体と心のサバイバルひろばあ

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

聖書に書かれている巨人ネフィリムがピラミッドを作ったのか?

2022-06-29 | サバイバル・投資・起業・健康の相談室・英語・音楽レッスン

聖書には、堕天使の子供たちは、昔の偉人であると書かれています。偉人と言っても乱暴者であったとも書かれているので、素晴らしい尊敬できるような人達ではなかった様です。その時、悪が地に蔓延したと書いてあります。彼らは、並外れた力があり、知能も秀れ、人間業ではない様な事もでき、それで性格が悪いのですから恐ろしい存在でした。

私は、この巨人たちが大石を動かしてピラミッドやら、剃刀の刃も入らないと言われる巨石文化やらを作ったのではと思っています。聖書には、人間たちはこの時代(アダムからの系図から計算すると約6000年前頃〜)、すでに高温でないと作れない鉄器を作り、楽器をつくり、農耕をしていたと書かれています。巨人たちも人間たちも、ノアが義の伝道者として120年間『心を改めるよう』に説いても、馬鹿にしてあざ笑っていたようです。人間もいじめられながらも、強い彼らを王として偉人として崇めていた様です。ノアとその家族計8人以外は洪水で滅ぼされましたが、その巨人達の親の堕天使たちはどこかに閉じ込められたようです。船という漢字に(八)と(口)つまり八にんの口が含まれているのは非常に興味深いです。

ノアの洪水後の子孫の名前が創世記に列挙されていますが、その中にエジプトという人もの人の子孫が、洪水後も地上に残っていたピラミッドを倉庫とか墓とかとして使用していたのではとも思えます。

 

聖書には、旧約新約共に、あちこちに系図が記されていますが、たまに気に遠くなる人数で読みあげるのが大変。モーセが書いた創世記などをちょっと読んでみるとモーセ以前に生きた人々の亡くなった年齢まで書かれています。

神は、何億と言う天使も創造しましたが、ロボットのようにコントロールされるのではなく自由意志を持って生きる個性のある存在にしたいと思われたようです。人間を守るために創造された天使たちにも、さらには人間にも、神を信じて付き従うか反対に自分の意思だけに従って生きて行くかの選択をお任せになられました。

神の与えた規則は交通規則のような物で、自由にあちこち運転しても構わないが、交通規則だけは守ってほしい、そうでないと他の人も事故などに巻き込んでしまような事故に発展する危険性もあると知ってもらいたかったのでしょう。あるバイブルリーダーの人は、『神は大家さんのようなもので、人間たちは神から地球と言う素晴らしい家を借りて住んでいるのに、地球のあちこちをキズつけ、破壊してしまっている。』と言っていました。

今は、まだ恵(めぐみ)の時で反省して悔い改め、正しい生き方をする時間が残っているとも言われています。神が昔からよく人々に言っていたのは、地球と地球上の動物の世話をし、孤児や外国人や独り身の女性(寡婦)を大事にということでした。この人たちが一番食い物にされるからでしょう。これは、シュメールのハムラビ法典にも書かれています。また”偽りの証言/証人”についてもかなりの比率で注意され言及されています。なぜなら、嘘をついて証言し正しい人を罪に陥れる人がいるからです。

参院選で突然勢いを増してきた参政党の方々も、私たちは「嘘を言わず誠実でいるので、人気が出れば出るほど、していてもしていなくても「万引きをした、痴漢をした、浮気をした。」など言いふらされるでしょうと言っていましたがそれは軽い方です。偽証でも、その為に人が死刑になるような偽証も存在し、神は深くこれを憂えています。では、何故神は正しい人を助けに来ないのか。と思うかもしれませんが、この点は長い話になるのでまた、いつか書きます。

3000年近く前の、イスラエルが二つに分れた後の事、ある王が妻の悪知恵に乗って、ナボテという男性とその息子達全員を無実の罪で死刑に処し、欲しかったナボテの葡萄畑を手に入れるということが起きました。悪人たちに偽証させ罪をでっち上げたのですが、神は偽証だけで無くこれらの悪人達に偽証させるために払う賄賂をも憎んでいます。神の目から見ると、賄賂を贈る人も受け取る人も罪深いのです。また、それ以前には、王を持つことにも反対しておられました。王はあなた方の息子を戦争に駆り立て、あなた方から高い税を取立て不幸にすると言っておられたのです。でも、イスラエル人たちは『他の国のように王が欲しい」と言って聞かず、反抗しました。イスラエル人たちは他の国が真似たくなるような模範となる国民になるよう選ばれ、契約を立て、「私たちはそうします。」と固く誓ったのですが、言ったそばから反逆しました。「神にはしたがいません。」と言うこともできたのに、契約不履行を何度も繰り返しました。

私はクリスチャンではなく、聖書を高校時代から読んでいるだけです。何度読んでもわからないことも多々あるのですが、神の言葉は、人間として生きる目的などについて聖書を読んで探るのを良しとされているようです。ただ、はじめも終わりもなく永遠に生きている神については、いくら探っても死にゆく人間には完全には理解できないとも書いてありますので、私は、神は『探求する心を評価してくださる。”と言うことかな?と考えています。あなたはどう思われますか。

 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿