小生は過去に2度、雲ヶ畑から上賀茂までを歩いたことがあります。俗に「雲ヶ畑街道」と言われていますし、一部が東海自然歩道とも重なるのですが、2度とも歩く目的で歩いたのではありません。1度目は、山から出てきたのがあまりに遅かったので終バスが出てしまったからですし、2度目は、出合橋のバス停でバスを待っていたのですが、「バスに乗りたいときは手を挙げる」という掟を守らなかったので、バスが目の前を素通りしていったからです。この街道、タクシーは見事なほど走っていません。2度とも途中でタクシーが走ってきたらと期待しながら歩いたのですが、ついに上賀茂に出るまで一台も走ってきませんでした。そして今回も雲ヶ畑岩屋橋から山幸橋までをだらだらと歩くことになってしまいました。
そもそも出だしが良くない。8時40分出町柳発雲ヶ畑岩屋橋行きの京都バスに乗る根性がない(つまり早起きできない)小生は、桟敷ヶ岳に登るときは京都駅10時発周山行きのJRバスをいつも利用していました。今回も、こやつを利用するべぇと9時45分頃に京都駅に来てみると、10時発のバスは栂尾までにしか行かないというように変わっていたのです。次の周山行きは11時ということで、行き先を変えようかどうか考えましたが、「まあ10時のバスが遅れたと思えば良かろう(御室の花のシーズンには実際に1時間ぐらい遅れることもある)」ということで、11時のバスに乗ることにしたのであります。まあ、このバス待ちの1時間の間に京都駅の駅ビルに関してはエキスパートになれましたが。こら!JRバス、これ以上「周山行き」を減らすなよ。
京都駅11時発のバスが小野郷に着いたのは12時15分、アホか?と思われるかも知れませんが、小生は桟敷ヶ岳に登るときにはここから大森東までダラダラと歩いて登山口に行くのです。本日は、時間も遅いので途中の寄り道はほどほどにと心がけます。それでも小野郷から大森東までの道筋には気になる景色がいっぱいです。例年、桜の季節には決まってここを歩いていて、桟敷ヶ岳に登らぬことには春も始まらぬのですが、今年は何の理由もなく、今になってしまいました。先ずは岩戸落葉神社に参拝、ここで半国高山に行き先を変えようかなとも思いましたが、まあとにかく桟敷に登らんことには…と初心貫徹です。
瑞竹院、ちょっと目には寺とは判りません。
大森西への分岐、この道を行けば茶呑峠です。
大森中町にある大森東町と西町の分岐あたりまで来ると、目指す尾根筋が見えてきます。分かりにくいのですが、反射板を尾根筋にずーと行けば山頂です。
大森加茂神社は、規模こそ違え、過去の熊野大社本宮の有り様を今に示してくれるお社です。熊野大社1889年(帝国憲法発布の年)までは大斎原(おおゆのはら)という熊野川の氾濫原にあったのですが、今、このお宮さんもお社のすぐ近くを清流が流れ、なんとも良い「気」が充満しています。
小野郷小学校大森分校跡。本校も既に無くなりました。
芦堂町の「芦堂」は近年スレート葺きになりました。
大森東町、朽ち果てた大きなお屋敷があったのですが、今回更地になっていました。少しモダンなログ風の住宅なども新しく建っていて、この地で頑張って住み続けようという方がおられることが分かります。
文化財となっている丹波風古民家、入り口の鹿の剥製は気持ち悪い。
大森キャンプ場への分岐まで来ました。長谷林道、もしくはコケ谷からの直登も考えましたが、今日は迷って遊んでいる時間はありません。勝手を知った薬師峠への道を行きます。
赤い橋を渡ると薬師峠へ。
大森から薬師峠までの道にクリンソウ、雲取で見られるような大群落ではありませんが、ここで見られるとは思いませんでした。薬師峠着は13時45分、薬師峠は大森から見て東のこの場所に東方瑠璃光浄土の教主「薬師如来」を祀るお堂が建っていたことに由来するのですが、もはやお堂は跡形もなく、墓地の入り口を示す六地蔵が立つばかりです。
薬師峠
山頂までの道は楽しい午後の散策です。それにしても本日も貸し切り状態です。誰にも会いません。ところどころで咲いている山ツツジ、他の山で咲くものとは異なり、色が濃いオレンジ色です。
山頂へ
大森集落が箱庭のように見えています。此処に立つといつも人間の足はなかなかたいしたもんだと思います。大森から30分も歩けば、これだけ遠くなるのですから。
「桟敷ヶ岳」の名の由来は清和天皇との皇位争いに敗れた惟喬親王が、この山の頂上付近に桟敷を設けられて遠く都を眺められたと云々。以前にそのようなことは無いのだと記したこともありますが、ここでは堅いことは言いません。都眺めの岩といわれるものもあり、現実にはどれがその岩なのかは分からないのですが、小生が「これぢゃ」と思う岩に到着です。この間ずっとキツツキが木をたたく音が聞こえています。
この岩付近からの景色は以下の通り。
霞んでいますが、都が眺められます。
頂上直前の鉄塔地点にやってきました。いつもは反射板にも立ち寄るのですが、本日はパスです。
城丹国境尾根、天童山と飯盛山が見えます。
鉄塔から指呼の間に山頂。
山頂(895.5m)到着は15時、山頂はわずかに北東方向だけ眺望があります。ここもまた、完全に貸し切り状態です。
当初の予定では、ここから薬師峠に戻り岩屋山を経て縁坂峠、真弓八幡から杉坂に出て、道風神社、京見峠と考えていましたが、縁坂峠で真っ暗になりそうです。まだ奥に行くことにためらいもありますが、ナベクロ峠に向かいます。この峠から大森に素直に下りられたら一番いいのですが、以前に迷いに迷った道です。ナベクロ峠到着は15時20分。
峠近くの鉄塔付近は最も眺望が利くところです。今年は馬酔木の花はもう終わってしまいました。
愛宕山が見えています。
以前に大森からナベクロ峠に直登したときに道に迷ってインパール作戦の敗残兵のようになって峠に到着したことを思い出しますと、この時間になって大森に下りることは難しい。ということで祖父谷峠に下りていきます。
馬酔木の若葉が美しい。
南に桟敷ヶ岳山頂。
祖父谷峠はナベクロ峠からは10分程度、昨年京北のゼミナールハウスの西の鯖街道企画で桟敷ヶ岳登山をされたときに井戸からの道もきれいに整備してくださいました。
祖父谷峠
この地点で、しばし黙考であります。井戸へ下りると井戸発周山行きのバスが6時過ぎ、7時30分周山発京都行きに乗るとして、周山のビアハウスにいることができる時間は小一時間、雲ヶ畑へ下りても雲ヶ畑岩屋橋発のバスは6時過ぎ、どちらもどちらです。ここは心を静めて、自分の魂に語りかける。おまえは何がしたいのだと。心の声は、「うー、串カツ!」、となると周山に寄っている間がありません。よし、6時過ぎのバスで京都に出て串カツを食おう。と道を雲ヶ畑に取ります。だらだらと祖父谷林道の下りです。流石に何名かとすれ違ったりしますが、徒歩でウロウロしているのは小生のみです。沢沿いにはクリンソウが見られますが、やはり雲取のような大群落はありません。代わって目立つのがクサソテツ(コゴミ)、あちこちで「バンザーイ」という感じで葉を天に向けています。
クサソテツ
何の花でせう?
ところがところが、わざとゆっくりと歩いたつもりなのですが、17時には岩屋橋に着いてしまいました。
祖父谷の一景観、横が林道なのでおもしろくありませんが。
祖父谷由来の碑、内容には?が多いが口承尊ぶべし。
雲ヶ畑岩屋橋、バックはシャガの群落。
ほんで、バス停をよく見るとバスは18時20分発、しかも高野車庫までとなっています。「1時間20分も待つぐらいならば死んだ方がましぢゃい」と、寝っ転がって待っていればいいのに、1時間20分で柊野ぐらいまでなら行けるだろうと再出発です。この界隈をウロウロするのは久しぶりなので、それはそれで面白かったのですが。ちょうど、犬の散歩時にもあたっていて、村の人と色々と話ができたのも歩く功徳。雲ヶ畑の小・中学校は辛うじて存続していますが、出会うのは殆どがお年寄りです。中には「○○さんに頼んで送るように言うたげまひょか?」とまで言って下さるお婆さんも、これは丁重にお断りします。
風呂を焚く時間。こういう風呂がいい。
なぜか厳島神社。
本来は弁財天を祀っていたのですが、廃仏毀釈のおりに廃されそうになり、弁財天を本地とする厳島神社に改めたそうです。かつて、弁財天女が出現したという岩は紅葉の陰です。
弁財天影向岩
庚申碑、昔は此処で徹夜。
ご存知の高雲寺(惟喬親王高雲宮跡と称す)。
あとはひたすらに歩くだけです。今回初めて気が付いたのですが、頭の中で「陸軍分列行進曲(学徒出陣のフィルムでながれているヤツで抜刀隊ともいうようです)」を奏でながら歩くと足の進みが速い。これで三八式歩兵銃でも担いでいたら飛ぶが如く進めるだろう。まあこうして歩いていると何らかの良いことはあるもので、賀茂川の対岸(桟敷ヶ岳一帯は鴨川の源流部)に見事な藤です。本日の白眉。
大岩までやってきました。夜泣峠への道です。今から登れば真っ暗な峠へ、凄絶ですが、もう少し夏になればやってみようかな。
山幸橋まで来たところ、後ろからメロディバスの音がします。柊野まではあと少しですが、ここでバスに拾ってもらいます(手を挙げればどこでも拾ってくれる)。バスも完全に貸し切り状態。「うー腹減った」ということで、北大路駅ですぐにビリケンなるたこ焼き屋に飛び込んでビールとたこ焼きです。どこに串カツを食いに行くかはヒト心地付いてから考えるのでありますが、大岩を過ぎた辺りからは木屋町二条東の「大岩」のことしか頭にありませんでしたから、そこが良いでしょう。座れるかな?
本日の反省点、祖父谷峠からは迷うことなく井戸に向かうべし。それにしても、岩屋不動ももう3年もご無沙汰です。いつも井戸に向かうと岩屋不動には何時行けばいいのでありましょうか。
そもそも出だしが良くない。8時40分出町柳発雲ヶ畑岩屋橋行きの京都バスに乗る根性がない(つまり早起きできない)小生は、桟敷ヶ岳に登るときは京都駅10時発周山行きのJRバスをいつも利用していました。今回も、こやつを利用するべぇと9時45分頃に京都駅に来てみると、10時発のバスは栂尾までにしか行かないというように変わっていたのです。次の周山行きは11時ということで、行き先を変えようかどうか考えましたが、「まあ10時のバスが遅れたと思えば良かろう(御室の花のシーズンには実際に1時間ぐらい遅れることもある)」ということで、11時のバスに乗ることにしたのであります。まあ、このバス待ちの1時間の間に京都駅の駅ビルに関してはエキスパートになれましたが。こら!JRバス、これ以上「周山行き」を減らすなよ。
京都駅11時発のバスが小野郷に着いたのは12時15分、アホか?と思われるかも知れませんが、小生は桟敷ヶ岳に登るときにはここから大森東までダラダラと歩いて登山口に行くのです。本日は、時間も遅いので途中の寄り道はほどほどにと心がけます。それでも小野郷から大森東までの道筋には気になる景色がいっぱいです。例年、桜の季節には決まってここを歩いていて、桟敷ヶ岳に登らぬことには春も始まらぬのですが、今年は何の理由もなく、今になってしまいました。先ずは岩戸落葉神社に参拝、ここで半国高山に行き先を変えようかなとも思いましたが、まあとにかく桟敷に登らんことには…と初心貫徹です。
瑞竹院、ちょっと目には寺とは判りません。
大森西への分岐、この道を行けば茶呑峠です。
大森中町にある大森東町と西町の分岐あたりまで来ると、目指す尾根筋が見えてきます。分かりにくいのですが、反射板を尾根筋にずーと行けば山頂です。
大森加茂神社は、規模こそ違え、過去の熊野大社本宮の有り様を今に示してくれるお社です。熊野大社1889年(帝国憲法発布の年)までは大斎原(おおゆのはら)という熊野川の氾濫原にあったのですが、今、このお宮さんもお社のすぐ近くを清流が流れ、なんとも良い「気」が充満しています。
小野郷小学校大森分校跡。本校も既に無くなりました。
芦堂町の「芦堂」は近年スレート葺きになりました。
大森東町、朽ち果てた大きなお屋敷があったのですが、今回更地になっていました。少しモダンなログ風の住宅なども新しく建っていて、この地で頑張って住み続けようという方がおられることが分かります。
文化財となっている丹波風古民家、入り口の鹿の剥製は気持ち悪い。
大森キャンプ場への分岐まで来ました。長谷林道、もしくはコケ谷からの直登も考えましたが、今日は迷って遊んでいる時間はありません。勝手を知った薬師峠への道を行きます。
赤い橋を渡ると薬師峠へ。
大森から薬師峠までの道にクリンソウ、雲取で見られるような大群落ではありませんが、ここで見られるとは思いませんでした。薬師峠着は13時45分、薬師峠は大森から見て東のこの場所に東方瑠璃光浄土の教主「薬師如来」を祀るお堂が建っていたことに由来するのですが、もはやお堂は跡形もなく、墓地の入り口を示す六地蔵が立つばかりです。
薬師峠
山頂までの道は楽しい午後の散策です。それにしても本日も貸し切り状態です。誰にも会いません。ところどころで咲いている山ツツジ、他の山で咲くものとは異なり、色が濃いオレンジ色です。
山頂へ
大森集落が箱庭のように見えています。此処に立つといつも人間の足はなかなかたいしたもんだと思います。大森から30分も歩けば、これだけ遠くなるのですから。
「桟敷ヶ岳」の名の由来は清和天皇との皇位争いに敗れた惟喬親王が、この山の頂上付近に桟敷を設けられて遠く都を眺められたと云々。以前にそのようなことは無いのだと記したこともありますが、ここでは堅いことは言いません。都眺めの岩といわれるものもあり、現実にはどれがその岩なのかは分からないのですが、小生が「これぢゃ」と思う岩に到着です。この間ずっとキツツキが木をたたく音が聞こえています。
この岩付近からの景色は以下の通り。
霞んでいますが、都が眺められます。
頂上直前の鉄塔地点にやってきました。いつもは反射板にも立ち寄るのですが、本日はパスです。
城丹国境尾根、天童山と飯盛山が見えます。
鉄塔から指呼の間に山頂。
山頂(895.5m)到着は15時、山頂はわずかに北東方向だけ眺望があります。ここもまた、完全に貸し切り状態です。
当初の予定では、ここから薬師峠に戻り岩屋山を経て縁坂峠、真弓八幡から杉坂に出て、道風神社、京見峠と考えていましたが、縁坂峠で真っ暗になりそうです。まだ奥に行くことにためらいもありますが、ナベクロ峠に向かいます。この峠から大森に素直に下りられたら一番いいのですが、以前に迷いに迷った道です。ナベクロ峠到着は15時20分。
峠近くの鉄塔付近は最も眺望が利くところです。今年は馬酔木の花はもう終わってしまいました。
愛宕山が見えています。
以前に大森からナベクロ峠に直登したときに道に迷ってインパール作戦の敗残兵のようになって峠に到着したことを思い出しますと、この時間になって大森に下りることは難しい。ということで祖父谷峠に下りていきます。
馬酔木の若葉が美しい。
南に桟敷ヶ岳山頂。
祖父谷峠はナベクロ峠からは10分程度、昨年京北のゼミナールハウスの西の鯖街道企画で桟敷ヶ岳登山をされたときに井戸からの道もきれいに整備してくださいました。
祖父谷峠
この地点で、しばし黙考であります。井戸へ下りると井戸発周山行きのバスが6時過ぎ、7時30分周山発京都行きに乗るとして、周山のビアハウスにいることができる時間は小一時間、雲ヶ畑へ下りても雲ヶ畑岩屋橋発のバスは6時過ぎ、どちらもどちらです。ここは心を静めて、自分の魂に語りかける。おまえは何がしたいのだと。心の声は、「うー、串カツ!」、となると周山に寄っている間がありません。よし、6時過ぎのバスで京都に出て串カツを食おう。と道を雲ヶ畑に取ります。だらだらと祖父谷林道の下りです。流石に何名かとすれ違ったりしますが、徒歩でウロウロしているのは小生のみです。沢沿いにはクリンソウが見られますが、やはり雲取のような大群落はありません。代わって目立つのがクサソテツ(コゴミ)、あちこちで「バンザーイ」という感じで葉を天に向けています。
クサソテツ
何の花でせう?
ところがところが、わざとゆっくりと歩いたつもりなのですが、17時には岩屋橋に着いてしまいました。
祖父谷の一景観、横が林道なのでおもしろくありませんが。
祖父谷由来の碑、内容には?が多いが口承尊ぶべし。
雲ヶ畑岩屋橋、バックはシャガの群落。
ほんで、バス停をよく見るとバスは18時20分発、しかも高野車庫までとなっています。「1時間20分も待つぐらいならば死んだ方がましぢゃい」と、寝っ転がって待っていればいいのに、1時間20分で柊野ぐらいまでなら行けるだろうと再出発です。この界隈をウロウロするのは久しぶりなので、それはそれで面白かったのですが。ちょうど、犬の散歩時にもあたっていて、村の人と色々と話ができたのも歩く功徳。雲ヶ畑の小・中学校は辛うじて存続していますが、出会うのは殆どがお年寄りです。中には「○○さんに頼んで送るように言うたげまひょか?」とまで言って下さるお婆さんも、これは丁重にお断りします。
風呂を焚く時間。こういう風呂がいい。
なぜか厳島神社。
本来は弁財天を祀っていたのですが、廃仏毀釈のおりに廃されそうになり、弁財天を本地とする厳島神社に改めたそうです。かつて、弁財天女が出現したという岩は紅葉の陰です。
弁財天影向岩
庚申碑、昔は此処で徹夜。
ご存知の高雲寺(惟喬親王高雲宮跡と称す)。
あとはひたすらに歩くだけです。今回初めて気が付いたのですが、頭の中で「陸軍分列行進曲(学徒出陣のフィルムでながれているヤツで抜刀隊ともいうようです)」を奏でながら歩くと足の進みが速い。これで三八式歩兵銃でも担いでいたら飛ぶが如く進めるだろう。まあこうして歩いていると何らかの良いことはあるもので、賀茂川の対岸(桟敷ヶ岳一帯は鴨川の源流部)に見事な藤です。本日の白眉。
大岩までやってきました。夜泣峠への道です。今から登れば真っ暗な峠へ、凄絶ですが、もう少し夏になればやってみようかな。
山幸橋まで来たところ、後ろからメロディバスの音がします。柊野まではあと少しですが、ここでバスに拾ってもらいます(手を挙げればどこでも拾ってくれる)。バスも完全に貸し切り状態。「うー腹減った」ということで、北大路駅ですぐにビリケンなるたこ焼き屋に飛び込んでビールとたこ焼きです。どこに串カツを食いに行くかはヒト心地付いてから考えるのでありますが、大岩を過ぎた辺りからは木屋町二条東の「大岩」のことしか頭にありませんでしたから、そこが良いでしょう。座れるかな?
本日の反省点、祖父谷峠からは迷うことなく井戸に向かうべし。それにしても、岩屋不動ももう3年もご無沙汰です。いつも井戸に向かうと岩屋不動には何時行けばいいのでありましょうか。
後日談ながら、魚谷・祖父谷の清流も忘れ難いものがありますが、先日の滝又の谷川も涼やかでした。
今、昔の5万分の1の地図(文字が右書き)を取り出して見てみますと、やはりその方向への赤線は途絶えております。私はまた別の日に魚谷峠から芹生へ出て花背へのコースなどを行き、かなり赤インクで塗られていますのに、残念ながら桟敷ケ嶽への道程は白いままです。
大森や茶呑峠へは、京北トレイルの3回目に出かける予定をしております。6月でも、また、私の様な者でも良い「気」が感じられるのでしょうか。
九輪草は、柏原の下谷林道でも5本だけ咲いていました。それも1本ずつ離れて咲いていて群生にはとうてい遠いものでした。そう言われますと、普通は薄紫か紅色で、濃い朱色の山躑躅は珍しいと思います。馬酔木の新芽は至る所で見られました。また、今年は特に山藤が美事です。先日の2回目のトレイルで、出発点の五本松JA共済前で、染色教室へ来られたmfujinoさんの姉上に出会いました。その彼女の説によりますと、最近は山の木を伐ったり手入れをしなくなったので、藤の蔓が自由自在に伸びて大木を席巻する様になった、とのことです。つまり藤が野に満る状態だそうです(余談でした)。
ナベクロ峠とは珍しい名称ですが、「鍋」かそれとも「並べ」のどちらかの意味でしょうか。雲ケ畑辺りは豊かな人情が残っているらしく、徘徊堂さんも女性(老婆かどうかは主観でしょう)に声を掛けられるなど、楽しい徘徊で結構でした。「陸軍分列行進曲」はどんな曲でした?私なら「麦と兵隊」です。「大岩」へは最後に到着されたのですか。串カツを食べながら婚カツも、となったのかも。「白雲の過ぎるを眺め桟敷ケ嶽」道草。
道草様のトレイル行、1回の距離が凄いので3回で完歩ですね。大森の賀茂神社へは、滝又の滝、余野、伏見坂から一旦は茶呑峠と逆方向に行かれる必要があります。茶呑峠に向かわれる途中、6月ですと、大森西の集落が尽きる辺りの石垣に野いちごがなっているかも知れません。雨上がりの茶呑峠だったら、休息されるときはヒルにご用心下さい。以前小生は、地蔵の裏手に登って飯を食べているときにやられました。晴れている日は問題ありませんが、雨が降ったりしたときはできるだけ乾いた場所で休息するのがよいと思います。
道草様の脚力なら桟敷ヶ岳はどうということはありません。登山の後、祖父谷峠から井戸まで下りて、周山のビアハウスに行きましょうか?
大森からナベクロ峠方面はルートが難しいようですね。今回も徘徊の臨場感を楽しませて頂きました。桟敷が岳の名の由来に拘られなかったは偉い偉いと褒めておきましょう。都が眺められたからでしょうか(^_*) 桟敷からナベクロまでの道の自然の林は一番良いのではないでしょうか。祖父谷で蛭は如何でしたか?桟敷から祖父谷林道へまっすぐ下りる道があるようですがこのルートは通られたことはありますか?祖父谷林道から見るクサソテツはまさに群生ですね。
藤の花は綺麗ですがこれがのさばるのは山の手入れが行き届いていない証拠で、綺麗なものには気をつけろということでしょう(^_*)
夜泣き峠を越えたら二の瀬から電車に乗れるのに、というのは甘いでしょうかね。
祖父谷も植林された部分の道は荒れていますね。峠付近は古道の雰囲気満点ですが。
半国高山の名が出てきたのでお聞きしたいのですが、小野郷から杉坂口への供御飯峠越えのルートは歩かれました?荒れていませんか?近々下見に行かなければなりません。笠峠も。
羽田の閉店時刻は早いですからお気を付けあそばせ。
祖父谷林道への直登ルートは一度下りたことがあります。まさしく直登です。お連れいただいた長老ヶ岳の最後の登りが延々と続く感じです。道は荒れています。登りは大変だろうなと思いますが、危険なのは下りで、複数だったら上から石が落ちてくる可能性もあります。
供御飯峠へは、小野郷口から一度取り付いて、時間を考えてやめたことがあります(夕方でしたので)。あの辺りは製紙会社が管理していて最初のピーク辺りまでは、細いながらもしっかりと道が付いていたように記憶しています。裏側の事情は全く分かりません。次に北山に入るときは小野郷から半国高山、縁坂峠から真弓を考えております(京北トレイルは別にして)。日にちが合えば、下見のお供をさせてください。
ヒルは、前日から晴れているような時は大丈夫なようです。前に茶呑峠でやられたときは、朝のうちは雨が降っていましたし、樋ノ水谷の時は、もの凄い雷雨の中でした。ヒルよりもなによりも、このまま鉄砲水に流されるかも思いながら登っていたときです。
小野郷から私も地図を広げて文章と交互に見ながら桟敷ヶ岳までご一緒させて頂きました^^その中で反射板て言うのは何のことでしょうか?
それにしても、考えられない出立ちから
>本日は、時間も遅いので途中の寄り道はほどほどにと心がけます。としながらも、焦らず迷わず、美しきもの見るべきものをしっかり堪能
されて、日暮れまでにたこ焼きで一献される。是まさに山男魂じゃないでしょうか?
私は30年間「山男の歌」を歌い続けて着ました^^
先月、ゼミナールハウスから井戸から祖父谷に山野草を見に行きました。谷川沿いに僅かなクリンソウとヒトリシズカの群生を見ました。その先が祖父谷峠なのですね。
昨日は、再び保津峡から越畑に歩き、ユキノシタ等いくつかの植物名を教えてもらいましたが、1回に1つしか覚えられません。それでも草木の名を覚えていくことで、やはり山歩きも格段と楽しくなります。本日はヒトリシズカというのを初めてお教えいただいたので調べてみて山の中で咲く姿を見に行きたいと思います。
樒原の道標、「右、こしはた かみよし」まで分かっていたのですが、あと一つ「せきすじ」は何かなと思っていたら「世木」でした。