先だって旧八木町氷所の幡日佐神社を初めて訪れ、その立派さに驚いたのでありますが、帰宅後にこのお社がすぐ近くの大送神社との関係が深いということを知りました。幡日佐神社の神を男神、大送神社の神を女神として擬制的な婚姻関係を結ぶ行事が両社の間で行われていると同時に、大送神社で為される綱引きの神事もまた良く知られているそうです。
あいにくと本日も雨、やはり車で出かけます。途次、久しぶりに出雲大神宮にも参拝しようと思いました。大神宮の近くには千歳車塚古墳(トップの写真)、本当に分かりやすい前方後円墳です。大和朝廷との服属関係を示す前方後円墳は目立ってなんぼのところがありますから、このように分かりよい所に築造されます。
出雲大神宮の甘南備山も実は古墳だらけ、本来は死者の埋葬地であったところが神聖地化され、やがては死者の埋葬が許されない聖地になるばかりか死穢を一切許さぬ所になっていく、現在神社になっている所の多くはこのような変遷をたどる所も多いようです。こういうことを初めて知ったのは鳥取の賀路湖に関して書かれたものを読んだ時でしたが、書名は忘れてしまいました。
出雲大神宮は駐車場が満杯で車を停めることが出来ませんでした。このところ訪れている丹波の神社は殆どが無人なのですが、ここだけは別格のようです。
池から神社方面
参拝をあきらめ、そのまま氷所へ。今日こそ、紅葉山への登山道を確認しようと思いましたが、雨が強くなってこれもパス。
紅葉山
そのまま大送神社のある日置にやってきました。公民館の前に車を停めさせてもらいましたが、そこには昭和の燈籠がありました。ここから神社までは約100メートル、人は誰もいません。民家の入り口付近にくくられたワンコが「よう来たよう来た」と歓迎してくれます。
大送神社の御祭神は高皇産霊命(タカミムスビノミコト)、記紀の系譜では最も初期のころに顕れた神です。未だ男女の性が現れる以前の神ですから、男ととってもいいし、女と考えても良い。この地では女性と考えて、幡日佐神社の神に嫁ぐという形を採っているようです。神社の前の広場は結構な面積で、ここで綱引き神事が行われるのでしょうね。
神楽堂の向こうが本殿で、拝殿は無いように見えます。mfujino様から「貞任伝説」の有無を尋ねておいてくれと宿題をいただいているのですが、誰もいません。
厳島神社
入り口の鳥居もそうでしたが、こちらの鳥居にも変わった形で注連縄が張られています。この場所が何であるのか、説明は一切ありませんが、方向的には紅葉山を遙拝する形になります。
結局、誰にも会わぬままに参拝を終えました。この近くでは、地下1600メートルまで掘削して温泉が出たのですね。温泉スタンドがありました。1リットル1円です。但し、そのコインは近くの施設まで行って手に入れなければならないようです。
その後、紅葉山トンネルを抜けて神吉に。雨も上がり、地蔵山がすこーんと見えていました。こういう遠景はコンデジではちょっと辛いですね。おやおや、まだ「まつばら」で蕎麦が食える時間ではないか。ここで酒を飲んで、車を置いて保津峡まで歩いて帰ろうかな?けれども明日、車を取りに来るのが辛いわなぁ。
あいにくと本日も雨、やはり車で出かけます。途次、久しぶりに出雲大神宮にも参拝しようと思いました。大神宮の近くには千歳車塚古墳(トップの写真)、本当に分かりやすい前方後円墳です。大和朝廷との服属関係を示す前方後円墳は目立ってなんぼのところがありますから、このように分かりよい所に築造されます。
出雲大神宮の甘南備山も実は古墳だらけ、本来は死者の埋葬地であったところが神聖地化され、やがては死者の埋葬が許されない聖地になるばかりか死穢を一切許さぬ所になっていく、現在神社になっている所の多くはこのような変遷をたどる所も多いようです。こういうことを初めて知ったのは鳥取の賀路湖に関して書かれたものを読んだ時でしたが、書名は忘れてしまいました。
出雲大神宮は駐車場が満杯で車を停めることが出来ませんでした。このところ訪れている丹波の神社は殆どが無人なのですが、ここだけは別格のようです。
池から神社方面
参拝をあきらめ、そのまま氷所へ。今日こそ、紅葉山への登山道を確認しようと思いましたが、雨が強くなってこれもパス。
紅葉山
そのまま大送神社のある日置にやってきました。公民館の前に車を停めさせてもらいましたが、そこには昭和の燈籠がありました。ここから神社までは約100メートル、人は誰もいません。民家の入り口付近にくくられたワンコが「よう来たよう来た」と歓迎してくれます。
大送神社の御祭神は高皇産霊命(タカミムスビノミコト)、記紀の系譜では最も初期のころに顕れた神です。未だ男女の性が現れる以前の神ですから、男ととってもいいし、女と考えても良い。この地では女性と考えて、幡日佐神社の神に嫁ぐという形を採っているようです。神社の前の広場は結構な面積で、ここで綱引き神事が行われるのでしょうね。
神楽堂の向こうが本殿で、拝殿は無いように見えます。mfujino様から「貞任伝説」の有無を尋ねておいてくれと宿題をいただいているのですが、誰もいません。
厳島神社
入り口の鳥居もそうでしたが、こちらの鳥居にも変わった形で注連縄が張られています。この場所が何であるのか、説明は一切ありませんが、方向的には紅葉山を遙拝する形になります。
結局、誰にも会わぬままに参拝を終えました。この近くでは、地下1600メートルまで掘削して温泉が出たのですね。温泉スタンドがありました。1リットル1円です。但し、そのコインは近くの施設まで行って手に入れなければならないようです。
その後、紅葉山トンネルを抜けて神吉に。雨も上がり、地蔵山がすこーんと見えていました。こういう遠景はコンデジではちょっと辛いですね。おやおや、まだ「まつばら」で蕎麦が食える時間ではないか。ここで酒を飲んで、車を置いて保津峡まで歩いて帰ろうかな?けれども明日、車を取りに来るのが辛いわなぁ。
田舎の神社では何かの行事の時以外は人っ子一人遭いませんね。その点同じ八木の船井神社の松本宮司さんは誠実に神社のお勤めをされている雰囲気が漂ってきますね。何事もそうだと言ってしまえばそれまでですが、やはり組織は「人」なんだということを再認識しています。
あの温泉自動販売機、一度試そうと思うのですが、タンクをいっぱい買うのも面倒で次こそは、と通り過ごすばかりです。専用コインの自動販売機も横に置いておいてくれたらいいのに。しかしそもそも何で専用のコインを買わないとあかん理由が分かりません。
さてさて今回は「まつばら」には行かれなかったのでしょうか?蕎麦にはやはりあれがないといけませんかね~。
まつばらの前辺りで売っているブドウを旬の時期に買いたいのですが、gunkanatagoさんは食されたことはありますか。
エッ!と思うような立派な神社でも無人という感じですね。だからお書きになっているように舩井神社で社務所から宮司さんに呼ばれた時はビックリしました。宮司さんが引き受けられる前はこの神社もしばらくは宮司さんがいなかったとのことでしたね。
成る程、貞任伝説は源氏が伝えてきた可能性があると言うことですね。吉富荘に伝えられた話というのは新しい視点でとても興味深いです。
今回は「まつばら」には寄っていません。冬場は3時で終了ということを思い出したからですが、行くからにはやっぱり飲まないともったいないですね。ブドウはmfujino様に教えていただいてから、行く時には注意しているのですが、なかなか見ることが出来ません。「秋」は一番混むシーズンで避けているからでしょうね。
温泉、小生も一度ポリタンクを持って買いに行こうかなと思っているのですが、やはりコインが面倒くさいです。
それにしましても、>死者の埋葬地であったところが神聖地化さ聖地になり神社になっている所の多くはこのような変遷をたどっている<との由ですが、死者は人間でも穢れているのですか。何だか釈然としませんが。
しかし、こんな所にも温泉が湧くのですねえ。ただ、掘削の途中で諦めたのでしょうか。八木町の人間だとすれば、誰なのでしょう。1リットル1円などとケチ臭いことをせずに、無料にすれば宜しいのに・・・と他人事ですからケチを付けました。
貞任伝説の調査は不首尾に終わりましたか。しかし、無人神社でしたら、今後も実地調査は残念ながら不可能なのではないのですか。
「まつばら」の蕎麦は、私も一度だけ食べました。まあ、わざわざ其処だけに出向くこともない、と思います。本来の徘徊の途次に立ち寄ってください。
古代の人にとっては、今まで息をしてものも言っていた人が突然に死体となるのは恐ろしく、呪うべきことだったのでしょうね。今でも神社には死穢を持ち込むなと言いますし、洛北雲ヶ畑の住民は賀茂川の上流域を死穢で汚さぬよう、死体は峠を越えて真弓で埋葬しなくてはなりませんでした。
日本神話では天若日子のもがりの場で、その妻の兄である味耜高彦根命が死者と見間違われたと言って「自分を汚らわしい死体といっしょにするのか!」と烈火の如くに怒って葬祭の場をグチャグチャにするという話もあります。
伊弉諾尊が伊弉冉尊の墳墓を訪ねる説話には腐乱した死体の様子が細やかに描かれていますね。
庶民が墓を造り始めるのはせいぜい室町のころからだと思いますから、忌むべき死体は郊外の野に捨てられてきました。
従って常時死穢と共にあるような仕事に従事する人たちは、ずっと差別を受けてきました。まあ人間の死体が最も汚らわしかった訳です(笑)。
貞任伝説、まだまだ終わらないですね。隠れた柳田国男みたいな人はいないでしょうか。人を頼るな(笑)?
数年前、千歳七福神めぐりをしたとき、この池の水草が真っ赤になっていてびっくりしました。何の草かまだ調べていないのですが。
大送神社も行ったことないのですが大送神社から幡日佐神社へ嫁入りの行列が向かふといふことは聞いたことがあります。
旧紅葉峠の(村側の端まで)小学校の時、肝試しに真っ暗闇の中を、怖がり二人で行かされました。今思ってもゾクッとします。
神社の池が真っ赤になっている様子、小生も見たような気がします。4、5年前ではなかったでしょうか。このお社に最初に興味を持ったのは徒然草に出ているお社だと歩く植物図鑑氏に教えてもらったことでした。
大送神社からの嫁入り行列も見てみたいですね。身近なところで知らなかったことが一杯です。今は神吉に行くバスのルート上にありますから、八木からバスで行くのがいいかも知れませんね。
小学校の先生、メチャをやりますね。今だったらおおごとになります。