怒りという感情で行動をすることは
負のパワーが必要ですが引き換えに消費するエネルギーは自分自身の心の醜さから生じると考えています。
寛容や慈悲と言うものの感情は優しさから生まれるエネルギーですね?
どちらも放った己に返ってくるものだと信じています。
優しさに包まれたら優しさが返ってくる。
怒りを放てば怒りが返ってくる。
阿弥陀如来は慈悲そのもの。
私は自分から放っているのではなく、相手から放たれた感情を返す事で相手に悟って欲しいと願う高い次元での感情に支配されている気がします。
仏教を少しだけ勉強しました。
よけごんで優しさに包まれ
花の会でも優しさに包まれ
ちょんこめでも
優しさに包まれた私の放つエネルギーは
優しさから生まれるエネルギーの交換作業により生かされていると確信しています。
負のエネルギーに対しては負のエネルギーを返すしか無いのですが
常に高みを目指すよう示唆した内容のエネルギーを放つことにより相手に慈悲をもって居ることも確かです。
バカと言われてお前もな。と言うのではなく
バカという方がバカですよと教えることが大切なのだと考えます。
議員に謝罪要求したり
しいの木に観光協会から処分を求めたり。
当事者に何でこういう事を私にされたのかを考えるチャンスを与え気づきを感じてもらえれば良いのかなと思う次第です。
寛容とは相手の悪い部分をを認めることでその行動や考え方や言葉を許すこと。
慈悲は相手に気づかせ更に高次元へ導く事を言うのかな?と思っています。
私が見せる行動や表情や言葉は
すなわち
相手の心を映した鏡だということです。
意味不明でスミマセン…、、。
これからは心の時代です。
心が人を動かす時代に突入しています。
報復の連載
経済至上主義
欲にまみれた
政治や生活
全て崩壊したあとに残るものは
結。
心を結ぶことがこれから必要になってきます。
人は話せば分かりあえる存在です。
話し合わないから
わかり会えないのです。
人の心とは
シンメトリー。
陰と陽
正と負
相反するものでできている
物質とは普遍的ではなく
全ては無である。
故にか細く不安定で
どちらかが大きくなるとバランスが取れなくなり
苦しむことになる。
苦しみから解放されるためには
無になる事以外に方法はない。
ミスターの教え。