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このローランドさんっていう方の言っていることにハッとした!!
人々が、昔より冗談を理解できなくなっている気がする。
育った家はユーモアいっぱいの家庭で、いわき小名浜の近所や親戚の人たちもいつも冗談言ってちょっと大げさな表現をしたり大笑いしているような環境。いつもみんな微笑んでいた。東京で事務のアルバイトしてた時、つい癖が出て毎日冗談を一発、みんな大笑いしてた。
アメリカに来て誘われ宗教団体に参加していた時、ユーモアのつもりで言った事を全て本気にとられていたと後で気づいた。最近、周りの普通のアメリカ人も日本人も 冗談を言わなくなり、大人も子供もシリアスな顔つきが多くなったように感じる。なぜそんなにギスギスしているのか? 世の中辛いことが多いのはいつの時代もおなじ。戦時中の人々の経験を思えば、金持ちではないかもしれないが明日食べる物の心配もなく、水道からはちゃんと水が出てトイレも使える素晴らしい環境の人が多いのだから、感謝して微笑んで生活できそうに思えるのだが?水道から泥水が出る国や、水道の無い国もある。
世界一古い書物聖書には、紀元前2…千年頃のシュメールのウルという町のことが書かれている。そこには、もう水道があった。そこにすんでいたアブラハムという人は父が宗教用の偶像を作って売り豊かな生活をしていたらしいが、神に、そこから出て荒野でテント生活をするように言われ従った。
不便な生活でも贅を極めだんだん堕落して行く町にいるより、荒野で生活する方が彼にとっては良い精神状態でいられ、小さいことにも感謝し感動できる毎日だったのでは?
欲は多いが感謝は少ない? 今は,、資本主義の無理がたたり限界を迎えたという人もいる。
むかし聞いた話を思いだす。ある成功した人が川で釣りをしていた貧しい若者に、「学校に行って教育を受け良い会社に就職すれば将来は私みたいにリタイヤして田舎でのんびり暮せるよ」と言った。若者の返事は、「そういう暮らし、もうしてるけど」だった。
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