週刊金曜日な日々

「週刊金曜日」、一読者のB級時評
題名に「週刊金曜日」と使用する事は、編集部の許可を得ています。

「大本営発表」と、今のマスゴミの取材力の低下。

2011-03-31 22:00:58 | 週刊金曜日
原発事故報道と戦前の新聞

以下、転載
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東日本大震災後の福島原発に関する報道を見ていると、ここに縷々書き連ねた、戦前のいやな感じが二重写しになってしまう。言うまでもないことだが、地震や津波による「震災報道」と、原発をめぐる「原発事故報道」は、まったく別物である。これを同一の視点からとらえていると、ことの本質を見誤ってしまうだろうと思う。

(中略)

報道現場も大いに混乱してるとは思う。しかし、理由はそれだけではあるまい。ひとつは、もう「慣れた」のである。悪い意味で。これは推測にすぎないが、「発表がないと書かない・書けない」ような雰囲気が、ほぼ完全に醸成されてしまったのではないかと思う。先述した戦前の日本や9・11直後の米国などがそうだったように、「国難」や「国民一丸」が語られるときほど、ニュースは当局寄りになる。この傾向が進むと、残るのは「大本営発表」と「前線で戦う人々の美談」のみである。

私は常々、最近の報道界の凋落は「取材力の低下」が大きな原因であると言ってきた。それは「当局との親和性の深化」の裏返しでもある。現場では、記者がそれぞれに工夫し、なんとか壁を突破しようとしているのだとは思う。私の知人・友人にも、そういう記者は数多くいる。しかし、報道全体としては限りなく、「大本営前夜に近付いているのではないか」という感覚がある。あえて「前夜」と付したのは、強制的な検閲が発動される以前の、という意味においてである。ある全国紙の知人(デスク)も先日、「福島原発絡みでは、やばい話がいろいろある。でもデカすぎて書けない」という趣旨の話をしていた。「政府・当局」のお墨付きがない限り、こわくて書けないという。

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なかなか含蓄に富んだブログです。

さて・・・
このあと放射能の拡散が収束したら
原発についての報道がどれだけ減るか。

たとえ報道が減っても
現場では、壊れた4つの原発の冷却作業は
数年続くんでしょうね。


さらに気になるのが
「ベクレル」という表現が各社一斉になくなったこと。
「基準値の何倍」という表現に「一斉に」なりました。

怖い!
これは怖いぞ!

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