花洛転合咄

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唐船ヶ渕

2019年03月25日 | 徘徊の寫眞



摂州河辺郡と豊島郡の境界猪名川に架かる三橋は、上流より絹延橋、中橋、呉服橋である。中橋の近く、池田側にこの碑がある。

記紀の伝うる処の呉服(くれはとり)渡来伝承(記では呉服、紀では呉織・穴織[伝わるアヤハトリか?])が残る地であるが、同様の話は、尼崎や西宮にもある。

池田の言い伝えは、橋の名をとっても他地域と比べ、濃密な感じがするが、これはその名も呉江社なる詩文修学組織(仲よし勉強会)を立ち上げた田中桐江とその一門の影響が大きいのではないかと愚考する。例えば本来は左岸の村の名から「木部橋=きのべはし」であったものを伝承と結び付けて絹延橋とした何者かがいるとした場合、やはり記紀も読んだであろう学者連の所為であろうと思われるのである(桐江は儒学者ではあるが)。

ほぼ同時期の俳人鬼貫が「棹の哥は松の声のみ鍬つづみ」と言う句を残しているが、その詞書に唐船ケ渕と記しているので、17世紀末~18世紀初には、そう言う伝承があったのだと知れる。その頃は、五月山と川の間で僅かながら畑作が行われていたのだ。或いは、今でも絹延橋の右岸が池田市であることから、往時猪名川はもっと西を流れていて、五月山と川の間は今よりもずっと広かったとも考えられる。

棹の哥も

鍬のつづみも

今はなく

瀬音に偲ぶ

織姫の声


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