みなさん、オレゴン州の北西部は突然冬になっちゃいました。冬は雪が滅多に降らないのですが、2〜3年おきに1回くらい、たまに降ります。でも雨は結構多いです。しとしとで降ったり止んだりで面倒なので、ほとんどの人が傘をさしません。バスや電車が他の都市より多いそうですが、それでも車で移動が多いのでそれほど傘は入りません。子供たちは、土砂降りでも傘なしです。多分、傘をなくす子が多いからでしょう。
中流以上の地域のアメリカ人の子たちは物に執着していませんから、初日にジャケットも傘も失くすでしょう。アメリカ人とのハーフの孫が、買ってあげたジャケットを1日目に学校で亡くしたときは私もがっかりしました。だからなのかな?、すごいお金持ちの子がみすぼらしい格好でいるのを疑問に思っていたのですが、失くす心配があるからかもしれません。全体的にホームレススタイルの子もいます。
さらには、誘拐の危険もあるのかもしれませんね。
これからは誘拐が増えると言われていますから、ニュースになっているのはただの1%と思って子供たちを注意して見守ってあげてくださいね。前にも書いたと思いますが、私の生徒のお母さんで駐在員の方の奥さんは、「オレゴンに転勤になってほっとした、あの国では誘拐は日常茶飯事で、なんと田舎の市場で子供も売っていた。」と恐怖の表情で話していました。たぶん田舎に行ったら、警察も頼りにならない? R 国の田舎では、旅行者などをXべていた人もいるし・・、田舎では取締りにくいですよね。
前に、ノアの洪水で堕天使との混血の巨人ネフィリムが滅ぼされた事をを書いた事があります。その時、その人たちのせいで地上が暴虐でも満ちていたとも書きました。実は、その時ネフィリム達に虐げられていた人たちは彼らを時の偉大な人、名ある者たちと祭り上げていたんです。
旧約聖書 創世記 6章
人が地のおもてにふえ始めて、娘たちが彼らに生れた時、
2 神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。
4 そのころ、またその後にも、地にネピリムがいた。これは神の子たちが人の娘たちのところにはいって、娘たちに産ませたものである。彼らは昔の勇士であり、有名な人々であった。
5 主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。
6 主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、
2 神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。
4 そのころ、またその後にも、地にネピリムがいた。これは神の子たちが人の娘たちのところにはいって、娘たちに産ませたものである。彼らは昔の勇士であり、有名な人々であった。
5 主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。
6 主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、
今、日本人は茹でガエルと言われています。虐げられてもゆっくりだと気付かない人たちと言われています。ただいじめるより、優しく微風のように接して少しずつマインド・コントロール(ブレイン・ウォッシ)。映画も、テレビドラマも、ニュースも・・、これらは私たちの脳に多大なる影響を及ぼしているに違いありません。
戦後復興時は大人が忙しくて、浜辺からボートを繰り出したり、大きな外国船のスクリューにまかれないで泳げるか死の競争をしたり、遠洋漁業港の周りで魚を陸揚げしたり忙しく働いている人たちの間を走り回ったり、渦潮巻く崖の下のところから上まで登って落ちずに行けるか競争したりして(おちたら負けで、負ければ死ぬ)も誰にも気づかれなかった。その点、私たち戦後世代は、育った場所によっては自然を満喫し学びを得ながら育った本当の自然児。それで、世の中の誰かの意思によって動かされている部分にあまり魅力を感じずに生きていられるように思う。
テレビが家庭に入って来た中学時代からは世の中がだいぶ変わりだした。この時代が様変わりする様子を知り、明治生まれの人々の生き方を目の前で生きている祖父母から学べたのは素晴らしい特権に思える。
祖父母の両親やその祖父母は江戸時代末期の人々が多いし、その生き方や精神文化は私の祖父母に受け継がれて来たと思うので、動かない博物館で学ぶよりも、こうして”動”の世界でその心まではっきり見て育ったことは素晴らしい!
毎日ひとこと日記を書いていた祖父や、教えたい事を”諺”で教える祖母のそばで育ちながら、彼らの後ろ姿から教える方法は説得力があるなと感じた。その上、若かった父母でさえその説得力は凄かった。若いながら、戦時中飢えと戦禍と死体の中を逃げ惑った母と、飢えと戦った南方に出兵していた父はやはり今の私たちとは違う。父は絶対怒らない人だったが、高校卒業を控えたころ、学校に来た化粧品会社の人のくれた化粧品をつけて見ていると、一言「顔より、心を磨いた方がいいですよ。」と言った。
昔の日本人はもっと神に近かった。と思うことがある。一時的な喜びより、永続する誰もが幸福になれる道を探って生活してきたのではないかと思う。
昔の日本人は神と近かったな〜と、やはり思います。
昔は近所の人が家を立てると神主さんのお祓いがあり、骨組みが完成した後は小銭や餅など屋根からばらまいて祝ったり、暮れになるといらなくなったものを持ち寄り神社で焼き払ったり、正月前にはみんなでお餅をついてまずは神棚に備えたりした。毎日、朝の家族総出の掃除のあとは神棚に向かって手を合わせた。何か、神と約束事をして、今日もあなたと一緒に歩みますと言っているような気持ちだった事を思い出します。そんな生活をしていると、学校でカンニングをする人たちを見た時や、言ってもいないことを言ったと言われた時、頭が真っ白になって?????どうして?って思いましたが、みんな生きるためにたくましい人たちだったのかもしれません。
話は変わりますが、聖書には自分の賢さ(ずる賢さにも)に頼るなと言う、神からのさとしが書いてあります。完璧な服装で仕事の面接に行っても、面接官の嫌いなタイプの服を選んでいたなんてこともあり得る。もし、神に祈って『良いもの合うものを選ばせてください。』と言うならぴったりの物が選べるでしょう。しかしそれでもうまくいかない場合は、そこに勤めるのが自分にとって災厄となる場合もあり得るかもしれないし、他にも相応しくない何かががあるのかもしれない。
よく飛行機のチケットを他人に譲ったら、その飛行機が墜落した、なんていう悲しいことを聞きますよね。戦後、台湾から引き上げる人にも同じことが起こりました。急いで家族に会いたいという人に乗船券を譲ったら、その船が沈没したとか。急ぎたいのは、譲った人も同じだったかもしれませんよね。
これは私の場合ですが、何かよくないことが起こったとき、非常に驚いたことが何度かありました。なんと、それが結果的には前からあったもっともっと大きな問題を解決してくれたからです。
取り止めもなく書きました。
何を言いたいかというと、私達は、自分で自分の体内でさえコントロールできません。自分で病気を治すこともできない人間が自分について祈ってもそれが本当の自分が幸せになれる道であるかどうかさえも解らないということ、それが言いたいのです。
自分を捨てる事は難しいです。その上、自分のためにだけでなく、この国のためにとか、世界のために、と思って善を為そうとしても、人間がそこまで能力のある存在であるかどうかは疑問です。その人もまた、他の指導者と同じようにいつかは墓に入るからです。日や月の為に太陽や月を造られたと仰り、ご自分は限りなく生きていらっしゃるという神に全てをお任せした方が人の道としては成功しますよね。
聖書は全世界の人に当てて書かれたもので、永遠の命について書いてあります。私の読んだところでは、天にいく多くの人たちと地上で永遠に生きる人たちがいるように思えます。アダムは、天ではなく地上で永遠に生きるように作られたように書かれていますから。人や天使(たぶん閉じ込められている堕天使)を裁くようになる人は天に行き、そこまで神に忠節を尽くせなかった人たちが地上で生きるのではと思っていますが、皆さんはどう思われますか。牧師さんによっては、「善人は全員天に行き、他の人々は全て滅びる。」と言っていらっしゃる人もいます、」。とすると地球は千年王国の間中、死体処理場?その後、亡くなった人々が地上に復活し裁きを受けるそうです。
旧約聖書の出エジプト記についてですが、全治全能の神に頼る他には真の恒久的な幸福を手にできる道はないこと、また自分の欲望の追求は他人を不幸にするかも知れないという事を学ぶのにはぴったりの書物かもしれません。申命記という、同じ著者モーセが書いた書物も簡潔で出エジプト記と内容がダブりますが、読みやすいのでぜひ少しでも読んでみてください。40年間荒野を彷徨うことになってしまったイスラエル人の強情さや40年間、衣服もサンダルもすり減らず毒蛇に噛まれることもなかったという、神の恵みを考えるのに良い一冊です。
クリスチャンではない人間ですが、聖書は世界中の人の為のものと考えて読んでいる、命を得る真のサバイバルを考えているヒロばあです。ご質問や聖書について、またこれから来る冬に備えての節約法についてなど知りたい事はどんどんご質問ください。あまりわからないことも調べてみますので、ご遠慮なく。
日本は島国で他民族が押し寄せてくることが不可能に近く、ゆっくりして皆で幸福になる道を探る時間的余裕があ理ました。それでいて、近隣諸国も探らせて我々庶民を守る為の軍備も怠らなかった優れた指導層もいて守られましたから、ラッキーです。その分、物事を深く掘り下げて考えられる人は多いと思います。茹でガエルの人も多いですが、まだまだ他国と比べれば優れた精神を持っている人が多いようです。ある人々は、このような日本人が世界にその精神文化を発信すべきと言っています。ただ、欠点は業(正しい行い)を行っているので我々は素晴らしいと思っていること、神は、行いではなく真心、失敗しても仕方ないと言っておられるようです。愚かな人ほど神に頼るように言っておられます。私は挫けそうになると、人間世界で賢い人より私のようにダメな方が神に喜ばれるということを思い出します。高い飛び込み台から突き落とされた時も、神は助けてくれて、立ったままの姿勢で深〜く沈んで行き、その立ったままの姿勢で水面まで浮かび上がりました。自然に任せ、邪心がない方が良いようです。
貴方は、神社などで何を祈願されますか?世界平和?合格祈願?無病息災?無事故?
聖書では、イエスが、まず『あなたのみ名が賛美され、王国(神の)が早く来ますように。あなたのご意志が天に行われるとおり、地にも行われますように。』から始めるよう教えています。
新約聖書 マタイ伝
5 また祈る時には、偽善者たちのようにするな。彼らは人に見せようとして、会堂や大通りのつじに立って祈ることを好む。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。
6 あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。
7 また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている。
8 だから、彼らのまねをするな。あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。
9 だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。
10 御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
11 わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。
12 わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。
13 わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。
14 もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。
15 もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。
16 また断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな。彼らは断食をしていることを人に見せようとして、自分の顔を見苦しくするのである。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。
6 あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。
7 また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている。
8 だから、彼らのまねをするな。あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。
9 だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。
10 御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
11 わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。
12 わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。
13 わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。
14 もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。
15 もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。
16 また断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな。彼らは断食をしていることを人に見せようとして、自分の顔を見苦しくするのである。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。
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