京都市右京区京北の矢代中(やしろなか)に日吉神社があります。比叡山東麓の日吉神社の神を勧請したお宮さんですが、この神社には今もなお「矢代田楽」という行事が伝えられています。秋晴れの一日、珍しく早起きをして師匠とともに田楽を拝見してきました。こういう行事そのものに対しては極端に疎い小生でありますから、その由来や芸能史上の位置づけなどは他に譲り、感想を書くに留めます。
当日。10時前に神社前に着いたところ、京都府立のゼミナールハウスのバスから降りてこられる方々と出会いました。ゼミの行事「西の鯖街道・22年度最終回」に参加された方々です。全体を仕切っておられたのがmfujino様で、停めるところを探してウロウロしている小生の車に、ゼミのバスの横に停めるように取りはからって下さいました。これで安心して田楽を見ることができます。
以前、mfujino様に連れてきて頂いたときにも話題になっていたのですが、鳥居に提げられた注連縄は、異様に低い位置にあります。「何やろ、本当にアホは入るなという結界かなあ。」等と話題になっていたのですが、帰宅して写真を見て謎が解けたような気になりました。この位置に注連縄を張られると神社に入るものは自然にお辞儀する格好になる。神に一礼して神社に入るものと傲岸な態度で入るものとでは神のご沙汰にも差が出るであろう、これは神社に入る者全てに神の恩恵を受けさせるためではないか、と思ったのです。
この鳥居から200メートルほど奥まったところにご本殿、既に神事は始まっていますが、吾々は二の鳥居辺りにたむろして田楽の開始を待ちます。写真にはうまく撮れませんでしたが、文字通り抜けるような青空、祭礼日和です。本日は京都市内の多くのお社で祭礼が行われています。
御神木
田楽を舞われる方の草履
垂れ幕がかかるご本殿
待っている間、ご本殿の右上に何か穴があるのが見えました。「あれは、何でしょう?」と訪ねたところ、mfujino様が「早速、上ってみよう。」とのこと、師匠もためらわずに続きます。おーそうぢゃ、自分自身も伺う前に上らねばならなかった。この探究精神は大切です。
下から見上げたところは古墳に見えましたが、その奥行きはありません。氷室にしても浅すぎる。以前は何か男根様のものが祀られていたそうですが、結局謎のままです。宮司様のお話を伺う機会もあったのに聞きそびれました。
神事が終わって田楽が始まるまでの間、ご本殿の中に入ってお参りすることが許されています。入り口には、田楽衆を先導する神職の方が捧げ持つ天狗の面が置かれています。
このお宮さんには、日吉神社の御祭神であるオオナムチ(オオクニヌシ)の神、オオヤマクイの神の他にサルタヒコ大神も祀られていますから、この天狗面をサルタヒコとすると、この面が田楽衆を先導する有様は天孫降臨の説話にあやかったものかも知れません。
ご本殿から見た神楽堂。
さて、いよいよ田楽を舞う方々が参道を上ってこられました。二の鳥居前で宮司さんがお祓いをされ、その後に神楽堂の舞台へと立たれます。本日は笛が2名、太鼓が4名、びんざさらという木の板を連ねた鳴り物が4名です。このうち、笛方の2名は田楽は舞われません。
田楽が始まりました、写真は以下の1枚のみ。本日はやはり神事たるべきことを心得た方ばかりで、所謂無法者カメラマンは一名もいません。単調な調べと単調な動作の繰り返しですが、それがまた、自ずと田楽衆をトランス状態にするのではないか。この場でこの時に目をつぶって神楽を聴いていますと、明らかに神の気らしきものをご本殿付近に感じるような気がします。
踊りそのものには幾つかのパターンがあります。背をかがめ、左右の足をクロスして舞うことはかなりの運動で、一つの田楽が終了したことを神にご報告する間はご本殿に向かって直立するのですが、かなり息が上がっている人も見られます。本来は21回躍るところ、本日は14回だそうですが、それでもかなりの消耗です。今日の午後は溢れる酒を召し上がって下さい。
田楽終了後に、全ての参拝者に上用饅頭が配られました。幾ばくかの寸志を包んだわけでもありません。全くの土地の人のご好意です。田楽が終わり、拝見した者は三々五々坂を下ります。途次、田楽を舞われた方々が「ありがとうございました」と挨拶をして下さいますが、こちらこそ感謝です。
昔日、このような行事はありとあらゆる村々で行われていたことでしょう。けれども今は、この山間にこの行事が残っているのは奇跡的だと言ってもよいのではないでしょうか。矢代中小学校が廃校になって既に久しく、人口の流出も止まらぬ状況下で伝統の維持に努力される人々には心より敬意を表します。
また、例えば京都市街地中のお社の祭礼は年々盛んとなっていますが、どこに行っても子どもの太鼓と神輿の金太郎飴、やむを得ないのかも知れませんが、地域に伝わっていたものを復活する努力も大切なのではないかと愚考します。
さて、ゼミの行事に参加された方々は皆さんが「よかったわー」と感想を述べられています。これから神社付近で1時間の昼食タイムだそうです。この青空の下なら弁当もさぞかしウマイことでしょう。その後は五本松まで歩かれるとのこと。mfujino様、今しばらく気が抜けませんね。師匠、吾々は夕刻のアルコールタイムまで、どこをウロウロとしましょうか。「あー、もう饅頭食べてる!」、「なかなかうまいわ。」やはり師匠は吾々欠食児童の師匠でありました。
当日。10時前に神社前に着いたところ、京都府立のゼミナールハウスのバスから降りてこられる方々と出会いました。ゼミの行事「西の鯖街道・22年度最終回」に参加された方々です。全体を仕切っておられたのがmfujino様で、停めるところを探してウロウロしている小生の車に、ゼミのバスの横に停めるように取りはからって下さいました。これで安心して田楽を見ることができます。
以前、mfujino様に連れてきて頂いたときにも話題になっていたのですが、鳥居に提げられた注連縄は、異様に低い位置にあります。「何やろ、本当にアホは入るなという結界かなあ。」等と話題になっていたのですが、帰宅して写真を見て謎が解けたような気になりました。この位置に注連縄を張られると神社に入るものは自然にお辞儀する格好になる。神に一礼して神社に入るものと傲岸な態度で入るものとでは神のご沙汰にも差が出るであろう、これは神社に入る者全てに神の恩恵を受けさせるためではないか、と思ったのです。
この鳥居から200メートルほど奥まったところにご本殿、既に神事は始まっていますが、吾々は二の鳥居辺りにたむろして田楽の開始を待ちます。写真にはうまく撮れませんでしたが、文字通り抜けるような青空、祭礼日和です。本日は京都市内の多くのお社で祭礼が行われています。
御神木
田楽を舞われる方の草履
垂れ幕がかかるご本殿
待っている間、ご本殿の右上に何か穴があるのが見えました。「あれは、何でしょう?」と訪ねたところ、mfujino様が「早速、上ってみよう。」とのこと、師匠もためらわずに続きます。おーそうぢゃ、自分自身も伺う前に上らねばならなかった。この探究精神は大切です。
下から見上げたところは古墳に見えましたが、その奥行きはありません。氷室にしても浅すぎる。以前は何か男根様のものが祀られていたそうですが、結局謎のままです。宮司様のお話を伺う機会もあったのに聞きそびれました。
神事が終わって田楽が始まるまでの間、ご本殿の中に入ってお参りすることが許されています。入り口には、田楽衆を先導する神職の方が捧げ持つ天狗の面が置かれています。
このお宮さんには、日吉神社の御祭神であるオオナムチ(オオクニヌシ)の神、オオヤマクイの神の他にサルタヒコ大神も祀られていますから、この天狗面をサルタヒコとすると、この面が田楽衆を先導する有様は天孫降臨の説話にあやかったものかも知れません。
ご本殿から見た神楽堂。
さて、いよいよ田楽を舞う方々が参道を上ってこられました。二の鳥居前で宮司さんがお祓いをされ、その後に神楽堂の舞台へと立たれます。本日は笛が2名、太鼓が4名、びんざさらという木の板を連ねた鳴り物が4名です。このうち、笛方の2名は田楽は舞われません。
田楽が始まりました、写真は以下の1枚のみ。本日はやはり神事たるべきことを心得た方ばかりで、所謂無法者カメラマンは一名もいません。単調な調べと単調な動作の繰り返しですが、それがまた、自ずと田楽衆をトランス状態にするのではないか。この場でこの時に目をつぶって神楽を聴いていますと、明らかに神の気らしきものをご本殿付近に感じるような気がします。
踊りそのものには幾つかのパターンがあります。背をかがめ、左右の足をクロスして舞うことはかなりの運動で、一つの田楽が終了したことを神にご報告する間はご本殿に向かって直立するのですが、かなり息が上がっている人も見られます。本来は21回躍るところ、本日は14回だそうですが、それでもかなりの消耗です。今日の午後は溢れる酒を召し上がって下さい。
田楽終了後に、全ての参拝者に上用饅頭が配られました。幾ばくかの寸志を包んだわけでもありません。全くの土地の人のご好意です。田楽が終わり、拝見した者は三々五々坂を下ります。途次、田楽を舞われた方々が「ありがとうございました」と挨拶をして下さいますが、こちらこそ感謝です。
昔日、このような行事はありとあらゆる村々で行われていたことでしょう。けれども今は、この山間にこの行事が残っているのは奇跡的だと言ってもよいのではないでしょうか。矢代中小学校が廃校になって既に久しく、人口の流出も止まらぬ状況下で伝統の維持に努力される人々には心より敬意を表します。
また、例えば京都市街地中のお社の祭礼は年々盛んとなっていますが、どこに行っても子どもの太鼓と神輿の金太郎飴、やむを得ないのかも知れませんが、地域に伝わっていたものを復活する努力も大切なのではないかと愚考します。
さて、ゼミの行事に参加された方々は皆さんが「よかったわー」と感想を述べられています。これから神社付近で1時間の昼食タイムだそうです。この青空の下なら弁当もさぞかしウマイことでしょう。その後は五本松まで歩かれるとのこと。mfujino様、今しばらく気が抜けませんね。師匠、吾々は夕刻のアルコールタイムまで、どこをウロウロとしましょうか。「あー、もう饅頭食べてる!」、「なかなかうまいわ。」やはり師匠は吾々欠食児童の師匠でありました。
田楽の後、鳥居付近で講座に参加された皆さんとお弁当を頂き、五本松まで里山歩きを楽しみました。
田楽自体は全く退屈そのものの単調な動きの繰り返しですが、gunkanatagoさまの仰るようにこういった動きの連続がトランス状態に導くのかもしれませんね。私もあの足の動きを真似てみたのですが、あかんあかん、もっと足上げて、お、よしよし、などと言われながら真似をしました。足が一番上に上がった時のシャッターチャンスを狙ったのですがどうも満足行くものは撮れませんでした。
地元に住みながらこの歳になって始めてこの田楽を見る機会に恵まれました。この保存については六苗の人達によってなされ、また祭は10月15日に行われていましたが、一昨年(2008年)から第3日曜日と変更されました。地元の祭はほぼ同じ頃に行われていて、私は山国に育ったので山国の祭しか知りませんでした。ほかの弓削やここ矢代のお祭りを見るのはこの歳になってからです。
ここ北桑の祭では、大原神社のからす田楽、鶴ヶ岡の諏訪神社の祭り、宮脇の同相神社、田歌の八坂神社の神楽、などを見たいと思っています。からす田楽、田歌の神楽、山国隊の軍楽行進、矢代田楽など、無形文化財が一同に会して出来るだけ多くの人達に鑑賞して頂く機会を作ろうと頑張っているのですが、それぞれの保存会の出演者が集まりにくく実現していません。これが実現し多くの方が集まる姿をみるのが我が夢の一つであり、この様な文化財の保存にもプラスになるのではないだろうかと思っているのですが。
gunkanatagoさま、次は田歌の八坂神社の神楽を見に行きましょう。7月14日、フランス革命記念日です。これも素朴ですが楽しい神楽です。ウベ・ワルタさんも一緒に笛を吹いておられます。
徘徊堂さんの詳しい見聞記で様子はよく分かりますが、やはり百聞に何とかで、元氷室の謎の物体も直接拝見しなくては・・・。
矢代には同級生もおりますが、小学生の頃に矢代分校へ野球の遠征試合に出向きました。分校やから、とナメテいましたら散々な負け方をしました。帰路の山道は全員が声もなくトボトボと歩いて帰ったのが、昨日の如く思い出されます。
その後、中学校で彼らと再会しましたが、野球部へ入った名手が大勢おりました。負けるはずです。今は、同窓会で笑い話にして一杯やっております。例によって、話は横道へそれました。
来年は、田楽を拝観に参ります。もちろん、その後のAタイムを愉しみにしながら、です。「丹波路の秋や恋しき田楽祭」道草。
田歌とは優しい地名ですね。地図で調べたら八ヶ峰の南山麓ですね。廃村になった八丁よりもさらに奥のような気がします。如何せん来年はウィークデーです。それこそ鬼が大笑いするでしょうが、2013年が日曜のようです。その日は100%田歌に居るということでお願いします。
注連縄の謎、いよいよ強まりますね。考えてみれば鳥居自体が「ここから神域だ」ということを示しているのですが、さらに注連縄を結ぶというのはどんな意味があるのでしょう。高槻の本山寺などの勧請縄は道に張ってあり、飛鳥川を遡ると川に注連縄が張られていますね。
野球でまさかの敗北、山道をトボトボと帰っていくという姿、目に見えるようです。明年、矢代に出向かれたらその時の対戦相手もいらっしゃるかも知れませんね。
北桑という一つの地域だけでも一つには括れない多様な世界を知ることが出来ます。体が20くらい要りますね。
秋晴れに恵まれた矢代田楽、指を舐めて読ませて戴きました。踊り手のトランス状態わかる様な気がします。一緒にしたら怒られますが、私も盆踊りでその状態経験したように思います。
注連縄が低くはられている状態は、gunkanatagoさんのお考えと同感です。K村の日吉神社はお正月だけ注連縄を低くはります。子供の頃、そのように教わったように思います。その細く低い注連縄は、小正月の「とんど」で燃やされ、後は普段の太い注連縄が張られます。注連縄を綯ったり、松明をとりにいくなどのお正月準備は12月の事始めの日されます。またその役をする人を「樵夫」キコリと言うそうです。横道ですみません。
鄙びた田舎によくも残された矢代田楽、来年こそ拝見したいものです。
K村も日吉神社だったのですね。それに低く張られる注連縄のこともご教示頂きありがとうございます。大事な記録です。キコリの習慣は今も続いているのでしょうか。いつも八木に向けて走っているときに、神社があるなあ、停まらんとあかんなあと思いながら、大抵が深夜なので遠慮しています。
今回、矢代田楽は足のお具合の関係で残念でしたが、来年を楽しみにリハビリ頑張りましょう。