ここは控えめに50人はおるでぇと申しておきましょう。本当は、もっとずっと多いかも知れません。
占い師ばかりか、社前には坊さんもいて、体の悪いところに気を注入するような術を施しています。占いの種類も多種多様で、姓名判断もあればタロットカードを使ったようなものまであります。昔ながらの神道(かんながらのみち)とは何の関係もありません。神社にわらにすもすがる思いでお参りする人が多く来てる。その中の幾たりかは神社であろうと占いであろうとまじないであろうとゴッチャに捉えてしまい、病気の原因を知るために、或いはこれからのことを知るために占いに頼ろうとするのでしょう。需要のあるところ供給ありです。
最近では、占い師間の価格競争も厳しく、「15分間500円」というような看板も見られますし、入り口で客を引く占い師もいます。客引き禁止条例に引っかからないのでしょうか?と思ったら、これは大阪市の条例、ここは東大阪市でした。小生は、ただ一度だけ神社と石切駅の中間地点で美貌の占い師に声をかけられたことがあります。この辺りの殆どの占い師は爺さん、婆さんなのですが、非常に若い女性でした。小生は「占い」というものを全く自分には関わりのないものとして生きてきましたから、どうしようかな?等と考えることもせずににべもなく断ってしまいましたが、今にして思えば、「あの時見てもらったらよかったかなあ。」というところです。その後は二度とその美貌の占い師を見ることはありませんから、「逃した獲物は大きいぞ!」と申す処。けど何を占ってもらうのでしょうか?
神社に近い姓名判断の占い師のところでは、犯罪に巻き込まれたり、事故で死んだりした人の名前を例にして、その名前が如何に不吉で駄目な名前かを縷々解説しています。そして一番最後に「ご冥福をお祈りします。」と書いてあるのがご愛敬です。第一、名前で不幸になったり、幸せになったりするのなら、儲けを当て込む全ての占い師は「細木和子」とでも改名すればいいのです。
この界隈、物部氏の拠った古い土地でありますから、弥生の遺跡も多くあります。もっとも有名なものは西の辻遺跡でありましょう。縄文の遺跡も幾つか存在します。「日本」という国号の語源は、この地域の孔舎衙(日下)に因むとか。また、江戸時代にちょっと善政を敷いた代官は、領民によって神として祀られることがあるのですが、そのような社もあります。偏屈爺さんの上田秋成も一時期この辺りに住んだということですが、その寓居址は完全に新興の住宅地の中に埋没してしまっています。
商店街を突き抜け、近鉄を越えて山の方に行きますと石切神社の上の社があります。もともとはここが本殿のあったところといいますが、やはり此処の社も山を下りてきた社で、さらにそれより前は生駒山中にあったのかも知れません。この上の社の一帯は、今では少し新興宗教のニオイがします。宮司家たる穂積氏(物部の嫡流と云々)の道楽場のような気もします。平生は、お百度参りをする人もなく本当に静かなところなのですが、行事の際にはやはりごったがえします。かつてここで、人々がペットボトルに詰めたお湯をありがたそうに頂いて帰る様子を眺めたことがあります。
ここより上は、いよいよ生駒山中、薬を粉にした水車の跡なども楽しいのですが、商店街の中に明石焼きの店が2軒あったぞ、よもぎの天ぷらもうまそうだということで、今回はここにてお開きであります。2軒の明石焼きの店の間にある、バアサン調合の七味、京の香に負けません。聞くならく、清水坂の七味屋の盛況、商品を買うに苦労多しと、石切の七味屋、お勧めです。
漢方薬局で目立つのはやはり阪本の漢方でありますが、店自体は既に開いているのやら閉まっているのやら解らぬ状態で、様々なオブジェをこの辺りに建て続けた人物の名のみが大きく目立っています。今もなお大坂や京で栄える阪本の漢方の御本家かなと思いますが、余程の僥倖に巡り逢わねば店の中を覗くことはできません。別の店でも以前には、人体の不思議展で見られるような気色悪い人形を店頭に並べ、あの世とこの世を行き交っているような爺さん(地獄ジジイと言ったらしい)が名物となっていましたが、今はあの世に行ったきりになっています。
この商店街、総じて衰退の翳りは見られるものの、他地域の駅前商店街に比べると大変栄えていると言って良いでしょう。また、この商店街の特色の一つに占い師がやたらと多いことがあげられます。人間はものの数を実際より多く見がちであるという武田信玄と蛤の貝殻のエピソードもありますから、ここは控えめに50人はおるでぇと申しておきましょう。本当は、もっとずっと多いかも知れません。
占い師ばかりか、社前には坊さんもいて、体の悪いところに気を注入するような術を施しています。占いの種類も多種多様で、姓名判断もあればタロットカードを使ったようなものまであります。昔ながらの神道(かんながらのみち)とは何の関係もありません。神社にわらにすもすがる思いでお参りする人が多く来てる。その中の幾たりかは神社であろうと占いであろうとまじないであろうとゴッチャに捉えてしまい、病気の原因を知るために、或いはこれからのことを知るために占いに頼ろうとするのでしょう。需要のあるところ供給ありです。
最近では、占い師間の価格競争も厳しく、「15分間500円」というような看板も見られますし、入り口で客を引く占い師もいます。客引き禁止条例に引っかからないのでしょうか?と思ったら、これは大阪市の条例、ここは東大阪市でした。小生は、ただ一度だけ神社と石切駅の中間地点で美貌の占い師に声をかけられたことがあります。この辺りの殆どの占い師は爺さん、婆さんなのですが、非常に若い女性でした。小生は「占い」というものを全く自分には関わりのないものとして生きてきましたから、どうしようかな?等と考えることもせずににべもなく断ってしまいましたが、今にして思えば、「あの時見てもらったらよかったかなあ。」というところです。その後は二度とその美貌の占い師を見ることはありませんから、「逃した獲物は大きいぞ!」と申す処。けど何を占ってもらうのでしょうか?
神社に近い姓名判断の占い師のところでは、犯罪に巻き込まれたり、事故で死んだりした人の名前を例にして、その名前が如何に不吉で駄目な名前かを縷々解説しています。そして一番最後に「ご冥福をお祈りします。」と書いてあるのがご愛敬です。第一、名前で不幸になったり、幸せになったりするのなら、儲けを当て込む全ての占い師は「細木和子」とでも改名すればいいのです。
この界隈、物部氏の拠った古い土地でありますから、弥生の遺跡も多くあります。もっとも有名なものは西の辻遺跡でありましょう。縄文の遺跡も幾つか存在します。「日本」という国号の語源は、この地域の孔舎衙(日下)に因むとか。また、江戸時代にちょっと善政を敷いた代官は、領民によって神として祀られることがあるのですが、そのような社もあります。偏屈爺さんの上田秋成も一時期この辺りに住んだということですが、その寓居址は完全に新興の住宅地の中に埋没してしまっています。
商店街を突き抜け、近鉄を越えて山の方に行きますと石切神社の上の社があります。もともとはここが本殿のあったところといいますが、やはり此処の社も山を下りてきた社で、さらにそれより前は生駒山中にあったのかも知れません。この上の社の一帯は、今では少し新興宗教のニオイがします。宮司家たる穂積氏(物部の嫡流と云々)の道楽場のような気もします。平生は、お百度参りをする人もなく本当に静かなところなのですが、行事の際にはやはりごったがえします。かつてここで、人々がペットボトルに詰めたお湯をありがたそうに頂いて帰る様子を眺めたことがあります。
ここより上は、いよいよ生駒山中、薬を粉にした水車の跡なども楽しいのですが、商店街の中に明石焼きの店が2軒あったぞ、よもぎの天ぷらもうまそうだということで、今回はここにてお開きであります。2軒の明石焼きの店の間にある、バアサン調合の七味、京の香に負けません。聞くならく、清水坂の七味屋の盛況、商品を買うに苦労多しと、石切の七味屋、お勧めです。
私は占い師に占って貰ったことがないので分からないのですが、この占い師については我が大学の同級生、といっても数年年上の人でしたが、が色々苦労をし金に困って天王寺の料亭の前で占い師をしたところよく当たるね、と割りといい思いをしたと話してもらったことを思い出しました。しかし先日その方の奥様から喪中に付き、の葉書を頂きました。故郷の鹿児島に帰り野菜作りを楽しんでいると連絡が来ていたのですが。占い師さんってやはりそれなりの人を見る才能があるのでしょうか。苦労する程人を見る目が肥えるのでしょうね。あとは話術かもしれませんね。今度機会があれば石切へ行こう、そして七味を調合して貰おう、そして占いも、てな気分にさせて貰いました。
それからすると、この石切神社界隈は天国の様なものでしょう。その証拠に絶世の美女の占い師も居ますし。その占師は、若くて金を持っていそうな男を物色していたのではないですか。
徘徊堂さんに袖にされ、今ごろは別の所で活動しているか、それとも他の有望な男をゲットしたかも。もし、今度また舞い戻っていたら教えてください(貧乏老人の私に資格はありませんけど)。
ご友人は、本当に残念ですね。それでも占い師をされていた側のお話は初めてうかがいました。本当によく当たる占い師とは、仰っておられるように自分の豊かな人生経験から的確なアドバイスができるということなのでしょう。
石切、ご来訪の際にはお供します。明石焼きを食べましょう。
先日、八木の商店街の中を抜ける機会がありました。午後5時半ごろでしたが、やはり開いている店は少なく、駅へまっしぐらということになりました。「鬼味噌漬け」の店も閉まっていましたが、単に「日曜だから」「夕方だから」閉まっているのであって、店が無くなった訳ではないということを望んでいます。無くなったらファンとして寂しいです。
今朝は堀の北半分ぐらいに初氷がはりました。
石切は製薬地帯でしたか?末は怪しげな漢方薬局をしょうと言っていた相棒は知っていたのかも?
占い、大好きです!わたし~語るも涙(自分で言って笑ってしまいます・・)の苦労人ですから・・巡礼の温泉でも1回千円で占い師が座っていました。似たような境遇の友達と占ってもらいました。石切の小父さんも含めて、私の場合7分方当っています。それは占いの基礎の部分で誰が占っても同様の結果だと思います、あとの3分を期待しているのですが・・・もちろんそれをどうのこうのする訳でないのです。唯思案に明け暮れしていた時は「東北方位の病院に変われば」気持ちが揺らぎました。
今は食い気が先行、明石焼きを食べに石切に行きたいです。
石切の阪本漢方は元紀州藩士の人が始められたらしく、一時期はものすごく儲けたようで、石切大仏なども個人の財力で造られたようです。
ささ舟様が明石焼きを食べにお出ましになる日を待っております。