花洛転合咄

畿内近辺の徘徊情報・裏話その他です。

二ノ瀬ユリを通って花背へ

2009年11月25日 | 徘徊情報・山城国
 紅葉のこの時期、京都方面に向かうことは避け、空いている大阪市内や池田辺りで酒を飲んでいることが多いのですが、芦生に入られた方の写真を見ているうちに「あやしうこそものぐるほしけれ」という気分になり、これはどうも北山に入らずんば非ずということになりました。貴船・鞍馬の喧噪、高雄の狂気、嵐山の塵埃を出来うる限り忌避し、かつ北山の奥に入る道は「二ノ瀬ユリ」に如かずと決め、叡電二ノ瀬より花背まで歩くことにしました。
 しかしながら、京都行きの電車は既に超満員、出町柳の混みようも凄く、とにかく「二ノ瀬にさえ着けば。」と我慢の人生です。「前で咳き込んでいるオッサン、新型インフルとちゃうやろなあ?」と因縁を付けたいところですが、行き先が警察になっても困りますので、じっと辛抱。いつもですと二の瀬で降りるのは小生一人なのですが、さすがに今日はオバハンの一個小隊、オッサンとオバハンの混成1個大隊が一緒です。
 二ノ瀬は林家(りんけ)の料で、禁門の変のルポルタージュ「元治夢物語」の筆者である馬場文英の故園ということぐらいしか知りませんが、いつも通過するだけ、いつかしっかりと徘徊せねばなりません。トップの写真は駅から見た二の瀬の集落です。
 駅から少し歩くと、本日入るべき山が正面に見えてきます。この山の中腹を抜けてやがて尾根筋を歩くことになります。

          

 先ずは惟喬親王とその母堂を祀る富士・守谷神社に参拝。この神社の右手が二ノ瀬ユリ、左手が夜泣峠への道となります。いつもは夜泣峠に向かうのですが、小隊も大隊も夜泣峠に向かうと言っていましたから、前が詰まる怖れがあり、本日は一人二ノ瀬ユリに入ります。「さあ、もう誰もいないぞ。これでこそ北山ぢゃ。」と申す処。

          

          
          約4.5㎞の北山のムービングウォーク「二ノ瀬ユリ」

 この道は親切にも下のような道標が200mおきに設置されています。もしかの場合は番号を言ってくれと言うことですが、携帯は通じたり通じなかったり、けれども誰かがうずくまっていたりしたら急いで下山して「36番のところで人が倒れてるで!」等とは言えますね。

             

 11時15分に二ノ瀬、11時に夜泣峠からの出合いに到着、小隊と大隊は今頃は夜泣峠で休憩中でしょう。先をば急ぎます。

          

 樋ノ水谷方面への分岐に至り、ちょっと寄り道して貴船山の三角点へ。本日ただ一つのピークで、11時35分に到着です。このピークで人を見たのは初めてです。しかも2グループ、5人も。さすがに行楽のシーズンです。樋ノ水谷方面の紅葉もなかなか美しく、このまま直谷へ出て今西錦司先生にご挨拶をするという選択枝もありますが、実は本日は花背で蕎麦を食おうという算段、やってきた道を戻るということは滅多にしないことですが、食い気に負けて二ノ瀬ユリへと復帰します。この山だけを目的として、いずれ滝谷方面へ抜ける道を探そうと思います。

          
          699.8mどす。

          

 樋ノ水谷への分岐から滝谷峠の間に、ユリ道沿いに「ここが貴船山の山頂ぢゃ!」とケルンが積んであるところがあるのですが、三角点との位置関係も今一判らず長い長い宿題となっています。貴船山への往復30分を経過して二ノ瀬ユリに復帰すると小隊の方が追いついてきていました。「オバハン、なかなかやるやんけー。」と申す処。ここから少しの間だけ、道が沢状態になって判りにくいので、オバハン等の頑張りを賞しガイドをします。ここより滝谷峠までは約2.4㎞です。

          

 鞍馬尾根を東に見ながら(といっても眺望は全般的に今一つで展望コースなどは道が無くなりつつあり)、ホイホイと歩くと間もなく滝谷峠、北山のカイバル峠であります。小隊も、もはや全く姿の見えぬ大隊もここが折り返し点で、奥貴船橋方面に下り、貴船神社奥社を経て貴船に出るようです。こちらは、直谷にも奥貴船橋にも行かず、そのまま雑木林の中を直進します。が、テープはよりどりみどり迷いようのない道です。といいながら前回は迷いましたが。

          
          鞍馬尾根方面

              
          滝谷峠

 きれいな雑木林が続きます。「見たかったんは、これやこれや!」。風が頭の上を吹き抜けて木々がワサワサと語ります。「これやこれや、聞きたかったんは!」。

          

          

          

 滝谷峠から約1㎞、12時55分にP760に到着です。派手さはありませんが、全山紅葉です。左手の山は魚谷山、向こうにかすかに桟敷ヶ岳が見えています。くれぐれもこの森を切って針葉樹を植えるなどということはしてくれるな。今や行き場を失った鹿やタヌキや或いは熊の最後の楽園でしょう。鹿などは「増えてる。増えてる。」ときちんとした調査を行わぬまま大量虐殺をやっていますが、気が付いたら奈良公園にしか鹿がいなくなった等ということも(と思っていたら奈良公園の鹿も激減しているそうで、どないなってんねん。)。林業用の植林と森林の保全は厳然と区別されるべきです。杉や桧を植えて、「森を造っています。」なんぞは、ちゃんちゃらおかしい。

          

          
          愛宕山も見えています。

 このP760から直滑降という感じで下りきったところが芹生峠、今日は珍しく芹生へ下ります。やはり下りは速い、15分で芹生の里です。

          
          芹生峠

          
          芹生の入り口「寺子屋橋」から見た灰屋川

                    
          分校跡

 そのまま旧花背峠を目指しますが、あちらこちらに不法投棄されたゴミが目立ちます。林道を造っても人がそれほど行き来する訳ではない、けれども車で入ってくることが出来るので不埒者には好都合なようです。そういうヤツは捕まえたら村の掟で石子詰めにできるとかいうようにするのが本当の地方主権。何にしても無駄な林道の造成と不法投棄は比例関係にあると思われます。芹生峠には、エレクトーンが捨ててありました。

          
          左は勢竜天満宮から雲取、右は旧花背峠へ。

 以前にこの道を歩いた時は、林道が出来てすぐで削り跡も生々しく「何をサラスねん。」と思いながら逆に芹生へと下ったのですが、さすがに時間がたって少し落ち着いた感じが出てきています。このまま廃道の雰囲気が強くなれば気持ちの良い道になるでしょう。

          
          テンナンショウも赤い実が。

          
          灰屋川源流域

 14時30分に旧花背峠に到着です。まったく予定どおり。ここから蕎麦屋まではあと1㎞ほどです。この峠の風情、本当に見飽きることがありません。下っていく途中も見返り見返り峠を眺めます。鞍馬の奥の峠下というバス停からこの峠までの道はかつてのメインストリートですが、今は完全な山道です。楽しい倒木もいっぱい。但し本日は旧道分かれへの道を下るので、倒木は楽しめません。

          

          

          
          天狗杉方面。

          
          花背-別所上の町付近。


 さて、蕎麦屋の前に立ったのは14時55分、念のためにバスの時間を調べると、何ということでありましょうか。今までの人生でこれほど大きな悩みがあったであろうかという問題に直面したのです。16時台のバスがないのです。前に乗って帰ったのは絶対に4時台のバスだと思っていたのですが、夏なので明るかったから、もしかすると17時47分のバスであったやも知れぬ。しかも次のバスが15時01分、もう5分でやってくる。
 となると、次のバスに乗る→蕎麦が食えぬ=悲劇、蕎麦を食う→16時頃蕎麦屋から放り出される→1時間30分以上も時間つぶしをしなくてはならぬ(しかも暗い中)=悲劇、おお何という悲劇だ。これに比べると沙翁の悲劇など悲劇のうちに入らぬ。しかも5分で決断しなくてはならない。早くもメロディバスのロンドンデリーの曲が聞こえているではないか。
 ということで今回は蕎麦をあきらめ、バスに乗りました。これがたこ焼きであれば、そちらを取ったかも知れませんが、まあ味もよく判らぬものであるしというところ。けれども、今も後頭部の右の方に「花背蕎麦」という塊がへばり付いています。復讐戦をして、始めて解放される。今までに2度ばかり食っているのですが、妄執は1回1回形成されるもののようです。雪の降る前に復讐戦をせねばダメずら(なぜか静岡弁)。
 予想していたことですが、鞍馬や貴船からドーと人が乗り込んできました。出町柳に着いて、いつもの「あうん」に入ろうとしたら混んでいる。よし花背蕎麦がダメなら出石蕎麦だ。さきいかの天麩羅も食うぞ!固い決意を胸に京都市役所の西にある出石蕎麦を食わせる店まで歩いて後少しです。

          
          上の町のバス停。向こうに花背蕎麦の店舗が見える。
          その向こうは雲取?と思ふ。

 (09年11月記)
 
                        


10 コメント

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人間と動物が違うなら (gunkanatago)
2009-11-30 20:08:08
 道草様、コメントをありがとうございます。残念ながら人間と動物を峻別する考えには賛同致しかねますし、こと醜い側面ということに関しては、動物よりも人間にそれを強く感じます。小生は、趣味で作っていた作物を全て鳥にやられても腹は立ちませんでした。家のふすまも障子も全てネコにやられましたが、腹は立ちません。それは、彼らは解らずにやっているからです。解っていて不法投棄をする人間の方が断然卑しいと思います。我々人間は謙虚に野生動物の姿を見なければならない。その姿勢を失った時に人の心は荒廃します。慈悲のないことを繰り返せば必ず酬いが来ます。比叡山の横川の駐車場や高野山、かつては高雄の駐車場にも猟期が終わり不要になった猟犬(老犬です)が多く捨てられています。そういう荒涼たる精神の持ち主達がしていることが正しいとはどうしても思えません。
 が、まあ異見はあって当然、小生の友人も政治的意見だけでも右から左まで千差万別、それはそれとして今後も宜しくお願い申し上げます。
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人間と他の動物は別もの。 (道草)
2009-11-30 15:13:21
10%公有地論は良いと思いますが、実際に実現するかどうかとなれば大問題でしょう。ただ、過疎状態から放置されている山林や田地などは100%国が買い上げる制度を導入しないと、獣害から派生する荒廃は加速するばかりだと思います。ただ、現実として呑気に待っておれせんし、被害を受けている側の焦眉の問題には、自衛手段としても早急に対処すべきではないですか。
動物に対する観方は千差万別なのは当然です。しかし、どちらの生命が大切かを考えた場合、人類・獣類・鳥類・魚類・・・など生物の総てを横並べにして、どっちがエライとかオトッテいるとかを議論するだけでもナンセンスです。そんな観念論は、仏教界にでも任せておけば宜しいのでは。
どんな意見や理論も完璧に正しい事は有り得ないのですから、人智を集めた最適論で獣害には対処すべきです(そう書いています)。増え過ぎた鹿や猪や猿等々を退治するのと、かつて日本狼や日本獺を乱獲したのとは、まるで次元の異なる問題ではないですか。
生活の糧に作ったトマト(その他何でも)が烏(他の動物にでも)に根こそぎやられて怒らない人はいないでしょう。必要上から作っているのなら、そんな脳天気な事は言っていられないはずです。私なら、趣味で作っているモノでも、全部やられたら怒りますけど(間違っていますか?)。
こんな話題は、やはり山林を歩きながら、そしてその後で一献傾けながら話すのが、むしろ和気藹々として双方で共感を分かち合えるのではないですか。火種を付けたmfujinoさんが、その点は既に計画されていることと思いますが・・・。
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付和雷同ではなくて同感です。 (gunkanatago)
2009-11-30 13:31:31
 mfujino様、再度のコメントをありがとうございます。読ませていただいて、大変清々しい気持ちになりました。ありがとうございます。「これを山林に当てはめますと、杉を植えても、10%は広葉樹を植えるように義務化すべきです。」のご意見、全く同感です。この考え方は、都市部でも(動物云々に関係なく)起きている様々な問題も解決できる有効な手段となるのではと思います。ビルを立てる時に共益地を差し出す制度が広まってきましたが、そういう制度が適用されているところはやはり美しいし、雑居ビルによる悲惨な火災事故などもおきていません。
 日本熊森協会の活動には、以前から敬意を持っており、ささやかながらできることとして、団栗を集めて送ったこともあります。犬や猫に関しては能勢のアーク(関西アニマルレフュージでしたか)や日本アニマルトラストの活動に多少絡んだこともあります(代表者どうしは喧嘩していますが)。けれども、本当の意味で自分が何かやっているかと言われると甚だ心許ないです。
 以前、峰床の山頂で、営林署の人たち(個人的にはいい人ばかりでしたが)が、「どや、わし等が植えた杉や、これが大きくなる頃にはわしらはいないけど、また来て見てくれ。」と言われ、いずれ切り倒してやろう(個人的でなく合法的手段を講じて)と思ったことがあります。木材の輸入自由化を推進して日本の林業を壊滅させておいて、なおかつ税金で無駄な植林を行っている政策に山間地域の人たちが振り回されてきたことにも怒りを覚えます。小野の奥の大森の知り合いも殆どの方が里を捨てました。国有林野こそ全ての元凶かと。
 あほぼん鳩山には、5円10円安い品を求めて自転車の前と後ろに子供を乗せ、豊里大橋を爆走する若い主婦や、年金からもの凄い額の税金を取られているお年寄りの生活など解らないでしょうね。いつぞやテレビで子供二人を月24万の生活保護で養う人が母子加算の復活を訴えていましたが、それより遥かに低い収入で子供を育て、税金も払っている「普通の人」がわんさかいます。
 棚野坂、楽しみにしております。日にちが合えば是非宜しくお願い申し上げます。大きなことは言えませんがmfujino様のお言葉を借りれば「崩落箇所があってもへっちゃら」です。 
 
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土地は私有物ではないという考え (mfujino)
2009-11-29 20:54:26
gunkanatagoさま、 私は動物との共生ということに関しては同じ意見を持っている様です。自然界全体を考えなければならないとも考えています。。NHKで「ご近所の底力」という番組がありましたね。奥山に動物達の餌を供給し、材木としても価値のある栗の木を植えようと実際広島ではそれを実践している人がいまして効果がでているそうです。栗の木だけの林にする必要はなく、杉林の中に栗の木もあるという状態で良いそうです。私もこの考えには納得がいきます。従って私の考えはgunkanatago様のそれとよく似ているのではないかと分析しております。奥山・里山・人里という概念で説明されているものだ理解しております。

私は、鹿は自然のバランスを崩すほど増えている、という前提で発言をしております。ここが意見の分かれ目となっているのでしょう。それともう一点は里の農作物を荒らす事態になっているときに人が自衛手段をとるのは自然の成り行きであると考えます。このことは道草さんに上手く説明していただいたと思っています。

「熊守協会」という名前でしたっけ、皆さん何時ぞやゼミナールハウスに集まられていました。この団体の皆さんは、熊が住みやすい環境を作ろうと、自分達で森を買い、具体的に活動されています。その活動には尊敬の念を抱きます

私は土地には完全な私有権はない方がいいと思っています。即ち公共の要素による私有権の制限が加えられるべきと考えています。自分のものだからどう使おうと勝手だと考えるのは間違いだという考えです。以前道草さまのブログで書いたかと記憶しているのですが、10%理論、すなわち所有権の10%は(10%がいいのか20%がいいのかよく分かりませんが、、、)公共の為に使用する義務を課すべきです。これを山林に当てはめますと、杉を植えても、10%は広葉樹を植えるように義務化すべきです。こうすれば動物との共生も可能なのではないでしょうか。

山に栗の木も植えるとよいという考えを、山に植林している我が友人に話しましたら、そんなことしたら俺の山ばっかしに熊が来ても困るし、、と言っていました。それを一刀両断に非難出来ない気持ちになりました。やはり自然界を守るためには、規制が必要だわいと考えさせられました。ところがお上の政策ですが、杉を植えようと奨励していたら、最近はスギ花粉の問題が出てきて、杉林を伐採すれば補助金を出すという様なことも言っているそうです。山で生きている人が振り回されている面もあります。ただ林道をどう付けるかといとき、自然の破壊を伴うのであるからどこを通すかという時に、個人個人が自然をどう考えているかに左右されているところがあり、心無い人は合理性だけで道をつけてしまう人もあるようです。

こういった問題は今度一緒に広域林道を走って片波に行っていろいろ話し合いたいですね。

棚野坂は鯖街道(私はこの鯖街道という名前はあまり好きでないのですが、、)の重要な峠です。ここは若狭と京都を結ぶ昔の幹線道路でした。またブナの林も残っていてハイキングにも素晴らしいところです。ただ名田庄側の一部が崩落していまして以前少し道を誤りました。もう一度歩いてしっかりとルートを確認しておきたいと思っています。最近はピークハンティングよりも街道の方に興味がいっておりまして、ついつい提案させて頂きました。季節的には春が良いのですが。

小沢民主党、これはどうもいけませんね。昔の小沢には共感するところがありましたが、最近は気に入りません。小沢、家康がダブって見えることもあります。事を成し遂げる力はあるのかとも思います。鳩ぽっぽのおぼっちゃんぶりにはヘキヘキしております。

直江兼続の番組が終わりました。家康をあれだけやっつけた人物を今まで知りませんでした。歴史小説の楽しさを味わいました。司馬遼太郎の「覇王の家」は尻切れトンボの様な作品でしたが、NHKドラマの作者は見事家康を蹴落としていますね。信長・秀吉・家康、これを主題に正面から描く小説より、側面から眺めてその姿を浮き彫りにする手法に目覚めさせてくれました。

好きな事を書いていますが、私は人の意見を聞く耳は大きいと思っております。聞きすぎて自分の意見はなんじゃいなと思われるくらいです。それが故に言いたいことも言いますがいろいろお教え下さい。小沢民主党みたいなお付き合いはしたくありません。
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度合いの問題かと (gunkanatago)
2009-11-28 14:33:04
 道草様、コメントをありがとうございます。小生が心配しているのは、トータルな視点に立たぬまま地元の駆除に任せていると結局は日本狼や日本カワウソ、九州におけるツキノワグマのように絶滅してしまうということです。小生は確かに動物に甘く、家の近辺のネコのフンぐらいなんやねんというところがありますから、ちょっと人とはずれているかも知れませんが、人間は困ったぐらいでは命まで失わない、けれども動物は何もしていないのに命を奪われているところに矛盾を感じるのです。まあ、人間を絶対至高の霊長類と見るか、基本的に動物の仲間に過ぎぬ存在とみるかの違いもあるでしょうが。人間にしてから、いきなり出て行けと住む場所、食べ物を奪われたらそれは哀れでしょう。
 小生はかつて植えていたトマト畑を全部鳥にやられたことがありますが、鳥には腹が立ちません。「ケチくさいことは言わん!全部食べていけ。」というところです。
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動物の管理は人間の責任。 (道草)
2009-11-28 14:03:48
太平洋戦争が始まった頃から、国策として杉や桧の植林が奨励され出した、と聞いています。雑木に等しい落葉樹が切られ材木(文字通り「材」です)になる木が植林されました。成長の比較的早い杉の木とは言え、「材木」になるのには40年近い歳月が必要です。ある時期、国産の材木が持て囃された時代がありましたが、やがて安価な輸入材に取って代わられました。まるで売れなくなった北山杉などはその典型でしょう。私の同級生も、子供らの財産にと杉苗を懸命に植えました。そして40年。その杉が見事に育った最近はご覧の通りです。伐り出しても売れないし、伐る人間も居なくなった今では放置せざるを得ないとのことです。京北地区の森林は薄暗くて、今や異常なばかりです。
日本の植林の根本的な責任は林野庁にあるのでしょうが、現実として最も被害を蒙っているのは地元の農家です。餌を求めて里に出没する獣害を防ぐ手段を講じるためには、林野庁の出方を待っている余裕はないでしょう。今や古里の総ての田畑には金網が張り巡らされ、電流の通う針金が周囲を取巻いています。まさに、涙が出るほど異様な光景です。光景だけでは済まされません。田圃へ入るためには、入り口の鍵をそのたびに外さないと自由に出入りが不可能なのです。
鹿や猿の被害は農家の田畑だけではなくて、郊外の寺社や民家にも及んでいます。動物(野生もペットも含む)は、基本的には人間が管理すべきです。生き物を可愛がることは大切です。ただ、過剰な愛護精神はそれこそ本末転倒でしょう。
鹿・猪・熊・猿・その他の野生化したペット類・何処かの島で増殖した山羊。或いは烏・川鵜・土鳩・外来魚・・・その他、それに、野良犬・野良猫も含み、人間の生活を脅かし被害を与える動物は、遅きに過ぎる国策を待てないため、自衛手段として駆除すべきだと思います。人間も馬鹿ばかりではありませんから、知恵を集めて適正基準は設けられるはずです。
山野を徘徊しながら持参した団栗を撒くNPOがあり、私の同級生も加入して実践しています。せめて、私も山を行く時は団栗を袋に入れて持参し、手当たり次第に播こうと思っているのですが、つい忘れてばかりで自分自身を責めるこの頃ではありますが。
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棚野坂 (gunkanatago)
2009-11-28 13:01:45
 mfujino様、コメントをありがとうございます。棚野坂の名は今まで知りませんでしたが、機会があればお供したいと思います。宜しくお願いします。北山行や六甲行は、大抵がその日の(或いは前日の)思いつきですので、単独行が多いです。また、友人関係も最近は「山は堪忍してくれ。」という人が増えてきました。山に行けば、元気が出ますのにね。
 鹿大虐殺に関しては、残念ながらmfujino様のご意見には同意できません。芦生の京大の先生の発言には呆れかえるばかりです。基本的に奥山は彼らのものであって、棲み分けを考えずに奥山にまで無意味な植林をしたために棲む場所や食べ物を奪われた動物が里に出てきているのでしょう。そういう意味では責めを負うべきは林野庁で、山間地域の方が被害を受けているのは理不尽だとは思いますが。この件に関しましては
 http://blog.livedoor.jp/rokuten1/
というブログには多くの示唆を受けております。また、ご一読下さい。
 けれども。いろいろな考えがあって良いわけで、何から何まで考え方を統一しなくてはならないとなると北朝鮮か小沢民主党のようになってしまいます。平生のmfujino様への尊敬と感謝の念は変わることはありませんので、今後とも宜しくお願い申し上げます。
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鹿はもっと殺さないと、、困っています (mfujino)
2009-11-27 21:12:19
gunkanatagoさま、北山は二ノ背ユリから花背方面へと単独行でしたか。ここは懐かしいところであります。滝谷峠から花背峠方面へは行ってませんが。きれいな紅葉ですね。自然の森の素晴らしさですね。きれいな写真も楽しませていただきました。この環境は動物にとっても楽園でしょう。守って欲しいものです。

今回は単独行だったようですが、いつものメンバーは街中や街道歩きのときだけなのでしょうか?今秋、長老へご一緒させて頂き、その時次は頭巾山へと話がでましたが、私めは今、棚野坂越を復習したいなあという意識がありますが、このコースは如何ですか?若丹国境尾根は北山とは少し違った雰囲気がありますが。

舌を満足させるためには出町から市役所まで山歩きのあとに歩かれる執念には尊敬と親しみを感じました。私は東海自然歩道歩きの後大阪駅に帰って立飲みが楽しみだったのですが、歩いた後よう呑むわ、と呆れられたのを思い出します。

一つだけ反対意見を。鹿の大量虐殺というくだりです。鹿も熊も猪も殺す、と言って感傷的な反応を示して欲しくないっすね。鹿は増えてその害は大変なものです。芦生の演習林の先生もなぜもっと殺さないのかと疑問を呈しておられました様に記憶しています。たまに遊びにこられる都会の人には分からないでしょうが、里を荒らす鹿は、今、山の自然のバランスを壊しているのは確かでしょう。また里を荒らすだけでなく奥山でも植物を食べまくって生態系を崩しています。従ってこの表現には疑問を投げかけとうございまする。それに最近の鹿は里の味を覚えてしまっているようです。里山へ帰れなくなってしまっているのかもしれません。

道草さま、私めは会議中だったんです!彩香ちゃんにこれから頼むよ、って言っておきましたよ~。さて次から喜んで行ってくれるか、彼女が出かけるときの表情をしっかりと観察する楽しみが出来ました。素敵なpostcardsを有難うございました。
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越えられたのは (gunkanatago)
2009-11-26 20:06:03
 道草様、コメントをありがとうございます。お父上と越えられたのは、現在の花背峠でしょうか、それとも旧花背峠でしょうか。1900年には新道が開削されていますから、花背峠かも知れませんが、旧花背峠も十分に通れますから解らないですね。岩だらけと書いておられますから、鞍馬寺の裏から鞍馬尾根を歩かれて旧花背峠から花背へ下って行かれたのかも知れません。
 ゼミのマドンナのお迎え、宝くじに当たったようなものですね。JRバスも鶴ヶ岡とは言いませんが、せめてゼミナールハウスまでは行って欲しいですね。病院も近くにありますし、需要はあると思うのですが。
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蕎麦の傍に寄れず残念。 (道草)
2009-11-26 19:46:01
今日は京北ゼミの会議室で開かれた「金曜句会」に出席しました。Fさんの姉上が世話役です。周山まではバスがありますが、そこからは途切れるためFさんに送迎を依頼するとのことでした。ところが彼が仕事(?)で離席不可のため、バス停へ来てくれた人はゼミのNO1マドンナでした。却って良かったです。今後もそうであることを祈って・・・。
それもそうとして、私は小学校へ上る前に父の仕事の都合で、鞍馬から花背の大布施まで歩いたことがあります。中川から周山までの時よりはラクでしたけど、スタートして間もなく岩だらけの険しい峠を越えた記憶があります。それ以来花背とか大布施の地名が頭にこびりついています。広河原もそうです。芦生や八丁などは学生時代に勝手に歩いたので、親とは無関係です。
徘徊堂さんお気に入りのコースで、しかも頃は佳し、でさぞ大満足されたことでしょう。ただ、蕎麦は残念無念との結果だったようですが。しかし、大後悔を防ぐ方法として2手段があったのではないですか。一つは、蕎麦を持って出てバスの中で食べる。二つ目は、歩きながら食べる。いずれも若干の器代をプラスするか、後刻郵送するかで念願成就だった、と思うのですが。惜しいことされましたネ。世間体を気にされたのでしょうか。沙翁ならそうした・・・しませんでしたか。
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