週刊金曜日な日々

「週刊金曜日」、一読者のB級時評
題名に「週刊金曜日」と使用する事は、編集部の許可を得ています。

ローマ人の物語Ⅶ 悪名高き皇帝たち(その1)

2006-10-24 13:14:29 | 言葉
「パクス」とは外敵からの防衛だけで実現できるものではない。人々が安全な日常を過ごせてこそ、真の「平和」なのである。「パクス・ロマーナ」(ローマによる平和)とは、この両方の「パクス」を意味した。
(56P)
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ローマ人がはじめて街道をつくったのではない。しかし、街道は一本ではなく街道網として構成すれば、その機能もより高まることを考え実行したのはローマ人である。ローマ人がはじめて法律をつくったのでもなかった。だが、法律も、多岐にわたる法体系にしてこそ法治国家として機能しうると考え、それを実行した最初の民族はローマ人である。そしてこの二事に共通しているのは、必要に応じて「メンテナンス」をほどこさないと機能の低下は避けられないという、人間世界の現実であった。
(120P)
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タキトゥス自身のコメントならば次のとおりである。
「最高権力者ともなれば、すでにして多く得点を教授しているものだが、ある一つのことだけは死ぬまで追求し続けなければならない。それは、自身のよき想い出を遺すことであす。名声を軽蔑する者は、徳を軽蔑する者になる。」
(129P)
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つまりこの言葉(偽善)の創造者は古代のギリシャ人なのだが、創造者だけに彼らは偽善を日本の辞書にあるような見せ掛けの前項とだけは考えなかった。偽善を上等と下等に二分したのである。日本の辞書の説明はギリシャ人にすれば下等の偽善でしかない。
ギリシャ人の考えた上等な偽善とは、たとえうわべを装おうとも見せかけであとうとも、それをする目的が公共の利益にあった場合である。ギリシャの哲学者たちは、この種の偽善を政治家には必要な手段であるとさえ認めたのだ。必要悪ではに。もっとポジティブな意味を持つ「悪」である。
(中略)
共和制であると思わせながら40年間にわたって事実上の帝政を行ったアウグストゥス
(中略)
人間とは主権をもっているとおもわせてくれさえすればよいのであって、その主権の行使には、ほんとうのところはさしたる関心をもっていない存在であるかもしれない。結果が悪と出たときにだけ、苦情の声をあげるというだけで。
(142P)
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ユリウス・カエサルが青写真を引き、それにそってアウグストゥスが構築し、テイベリウスによって磐石となった帝政ローマ。カリグラが受け継いだのはこのローマであった。カリグラの回復を被支配者たちまでが祈願したのは、彼の死が帝政ローマの死とイコールになるかと人々が恐れたからである。
(201P)
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