古代ローマにおけるローマとユダヤの問題についての考察は、近現代ではとくに、ユダヤ側に立ってなされるものが多い。それを一言で要約すれば、自由を尊重するユダヤ民族が支配者ローマに対して執拗に反抗した歴史、ということになる。
(225P)
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ローマ人(と他の被支配民族)の考える「自由」とユダヤ人の考える「自由」が同じものではなかったのか。
(226P)
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法律というものに対する考えかたでも、ローマ人とユダヤ人はちがった。
ユダヤ人にとっての「法」とはモーゼの十戒のように神が与えたものを人間が守るのが法なのである。
(中略)
一方ローマ人の考える「法」とは、人間が考え、それを法律にするかどうかも、元老院や市民集会という場で人間が決めるものなのだ。ゆえに、現実に適合しなくなれば改めるのに不都合はまったくない。
(中略)
ローマ人は人間に法律をあわせ、ユダヤ人は法律に人間を合わせると言い換えてもよいかもしれない。
(227P)
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ローマ市民権をもたないユダヤ教徒はユダヤの法に従い、罪を犯した場合もユダヤの方によって裁かれるとしたのである。
イエス・キリストの処刑もイェルサレムの祭司たちで構成された法廷が死刑の判決そ下し、当時のユダヤ長官のピラトがOKを与えたので実施されたのである。
(中略)それがもしも、ピラトがユダヤ側の圧力に屈せずに自分が体現するローマの法に従って行動していたとしたら、イエスの十字架上の死は実現しなかったのである。神の名を簡単に口にすることはユダヤ教ならば極刑に値しても、神々のたくだんいるローマでは罪にもならないからだ。
(237P)
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現代イタリア語で「メッサリーナ」といえば性欲をコントロールできなくて誰とでも寝る女の代名詞である。だからイタリア男に、きみはメッサリーナのようだ、などといわれたら、皇妃のようだと言われたのではないということは知っておいたほうがよい。
(312P)
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古代ローマの奴隷制を論ずる場合、奴隷制は人権に反するから廃止するのは当然という近代の視点に立つかぎり、論じ合うことすらできなくなる。奴隷制度は古代のローマが崩壊してキリスト教の世界になった後でも全廃されたわけではなかった。キリスト教という真の信仰に目覚めない者はキリスト教徒とは同等の人間ではないとする教会の黙認の下で、非キリスト教徒の奴隷は存在しつづけたのである。
(337P)
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ギリシャ人の考えた「市民権」は自分たちと血を共有することであった。ローマ人の考えた「市民権」は自分たちと精神を共有することであったのだ。
(341P)
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セネカは次のように言っている
「同情とは現に目の前にある結果に対しての精神的対応であって、その結果を生んだ要因にまでは心がむかない。これに反して寛容は、それを産んだ要因にまで心を向けての精神的対応であるところから、知性とも完璧に共存できるのである」
(375P)
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戦争は、武器を使ってやる外交であり、外交は武器を使わないでやる戦争である。
コルブロは、このことを知っていた武人であった。
(中略)
有能なリーダーとは、人間と労苦と時間の節約に長じている人のことではないかと思いはじめている。
(448P)
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ローマ人は多神教の民であるがために、宗教面では実に寛容であったので、ユダヤ教の分派としかみていなかったキリスト教に対しても、社会不安にならないかぎりは許容する方針を続けていた。しかし寛容とは同意することではない。同意はしないけれども、相手の存在は認めるということである。
(462P)
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彼ら(キリスト教徒)が信ずる神は唯一神であり、その神を信じない人は真の宗教に目覚めていないかわいそうな人なのだから、その状態から救い出してやることこそがキリスト教徒の使命と信じているからであす。だがこれは非キリスト者にしてみれば「余計なお節介」になるのだった。そして当時のローマには非キリスト者が多かったのである。
当時のローマ人の目に映ったキリスト教徒の余計なお節介は多神教の立場からすれば放漫不遜と同じだった。
(463P)
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自分たち(ローマ人)は犠牲に捧げた牛や羊の肉を食べる。しかし彼ら(キリスト教徒)は犠牲に捧げた人間の肉(キリストの肉を意味するパン)を食べ血(キリストの血を意味する葡萄酒)をすする。ローマ人にしてみれば、キリスト教徒は、エトルリア人(人身御供の習慣のある)以上の、カルタゴ人(幼児いけにえにする)以上の、そして明らかな蛮族であったケルト民族以上の、野蛮な人間に見えたのである。
(464P)
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比較的少数であろうと複数の人が統治権をもつ共和制とちがって、一人に統治権が集中する君主制の欠陥は、チェック機能を各ところになると考えられている。事実、帝政であろうと王政であろうと、人類が経験した君主制のほとんどはチェック機能を書いていた。
ところがアウグストゥスが創設したローマの帝政だけには、チェック機能が存在したのである。
(491P)
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自分が創設しただけに、また「政治的人間」そのものであったアウグストゥスだけに、自分が創設した政体が「デリケートなフイクション」であることを知っていた。このような政体の舵取り役には、高度な政治上の技能が必要とされることも知っていた。
(492P)
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問題は誰を「一人の統治」の当事者にするかであったのだ。だがそれゆえに、アウグストゥスの苦労の結果であった帝政におけるチェック機能の問題は、未解決で残されたことになった。いや、チェック機能としての皇帝暗殺が、正当化されるようになったとするべきかもしれない。
(494P)
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反体制は、ただ単に反対するだけでは自己消耗してしまう。自ら消耗しないで反体制でありつづけるためには、現体制にとって代わりうる新体制を提案しなければならない。これをやってこそ、反体制として積極的な意味をもつことができるからである。
(496P)
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(225P)
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ローマ人(と他の被支配民族)の考える「自由」とユダヤ人の考える「自由」が同じものではなかったのか。
(226P)
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法律というものに対する考えかたでも、ローマ人とユダヤ人はちがった。
ユダヤ人にとっての「法」とはモーゼの十戒のように神が与えたものを人間が守るのが法なのである。
(中略)
一方ローマ人の考える「法」とは、人間が考え、それを法律にするかどうかも、元老院や市民集会という場で人間が決めるものなのだ。ゆえに、現実に適合しなくなれば改めるのに不都合はまったくない。
(中略)
ローマ人は人間に法律をあわせ、ユダヤ人は法律に人間を合わせると言い換えてもよいかもしれない。
(227P)
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ローマ市民権をもたないユダヤ教徒はユダヤの法に従い、罪を犯した場合もユダヤの方によって裁かれるとしたのである。
イエス・キリストの処刑もイェルサレムの祭司たちで構成された法廷が死刑の判決そ下し、当時のユダヤ長官のピラトがOKを与えたので実施されたのである。
(中略)それがもしも、ピラトがユダヤ側の圧力に屈せずに自分が体現するローマの法に従って行動していたとしたら、イエスの十字架上の死は実現しなかったのである。神の名を簡単に口にすることはユダヤ教ならば極刑に値しても、神々のたくだんいるローマでは罪にもならないからだ。
(237P)
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現代イタリア語で「メッサリーナ」といえば性欲をコントロールできなくて誰とでも寝る女の代名詞である。だからイタリア男に、きみはメッサリーナのようだ、などといわれたら、皇妃のようだと言われたのではないということは知っておいたほうがよい。
(312P)
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古代ローマの奴隷制を論ずる場合、奴隷制は人権に反するから廃止するのは当然という近代の視点に立つかぎり、論じ合うことすらできなくなる。奴隷制度は古代のローマが崩壊してキリスト教の世界になった後でも全廃されたわけではなかった。キリスト教という真の信仰に目覚めない者はキリスト教徒とは同等の人間ではないとする教会の黙認の下で、非キリスト教徒の奴隷は存在しつづけたのである。
(337P)
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ギリシャ人の考えた「市民権」は自分たちと血を共有することであった。ローマ人の考えた「市民権」は自分たちと精神を共有することであったのだ。
(341P)
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セネカは次のように言っている
「同情とは現に目の前にある結果に対しての精神的対応であって、その結果を生んだ要因にまでは心がむかない。これに反して寛容は、それを産んだ要因にまで心を向けての精神的対応であるところから、知性とも完璧に共存できるのである」
(375P)
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戦争は、武器を使ってやる外交であり、外交は武器を使わないでやる戦争である。
コルブロは、このことを知っていた武人であった。
(中略)
有能なリーダーとは、人間と労苦と時間の節約に長じている人のことではないかと思いはじめている。
(448P)
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ローマ人は多神教の民であるがために、宗教面では実に寛容であったので、ユダヤ教の分派としかみていなかったキリスト教に対しても、社会不安にならないかぎりは許容する方針を続けていた。しかし寛容とは同意することではない。同意はしないけれども、相手の存在は認めるということである。
(462P)
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彼ら(キリスト教徒)が信ずる神は唯一神であり、その神を信じない人は真の宗教に目覚めていないかわいそうな人なのだから、その状態から救い出してやることこそがキリスト教徒の使命と信じているからであす。だがこれは非キリスト者にしてみれば「余計なお節介」になるのだった。そして当時のローマには非キリスト者が多かったのである。
当時のローマ人の目に映ったキリスト教徒の余計なお節介は多神教の立場からすれば放漫不遜と同じだった。
(463P)
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自分たち(ローマ人)は犠牲に捧げた牛や羊の肉を食べる。しかし彼ら(キリスト教徒)は犠牲に捧げた人間の肉(キリストの肉を意味するパン)を食べ血(キリストの血を意味する葡萄酒)をすする。ローマ人にしてみれば、キリスト教徒は、エトルリア人(人身御供の習慣のある)以上の、カルタゴ人(幼児いけにえにする)以上の、そして明らかな蛮族であったケルト民族以上の、野蛮な人間に見えたのである。
(464P)
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比較的少数であろうと複数の人が統治権をもつ共和制とちがって、一人に統治権が集中する君主制の欠陥は、チェック機能を各ところになると考えられている。事実、帝政であろうと王政であろうと、人類が経験した君主制のほとんどはチェック機能を書いていた。
ところがアウグストゥスが創設したローマの帝政だけには、チェック機能が存在したのである。
(491P)
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自分が創設しただけに、また「政治的人間」そのものであったアウグストゥスだけに、自分が創設した政体が「デリケートなフイクション」であることを知っていた。このような政体の舵取り役には、高度な政治上の技能が必要とされることも知っていた。
(492P)
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問題は誰を「一人の統治」の当事者にするかであったのだ。だがそれゆえに、アウグストゥスの苦労の結果であった帝政におけるチェック機能の問題は、未解決で残されたことになった。いや、チェック機能としての皇帝暗殺が、正当化されるようになったとするべきかもしれない。
(494P)
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反体制は、ただ単に反対するだけでは自己消耗してしまう。自ら消耗しないで反体制でありつづけるためには、現体制にとって代わりうる新体制を提案しなければならない。これをやってこそ、反体制として積極的な意味をもつことができるからである。
(496P)
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